山菅(やますげ)の実ならぬことを我(わ)に寄(よ)そり言はれし君は誰(た)れとか寝(ぬ)らむ(大伴坂上郎女)
の、
山菅、
は、
「実ならぬ」の枕詞、
で、
山菅、
は、
山に生える菅の一般的呼称、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
山菅(やますげ)、
は、
咲く花は移ろふ時ありあしひきの夜麻須我(ヤマスガ)の根し長くはありけり(万葉集)、
とある、
ヤマスガの転、
とあり(岩波古語辞典)、
山に生えている野生のスゲの類、
山地に自生するスゲの類、
である(仝上・精選版日本国語大辞典)。
妹待つと御笠の山の山菅(やますげ)のやまずや恋ひむ命死なずは(万葉集)、
などと、「山菅」の、
根が長く、葉が乱れていることを歌に詠むことが多く、
平安時代には、
子の日にやますげを手まさぐりにして(栄花物語)、
と、
子の日などの祝儀につかわれる。呪力のある草と考えられていたらしい、
とある(岩波古語辞典)。
子の日、
は、
正月の初めの子の日に、野外に出て、小松を引き、若菜をつんだ。中国の風にならって、聖武天皇が内裏で宴を行ったのを初めとし、宇多天皇の頃、北野など郊外にでるようになった、
とあり(岩波古語辞典)、この宴を、
子の日の宴(ねのひのえん)、
といい、
若菜を供し、羹(あつもの)として供御とす、
とあり(大言海)、
士庶も倣ひて、七種の祝いとす、
とある(仝上)。「七草粥」で触れたように、
羹として食ふ、万病を除くと云ふ。後世七日の朝に(六日の夜)タウトタウトノトリと云ふ語を唱へ言(ごと)して、此七草を打ちはやし、粥に炊きて食ひ、七種粥と云ふ、
とある(大言海)、当初は、粥ではなく、
羹(あつもの)、
であり、七草粥にするようになったのは、室町時代以降だといわれる。
山菅、
は、また、
やぶらん(藪蘭)」の古名、
ともされ(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、また、
ばくもんとう(麥門冬)、
の古名とされる(大言海)。和名類聚抄(931~38年)に、
麥門冬、也末須介、
本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)に、
麥門冬、夜末須介、
類聚名義抄(11~12世紀)に、
麥門冬、ヤマスゲ、
とあり、
麥門冬、一名、ヤブラン、
ともある(大言海)。
藪蘭(やぶらん)、
は、
キジカクシ科ヤブラン属の多年草(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3・デジタル大辞泉)、
ユリ科の多年草(精選版日本国語大辞典・動植物名よみかた辞典)、
と、異同もあるが、
やぶに生え、葉の形がランに似ていることからこの名が付けられた、
と言われていて(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3)。地方により、
テッポウダマ(福島県)、ネコノメ(新潟県)ジャガヒゲ(岐阜県)、インノシポ(鹿児島県)、
などの名でも呼ばれる(仝上)が、
林下に生える。高さ三〇~五〇センチメートル。根は黄白色で連珠状。葉は根生し広線形で長さ三〇~六〇センチメートル。夏から秋にかけ、ごく小さな紫色の六弁花を球状に密集した花穂をつける。果実は球形で黒く熟す。球根は煎(せん)じて解熱・袪痰(きょたん)薬にされる、
とある(精選版日本国語大辞典)。
麦門冬、
というのは、
ユリ科多年草のジャノヒゲあるいはヤブランの根を乾燥したもの、
をいい、漢方薬に用いる生薬(しょうやく)では、
麦門冬湯、
として、
咳(せき)止め、痰(たん)切り、滋養、強壮、利尿などの目的で用いる、
とある(精選版日本国語大辞典)この名を、
ヤブランの漢名、
に当てるのは誤用だが、ジャノヒゲの根から得られる生薬を、
小葉麦門冬、
ヤブランの根から得られるものを、
大葉麦門冬、
と称する故のようである(精選版日本国語大辞典)。また、
月経不順、更年期障害、足腰の冷えに効く温経(うんけい)湯、
心臓神経症、動悸(どうき)、息切れに効く炙甘草(しゃかんぞう)湯、
等々にも含まれている(仝上)。
麦門冬、
は、一名、
ヤブラン、
ともされるが、漢方薬にもちいられることから、
ジャノヒゲ、
ともされる。
ジャノヒゲ、
は、
蛇の鬚、
と当て、
リュウノヒゲ、
ともいい、別名、
ヤブラン、
ともされる(大言海)のでややこしい。
キジカクシ科の常緑多年草(デジタル大辞泉)、
ユリ科(APG分類:キジカクシ科)の常緑多年草(日本大百科全書)、
で、
日本全土の平地や山林の樹陰内に自生し、民家の周辺にもよく集落する。葉は根茎上に群生し線形で暗緑色、長さ10~20センチメートル、幅2~3ミリメートルで弓形に外曲する。夏、葉間から7~10センチメートルの花茎を伸ばし、淡紫色の小花が総状につき、下向きに開く。花弁は6枚で雄しべは6本、雌しべは1本。花期後に果実ができるが、果皮は発達せず、濃青紫色で光沢のある球形の種子が裸出してつく
とあり(仝上)、近縁種のに、
チャボリュウノヒゲ、
一名、
ギョクリュウ(玉竜)、
は葉の長さが5~6センチメートルの矮性(わいせい)で繁殖力が強く、地被植物として利用される(仝上)。上述したように、漢方では、
ひげ根の一部分が紡錘状に肥大したところを集めて、麦門冬(ばくもんどう 中国では麦冬(ばくどう))と称して薬用とする。乾燥したものは淡黄色で長さ1~3センチメートル、径4~6ミリメートルで、中心部を通っている中心柱を抜き取ったものもある、
とあり(仝上)、
サポニン、粘液、ブドウ糖などを含んでいるので味は甘く、粘りがある。解熱、鎮咳(ちんがい)、去痰(きょたん)、強壮剤として百日咳(ぜき)、肺炎、肺結核、咳嗽(がいそう)、口渇、便秘などの治療に用いられる、
という(仝上)。ヤブランの塊根も同様に用いるために、
山菅、
ヤブラン、
麦門冬、
ジャノヒゲ、
の名前が混交されているようだ。
なお、
山菅の、
は、枕詞として、冒頭の、
山菅之(やますげの)実ならぬことを吾によそり言はれし君は誰とか寝(ぬ)らむ(万葉集)、
の歌のように、
山菅の実の意で、「実」にかかり、
山菅(やますげ)の乱れ恋ひのみせしめつつ逢はぬ妹(いも)かも年は経につつ(万葉集)、
のように、
山菅の葉が繁く乱れて延びることから「乱る」にかかり、
山菅之(やますげの)止まずて君を思へかも吾が心どのこのころは無き(万葉集)、
のように、
「やますげ」の「やま」と同音の繰り返しで「止(や)まず」にかかり、「すげ」と類音の繰り返しで、「背向(そがひ)」にかかる(精選版日本国語大辞典)。
なお、
山菅、
に当てた、
八田の一本須宜(スゲ)は子持たず立ちか荒れなむあたら菅原(古事記)、
と、
すげ(菅)
は、古形は、
スガ、
で(岩波古語辞典)、
カヤツリグサ科スゲ属の多年草の総称、
で、至る所に生え、
カサスゲ・マスクサ・コウボウムギ・カンスゲ、
など日本には約200種ある。茎は三角柱で節はない。葉は線形で、根生。葉の間から茎を直立させ、小穂をつける。葉を刈って、笠・蓑みの・縄などの材料とする、
とある(デジタル大辞泉)。
(スゲのおもな種類〔標本画〕 日本大百科全書より)
この、
すげ、
は、和名類聚抄(931~38年)に、
菅、須計、
字鏡(平安後期頃)に、
菅、須介、
とあり、
スガ(清)の転、スガは、清浄の義、神代紀「出雲清地、此云素鵝」、濯(スス)の約を重ねたる語(すがすが(清清)し)と云ふ、祭祀、苞苴(つと)の用に供す、菅の字、カヤ(萱)なるを誤用す(大言海)、
祓いの具として用いるところからスガ(清)の転(日本釈名・祝詞考)、
葉もなく、スグに立つくさであるところから(日本釈名)、
スグメ(直芽)の義(日本語原学=林甕臣)、
削り落とす意の動詞ソグ(殺)の連用形名詞ソギの変形(語源辞典・植物篇=吉田金彦)、
等々諸説あるが、
葉の間から茎を直立させ、小穂をつける、
という特徴を言っているのではあるまいか。
「菅」(漢音カン、呉音ケン、慣用カン)は、
会意兼形声。「艸+音符官(=管 丸い穴が通っている)」、
とある(漢字源)が、他は、
形声。「艸」+音符「官 /*KWAN/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8F%85)、
形声。艸と、音符官(クワン)→(カン)とから成る(角川新字源)、
形声文字です(艸+官)。「並び生えた草」の象形(「草」の意味)と「屋根・家屋の象形と祭り用の肉の象形」(軍隊が長くとどまる家屋の意味から、「役所」の意味を表すが、ここでは、「管(カン)」に通じ(同じ読みを持つ「管」と同じ意味を持つようになって)、「くだ」の意味)から、茎がくだ状になっている「すげ(植物の一種)」、「ふじばかま、あららぎ(キク科の多年草)」を意味する「菅」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2237.html)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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