まそ鏡見飽かぬ君に後(おく)れてや朝夕(あしたゆうへ)にさびつつ居(を)らむ(沙弥満誓)
の、
まそ鏡、
は、
「見」の枕詞、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
ます鏡、
で触れたように、
ます鏡、
は、
真澄の鏡、
の意で、
澄みきって、ものがよく映る、
で(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、
真澄鏡、
十寸鏡、
等々と当て、
まそかがみ、
の転とある(岩波古語辞典)。また、
たらちねの母が形見と吾が持てる真十見鏡(まそみかがみ)に(万葉集)、
と、
まそみかがみ(真澄鏡)、
ともいう例がある(精選版日本国語大辞典)。で、
まそかがみ、
も、
真澄鏡、
真十鏡、
と当て(広辞苑)、萬葉集では、
麻蘇鏡、
末蘇鏡、
清鏡、
白銅鏡、
銅鏡、
真素鏡、
真祖鏡、
真鏡、
等々もある(https://jmapps.ne.jp/kokugakuin/det.html?data_id=32304)が、
真十鏡、
が最も多い(仝上)とある。この由来は、
マソはマスミの転、ますみのかがみの転、一説に、完全の意(広辞苑)、
マソはマスミの転、マソミの約(岩波古語辞典)、
マスミノカガミ(真澄鏡)の約(大言海)、
「ますみのかがみ」と同義とも、「まそ」は十分整った意ともいう(大辞林)、
真+ソ(澄み)+鏡、清らかで曇りのない鏡(日本語源広辞典)、
等々とあり、
ますみのかがみ(真澄鏡)、
は、
殊に善く澄みて、明なる鏡、
であり、
まそみのかがみ、
まそひのかがみ、
てるのかがみ、
等々とも言い(大言海)、易林節用集(慶長)には、
真角鏡、マスミノカガミ、十寸鏡、ますかかみ、
とある。しかし、
「ますかがみ」の変化したものとする説は、「ますかがみ」の確実な例が平安時代以降にしか見られないので疑問、
ともあり(精選版日本国語大辞典)、語源は未詳ながら、一説に、
「ま」は接頭語で、「そ」は完全な、そろった、などの意で、よく整った完全な鏡の意とする、
とあり(仝上)、また、
万葉集にある「ますみの鏡」(吾が目らは真墨乃鏡吾が爪は……)という語が日本書紀の神代紀の古訓(白銅鏡、私注「曼須美乃加加見)や『新撰亀相記』にも見えることから、「まそかがみ」はその転訛と考える説もあるが、「まそかがみ」の例に集中することから、むしろ「ますみの鏡」は語源解釈の結果生まれた語形であろう。おそらく接頭語「まそ」は真+具の意で、足り備わったさま、十全なさまをあらわすのであろう、
ともある(https://jmapps.ne.jp/kokugakuin/det.html?data_id=32304)。
いずれにしても、
白栲(しろたへ)のたすきを掛け麻蘇鏡(まそかがみ)手に取り持ちて(万葉集)、
と、
澄み切った、明なる鏡、
の意ではあり(大言海)、
鏡の美称、
であることは間違いない。そして、枕詞として、
曇りなく光らせてある、
ところから(岩波古語辞典)、
鏡を月にたとえて、
我妹子(わぎもこ)や吾れを思はば真鏡(まそかがみ)照り出づる月の影に見え来ね(万葉集)、
と、
清き月夜、
照り出る月、
に、
鏡は箱に入れてあるところから、「蓋(ふた)」と同音を含む地名に、
娘子(とめら)らが手に取り持てる真鏡(まそかがみ)二上山に木の暗(くれ)の繁き谷辺を(万葉集)、
と、
二上(ふたかみ)、二上山(ふたがみやま)、
に、
みることから、
真祖鏡(まそかがみ)見とも言はめや玉かぎる石垣淵(いはかきぶち)の隠りたる妻(万葉集)、
と、
見、
に、
真十鏡(まそかがみ)敏馬(みぬめ)の浦は百船(ももふね)の過ぎて行くべき浜ならなくに(万葉集)、
と、それと同音の地名、
敏馬(みぬめ)、南淵(みなふち)、
に、
鏡に映る影の意から、
里遠み恋ひわびにけり真十鏡(まそかがみ)面影去らず夢(いめ)に見えこそ(万葉集)、
と、
面影、
に、
床のそばに置くの意で、
里遠み恋ひうらぶれぬまそ鏡床の辺去らず夢に見えこそ(万葉集)、
と、
床の辺さらずに、鏡を掛けて使うので、
まそ鏡懸けて偲(しぬ)へとまつり出す形見のものを人に示すな(万葉集)、
と、
かく、
に、
鏡を磨(と)ぐの意で、
真十鏡(まそかがみ)磨ぎし心をゆるしてば後に言ふとも験(しるし)あらめやも(万葉集)、
と、
磨ぐ、
にそれぞれかかる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。
「鏡」(漢音ケイ、呉音キョウ)は、「ます鏡」で触れたように、
会意兼形声。竟は、楽章のさかいめ、区切り目を表わし、境の原字。鏡は「金+音符竟」。胴を磨いて明暗のさかいめをはっきり映し出すかがみ、
とある(漢字源)。ただ、他は、いずれも、
形声。「金」+音符「竟 /*KANG/」。「かがみ」を意味する漢語{鏡 /*krangs/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%8F%A1)、
形声。金と、音符竟(ケイ、キヤウ)とから成る。かげや姿を映し出す「かがみ」の意を表す(角川新字源)、
形声文字です(金+竟)。「金属の象形とすっぽり覆うさまを表した文字と土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(土中に含まれる「金属」の意味)と「取っ手のある刃物の象形と口の象形(「言う」の意味)の口の部分に1点加えた形(「音」の意味)と人の象形」(人が音楽をし終わるの意味だが、ここでは、「景(ケイ)」に通じ(同じ読みを持つ「景」と同じ意味を持つようになって)、「光」の意味)から、姿を映し出す「かがみ」を意味する「鏡」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji555.html)、
形声。声符は竟(きよう)。〔説文〕十四上に「景なり」とあり、畳韻の訓。古くは鑑といい、金文には監という。監は皿(盤)に臨んで見る形。古い鏡銘には略体としての竟字を用いる(字通)、
と、形声文字(意味を表す部分と音を表す部分を組み合わせて作られた文字)としている。
(「眞(真)」 https://kakijun.jp/page/shin10200.htmlより)
「眞(真)」(シン)は、「真如」で触れたように、
会意文字。「匕(さじ)+鼎(かなえ)」で、匙(さじ)で容器に物をみたすさまを示す。充填の填(欠け目なくいっぱいつめる)の原字。実はその語尾が入声に転じたことば、
とあり(漢字源)、
会意。匕(ひ)(さじ)と、鼎(てい)(かなえ)とから成り、さじでかなえに物をつめる意を表す。「塡(テン)」の原字。借りて、「まこと」の意に用いる(角川新字源)、
会意文字です(匕+鼎)。「さじ」の象形と「鼎(かなえ)-中国の土器」の象形から鼎に物を詰め、その中身が一杯になって「ほんもの・まこと」を意味する「真」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji505.html)、
会意。旧字は眞に作り、⼔(か)+県(けん)。⼔は(化)の初文で死者。県は首の倒形で倒懸の象。顚死(てんし)の人をいう。〔説文〕八上に「僊人なり。形を變へて天に登るなり」とし、八は乗物、これに乗じて天に登る意とするが、当時の神仙説によって説くものにすぎない。顚死者は霊威の最も恐るべきもので、慎んでこれを塡めて鎮(しず)め、これを廟中に寘(お)き、その瞋(いか)りを安んじ、玉を以て呪霊を塡塞(てんそく)するを瑱という。眞に従う字は、みなその声義をとる字である。〔荘子、秋水〕に「其の眞に反る」、〔荘子、大宗師〕に「眞人有りて、而る後に眞知有り」など、絶対の死を経て真宰の世界に入るとする思弁法があって、真には重要な理念としての意味が与えられるようになった(字通)、
等々と、会意文字説が大勢だが、
形声。当初の字体は「𧴦」で、「貝」+音符「𠂈 /*TIN/」。「𧴦」にさらに音符「丁 /*TENG/」と羨符(意味を持たない装飾的な筆画)「八」を加えて「眞(真)」の字体となる。もと「めずらしい」を意味する漢語{珍 /*trin/}を表す字。のち仮借して「まこと」「本当」を意味する漢語{真 /*tin/}に用いる、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9C%9F)、
甲骨文字や金文にある「匕」(さじ)+「鼎」からなる字と混同されることがあるが、この文字は「煮」の異体字で「真」とは別字である。「真」は「匕」とも「鼎」とも関係がない、
としている(仝上)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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