たづたづし


草香江(くさかえ)の入江にあさる葦鶴(あしたづ)のあなたづたづし友なしにして(大伴旅人)

の、

たづたづし、

は、

上三句は序。同音で「たづたづし」を起す、

とあり、

旅人に置き去りにされての悲しみを述べる、

ぬばたまの黒髪変り白けても痛き恋には逢ふ時ありけり(沙弥満誓)

という、詞書(和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)にある、

大宰帥大伴卿の京に上りし後に、沙弥満誓(まんぜい)、卿に贈る歌二首、

のうちの、

満誓の第二首に応ずる歌である(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

たづたづし、

は、

たづたづし(上代語)

たどたどし(中古)

たどたどしい、

と変化し、

たづたづし、

は、

たどたどしの古形、

で、

たどたどし、

は、

タヅタヅシの母音交替形、



タドル(辿)と同根か、

とあり、

夕闇は道たづたづし月待ちて行(い)ませ我が背子その間にも見む(大宅女)、

と、

夕闇の中を手探りで行くような気持ちをいう、

とし(岩波古語辞典)、

辿る状なり、おぼつかなし、

とある(大言海)。

たづたづし(上代語)、

は、

((しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、

の、形容詞シク活用で、その母音交替形、

たどたどし、

も、

(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、

と、形容詞シク活用と同じであり、

たどたどし、

は、

いざ、しるべし給へ、まろはいとたどたどし(源氏物語)、

と、

不案内である、
土地、場所の様子がよくわからない、

意や、

経など習ふとて、いみじうたどたどしく、忘れがちに(枕草子)、

と、

不確かである、
あぶなっかしい、
たどたどしい、
おぼつかない、

意や、

花は皆散り乱れ、霞たどたどしきに(源氏物語)、
しのびたる郭公の、遠くそらねかとおぼゆばかり、たどたどしきを聞きつけたらんは(枕草子)、

と、

ぼんやりして様子がよく見えない、
直接に、はっきりそれと知ることができない状態になっている、

意といった、状態表現の一方で、それをメタファに、

これが末を知り顔に、たどたどしき真名に書きたらんも、いと見ぐるしと、思ひまはす程もなく(枕草子)、

と、

学問・技芸などに十分に習熟していない、
その道に精通していない、
未熟である、

意や、

いと慰めかねぬべき旅の空も、あまりによろづたどたどしかりしかば(「小島のくちずさみ(1353)」)、

と、

未熟なために進行などが、なめらかにいかない、
のろのろしてはかどらない、

意といった価値表現へも広げて使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)。

たどたどし(→たどたどしい)、

の語源は、前にも少し触れたが、

辿る+辿る+シイ、動作が未熟で不安定な様子をいいます(日本語源広辞典)、
タヅタヅシの母音交替形、タドル(辿)と同根か、夕闇の中を手探りで行くような気持ちをいう(岩波古語辞典)、
タドルから(和訓栞)、
手遠の義の古語から(名語記)、
「たどる」「たぢろぐ」「たづぬ」と同根、また、あるいは、「たづき」とも同根か。「すくすく」などに対して、目標や手がかりをさぐりながら、行き悩む意が原義と考えられる(日本語源大辞典)、

と、

たどる、

や、

たぢろぐ、
たづぬ、
たづき、

ともかかわるとされる。最もかかわりの深いと思われる、

たどる、

は、

辿る、

と当て、

タ(手ガカリ)+どる(取る)、手がかりになるものを求めて進む意です(日本語源広辞典)、
不明な状況の中で、手がかりを探りながら行く意、タドタドシと同根か(岩波古語辞典)、
手取る義(名言通・和訓栞・日本語源=賀茂百樹)、
立ち止まる意(日本釈名)、
タトル(佗所人)の義(言元梯)、
歩行の音たどたどから(国語の語根とその分類=大島正健)、
「たづぬ」「たづたづし(たどたどし)」と同根(日本語源大辞典)、
手取る義(大言海)、

といった由来とされ、

手がかりを探りながら行く(岩波古語辞典)、
手がかりになるものを求めて進む(日本語源大辞典)、

といった含意で、

あるは月を思ふとてしるべなき闇にたどれる心心を見たまひて、さかし、愚かなりとしろしめしけむ(古今和歌集・仮名序)、

と、

迷いながら手探りで歩く、

意や、

あやし。ひが耳にやと、たどるを聞き給ひて(源氏物語)、

と、

はっきりしないことを跡づけていく、
不十分な情報をたよりに、あれこれ実体を考える、

意や、


あまの河あさせしら浪たどりつつわたりはてねばあけぞしにける(古今和歌集)、

と、

行くべき道を迷いながら捜す、
また、
迷って行きなやむ、

意といった状態表現から、それを派生させて、

京へ出る人多ければ、其に伴ひて、我が宿坊にたどり来て(太平記)、

と、

正気をなくしたり、気もそぞろになったりした状態で、道をふらふらと歩いていく、
茫然自失して歩く、

意や、

我が身こそあらぬかとのみたどらるれとふべき人にわすられしより(「類従本小町集(9C後か)」)、

と、

状況、事態、物の筋道などがわからなくなり、解決を求めてあれこれと考え迷う、
どうしたらよいのかわからないで迷う、
また、
途方に暮れる、

意や、

ほの心うるも思の外なれど、おさな心地に深くしもたどらず(源氏物語)、

と、

次から次へと筋道に添って深く考える、
考えをあれこれと及ぼしていく、
考究する、
また、
詮索する、

意、さらに、

時世のよせ今一きはまさる人には、……その心むけをたとるべき物なりけり(源氏物語)、

と、

他人のやっていることを自己流になぞって習い覚える、

意と、価値表現へとシフトしていく(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。この、

たどる、

から、副詞の、

たどるたどる(辿る辿る)、

が派生し、

くれぬとてねてゆくべくもあらなくにたどるたどるもかへるまされり(後撰和歌集)、

と、

行くべき道がわからず、迷い迷い尋ねていくさま、苦労を重ねてさぐりさぐり行くさま、まごまごしながらすこしずつ進むさまを表わす語、

として使ったり、

教ふる人だに侍らばたどるたどるも仕うまつるべきにこそ(狭衣物語)、

と、

不確かなことなどを、あれかこれかと思い迷いながら行なうさまを表わす語、

として使ったりする。この、

たどりたどり、

が転訛して、

たどりたどり(辿り辿り)、
たどろたどろ(辿ろ辿ろ)、

となり、

細道をしるべに、たどりたどりと歩み給ふ程に(御伽草子「梵天国(室町末)」)、

と、

道を捜し捜しするさま、道に迷いながら尋ねゆくさま、難渋するさまを表わす語、

や、

たとろたとろ政長に参り、此由を申(「長祿記(1466~82)」)、



難儀な状態で歩行がはかどらないさま、ふたしかな足どりで迷い歩くさまを表わす語、

などへと転じていく。

自信がなくたどたどしく書くこと、
へたに書くこと、
また、
その書いたもの、

を、

たどり(辿)、

とか、

たどりがき(辿書)、

と言ったり、

一字一字たどりながら読むこと、
やっと読むこと、

を、

たどりよみ(辿読)、

と言ったりするところをみると、

たどたどし、

の、

たどたど、

は、

辿り辿り、

とつながるのは明らかに思える。しかし、同じく同根とされる、

たぢろぐ、
たづぬ、
たづき、

は、少し系統が違う気がするのだが、それぞれしらべてみると――。

たぢろぐ、

の語源を見ると、

たじろぐ、は室町時代まではタヂロクと清音(広辞苑)、
タヂロは擬態語、タヂタヂのタヂと同根(岩波古語辞典)、
たぢたぢは平安時代から見え、「文の道は、少したぢろく」(宇津保物語)の形で、もとは能力や水準の低いことを表した。鎌倉時代以降、現代と同じ「ひるむ」意を表すようになるが、室町時代には、「足がたぢろく」(日葡辞書)と、足取りが不安定な様子も表し、「たぢめく」という類義語もあった(擬音語・擬態語辞典)、
(逡巡・退轉)立ち働く意と云ふ、身じろぐ、目(ま)じろぐなど同じ(大言海)、
タチシリゾク(立退)の義(名言通・和訓栞)、
タチノク(立除)の義(言元梯)、
手退クの義か(俚言集覧)、
タジ(たじたじと)+ろぐ(動詞化)、たじたじとしてしりごみすることをいいます(日本語源広辞典)、

などとあり、

ふみの道はすこしたちろくとも、そのすぢはおほかり(宇津保物語)、
御物怪にて御薬しげければ、何となくたちろきけるころにや(愚管抄)、

と、

ある水準から後退したり、衰えたりする、
衰微してだめになる、

意や、

朝夕につたふいたたの橋なれはけた(桁)さへ朽てたちろきにけり (堀河院御時百首和歌)、

と、

衰えて傾いたりよろめいたりする、
また、多く打消の形で、
重い物あるいはかたい物が少し動くことをもいう、

意や、

散々に討退けタジロク処について出(幸若「本能寺(室町末‐近世初)」)、

と、

前から押されたり、自ら動揺したりして、後退したり、よろめいたりする、
また、
困難や予期しないことにぶつかって困惑する、ひるむ、

意など(精選版日本国語大辞典)、どちらかというと、

手がかりになるものを求めて進む、

意の、

辿る、

より、

後ずさる、

意が強いが、しかし、上述の、

ふみの道はすこしたちろくとも、そのすぢはおほかり(宇津保物語)、

では、

能力や水準の低いこと、

を表わし、

たどたどし、

と重なる部分が確にある(擬音語・擬態語辞典)。また、日葡辞書(1603~04)には、

足がたぢろく、

と載り、

足取りが不安定な様子も表していたし、

たぢめく、

等々という言い回しもあり、

たぢろく、

と、

たどたどし、

とのつながりを類推させるし、この

たぢろく(たじろぐ)、

の語幹、

たじ、

と重なる、

たぢたぢ(たじたじ)、

は、室町時代から見られ、江戸時代になると、

相手の言動や雰囲気に圧倒され、萎縮して何もできないでいたり、引き下がったりする様子、
引き下がったりする、

という意味になるが、日葡辞書(1603~04)には、

たぢたぢ、

は、

弱弱しく歩き、倒れそうな様子、

とあり、当時は、

足取りが不安定で倒れそうな様子、

を表したと見られるので、ここで、

たぢたぢ、

も、

たどたどし、

とがつながってくるようである(仝上)。では、

たづぬ(尋・訊・訪)、

はどうか。その語源を見ると、

「たどる、とう」の約、手がかりを探し求めると、人の許を訪問するとは同じ語原です。方言で、タネル、タンネルなどという(日本語源広辞典)、
何かを手づるにして源を求めていく(広辞苑)、
タ(接頭語)ツナ(綱)を活用させた語か、綱につかまって先へ行くように、物事や人を追求する意、類義語モトムは、モト(本・根本)を得ようとするのが原義(岩波古語辞典)、
タヅはタドル(辿)のタドと同じく歩行の音から出たもの(国語の語根とその分類=大島正健)、
テトルユルキ(手取緩)の義(名言通)、
手着ヌの義(日本語源=賀茂百樹)、
タツネ(手著根)の義(言元梯)、
トヒトハシキの約略(和訓集説)、
タツネル(多草根得)の義(柴門和語類集)、

などとあり、

何かを手づるにして源を求めていく(広辞苑)、
綱につかまって先へ行くように、物事や人を追求する(岩波古語辞典)、

という含意で、

辿る、

との関わりが推定できる。意味は、

先に行ったものや所在のはっきりしないものを、何かを手がかりに捜し求める、

物事のみなもと、状況、道理などを明らかにしようと探り求める、

訪問する、

といった変化で、

この御足跡(みあと)をたづね求めてよき人のいます國にはわれも参てむ(仏足石歌)、
君が行き日(け)長くなりぬ山多都禰(タヅネ)迎へか行かむ待ちにか待たむ(万葉集)、

と、

先に行ったものや所在のはっきりしないものを、何かを手がかりに捜し求める、
目ざし求める人や所へ、心配りながら進んでいく、
道を求めていく、

意や、

うつせみは数なき身なり山川のさやけき見つつ道を多豆禰(タヅネ)な(万葉集)、
老いたる父母のかくれ失せて侍る、たづねて都に住ますることをゆるさせ給へ(枕草子)、

と、

目ざすもの捜し出す、
事のみなもと、状況、道理などを明らかにしようとして探り求める、

意から、

いかでありつる鶏(とり)ぞなどたづねさせ給ふに(枕草子)、

と、行為から姿勢そのものに転じて、

問いただす、
質問する、

意や、

みわの山いかにまちみん年ふともたづぬる人もあらじと思へば(古今和歌集)、

と、その行為そのものの意にシフトして、

訪問する、
人のもとをおとずれる、

意に転ずる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)ように、

たづぬ、

そのものは、

たどだどし、

とは、直截には重ならないが、

辿る、

の、

手がかりを探りながら行く(岩波古語辞典)、
手がかりになるものを求めて進む(日本語源大辞典)、

とは重なる気がする。では、

たづき、

は、どうか。その語源は、

タ(手)+付き、万葉時代は。手がかり、手段の意、これを生活の手段、方便、生活のタツキの意で使ったのは、明治大正期です(日本語源広辞典)、
(方便)手付きか、中世以降、タツキとも(広辞苑)、
タ(手)とツキ(付)との複合、とりつく手がかりの意、古くは「知らず」「なし」など否定の語を伴う例だけが残っている。中世、タヅク、タツキとも(岩波古語辞典)、
手着の義と云ふ(大言海)、

とされ、後世は、

たつき、
たつぎ、

ともなり、

方便、
活計、
跡状

と当てる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)が、

恋ふといふはえも名づけたり言ふすべの多豆伎(タヅキ)もなきは吾が身なりけり(万葉集)、
又もとはやむごとなきすぢなれど、世にふるたつきすくなく(源氏物語)、
学問して因果の理をも知り、説経などして世渡るたづきともせよ(徒然草)、

などと、

手がかり、
よるべき手段、
事をしはじめる方法、

の意や、

世の中の繁き仮廬(かりほ)に住み住みて至らむ国の多附(たづき)知らずも(万葉集)、
あかときのかはたれ時に島陰を漕ぎにし舟のたづき知らずも(仝上)、

と、

様子・状態を知る手段、
見当、

の意で使い、これを、

世渡るたづき中々にとめぬ月日の数そへて(浮世草子「宗祇諸国物語(1685)」)、
つひに貞七に暇を出しぬ。されば貞七は活計(タツキ)失ひ(坪内逍遙「当世書生気質(1885~6)」)、

と、

生活の手段、

の意で使うのは、近世以降のようである(仝上)。

こうみてみると、

たづき、

は、語源的にも、意味的にも、

たどたどし、

とも、

たどる、

たづぬ、

と重ならないが、

たどる、

たづぬ、

の、

何かを求めていく、

ときの、

手だて、

という意味で、強いていえば、

たどる、
たづぬ、

と重なると言えるかもしれない。で、

たどたどし、
たどる
たぢろぐ、
たづぬ、
たづき、

の関係は、中心に、

たどる、

があり、それとの関係で、

たどる→たづき→たどたどし、
たどる→たづき→たぢろぐ→たどたどし、
たどる→たづき→たづぬ、

といった関係が見えてくるようである。

「辿」.gif



「㢟」.gif


「辿」(テン)の異体字は、

𨔢、

とあるhttps://jigen.net/kanji/14495)。字源は、

会意文字。「辵+山」、山道を歩いて足がとどこおることをあらわす、

とあり(漢字源)、

辿、

は、

ゆっくり歩く(漢辞海)、
ゆるゆるあゆむ(字源)、
尻が重い、足を止めて進まない(漢字源)、
静かに歩くhttps://kanji.jitenon.jp/kanjif/2772

と、

足取りがのろい、

意味で、和語、

辿る、

の、

分かりにくい道を探しながらゆっくり進む、
次々に現れる目じるしを追って、たずね求める、

という意味とはギャップがある。他にも、

会意文字です(辶(辵)+山)。「立ち止まる足・十字路の象形」(「行く」の意味)と「山」の象形(「山」の意味)から、山を「ゆっくり歩く」、「たどる(道をたずねたずねして行く)」を意味する「辿」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2297.html

と、会意文字とするものもあるが、

形声。辵と、音符山(サン)→(テン)とから成る。もと、㢟(テン)の別体字(角川新字源)、

とするものもある。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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