息の緒
なかなかに絶ゆとし言はばかくばかり息の緒にして我(あ)れ恋ひめやも(大伴家持)、
の、
息の緒、
は、
緒のように長く続く息、
とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
息の緒にして、
は、
命がけで、
と訳す(仝上)。
息の緒、
は、
生の緒、
とも当て、
息の長く続くことを緒にたとえた語で、
いのち、
玉の緒、
や、
息、
の意で使い(広辞苑)、多くは、
いきのをに、
の形で用いられ、
命がけで、
命の綱として、
と訳される(学研全訳古語辞典)。
息の緒
は、
息が長く続くのを緒にたとえた表現(精選版日本国語大辞典)、
ヲは紐状に長く続いているもの。息の続く限りの意。古くは常に助詞ニを伴い、思ひ・戀ひなどの語と共に使われた(岩波古語辞典)、
もので、万葉集に、
生緒(いきのを)、
と記せるあるが、正字なり、
とあり(大言海)、
古事記、中(崇神)「意能賀袁(オノガヲ)」とあるを、記傳に「己(おの)が緒」にて、生緒(いきのを)の緒なり。続けて絶えざらしむる物を、緒と云ふ、生緒(いきのを)、即ち命(いのち)にて、生(いき)の続きて絶えざる程なるべし、魂緒(たまのを)も同じ、年緒(としのを)も、長くつづくことなり」とあり、
とある(仝上)。
命(いのち)、
の意で、
命の綱、
命の限り、
の意でも使う(岩波古語辞典)が、
魂緒(たまのを)、
の意でもある(大言海)。この語、
生緒(いきのを)に思ふ、
生緒に戀ふ、
生緒に歎く、
などといって、冒頭の歌のように、
命にかけて、
の意に用いられることが多い(仝上)。ただ、後には、鎌倉初期の歌学書「八雲御抄(やくもみしょう)」(順徳天皇)に、
いきのを、気也、
とあるように、
息のをの苦しき時は鉦鼓こそ南無阿彌陀仏の声だすけなれ(「三十二番職人歌合(1494頃)」)、
と、
思ひ僻(ひが)めて、息のことに用ゐたり、
とある(大言海・岩波古語辞典)。
短いことのたとえや、魂の緒、つまり命の意で使う、
玉の緒、
については触れた。
「息」(漢音ショク、呉音ソク)の異字体は、
熄(被代用字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%81%AF)。字源は、
会意文字。「自(はな)+心」で、心臓の動きにつれて、鼻からすうすうといきをすることを示す。狭い鼻孔をこすって、いきが出入りすること。すやすやと平静にいきづくことから、安息・生息などの意となる。また、生息する意から子孫をうむ→息子の意ともなる、
とある(漢字源)。他も、
会意。「自」(=鼻)+「心」、心臓の動きに合わせ、鼻からいきを出し入れすること(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%81%AF)、
会意。心(心臓)と、自(はな)とから成り、呼吸する「いき」の意を表す(角川新字源)、
会意。自(じ)+心。自は鼻の象形字。鼻息で呼吸することは、生命のあかしである。〔説文〕十下に「喘(あへ)ぐなり」とするのは、気息の意。〔荘子、大宗師〕に「眞人の息(いき)するや踵(かかと)を以てし、衆人の息するや喉(のど)を以てす」とあり気息の法は養生の道とされた。生息・滋息(ふえる)の意に用いる。また〔戦国策、趙四〕に「老臣の賤息」という語があって、子息をいう(字通)、
会意文字です(心+自)。自は鼻の象形、心は心臓の象形です。心臓部から鼻に抜ける「いき」を意味します。また、静かな息から「いこう」を意味する「息」という漢字が成り立ちました。つまり、息子には「憩いの子」という意味があります(https://okjiten.jp/kanji24.html)、
と、会意文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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