しくしく
春日野に朝居(ゐ)る雲のしくしくに我(あ)れは恋ひ増す月に日に異(け)に(大伴像(かた)見)
春雨のしくしく降るに高円(たかまど)の山の桜はいかにかあるらむ(河辺東人)
の、
しくしく、
は、
しきりに、
の意で、
上二句は序、しくしくを起こす、
とあり、
月に日に異(け)に、
は、
月日が経つにつれてだんだんと、
と訳される(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
日に異(け)に、
日(け)、
で触れたことだが、
ひにけに(日異)、
の、
け、
は、
異、
の意で、
ke、
の音、
け(日)、
は、
kë、
の音と(岩波古語辞典)、上代、
「け(異)」は甲類音、
「け(日)」は乙類音、
と別であり、
日に日に、
とは別語である(精選版日本国語大辞典)。
月に日に異に(つきにひにけに)、
は、
月がたち日がたつにつれて、
月ごと日ごとに、
毎月毎日、
の意で、
春日野に朝ゐる雲のしくしくに吾は恋ひまさる月に日に異に(つきニひニけニ)(万葉集)、
では、
月日が経つにつれてだんだんと、
と訳され(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
恋にもぞ人は死にする水無瀬川下(した)ゆ我れ瘦(や)す月に日に異に(万葉集)
では、
(私は痩せ細るばかりです)月ごと日ごとに、
と訳す(仝上)さらに、
辺(へ)つ波のいやしくしくに月に異に(つきニけニ)日に日に見とも(万葉集)、
と、
月に異に(つきにけに)、
という言い方も、
月ごとに、
月がたつにつれて、
の意で、
月ごと、
と訳されている(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
日に異に(ひにけに)、
は、
吾が命の全けむかぎり忘れめやいや日異(ひにけに)は思ひ益すとも(万葉集)、
は、
日ましに、
日がたつにつれて、
一日一日と、
また、
毎日毎日、
連日、
の意となる(精選版日本国語大辞典)。
日異、
を、
ひのけに、
と訓ませる場合も、
もむ楡を五百枝(いほえ)剥(は)き垂(た)れ天照るや日乃異爾(ひノけニ)干しさひづるや(万葉集)、
ひにけに(日異)、
と同義であり、
白栲に衣(ころも)取り着て常なりし笑ひ振舞ひいや日異けに変はらふ見れば悲しきろかも(万葉集)、
と、
弥日異に(いやひにけに)
では、
日を追っていよいよ、
日増しに、
日一日と、
の意で使う(デジタル大辞泉・伊藤博訳注『新版万葉集』)。
しくしく、
は、
頻頻、
と当て、
動詞「しく(頻)」を重ねたものから、
とあり(精選版日本国語大辞典)、
物事があとからあとから重なり起こるさま、
をいい、
奈呉(なご)の海の沖つ白波志苦思苦(シクシク)に思ほえむかも立ち別れなば(万葉集)、
と、「に」「も」「と」を伴って用いることもあり、
何度も繰り返し行なわれるさまを表わす語、
として、
あとからあとから、
しきりに、
たえまなく、
の意で、後に、
アメガ shikujiku(シクジク)フル(改正増補「和英語林集成(1886)」)、
と、
しくじく、
とも使い、さらに、
遊びにいて酒など呑を推じゃ心得違へたる人有、しくしく気を付てわきまへたまへ(洒落本「間似合早粋(1769)」)
と、
十分に行き届くさまを表わす語、
として、
よくよく、
とっくりと、
の意や、
腰元はしくしくをどり(浮世草子「御前義経記(1700)」)、
と、
嬉しさにこらえきれないで、しきりに心のふるえるさまを表わす語、
としても使う(精選版日本国語大辞典)。この場合、
じくじく(ぢくぢく)躍り上がりて面白がるは尤も至極(仮名草子・都風俗鑑(1681))、
と、濁音で、
嬉しさに小躍りするさま、
の意でも使う(岩波古語辞典)。この、
しくしく(頻々)、
は、
及く及く、
とも当て、
奥山のしきみが花のごとやしくしく君に恋ひわたりなむ(万葉集)、
と、
次から次へとしきりに、
と訳され(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
波の押し寄せて來るように、あとからあとから絶えないで、
の意で使う(岩波古語辞典)。この、
及く及く、
は、
山吹は日に日に咲きぬうるはしと我が思ふ君はしくしく思ほゆ(万葉集)、
では、
重々、
と当て、
おいおいに、
引きも切らず、
の意で使う(大言海)。この、
頻々、
は、だから、
シクシク(及々)の義(大言海)、
シはシメ領(おさ)める義、クは付止る義(国語本義)、
などとあるように、
物事があとからあとから重なり起こるさま、
をいった和語、
しくしく、
に、意味の重なる、
及々
重々、
頻々、
と当てたということなのだろうが、
頻く波の(しくなみの)、
の、
しく、
が、
動詞「しく(頻)」の連体形、
で、
住江の岸の浦みに布浪之(しくなみの)しくしく妹を見むよしもがも(万葉集)、
と、
あとからあとからと押し寄せる波のように、
の意で、
序詞の一部として「しきりに」の意の「しくしく」にかかる、
とされる(精選版日本国語大辞典)ので、この、
し(頻)く、
を重ねた語と見ていいのではないか。で、
頻々、
を、
しきしき(頻頻)、
と訓ませ、
しくしく、
と同じ意の、
春雨のしきしき降るに高円の山の桜はいかが有らむ(歌仙本家持集)、
と、
しきりであるさま、しばしばであるさまを表わす語、
としても使う(仝上)。
し(頻)く、
は、
茂く、
とも当て(岩波古語辞典)、
しく(及・敷)と同根、
とあり、
し(及)く、
は、
追って行って、先行するものに追いつく、
意、
しく(敷)、
は、
一面に物や力を押し広げて限度まで一杯にする、すみずみまで力を及ぼす、
意とある(仝上)。
し(頻)く、
は、自動詞カ行四段活用で、
動作がしばしば繰り返される、
たび重なる、
しきりに……する、
意で、
英遠(あを)の浦に寄する白波いや増しに立ち之伎(シキ)寄せ来(く)東風(あゆ)をいたみかも(万葉集)、
と、
ひっきりなしに……する、
また、
一面に……する、
意で、多く補助動詞のように用いる(精選版日本国語大辞典)とあり、また、
住吉(すみのえ)の岸の浦回(うらみ)に布(しく)浪(なみ)のしくしく妹を見むよしもがも(万葉集)、
と、
波があとからあとから寄せる、
意や、
やすみしし吾が大君高照らす日の皇子茂(しき)座(いま)す大殿の上(うへ)に(万葉集)、
と、
草木が繁茂する、
また、
開花する、
意でも使う(仝上)。
この、
しく、
を重ねた、
しくしく(頻々)、
は、当然、
物事があとからあとから重なり起こるさま、
の意の延長で、
しくしくと泣く、
の、
しくしく、
と重なり、
「しくしく(頻頻)」と同語源か(精選版日本国語大辞典)、
シクシク(頻々)の義(日本語源=賀茂百樹)、
シクはシキル(急)の義(秋長夜話)、
と諸説あるが、
たえまなく、
の意で、さまざまな泣き方に使われる。
たえがたくかなしくて、しくしくとなくよりほかの事ぞなき(建礼門院右京大夫集)、
と、
勢いなくあわれげに泣くさまを表わす語、
や、
きゃつが相撲はふしぎなすまふじゃ。……何とやら身うちがしくしくとすると思ふたれば、目がくるくるとまふた(狂言「蚊相撲(室町末~近世初)」)、
と、
たえずさしこむように、にぶく痛むさまを表わす語、
としても使い、果ては、
御互も、かうやって三十年近くも、しくしくして…(「虞美人草(1907)」)、
と、
決断できないで、態度、気持などがはっきりしないさまを表わす語、
である、
ぐずぐず、
じくじく、
に繋がっていく(仝上)。擬態語としては、
物事があとからあとから重なり起こるさま、
は、
一つの状態がつながっている、
のと重なっていくのである。
「頻」(漢音ヒン、呉音ビン)の異体字は、
频(簡体字)、𩕘(古体)、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A0%BB)、
瀕の略体、
とある(仝上)。字源は、
会意文字。「頁(あたま)+渉(水をわたる)の略体」で、みずぎわぎりぎりに迫ること、
とある(漢字源)。他も、
「瀕」の略体。のち仮借して「しきりに」を意味する漢語{頻 /*bin/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A0%BB)、
会意。頁と、涉(しよう)(=渉。𣥿は変わった形。步は省略形。水をわたる)とから成り、川をわたる人が顔にしわを寄せる、ひそめる意を表す。もと、瀕(ヒン)に同じ。借りて「しきりに」の意に用いる(角川新字源)、
会意文字です(もと、渉(涉)+頁)。「流れる水の象形(のちに省略)と左右の足跡の象形」(「水の中を歩く、渡る」の意味)と「人の頭部を強調した」象形(「かしら」の意味)から、水の先端「水辺」、「岸」を意味する「頻」という漢字が成り立ちました。「頻」は「頻」の旧字(以前に使われていた字)です(https://okjiten.jp/kanji1877.html)、
と、会意文字としている。
「瀕」(ヒン)は、
会意兼形声。歩は、右足と左足であるくことをあらわす会意文字。頻は「歩+水+頁(かお)」の会意文字で、歩いて水際すれすれまで行くことを示す。頁印を加えて、顔のしわをすれすれにくっつけてしかめること(頻蹙(ひんしゅく)の頻)をも示す。瀕は「水+音符頻(ヒン)」で、水際すれすれに接すること、
とある(漢字源)。同じく、
会意。頁と、涉(しよう)(=渉。𣥿は変わった形。步は省略形。水をわたる)とから成り、川をわたる人が顔にしわを寄せる、ひそめる意を表す。もと、瀕(ヒン)に同じ。借りて「しきりに」の意に用いる(角川新字源)、
会意文字です(渉+頁)。「流れる水」の象形と「左右の足跡」の象形と「人の頭部を強調した」象形から川を渡る時の波のように顔にしわをよせる⇒「しわのように波のよる、みぎわ」を意味する「瀕」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2568.html)、
会意。步(歩)+頁(けつ)。〔説文〕十一下に瀕を正字とし、「水厓(すいがい)なり。人の賓附(ひんぷ)する(近づく)所なり。顰戚(ひんしゆく)して前(すす)まずして止まる。頁に從ひ、涉(せふ)に從ふ」(段注本)とするが、その説くところは、形義ともに明らかでない。金文に「順子」の順を涉(渉)に従って瀕の字形にしるすことがあり、おそらく水辺における弔葬の礼に関する字であろう。〔玉篇〕に別に頻字を録し「詩に云ふ、國歩斯(ここ)に頻(あやふ)し。頻は急なり」とし、次に〔説文〕の文を引く。〔広雅、釈詁三〕に「比なり」と訓するのは「しきりに」の意。〔説文〕に「顰戚」の語を以て解するのは、あるいは瀕がもと弔葬に関する字であったことと、関連があることかもしれない。頁は儀礼の際の儀容。水に臨んでその儀容を用いるのは弔葬のことであるらしく、孝順の順が金文に瀕の形にしるされるのも、そのためであろうと思われる。渉は水渉り。聖俗のことに関する民俗として、古く行われることが多かった(字通)、
と、会意文字としているが、これは中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)に拠っている。『説文解字』では、
「頁」+「涉」と分析されているが、これは誤った分析である。甲骨文字や金文の形を見ればわかるように「涉」とは関係がない、
とされ(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%80%95)、
原字は「水」+「步」から構成される会意文字で、水際を歩くさまを象る。西周時代に「頁」を加えて「瀕」の字体となる。「水辺」を意味する漢語{瀕 /*pin/}を表す字、
としている(仝上)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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