アフォーダンスな視界


J・J・ギブソン(古崎敬訳)『生態学的視覚論―ヒトの知覚世界を探る』を読む。

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ギブソンは、

アフォーダンス(affordance)、

という概念を提唱している。

「すり抜けられるすき間」、「登れる桜」、「つかめる距離」はアフォーダンスである。アフォーダンスとは、環境が動物に提供する「価値」のことである、

と、動物から見える環境の価値表現と言っていい。ギブソンは、

自然の提供するもの、またこれらの可能性ないし機会のすべて、

を、

アフォーダンス、

と呼び、

環境のアフォーダンスとは、環境が動物に提供するもの、よいものであれ、悪いものであれ、用意したり備えたりするものである。アフォードする(afford)という動詞は、辞書に在るがアフォーダンスという名詞はない。この言葉は私の造語である。アフォーダンスという言葉で私は、既存の用語では表現しえない仕方で、環境と動物の両者に関連するものをいい表したいのである。この言葉は動物と環境の相補性を包含している。

とあるように、動物から見える環境は、彼らが、

知覚する世界、

なのであり、

物理学的世界、
物理学的空間、

とは異なる。当然、陸地の表面は、

支えることをアフォードする、

が、

崖っぷちは、

落っこちること、怪我をすることをアフォードする、

というように、

プラスのアフォーダンス、

もあるし、

マイナスのアフォーダンス、

もある。ただし、

プラスやマイナスのアフォーダンス、これらはすべて、観察者との関係で決まる対象の特性であって、観察者の経験の特性ではないことに留意してほしい。これらは主観的価値ではない。そしてニュートラルな知覚に附け加えられる快や痛みの感情ではない。

ともある。こうみれば、動物の視覚が、

物理的な「空間」、

が知覚されるわけはない。大事なことは、動物から見たとき、

環境はその中に観察点をもつ、

ので、移動に伴って、視界は変わる。本書が、

生態学的、

視覚論と言っている所以である。だから、

観察者自身の動きや対象の運動、

が、

知覚過程、

において、基本であり、よく心理学で実験される、静態での知覚実験は、現実の知覚からはかけ離れていることになる。その、視界を、

パースペクティブ、

と呼ぶなら、それは、

客観的な空間、

とは別物になる。必ず、

観察点、

がある。しかし、それは、

抽象空間の幾何学的点としてではなく、空虚な空間を考える代わりに、物質で満たされている生態学的空間の中の一つの位置を意味する、

し、それは、

観察者が存在するところであり、そして、そこから観察するという行為がなされるところである。抽象的空間が点から成るのに対し、生態学的空間は、場所あるいは位置から成り立っている、

のである。それは、具体的な、

ここ、

であり、

ここからのパースペクティブ、

である。そして、

観察点は、限定された場合を除けば、決して静止してはいない。観察する人は、環境内を動き回るし、観察は一般的には、動いている位置からなされる。

動けば、視界は変わり、見えていたものが見えなくなり、見えなかったものが見えたりする。そういう動的な状態での知覚を論じている。

このように、環境との関係を新たな視点で提起したギブソンではあるが、

ヤーコブ・フォン・ユクスキュル『生物から見た世界』 

で触れたように、ユクスキュルの描く環世界環から見ると、アフォーダンスは、人間の環世界のアナロジーにしかなっていないように見える。つまり、まだ、

人の環世界、

を当てはめているのではないのか、という疑問がわく。それについては、

環世界

で触れたが、ユクスキュルは、主体と環世界との関係について、(行動主義を批判しつつ)こう書くところから始めている。

われわれの感覚器官がわれわれの知覚に役立ち、われわれの運動器官がわれわれの働きかけ役立っているのではないかと考える人は、それらの器官の組み込まれた機械操作系を発見するだろう。われわれ自身がわれわれの体に組み込まれているのと同じように。するとその人は、動物はもはや単なる客体ではなく、知覚と作用とをその本質的な活動とする主体だとみなすことになるであろう。
 しかしそうなれば環世界に通じる門はすでに開かれていることになる。なぜなら、主体が知覚するものすべてその知覚世界になるからである。知覚世界と作用世界が連れだって環世界という一つの完結した全体を作り上げているのだ。

それは、人には人の環世界があり、ハエにはハエの、犬には犬の環世界がある、ということを意味する。

つまり、動物主体は最も単純なものも最も複雑なものもすべて、それぞれの環世界に同じように完全にはめ込まれている。単純な動物には単純な環世界が、複雑な動物にはそれに見合った豊かな構造の環世界が対応しているのである。

生物から見た世界、 

からみると、ギブソンのそれは、まだまだ、

人間の環世界、

でしかないようにみえるのである。

参考文献;
J・J・ギブソン(古崎敬訳)『生態学的視覚論―ヒトの知覚世界を探る』(サイエンス社)
ヤーコブ・フォン・ユクスキュル『生物から見た世界』(岩波文庫)
佐々木正人『アフォーダンス』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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