夜(よ)のほどろ我(わ)が出(い)でて来れば我妹子(わぎもこ)が思へりしくし面影に見ゆ(大伴家持)
の、
しくし、
の、
しく、
は、
過去の助動詞キのク語法、
シ、
は、
強意の助詞、
とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
思へりしくし面影に見ゆ、
を、
思い沈んでいた姿が目の前にちらついて見えます、
と訳す(仝上)。
助動詞「き」のク語法、
は、
したこと、
の意となる(精選版日本国語大辞典)。
助動詞、
き、
は、動詞・助動詞の連用形を承け、
き・し・しか、
という活用形だけをもつ(岩波古語辞典)とされるが、
せ・◯・き・し・しか・◯、
と活用するとの説もある(精選版日本国語大辞典)。ただ、
「き」の未然形「せ」は、動詞「す」の未然形とする見解もあって、未だ決定的ではない、
とある(岩波古語辞典)。
き、
の意味は、基本、
人言(ひとごと)を繁(しげ)みこちたみ逢はずありき心あるごとな思ひわが背子(万葉集)、
と、
「き」の承ける事柄が、確実に記憶にあるということである。記憶に確実なことは、自己の体験であるから、「き」は、
「……だった」と自己の体験の記憶を表明する場合が多い、
とある(仝上)。しかし、自分の経験しえない、また目撃していない事柄についても、
音に聞き目にはいまだ見ず佐用姫が領布(ひれ)振りきとふ君松浦山(きみまつらやま)(万葉集)、
と、
みずから目撃していない伝聞でも、自己の記憶にしっかり刻み込まれているような場合には、「き」を用いて、「……だったそうだ」の意を表現した、
とある(仝上)。なお、「き」が、カ変・サ変の動詞につく場合は、接続上特殊な変化があり、
カ変には「こ‐し、こ‐しか、き‐し、き‐しか」、
の両様の付き方があり、
サ変には「せ‐し、せ‐しか、し‐き」、
のように付く(仝上・精選版日本国語大辞典)。なお、同じく、動詞・助動詞の連用形を承ける、過去の助動詞、
けり、
との違いは、
けり、
は、
来有り、
の転、
で、
事態の成り行きがここまできていると、今の時点で認識する、
という意味が基本であり、
この花の一節(ひとよ)のうちは百種(ももくさ)の言持ちかねて折らえけらずや(万葉集)、
と、
そういう事態なんだと気づいた、
という意味で、
気づいていないこと、記憶にないことが目前に現れたり、あるいは耳に入ったときに感じる、一種の驚きをこめて表現することが少なくない、
とあり、
けり、
が、
詠嘆の助動詞、
とされる所以である。ただ、
世の中は空しきものと知る時しいよいよますます悲しかりけり(万葉集)、
と、
見逃していた事実を発見した場合や、事柄からうける印象を新たにしたとき、
や、
遠き代にありけることを昨日(きのふ)しも見けむがごとも思ほゆるかも(万葉集)、
と、
真偽は問わず、知らなかった話、伝説・伝承を、伝聞として表現するとき、
にも用いる(仝上)。
ク語法、
は、
かけまく、
おもわく、
ていたらく、
すべからく、
見まく、
などで触れたことだが、今日でいうと、
いわく、
恐らく、
などと使い、奈良時代に、
有(あ)らく、
語(かた)らく、
来(く)らく、
老(おゆ)らく、
散(ち)らく、
等々と活発に使われた造語法の名残りで、これは前後の意味から、
有ルコト、
語ルコト、
来ること、
スルコト、
年老イルコト、
散ルトコロ、
の意味を表わしており、
ク、
は、
コト
とか、
トコロ、
と、
用言に形式名詞「コト」を付けた名詞句と同じ意味になる、
とされ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E8%AA%9E%E6%B3%95・岩波古語辞典)、後世にも漢文訓読において、
恐るらくは(上二段ないし下二段活用動詞『恐る』のク語法、またより古くから存在する四段活用動詞「恐る」のク語法は「恐らく」)、
願はく(四段活用動詞「願う」)、
曰く(いはく、のたまはく)、
すべからく(須、「すべきことは」の意味)、
等々の形で、多くは副詞的に用いられ、現代語においてもこのほかに
思わく(「思惑」は当て字であり、熟語ではない)、
体たらく、
老いらく(上二段活用動詞「老ゆ」のク語法「老ゆらく」の転)、
などが残っている(仝上)。
「来」(ライ)の異体字は、
來(旧字体/繁体字)、徕(俗字)、徠(古字)、耒(略字の代用字/別字衝突)、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9D%A5)、
来、
は、
來、
の異体字である(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9D%A5)。
(「來(来)」 https://kakijun.jp/page/rai08200.htmlより)
(「來(来)」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BE%86より)
(「來(来)」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BE%86より)
(「來(来)」 中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BE%86より)
「來(来)」(ライ)の異体字は、
徕(俗字)、徠(古字)、来(新字体/簡体字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BE%86)。字源は、
象形。來は、穂が垂れて実った小麦を描いたもので、むぎ(麦)のこと。麥(麦)は、それに夊印(足を引きずる姿)を添えた形声文字で、「くる」意を表した。のち「麥」をむぎに、「來」をくるの意に誤用して今日に至った。來(ライ)は転じて、他所から到来する意となる。ライ(來)と、バク・マク(麥)とは、上古mlという複子音が、lとmとにわかれたもの、
とあり(漢字源)、
西北中国に定着した周の人たちは、中央アジアから小麦の種が到来してから勃興したので、神のもたらした結構な穀物だと信じて大切にした、
ともある(仝上)。他も、
象形。麦の穂を象る[字源 1]。「むぎ」を意味する漢語{麥 /*mrəək/}を表す字。のち仮借して「くる」を意味する漢語{來 /*rəə/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BE%86)、
象形。麦がのぎを張った形にかたどる。借りて「くる」意に用いる。教育用漢字は省略形による(角川新字源)、
象形文字です。「ライむぎ」の象形から、「ライむぎ」の意味を表しましたが、借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「くる」を意味する「来」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji239.html)、
象形。麦の形に象る。〔説文〕五下に「周、受くる所の瑞麥・來麥+牟(らいぼう)なり。一來に二縫あり。芒朿(ばうし)の形に象る。天の來(もたら)す所なり」とし、〔詩、周頌、思文〕の「我に來麥+牟を詒(おく)る」の句を引く。周の始祖后稷(こうしよく)が、その瑞麦嘉禾(かか)をえて国を興したことは〔書序〕の〔帰禾〕〔嘉禾〕にもみえる。往来・来旬、また賚賜(らいし)などの用義はすでに卜辞にもみえるが、みな仮借義である(字通)、
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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