五月(さつき)の玉


ほととぎすいたくな鳴きそ汝(な)が声を五月(さつき)の玉にあへ貫(ぬ)くまでに(藤原夫人)

の、

五月の玉、

は、

五月五日の節句に飾る薬玉、

をいい(伊藤博訳注『新版万葉集』)、薬玉は、

麝香・沈香などを袋に入れ、菖蒲・橘の実などを付け五色の糸を垂らしたもの、

とある(仝上)。

あへ貫くまでに、

の、

あへ、

は、

は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、

と、自動詞ハ行四段活用の、

合ふ

で、

一つになる、

といった意(学研全訳古語辞典)で、

合わせて通すまでは、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

五月の玉、

は、

五月の珠、

とも当て(デジタル大辞泉)、

橘の実、

の意味があり、

緒に貫いて輪とし、(かづら)などにしたもの、

とある(岩波古語辞典・広辞苑)。

橘の実、

だと大きすぎて、ちょっと異和感があるが、これは、

古へ、橘の実の、五月の頃に、大豆の大きさほどになれるが、落ちたるを取り上げて、糸に貫きて輪とし、鬘(かづら)とし、頸に懸けなどして、玩とせしものなるべし、

とある(大言海)。

足玉も手玉(ただま)もゆらに織る服(はた)を君が御衣(みけし)に縫(ぬ)ひもあへむかも(万葉集)

とあるような、

上古の頸玉、手玉、足玉の遺風ならむと云ふ、

とあり、賀茂真淵は、

薬玉などにては無し、

と、薬玉説を否定している(『万葉考』)が、一説には、

薬玉、

とする(仝上)。冒頭の歌は、訳注者は、

薬玉、

と取ったようだが、

橘の実、

の意味でも、すんなり意が通るのではないか。

橘、

は、和名類聚抄(931~38年)に、

橘、太知波奈、

類聚名義抄(11~12世紀)に、

橘、タチバナ、

とある。

タチバナ.jpg


山橘(やまたちばな)

で触れたが、

たちばな(橘)、

は、ふるく、

たちはな、

ともいい(岩波古語辞典)、

やまとたちばな、
にほんたちばな、

ともいう、

ミカン科の常緑低木、

で、

日本で唯一の野生のミカンで近畿地方以西の山地に生え、観賞用に栽植される。高さ三~四メートル。枝は密生し小さなとげがある。葉は長さ三~六センチメートルの楕円状披針形で先はとがらず縁に鋸歯(きょし)がある。葉柄の翼は狭い。初夏、枝先に白い五弁花を開く。果実は径二~三センチメートルの偏球形で一一月下旬~一二月に黄熟する。肉は苦く酸味が強いので生食できない、

とある(精選版日本国語大辞典)。日本では、

実より花や常緑の葉が注目された。マツなどと同様、常緑が「永遠」を喩えるということで喜ばれたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%81%E3%83%90%E3%83%8A
葉が常に立って青く、枯れることのない神木とされた(たべもの語源辞典)、
古くから「トキジクノカクノコノミ」と、その葉が寒暖の別なく常に生い茂り栄えるから、長寿瑞祥の樹として珍重されたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B3%E8%BF%91%E6%A9%98

と、

永遠の繁栄や長寿の象徴とされてきた。ただ、

漢字橘(キツ)は、古へに、タチバナと云ひ、今は、かうじ(こうじ)と云ふ、柑(カン)は、古へ、かうじと云ひ、今はみかん類の総名とす、惑ひ易し、

とある(大言海)。



には、古事記、日本書紀に載る、

タチバナの古伝説、

がある。

垂仁天皇の40年春二月天皇が病気になられて時ならぬ果物を求められたので、田道間守(たじまもり)を常世の国に遣わした。田道間守は十年を費やして果物を持ち帰ったが、天皇はその前年に崩御されてしまった。田道間守は菅原伏見、山陵(みささぎ)に詣でて帰国が遅れたことを詫び、その果実の半分を陵前に供え、残る半分を食べて、その場を去らず絶食してなくなった、

というものである(たべもの語源辞典)。その持ち帰った果物は、

非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)、
非時香木実(時じくの香の木の実)、

と呼ばれる、

不老不死の力を持った霊薬、

とされhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%81%E3%83%90%E3%83%8A、古事記は、

其の登岐士玖能(ときじくの)迦玖能(かくの)木の実は、是れ今の橘(たちはな)ぞ、

と、

非時香菓、



是今橘也(これ今の橘なり)、

とし、この由来から京都御所紫宸殿では、

右近橘(うこんのたちばな)、左近桜、

として橘が植えられている(仝上・精選版日本国語大辞典)。ただし、それが、現在のタチバナと同じがどうかは不明で、

柑子(こうじ)・小蜜柑、あるいは橙(だいだい)、

ともいわれる(たべもの語源辞典)。

右近橘、

も、

シュウミカンやコウジに類する、

とある(精選版日本国語大辞典)。

右近の橘.jpg

(紫宸殿(京都御所)左に位置する右近の橘 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B3%E8%BF%91%E6%A9%98より)

こんな由来から、

橘、

は、

タヂマモリ(田道間守)が常世から求めてきた花であるところから、タチマバナ(田道間花)の約轉か(大言海・古事記伝・和訓集説・本朝辞源=宇田甘冥・音幻論=幸田露伴)、
タチハナ(田道花)の義(言元梯・名言通・和訓栞)、
立花の義(俚言集覧)、
厳寒の中に立って色象を発するところからタチハナの義(柴門和語類集)、
民家にはない花であるところからタチノハナ(館花)の義か、また針があるところからカラタチノノハナの義か、カラタチは柑類の総称(和句解)、
香の高く立つ花であるところから(本朝辞源=宇田甘冥・日本語源広辞典)、
葉が常に立ち青み、枯れることのない神木であるところから(神代史の新研究=白鳥庫吉)、
タマツリハナナカ(玉釣花中)の転訛(たべもの語源辞典)、

等々諸説あるが、どれとも定めがたい。なお、タチバナの花については、ホトトギスと取り合わせ、その芳香を愛で、蘰(かづら)にするなど詠み、

五月待つ花たちばなの香をかげば昔の人の袖の香ぞする(古今和歌集)、

の歌以後、橘は懐旧の情、特に昔の恋人への心情と結び付けて詠まれることになる、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%81%E3%83%90%E3%83%8A、タチバナの実は、平安時代の物語などでは、

酒肴(伊勢物語)、
病人食(宇津保物語)、
妊婦食(篁物語)、

にしている(精選版日本国語大辞典)。

上述したように、賀茂真淵は、

薬玉などにては無し、

と、薬玉説を否定している(『万葉考』)が、一説に、

五月の玉、

を、

薬玉、

とする説もあり、

薬玉

で触れたように、

くすだま、

は、

クスリダマの転、

で(岩波古語辞典)、

麝香(じゃこう)、沈香(じんこう)、丁子(ちょうじ)、白檀、甘松等々種々の香料を網の玉に入れ、糸で飾り、菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)などの造花を結び付けて、五色の糸の八尺許りなるを垂らしたもの、

である(広辞苑・岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・大言海)。丁子については、「丁子染」で触れた。入れる薬は、

麝香1両、沈香1両、丁子 50粒、甘松1両、竜脳半両を入れ、薬玉1連 12、閏月のある年には 13、袋は錦を用いるのを定法とした、

とある(ブリタニカ国際大百科事典)。

長命縷、
続命縷(しょくめいる)、
くすりのたま、
五色縷、
久寿玉、

等々とも言い、

五月五日の端午の節供に、邪気を払い、不浄を避けるものとして柱や簾(すだれ)にかけた、

とされる(仝上)。

薬玉全図.jpg

(薬玉(速水春暁斎「諸国図会年中行事大成」より『薬玉全図』(1806年)  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8F%E3%81%99%E7%8E%89より)

中国から伝わり、平安時代に盛んに贈答に用いた(広辞苑)とある。初見は、

五月五日に薬玉(くすだま)を佩きて酒を飲む人は、命長く、福ありとなも聞食(きこしめ)す、故、是を以て、薬玉を賜ひ、御酒賜はくと宣る(続日本後紀嘉祥二年(849)五月五日)、

とある。中古、宮中では5月5日に薬玉を下賜するならわしがあり、

中宮などには縫殿(ぬひどの)より御くす玉とて、色々の糸を組み下げて参らせたれば、御帳(みちよう)立てたる母屋の柱の、左右につけたり。九月九日の菊をあやとすずしの絹につつみて参らせたるを同じ柱にゆひつけて月頃あるくす玉にとりかへて(枕草子)、

と、

各人はそれをひじにかけて長命のまじないとした。また薬玉は御帳(みちよう)の東の方の柱にかけておき、9月9日重陽(ちょうよう)の節供(菊の節供)に菊花を絹に包んだものと取り替える風習があった、

とある(世界大百科事典・日本大百科全書)。また、

玉に五彩の糸のみ添へて、身にも繋ぐ、

とあり(大言海)、後の、

掛香(かけかう)、

とある(仝上)。

掛香、

は、

懸香、

とも当て、

香嚢(こうのう)、

ともいい(和名抄)、

練香を絹袋に入れたもの、

で(大言海)、

悪臭を防ぐため、室内に掛け、また紐をつけて首に掛けたり、懐中したりする、

とあり(広辞苑)、後の、

匂袋(においぶくろ)、
匂の玉、

である(仝上・大言海)。『雍州府志』(貞享元年(1684)山城一国の地理・沿革・寺社・古跡・陵墓・風俗行事・特産物などを漢文で記述した地誌)には、

嚢(絹嚢)左右、著緒繋項、懐其袋、故、元称掛香、

とある。古くは、

はじめショウブとヨモギの葉などを編んで玉のようにまるくこしらえ、これに5色の糸をつらぬき、またこれに、ショウブやヨモギなどの花をさしそえて飾りとした、

ようだが、室町時代より後は、

薬玉を飾る花は造花となり、サツキ、ショウブその他四季の花が用いられ、また中に麝香(じやこう)、沈香、丁子(ちようじ)、竜脳などの薫薬(くんやく)を入れたため、薬玉はにおい入りの玉となった、

とあり(世界大百科事典)。糸も、室町時代には6色となり、長く垂れることとなった(仝上)という。江戸時代に、

民間で5月5日に女児の玩具(がんぐ)として新しく流行した。京には薬玉売りも現れ、端午の節供には女児がいろいろの造花を紙に張って細工したものを背中にかけたり、肘に下げたりした、

とされるのも、薬玉の古い習俗の名残(なごり)である(日本大百科全書)。

「玉」.gif

(「玉」 https://kakijun.jp/page/0587200.htmlより)


「玉」 金文・殷.png

(「玉」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%89より)


「玉」 金文・西周.png

(「玉」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%89より)

「玉」 金文・春秋時代.png

(「玉」 金文・春秋時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%89より)

「玉」 楚系簡帛文字.png

(「玉」 楚系簡帛文字(簡帛は竹簡・木簡・帛書全てを指す)・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%89より)

「玉」 中国最古の字書『説文解字』.png

(「玉」 中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%89より)

「玉」(漢億ギョク、呉音コク)の異体字は、

玊、軉、𨉗(軉の類推簡化字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%89。字源は、

象形。細長い大理石の彫刻をえがいたもので、かたくて質の充実した宝石のこと。三つの玉石をつないだ姿とみてもよい。楷書では王と区別してヽ印をつける、

とある(漢字源)。他も、

象形。複数の玉を紐で連ねたさまを象る。「たま」を意味する漢語{玉 /*ŋ(r)ok/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%89

象形。たまをいくつもひもで通した、かざりだまの形にかたどる。「たま」の意。楷書では、王(おう)とのまぎらわしさを避けるため、点を加えて玉と書く(角川新字源)、

象形文字です。「3つの美しいたまを縦に紐(ひも)で通した」象形から「たま」を意味する「玉/⺩」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji190.html

象形。玉を紐で貫いた形。佩玉の類をいう。〔説文〕一上に「石の美なるもの、五徳有る者なり」とし、「潤澤にして以てなるは仁の方なり」など、仁義智勇絜の五徳を説く。そのことは〔荀子、法行〕〔管子、水地〕にみえる。玉は魂振りとして身に佩びるほか、呪具として用いられたもので、殷の武丁の妃とされる婦好墓からは、多くの精巧な玉器が発見されている。玉の旧字は王。王は完全な玉。玉は〔説文〕一上に「朽玉なり。王に從うて點有り。讀みて畜牧(きうぼく)の畜の若(ごと)くす」(段注本)とあり、瑕(きず)のある玉をいう。〔詩、大雅、民労〕「王、女(なんぢ)を玉にせんと欲す」の玉は、おそらくその畜の音でよみ、「好(よみ)す」の意に解すべきであろう(字通)、

と、象形文字としている。なお、

「珠」(漢音シュ、呉音ス)、

については、「二乗の人」で触れた。

「橘」.gif

(「橘」 https://kakijun.jp/page/1631200.htmlより)

「橘」(漢音キツ、呉音キチ)は、

会意兼形声。「木+音符矞(キツ 丸井穴をあける、まるい)」で、まるい実のなる木、

とあり(漢字源)、「たちばな」ないし「こうじ」「みかん」類の総称とある(仝上)。同じく、

会意兼形声文字です(木+矞)。「大地を覆う木」の象形と「台座にたてた矛の象形」(「突き刺す」、「おどかす」の意味)から「人をおどかすようなとげのある、たちばな」を意味する「橘」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2535.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。木と、音符矞(クヰツ)とから成る(角川新字源)、

形声。声符は矞(いつ)。矞に譎(けつ)・走+矞(きつ)の声がある。〔説文〕六上に「橘果なり。江南に出づ」とあり、わが国の蜜柑にあたる。〔楚辞、九章、橘頌〕にその樹徳を頌しているのは、そのような賦誦の文学が、魂振り的な機能をもつものとされたからであろう。〔周礼、考工記、序官〕に「橘、淮(わい)を踰(こ)えて北するときは枳(からたち)と爲る」とあり、〔菟玖波集、雑三〕に「難波の葦は伊勢の濱荻」というのと同じ。橘はわが国では花橘をいう(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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