たはる
さし並ぶ隣の君はあらかじめ己妻(おのづま)離(まか)れて乞(こ)はなくに鍵さへ奉(まつ)る人皆(ひとみな)のかく惑(まと)へればたちしなひ寄りてぞ妹(いも)はたはれてありける(萬葉集)
の、
鍵、
とは、
財産を収める櫃の鍵、
とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
たちしなふ、
は、
立ち撓ふ、
とあて、
しなやかに立つ、
なよやかに立つ、
といった意(精選版日本国語大辞典)だが、ここでは、
物腰をしなやかにして寄りかかり、
と訳し、
(妹は)たはれてありける、
は、
(この女(ひと)は)はしたなく振舞うてばかりいたという、
と訳し、この、
ゾ……ケルは傳誦的事実を語り聞かせる語法、
とする(仝上)。
ける、
は、
過去の助動詞「けり」の連体形、
で、
しく、
で触れたように、動詞・助動詞の連用形を承ける、過去の助動詞、
けり、
は、
「き(来)」に「あり」が結合したもの、
とも、
過去の助動詞「き」に「あり」が結合したもの、
ともいわれ(精選版日本国語大辞典)、
けら・○・けり・ける・けれ・◯、
と活用し(精選版日本国語大辞典)、
事態の成り行きがここまできていると、今の時点で認識する、
という意味が基本であり、
この花の一節(ひとよ)のうちは百種(ももくさ)の言持ちかねて折らえけらずや(万葉集)、
と、
そういう事態なんだと気づいた、
という意味で、
……ていたのだな、
……たのだな、
と、
気づいていないこと、記憶にないことが目前に現れたり、あるいは耳に入ったときに感じる、一種の驚きをこめて表現することが少なくない、
とあり(岩波古語辞典)、
けり、
が、
詠嘆の助動詞、
とされる所以である。ただ、
世の中は空しきものと知る時しいよいよますます悲しかりけり(万葉集)、
と、
見逃していた事実を発見した場合や、事柄からうける印象を新たにしたとき、
や、
遠き代にありけることを昨日(きのふ)しも見けむがごとも思ほゆるかも(万葉集)、
と、
真偽は問わず、知らなかった話、伝説・伝承を、伝聞として表現するとき、
にも用いる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。だから、
けり、
の場合は、
気づいた事態や筋道は目の前に存在したり、ありありと意識されたりすることを表わす、
が、
けらし、
の場合、それらは、
直接には確かめることができないので、存在する可能性が述べられるに止まっている、
という違いがある(精選版日本国語大辞典)。ちなみに、同じ過去の助動詞
き、
は、基本、
人言(ひとごと)を繁(しげ)みこちたみ逢はずありき心あるごとな思ひわが背子(万葉集)、
と、
「き」の承ける事柄が、確実に記憶にあるということである。記憶に確実なことは、自己の体験であるから、「き」は、
「……だった」と自己の体験の記憶を表明する場合が多い、
とある(仝上)。しかし、自分の経験しえない、また目撃していない事柄についても、
音に聞き目にはいまだ見ず佐用姫が領布(ひれ)振りきとふ君松浦山(きみまつらやま)(万葉集)、
と、
みずから目撃していない伝聞でも、自己の記憶にしっかり刻み込まれているような場合には、「き」を用いて、「……だったそうだ」の意を表現した、
とある(仝上)。係助詞、
ぞ、
は、古くは、
そ、
と、清音で、文中にある場合、
畝火山昼は雲とゐ夕されば風吹かむと曾(ソ)木の葉さやげる(古事記)、
時々の花は咲けども何すれ曾(ソ)母とふ花の咲き出来ずけむ(万葉集)、
と、
文中の連用語や条件句を受け、指示強調する。結びの活用語は連体形となる、
とあり(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典・岩波古語辞典)、上記訳(伊藤博訳注『新版万葉集』)の解釈とは異なり、
ぞ、
は、あくまで、
強意、
であり、
けり、
に、
はしたなく振舞っていたという、
と、
……たという、
の意味が込められているとみるべきなのだろう。
たはる、
は、
戯る、
狂る、
淫る、
とあて、
れ/れ/る/るる/るれ/れよ、
と、
自動詞ラ行下二段活用
で、天治字鏡(天治本新撰字鏡)(898年~901年)に、
淫、放逸也、戯也、私逸也、、多波留、
字鏡(平安後期頃)に、
淫、遊逸也、戯也、太波留、
戲、ツハモノ・メス・ホトコス・ハタ(タハ)ブル・オヨク・モテアソブ・ヲヒク、
類聚名義抄(11~12世紀)に、
淫、たはる、
戲、タハブル・タハブレ・オヨク・モテアソブ・メス、
狂、ヨギル・マドフ・クルフ・タハブル・タフル・モノグルヒ・イツハル、
などとある。
たはる、
は、
たはぶる(戯)・たはし(淫・戯)と同根、常軌を逸した行為をする意(岩波古語辞典)、
とあり、
たはし(淫・戯)、
は、
(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、
の、形容詞シク活用で、
字鏡(平安後期頃)に、
妷、樂虚也、淫也、耽也、太波志、
類聚名義抄(11~12世紀)に、
淫、タハシ、
とあり、
タハケ・タハル(戯)と同根、女性関係に常軌を逸している(岩波古語辞典)、
意になる。
たはぶる(戯)、
は、類聚名義抄(11~12世紀)に、
戯、タハブル、
字鏡(平安後期頃)に、
謔、戯也、太波夫留、
とあり、
タハケ・タハル(戯)と同根、常軌を逸したことをする、ふざけた気持ちで人に応接する意(岩波古語辞典)、
相手に面白半分の態度で接する意(広辞苑)、
タは発語、ハフルは放逸(はふ)るの義(大言海)、
という意味から見ると、
たはる→たはし→たはぶる、
と、性的な含意が捨象されて、
ふざける、
意にシフトしていくように見える。本来、
け/け/く/くる/くれ/けよ、
の、自動詞カ行下二段活用の、
たはく(戯・姧)、
は、
王母(こきしのいろね)と相婬(タハケ)て、多に行無礼(ゐやなきわさ)す(日本書紀)、
と、
正常でない、また常識にはずれたことをする、
意で、特に、
みだらなことをする、
ふしだらな行ないをする、
意で、
たわし(戯)る、
ともいい、それが、後に、
五日前より奥に夫婦並んでじや、たはけたことぬかすまい(浄瑠璃「傾城反魂香(1708頃)」)、
と、
たわむれる、
ふざける、
ばかなことをする、
意へとシフトしている(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。この連用形の、名詞化が、
たはけ(戯)、
で、
正常でない、また常識にはずれて行為をすること、
で、特に、
みだらな行為、許されない性的行為をする、
意で、
タハル(婬)タハブル(戯)と同根、常軌を逸したことをする意(岩波古語辞典)、
タハム(戯)と同語(猫も杓子も=楳垣実)、
タハフレケの略(物類称呼・俚言集覧)、
タは接頭語、ハケが語根で理に昧い意のワケナキからか(俗語考・神代史の新研究=白鳥庫吉)、
等々とあり、こうした、
たは-し
たは-く
たは-ぶる
等々の語の意味の幅を考えれば、
たは-る、
もまた、冒頭の、
斯く迷(まと)へればうちしなひよりてそ妹は多波礼(タハレ)てありける(万葉集)、
の、
異性にみだらな行為をする。男女がいちゃつく。浮気心で男女が関係する(精選版日本国語大辞典)、
みだらな行為をする。色恋におぼれる(学研全訳古語辞典)、
みだらな行為をする(デジタル大辞泉)、
というよりは、はっきりと、
異性と不倫な関係を結ぶ(岩波古語辞典)、
意から、
ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ(徒然草)、
と、
他を忘れて一途にそれにふける。おぼれて馬鹿のようになる。熱中する、
意、多く、
色恋におぼれる意で用いる、
へシフトし、
おほやけざまは少しはたれて、あざれたる方なりし(源氏物語)、
と、
謹厳さを欠く、砕けた態度をとる、
意、さらに、
秋くれば野べにたはるる女郎花(をみなへし)いづれの人か摘(つ)まで見るべき(古今和歌集)、
と、
遊び興ずる。無心に遊ぶ。たわむれる、
意へと移っていく。今日での、
ふざける、
たわむれる、
という意に重なっていくようである。なお、
あざる、
は、
立ちあざる、
で触れた。
「戯」(①慣用ギ・ゲ、漢音キ、呉音ケ、②漢音呉音キ、③漢音コ、呉音ク)の異体字は、
戏(簡体字)、戱(俗字)、戲(旧字体/繁体字)、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%88%AF)、
「戲」の異体字は、
㪭、戏(簡体字)、戯(新字体)、戱(俗字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%88%B2)。「戯言」等々、たわむれ、ふざける意や、「戯曲」の場合①の音、「戯下の騎」のように、大将の旗の意の場合、②の音、「於戯(ああ)」と、ため息の意の場合は③の音、となる(仝上)。字源は、「立ちあざる」でふれたように、
形声文字。「戈(ほこ)+音符虚(コ)」。説文解字は、ある種の武器で我(ぎざぎざの刃のあるほこ)と似たものと解する。その原義は忘れられ、もっぱら「はあはあ」と声を立てて、おどけ笑う意に用いる、
とある(仝上)。他も、解釈は異なるが、
形声文字です(虚+戈)。「虎(とら)の頭の象形と頭がふくらみ脚が長い食器、たかつきの象形」(「虚(コ)」に通じ(同じ読みを持つ「虚」と同じ意味を持つようになって)、「むなしい」の意味)と「にぎりのついた柄の先端に刃のついた矛」の象形から、むなしい矛、すなわち、実践用ではなく「おもちゃの矛」を意味する「戯」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1321.html)、
形声。戈と、音符䖒(キ)とから成る。出陣前に軍舞をすること、借りて「たわむれる」意を表す。常用漢字は省略形の俗字による(角川新字源)、
と、形声文字とするが、
会意。旧字は戲に作り、䖒(き)+戈(か)。䖒は〔説文〕五上に「古陶器なり」とするが、その器制も明らかでない。䖒は虎頭のものが豆形の台座に腰かけている形。それに戈で撃ちかかる軍戯を示す字であろう。金文の〔師虎𣪘(しこき)〕に「嫡として左右戲の繁荊を官𤔔+司(司)せしむ」とあり、「左右戲」とは軍の偏隊の名であろう。〔左伝〕に「東偏」「西偏」の名があり、〔説文〕十二下に「戲は三軍の偏なり。一に曰く、兵なり」とし、字を䖒声とする。「左右戲」の用法が字の初義。麾・旗と通用し、麾下をまた戯下という。戯弄の意は、虎頭のものを撃つ軍戯としての模擬儀礼から、その義に転化したのであろう。敵に開戦を通告するときに、〔左伝、僖二十八年〕「請ふ、君の士と戲れん」のようにいうのが例であった。嶷・巍と通ずる字で、〔玉篇〕に「山+戲は嶮山+戲、巓危きなり」とあり、山巓の険しいさまをいう(字通)、
と、会意文字とするものもある。
「淫」(イン)の異体字は、
婬、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B7%AB)。字源は、
会意兼形声。㸒は「爪+壬(妊娠)」会意文字(音 イン)で、妊娠した女性に手をかけて色ごとにふけること。淫はそれを音符とし、水を加えた字で、水がどこまでもしみこむことをありらわす。邪道に深入りしてふけること、
とある(漢字源)。同じく、
会意兼形声文字です(氵(水)+爪+壬)。「流れる水」の象形と「手を上からかぶせ下にある物をつまみ持つ象形と、はた糸を巻き付けた象形(織物を織るときに持続的に提供される機糸の意味から、「持続的に耐える」の意味)」
(「手を差し出し求め続ける」の意味)から、降りすぎの雨を意味し、そこから、「度を超す」を意味する「淫」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2034.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、
形声。水と、音符㸒(イム)とから成る。水に「ひたす」、ひたる、転じて、度を過ごす意を表す(角川新字源)、
形声。「水」+音符「㸒 /*LƏM/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B7%AB)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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