足摺り
玉櫛笥(たまくしげ)少し開くに白雲(しらくも)の箱より出でて常世辺(とこよへ)にたなびきぬれば立ち走り叫び袖振り臥(こ)いまろび足ずりしつつたちまちに心消失せぬ(万葉集)
の、
臥(こ)いまろび、
は、
ころげ廻り地団駄踏んで、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
臥(こ)いまろぶ、
で触れたように、
臥(こ)いまろび、
の、
臥い、
は、
臥ゆの連用形、
で、
臥い転ぶ(こいまろぶ)、
は、
ころげまわる、
もだえころがる、
意、
臥(こ)いまろぶ、
は、
今云ふ、こけまろぶ也、
ともある(和訓栞)。
のたうちまわる、
意とほぼ重なるのではないか。
臥(こ)ゆ、
は、
い/い/ゆ/ゆる/ゆれ/いよ、
と、自動詞ヤ行上二段活用で、
寝ころぶ、
横になる、
意である(学研全訳古語辞典)。似た言い方に、
女御の君、こゑも惜しみ給はず、ふしまろび泣き給ふ(宇津保物語)、
とある、
ふしまろぶ(臥し転ぶ)、
がある。
ば/び/ぶ/ぶ/べ/べ、
の、自動詞バ行四段活用で、
身を投げだしてあちこちにころぶ、
悲しみや喜びをおさえきれずにころげ回る、
意であるが、
ふしころぶ(臥し転ぶ)、
ともいう(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)。
あしずり、
は、
足摺り、
足摩り、
とあて(広辞苑)、
足を地にすって、激しく悲しみ嘆くこと(岩波古語辞典)、
怒りまたは悲しみのあまり、足で大地を踏みつけること(広辞苑)、
とあるが、これ自体は、
地にすりつけるように足踏みをすること、
じだんだを踏むこと、
を意味し、それを、
激しい悲しみや怒りを表す動作、
の意として使うということのようである(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)。さらにいえば、
とりかえしのつかないことを悔やむときの動作(デジタル大辞泉)、
ということなのだろう。本来は、
倒れた状態で足をすりあわせて泣き嘆くことをいった、
ともある(デジタル大辞泉)が、「あしずり」の動作の実態については、一般に、
じだんだ、
と解されている。これに対して、
倒れた状態で泣きながら足をこすり合わせる、子供などの動作を表わす、
という説があり、また、
「あしずり」の「摺」の動作に着目し、足と足とを摺り合わせたり、足を地面などに摺り合わせ、こいまろぶ動作や倒れ伏す動作を表わす、
とする見方もある(精選版日本国語大辞典)。冒頭の、万葉集の用例から見ると、
立ち走り叫び、
袖振り、
臥(こ)いまろび、
足ずりし、
とあるので、
いたたまれないような、悲しみ、怒りなどの取り返しのつかないことを悔やむ、動作、
として使われ、それが、
じたんだ、
の意に収斂したとみていいのではないか。類聚名義抄(11~12世紀)には、
跎、タフル・マロフ・タカヒニ・ヒサマツク・アシスリ、
とあり、その意がシフトして、
踏みそこなひて進み得ず(大言海・広辞苑)、
つまずくこと(広辞苑)、
と、
足がもつれる、
意になっていく。『大言海』は、
蹉跎、
と同義としている。天治字鏡(天治本新撰字鏡)(898年~901年)には、
躑䠱、猶豫之貌、不進也、又、不退而愼之貌、又踟䠱也、立豆万豆久(たつまづく)、又足須留(あしずる)、
類聚名義抄(11~12世紀)には、
蹉跎、アシズル、
とある(「たつまづく」の「「た」は、接頭語。「た易い」「た謀(ばか)る」「たやすい」「たゆらに」等々)。
蹉跎(さた・さだ)、
は、楚辞に、
驥垂両耳兮、中坂蹉跎(註「蹉跎、失足也」)、
とあり、
つまずく、
意である。なお、
じだんだ、
は、
地団駄、
地団太、
と当て、
ジタタラ(地蹈鞴)の転、
とか、
「じたたら(地蹈鞴)」の音変化、
とある(広辞苑、デジタル大辞泉)。
じたんだ、
は、
足で地を何回も踏みつける、
という状態表現だが、
悔しがって足を踏み鳴らす様子、
あるいは、
怒りもがいて激しく地面を踏む、
という価値表現の意でも使う。室町末期の日葡辞書にも載る。
地蹈鞴を踏む、
の転訛で、
地団駄を踏む、
となったものらしい。
地蹈鞴、
とは、
じたたら、
じだたら、
じただら、
などと訓ます。
蹈鞴(たたら)、
と同じ意味である。
激しく地面を踏み鳴らすさまが、蹈鞴を踏む仕草に似ていることから「地蹈鞴(じだたら)」と言うようになり、「地団駄(じだんだ)」に転じた。「じんだらを踏む」「じんだらをこねる(地団駄を踏んで反抗する・駄々をこねる)」など、各地に「じんだら」という方言が点在するのも、「地蹈鞴(じだたら)」が変化したことによる(語源由来辞典)
ヂタタラの音便訛(大言海・語簏)、
その様子が蹈鞴(たたら)を踏んでいるようであることから、チタタラ(地鞴)の転(東牖子)、
尻餅をつき、両足を投げ出してばたばたさせることをいう関東方言のヂンダラと同系の語か(妖怪談義=柳田國男)、
等々、
じたんだ、
を、
蹈鞴、
由来とする説が大勢である。
蹈鞴、
は、
蹈鞴製鉄、
の意で、
たたら、
という文字は、
『古事記』(712年)に「富登多々良伊須々岐比売命ほとたたらいすすきひめのみこと」、『日本書紀』(720年)では「姫蹈鞴五十鈴姫命ひめたたらいすずひめのみこと」と出てくる、
のが初見とされる(http://tetsunomichi.gr.jp/history-and-tradition/tatara-outline/part-1/)ほど、
日本において古代から近世にかけて発展した製鉄法で、炉に空気を送り込むのに使われる鞴(ふいご)が「たたら」と呼ばれていたために付けられた名称。砂鉄や鉄鉱石を粘土製の炉で木炭を用いて比較的低温で還元し、純度の高い鉄を生産できることを特徴とする。近代の初期まで日本の国内鉄生産のほぼすべてを担った、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%9F%E3%82%89%E8%A3%BD%E9%89%84)。
「摺」(①漢音呉音ショウ、②漢音呉音ロウ)は、「摺る」で触れたように、
会意兼形声。習は、羽を重ねること。摺は「手+音符習」で、折り重ねること、
とあり(漢字源)、「たたむ」意は①、ひしぐ意は②の発音である。別に、
会意兼形声文字です(扌(手)+習)。「5本指のある手」の象形と「重なりあう羽の象形と口と呼気(息)の象形」(「繰り返し口にして学ぶ」、「重ねる」の意味)から「(手で)折りたたむ」を意味する「摺」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2469.html)が、
形声。手と、音符(シフ)→(セフ)(角川新字源)、
と、形声文字ともある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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