翼霧(はねき)る
埼玉(さきたま)の小埼(をさき)の沼に鴨ぞ翼霧(はねき)るおのが尾に降り置ける霜を掃(はら)ふとにあらし(万葉集)
の、
翼霧る、
は、
羽ばたきしてしぶきを散らす、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
あらし、
は、
有らし、
とあて(精選版日本国語大辞典)、
動詞「あり」に推量の助動詞「らし」の付いた「あるらし」の音変化、
で、
あるらしい、
あるにちがいない、
の意(仝上・デジタル大辞泉)である。ただ、一説に、
ラ変動詞「あり」の形容詞化、
ともいう(仝上)とある。
翼霧(はねき)る、
は、
羽霧る、
羽切る、
とも当て(広辞苑)、
水鳥が翼を強く振ってしぶきをたてる、
意で(岩波古語辞典)、
羽ばたきしてしぶきを立てる(広辞苑)、
はばたきをして水しぶきをあげる(デジタル大辞泉)、
と、大同小異の意味になるが、転じて、
三の君にみせたてまつらん……と北の方はねぎりをる(落窪物語)
と、
忙しく飛び回る、
はしゃぐ、
意とする説もある(広辞苑)が、原文を見ると、
「明日の臨時の祭に、三の君に見せ奉らむ、蔵人の少将の渡り給ふを」と北の方は念じをるを、あこき聞きて、
とするものもあり、文脈から見ると、後者のような気がする。
霧る、
は、
ら/り/る/る/れ/れ、
の、自動詞ラ行四段活用で(学研全訳古語辞典)、
風しも吹けば余波(なごり)しも立てれば水底(みなぞこ)支利(キリ)てはれその珠見えず(催馬楽)、
霞(かすみ)立ち春日(はるひ)の霧れるももしきの大宮所(おほみやどころ)見れば悲しも(万葉集)、
と、
霧が立つ、
かすむ、
曇る、
意で、それをメタファに、
御髪(ぐし)かき撫でつくろひ、おろし奉り給ひしをおぼし出づるに、目もきりていみじ(源氏物語)、
と、
涙で目が曇る、
涙で目がかすんではっきり見えなくなる、
といった意で使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。この、
霧る、
は、
霧ふかき籬の花はうすぎりて岡べの杉に月ぞかたぶく(風雅和歌集)、
と、
薄霧る(うすぎる)、
と使ったり、
梅花それとも見えず久方のあまぎる雪のなべてふれれば(古今和歌集)、
と、
天霧る、
と使ったりする(精選版日本国語大辞典)。
「翼」(漢音ヨク、呉音イキ)の異体字は、
𰭝(二簡字)、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%BF%BC)、字源は、
会意兼形声。原字は、つばさを描いた象形文字。のちそれに立をそえて、つばさを立てることを示す。翊(ヨク つばさ)は、その系統を引く字。翼は「羽+音符異(イ)」で、一つのほかにもう一つ別のがあるつばさ、
とある(漢字源)。なお、『漢字源』は、
𦐂(ヨク・イキ つばさ)、
を異体字としている。同じく、
会意兼形声文字です(羽(羽)+異)。「鳥の両翼」の象形と「人が鬼払いにかぶる面をつけて両手をあげている」象形(「敬い助ける」の意味)から、「両翼・つばさ」を意味する「翼」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1455.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、
形声文字、「羽」+ 音符「異」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%BF%BC)、
形声。羽と、音符異(イ)→(ヨク)とから成る。鳥のつばさの意を表す。借りて「たすける」意に用いる(角川新字源)、
形声。〔説文〕十一下に正字を飛+異に作り、異(よく)声。「翅(はね)なり」と訓し、また羽部四上に「翅(し)は翼なり」とあって互訓。金文に翼戴・輔翼の字をみな異に作り、「異臨(よくりん)」「休異(きうよく)」のようにいう。異は翼の初文。異は鬼形の神の象で、敬翼の意があり、また輔翼・翼蔽の意がある(字通)、
と、形声文字としている。なお、
「霧」(漢音ブ、呉音ム)
は、「天霧る」で触れた
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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