ちはふ


男神(ひこかみ)も許したまひ女神(ひめかみ)もちはひたまひて時となく雲居(くもゐ)雨降る筑波嶺(つくはね)をさやに照らしていふかりし国のまほらをつばらかに示したまへば(万葉集)

の、

ちはひたまひて、

は、

霊力を現わしてくださって、

とし、

時となく雲居(くもゐ)雨降る筑波嶺(つくはね)を、

は、

いつもは時を定めず雲がかかり雨の降るこの筑波嶺なのに、

と訳し、

いふかりし、

は、

どう見えるか気がかりであった、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

国のまほら、

の、

まほら

は、

真秀ら、

で、ラは接尾語、

最もすぐれた所、

の意とする(仝上)。

ちはふ、

は、

幸ふ、

とあて、

は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、

の、自動詞ハ行四段活用で、

「ち」は「霊力」の意(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)、
チは霊力、ハフはそれの働く意(岩波古語辞典)、
サチハフの略、イチハヤブル、チハヤブルの例(大言海)、

とあり、天治字鏡(天治本新撰字鏡)(898年~901年)に、

影護、知波不(チハフ)、

類聚名義抄(11~12世紀)に、

朋、チハフ、カタチハフ、タスク、
援、チハフ、タスク、

とあり、その意味は、

威力で助ける、加護する(岩波古語辞典)、
霊力を現して加護する(学研全訳古語辞典)、
霊力を現わす。また、神が霊力を発揮して加護を垂れる(精選版日本国語大辞典)、
幸を與ふ(大言海)、

と、

霊力、

に力点を置くか、

加護、

に力点を置くかに、微妙に差がある。

ちはやぶる

は、

千早振る、

と当て(広辞苑)、その由来は、

チは風、ハヤは速、ブルは様子をする意(岩波古語辞典・広辞苑)、
動詞「ちはやぶ」の連体形に基づく(大辞林)、
「いちはやぶ(千早ぶ)」の変化。また、「ち」は「霊(ち)」で、「霊威あるさまである」の意とも(日本国語大辞典)、
「ち」は雷(いかづち)の「ち」と同じで「激しい雷光のような威力」を、「はや」は「速し」で「敏捷」を、接尾語の「ぶる」は「振る舞う」を意味するhttps://zatsuneta.com/archives/005742.html
最速(イチハヤブル)の約、勢鋭き意。神にも人にも、尊卑善惡ともに用ゐる。倭姫命世紀に、伊豆速布留神とあり、宇治に續くは、崎嶇(ウヂハヤシ)、迍邅(ウヂハヤシ)、うぢはやきと云ふに因る(大言海)、
イトハヤシ(甚早し)はイチハヤシ(逸早し)に転音し、さらに「敏速に振る舞う」という意でイチハヤブル(逸速振る)といったのが、チハヤブル(千早振る)に転音して「神」の枕詞になった。ふたたびこれを強調したイタモチハヤフル(甚も千早振る)はタモチハフ・タマチハフ(魂幸ふ)に転音して、「神」の枕詞になった、〈タマチハフ神もわれをば打棄(うつ)てこそ(万葉集)〉(日本語の語源)、

等々諸説あるが、意味からいうと、枕詞にも、

千磐破(ちはやぶる)人を和(やは)せとまつろわぬ国を治めと(万葉集)、

強暴な、
荒々しい、

という意から、

地名「宇治」にかかる。かかり方は、勢い激しく荒荒しい氏(うじ)の意で、「氏」と同音によるか。一説に、「いつ(稜威)」との類音による、

ものと、

ちはやぶる神の社(やしろ)しなかりせば春日(かすが)の野辺(のへ)に粟(あは)蒔(ま)かましを(万葉集)、

と、

勢いの強力で恐ろしい神、

の意で、「神」およびこれに類する語にかかり、

「神」また、「神」を含む「神世」「神無月」「現人神」などにかかる。「神」に縁の深いものを表す語、「斎垣」「天の岩戸」「玉の簾」などにかかる、

ものと、また、

特定の神の名、神社のある場所、

などにもかかるものがあり、さらに、

稜威(いつ)の、

意から、それと類音の地名「伊豆」にかかる、

ものがある(日本国語大辞典)とされる。もし「ちはやぶる」の由来が異なるのなら、上記の、

チハヤブル(千早振る)、

タマチハフ(魂幸ふ)、

説(日本語の語源)となるのだろうが、やはり、

ち、

を、

靈、
ないし、
霊力、

と見るのが妥当なのだろう。このことは、たとえば、

さつや(幸矢)

の、

さつ、

は、

さち(幸)と同源(広辞苑)、
サツはサチ(矢)の古形(岩波古語辞典)、
サチ(幸)は獲物の意(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)、

などとあり、

幸(ちは)ふ、

にあてる、

幸(さち)、

自体に、その由来が、

サツヤ(猟矢)・サツヲ(猟人)のサツ(矢)の転(岩波古語辞典)、
幸取(さきとり)の約略、幸(さき)は、吉(よ)き事なり、漁猟し物を取り得るは、身のために吉(よ)ければなり(古事記伝の説、尚、媒鳥(をきどり)、をとり。月隠(つきこもり)、つごもり。鉤(つりばり)を、チと云ふも、釣(つり)の約、項後(うなじり)、うなじ。ゐやじり、ゐやじ。サチを、サツと云ふは、音転也(頭鎚(かぶづち)、かぶつつ。口輪(くちわ)、くつわ)(大言海)、
サキトリ(幸取)の約略(古事記伝・菊池俗語考)、
サキトリ(先取)の義(名言通)、
山幸海幸のサチ、猟師をいうサツヲと関係ある語か(村のすがた=柳田國男)、
サツユミ(猟弓)、サツヤ(猟矢)、サツヲ(猟夫)などのサツの交換形(小学館古語大辞典)
矢を意味する古代朝鮮語salから生じた語か(日本語の年輪=大野晋)、
サチ(栄霊)の義(日本古語大辞典=松岡静雄)、
サは物を得ることを意味する(松屋筆記)、
サキの音転、サチヒコのサチは襲族の意(日鮮同祖論=金沢庄三郎)、

等々諸説あり、

さち、

は、

火遠理命(ほおりのみこと)、其の兄火照命(ほでりのみこと)に、各佐知(サチ)を相易へて用ゐむと謂ひて(古事記)、

と、

獲物を取る道具(広辞苑)、
狩や漁の道具、矢や釣針、また獲物を取る威力(岩波古語辞典)、
獲物をとるための道具。また、その道具のもつ霊力(精選版日本国語大辞典)、
上古、山に狩(かり)して、獣を取り得る弓の称(大言海)、

とされる。しかし、

威力あるものだけに、その矢にしろ、釣り針にしろ、その、

霊力、

を、

さち、

といい、さらに、その、

矢の獲物、

さらに、転じて、

幸福、

をも言うようになった(広辞苑)。こうみる、

ち、

にも、

さち、

にも、

霊力、

がつきまとう。

ちはふ、

に、

幸、

を当てた所以なのだろう。

はふ、

は、

いはふ(祝ふ・斎ふ)

わざわひ

幸(さき)はふ

で触れたことだが、

イハフ(祝・斎)サキハヒ(幸)・ニギハヒ(賑)・ケハヒ(気配)のハヒ・ハフに同じ、

で(大言海・岩波古語辞典)、接尾語として、

辺りに這うように広がる意を添えて動詞をつくる、

とされ(岩波古語辞典)、

這ふ、
延ふ、

と当て、

這い経るの意、

とある(大言海)。

這ふ⇔延ぶ、

と、

這ふは、延ふに通じ、延ふは這ふに通ず、

とあり(仝上)

蔓草や綱などが物に絡みついて伝わっていく、

意で(岩波古語辞典)、「ハヒ」は、この、

「はふ」の連用形です。「はふ」は「延ふ」で〈蔓が延びていくように、物事が進む、広まる、行きわたる〉というような意味、

とするのが大勢の解釈となるhttps://mobility-8074.at.webry.info/201508/article_18.html。だから、

「にぎはひ」の「ハヒ」、

も、

「さきはひ」の「ハヒ」、

も、

「けはひ」の「ハヒ」、

も、

這ふ、
延ふ、



ハヒ、

で、「にぎはひ」は、

和やかな状態が打ち続き盛んになる意、人々が寄り集まり、和やかに繫盛する意(日本語源広辞典)、

となり、「さきはひ」は、上述したように、

サク(咲)・サカユ(栄)・サカル(盛)と同根、生長の働きが頂点に達して、外に形を開く意(岩波古語辞典)、
サキ(幸、霊力)+ハフ(這)。よい獲物が続けてとれる、栄え続ける(日本語源広辞典)、
「幸、又福を訓むも、先の字に通えり」(和訓栞)、万葉集に見える幸延國の義なるべし、幸(サキ)の動く意なり(大言海)、

となり、「けはひ」(「気配」は後世の当て字)は、

ケ(気)+ハヒ(事のひろがり)。何となく感じられるさま(日本語源広辞典)、
ケは気、ハヒは延の義(和訓栞・国語の語根とその分類=大島正健)、
ケ(気)ハヒ(延)の義。ハヒは、辺り一面に広がること、何となく、辺りにスー感じられる空気(岩波古語辞典)、

となり、「ハヒ」を、

延ふ、
這ふ、

から来た、

広がる、
延びる、

という状態表現の言葉と見る。しかし、

ハヒ、

を、

ハフ、

とつなげるのは音韻の類似性から来た付会なのではないか、という気がする。だから、異説がある。

サチイハフ(幸祝ふ)は「イ」を脱落してサチハフ(幸ふ)になった。〈サチハヘ給はば〉(祝詞)。サチハフ(幸ふ)も子交(子音交替)[tk]をとげてサキハフ(幸ふ)になった。「栄える。幸運にあう」という意である。〈しきしまのやまとの国は言霊のサキハフ国ぞ〉(万葉集)。(中略)サキハフ(幸ふ)は、キハ[k(ih)a]の縮約でサカフ[fu](栄ふ)になり、さらにサカウ(kawu)を経てサカユ[ju](栄ゆ)に転音した。……サキハフ(幸ふ)の連用形サキハヒ(幸ひ)は子音[k]を脱落してサイハヒ(幸)になった、

とある(日本語の語源)。

この説に従うなら、「ハヒ」=「ハフ(這・延)は成立しない。

「サキハヒ」が、

サチイハヒ(幸祝ひ)、

なら、「ワザハヒ」は、

ワザイハイ(業祝ひ)、

と、神意を承けて祝う意となり、「ニギハヒ」は、

ニギイハイ(和祝ひ)、

とになるが、そもそも、

和(にぎ)を活用す、和(なぎ)に通ず、荒るるに対す(大言海)、

とするなら、

にぎはふ、

は一語であり、「にきはふ」の「にぎ」は、「荒(あら)」の対である、

やわらぐ、

意の、

にぎ(和)、

を活用したものなのだとすると、「ハヒ」説は適用できない。「ニギ」を活用した動詞には、四段活用の、

にぎはふ(賑)、

の他に、

にぎぶ(賑 上二段活用)、
にぎははす(賑 他動詞)
にぎほほす(賑 形容詞)、

等々があり(大言海)、「ニギ」と「ハヒ」を分ける説自体が成り立たないかもしれない。

「ケハひ」も、また、

キイハヒ(気祝ひ)、

といえなくもない。「け(気)」は、

霧・煙・香・炎・かげろうなど、手には取れないが、たちのぼり、ゆらぎのでその存在が見え、また感じ取れるもの、

である(岩波古語辞典)。

「いはふ」は、

祝ふ、
斎ふ、

と当て、原義は、

吉事・安全・幸福を求めて、吉言を述べ、吉(よ)い行いや呪(まじない)をする、

意である。「わざわひ」の場合、ことに、

隠された神意に呪(まじない)する、

意の、

わざ+いはい、

はあり得る気がする。そして、憶説ながら、

サチイハフ→サチハフ(幸ふ)→サキハフ(幸ふ)、

とした転訛に倣うなら、

ワザイハフ(業祝ふ)→ワザハフ→ワザハヒ→ワザワイ、

という転訛もあり得るのかもしれない。もちろん、憶説に過ぎないが。ちなみに、

はふ(延)、

は、

へ/へ/ふ/ふる/ふれ/へよ、

の、他動詞ハ行下二段活用で、

張り渡す、

意、

はふ(這)、

は、

は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、

の、自動詞ハ行四段活用で、

はう、
腹ばいで前進する、

意である(学研全訳古語辞典)。

ちはふ、

も、

チ(霊)ハフ(延ふ)、

なら、

霊力が広く及ぶ、

という意だが、

チ(霊)イハフ(祝ふ)、

なら、

神の加護に感謝する、

意となる。上述で、

ちはふ、

の意味の解釈に、

霊力、

に力点を置くか、

加護、

に力点を置くかに、微妙に差がある、

とした所以なのかもしれない。ま、

霊力→(の結果)→神の加護、

となるので、

前か後か、

ということになるだけなのだが。ちなみに、

幸ふ、

を、

さきはふ、

と訓むと、

幸(さき)はふ

で触れたように、

福(さき)はふ、

とも当て、

サク(咲)・サカユ(栄)・さかる(盛)同根、生長のはたらきが頂点に達して、外に形を開く意、ハフはニギハヒのハヒに同じ(岩波古語辞典)、
幸(サキ)の動く意なり、幸(さち)はふ、饒(にぎ)はふももこれなり。さいはふともいふは、音便なり(幸神(さちのかみ)、さいのかみ)(大言海)、
サキ(幸、霊力)+ハフ(這)。よい獲物が続けてとれる、栄え続ける(日本語源広辞典)、

などとあり、江戸中期の国語辞典『和訓栞(谷川士清)』は、

(「さきはふくに」と)萬葉集に見えたり、幸延國の義なるべし、

としていて、

生命力の活動が活発に行われる、

意から、

ゆたかに栄える、
幸福に栄える、

意で使い(精選版日本国語大辞典)、中世では、

女性が男性の愛情を受けて、幸福な結婚をしていることにいう場合が多い、

ともある(仝上)。しかし、これも、

幸(サキ)ハフ(延ふ)、

なら、

幸いが広く及ぶ、

という意だが、

幸(サキ)(霊)イハフ(祝ふ)、

なら、

幸いに感謝する、

意になる。そして、憶説ながら、後者なら、

サチイハフ→サチハフ(幸ふ)→サキハフ(幸ふ)、

と転訛したことになる。

「幸」.gif

(「幸」 https://kakijun.jp/page/0878200.htmlより)

「幸」(漢音コウ、呉音ギョウ)は、異体字が、

𦍒(異体字)、 𠂷(古字)、 𭎎(俗字)、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B9%B8、字源は、「さつや」で触れたように、

象形。手にはめる手かせを描いたもので、もと手かせの意。手かせをはめられる危険を、危く逃れたこと。幸とは、もと刑や型と同系のことばで、報(仕返しの罰)や執(つかまえる)の字に含まれる。幸福の幸は、その範囲がやや広がったもの、

とある(漢字源)。同趣旨で、

象形文字です。「手かせ」の象形でさいわいにも手かせをはめられるのを免れた事を意味し、そこから、「しあわせ」を意味する「幸」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji43.html

象形。手械(てかせ)の形。これを手に加えることを執という。〔説文〕十下に「吉にして凶を免るるなり」とし、字を屰(ぎゃく)と夭(よう)とに従い、夭死を免れる意とするが、卜文・金文の字形は手械の象形。これを加えるのは報復刑の意があり、手械に服する人の形を報という。幸の義はおそらく倖、僥倖にして免れる意であろう。のち幸福の意となり、それをねがう意となり、行幸・侍幸・幸愛の意となるが、みな倖字の意であろう(字通)、

ともあるが、別に、

会意。夭(よう)(土は変わった形。わかじに)と、屰(げき)(さかさま。は変わった形)とから成る。若死にしないでながらえることから、「さいわい」の意を表す。一説に、もと、手かせ()の象形で、危うく罰をのがれることから、「さいわい」の意を表すという(角川新字源)、

と会意文字とするものもある。しかし、手械(てかせ)を象る象形文字と解釈する説があるが、これは「幸」と「㚔」との混同による誤った分析である、

としhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B9%B8、また、

『説文解字』では「屰」+「夭」と説明されているが、篆書の形を見ればわかるようにこれは誤った分析である、

ともあり(仝上)、

「犬」と「矢」の上下顛倒形とから構成されるが、その造字本義は不明、

としている(仝上)。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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