下延ふ


白玉の人のその名をなかなかに言(こと)を下延(したは)へ逢はぬ日の数多(まね)く過ぐれば恋ふる日の重(かさ)なり行けば思ひ遣るたどきを知らに(田辺福麻呂)

の、

白玉の人のその名、

は、

白玉のように清らかなその人の名、

の意、

なかなかに、

は、

なまじっか、中途半端なさま、

とあり、

言を下延(したは)へ、

は、

言葉に出さず心に思い続け、

とし、

たどきをしらに、

は、

てだてもわからず、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

下延ふ、

は、

したはふ、

のほか、

したばふ、

とも訓ませ、

へ/へ/ふ/ふる/ふれ/へよ、

の、自動詞ハ行下二段活用で、文字通り、

下に延ふ、

意(大言海)だが、

シタは人に隠した心、ハフは延び広がらせる意(岩波古語辞典)、
「した」は心の意(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、

で、

心、其の方へむく(大言海)、
人知れず思いをいだく(岩波古語辞典)、
ひそかに恋い慕う(学研全訳古語辞典)、
心の中でひそかに思う(デジタル大辞泉)、
人知れず思う。心のうちに恋しく思う(精選版日本国語大辞典)、

と、

心の中で思いを募らせる、

意である。

ふりはへて

で触れたことだが、

はふ、

は、

心ばえ、

の、

心延え、

つまり、

(心の動きを)敷きのばす、

意味と同じで(大言海・岩波古語辞典)、

心延え、

は、

心映え、

とも書くが、

映え、

はもと、

延へ、

で、

延ふ、

は、

這ふ、

の他動詞形、

外に伸ばすこと、

つまり、

心のはたらきを外におしおよぼしていくこと、

になる(岩波古語辞典)。『大言海』に、

したはへ、

を、

したばふること、

つまり、

心の向くこと、

としている。その心映えが、

広がる、

意となる。

心の中の思いが募り、大きくなる、

といった含意になる。

ししくしろ黄泉(よみ)に待たむと、隠沼(こもりぬ)の下延へ置きてうち嘆き(高橋虫麻呂)

では、

本心を言葉の中に秘めておいて、

の意で、

本心を心の中に秘めたまま、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。なお、

たどき、

も、

ふりはへて

でふれたように、

たつき

の転訛で、

たつき

は、

方便、

と当て、

たづき、

ともいい、

たつき、

の、

タはテ(手)の古形、

なので(岩波古語辞典)、

「手付き」か。中世以降、タツキとも(広辞苑)、
「手(た)付(つ)き」の意。古くは「たづき」。中世以降「たづき」「たつき」。現代では「たつき」が普通(大辞林)、
(「たづき」は)タ(手)とツキ(付)との複合。取りつく手がかりの意。古くは「知らず」「なし」など否定の語を伴う例だけが残っている。中世、タヅキ・タツキとも(岩波古語辞典)、
手着の義(大言海)、

とあり、

(事をし始めたり、また何かを知るための)手がかり、
生活の手段、生計、

の意である。ただ、

たずき(づき)(方便・活計)、
たつき(方便・活計)、
たどき(方便)、
ほう(はう)べん(方便)、

と当て別けている(大辞林)例もある。で、

たどき、

は、

たづき、

の転訛なので、

たづき→たどき、

の転訛と、

たづき→たずき、
たづき→たつき、

の転訛とが、並行しているのかもしれない。

語形はタヅキが古い形であろうが、母音が交替した形であるタドキも併存した。万葉集の、

大野らにたづきも知らず標(しめ)結ひてありかつましじ我(あ)が恋ふらくは、

には「跡状(たどき)」と表記した例があり、これは様子や状態の意を表わしたものであろう、

とある(精選版日本国語大辞典)。しかし、今日、

たつき、

ほうべん、

は、意味はともかく、かけ離れてしまっているように見える。

方便(ほうべん)、

は、梵語、

upāya、

の意訳で、

方法使用、

の訳(大言海)で、

方、法也、便、用也(天台四教儀集注)、

とあり、

凡虚妄者、非善言善、非悪言悪、欲賊前人是名虚妄、如来雖復非三面三、只欲利物、可言方便、何是虚妄(法華義疏)、

と、

下根(げこん)の衆生を真の教えに導くために用いる便宜的な手段。また、その手段を用いること、

つまり、

法便、

の意である(精選版日本国語大辞典)。

初地

で触れたように、

方便、

は、

法華経に説く七喩、

の一つ、「法華義疏」に、

第三従道師多諸方便以下。名為設化城譬、

とある、

大乗の究極のさとりを宝所にたとえて、そこに達する途中の、遠くけわしい道で、人々が脱落しないよう一行の導師が城郭を化作して人々を休ませ、疲労の去った後、さらに目的の真実の宝所に導いたというたとえ、

で、

大乗の涅槃(ねはん)に達する前段階としての小乗方便の涅槃、

をいう。「妙法蓮華経」化城喩品第七に、

譬えば五百由旬の険難悪道の曠かに絶えて人なき怖畏の処あらん。若し多くの衆あって、此の道を過ぎて珍宝の処に至らんと欲せんに、一りの導師あり。聡慧明達にして、善く険道の通塞の相を知れり(導師の譬)。

衆人を将導して此の難を過ぎんと欲す。所将の人衆中路に懈怠して、導師に白して言さく、我等疲極にして復怖畏す、復進むこと能わず。前路猶お遠し、今退き還らんと欲すと。導師諸の方便多くして、是の念を作さく、此れ等愍むべし。云何ぞ大珍宝を捨てて退き還らんと欲する。是の念を作し已って、方便力を以て、険道の中に於て三百由旬を過ぎ、一城を化作して、衆人に告げて言わく、汝等怖るることなかれ、退き還ること得ることなかれ。今此の大城、中に於て止って意の所作に随うべし。若し是の城に入りなば快く安穏なることを得ん。若し能く前んで宝所に至らば亦去ることを得べし。是の時に疲極の衆、心大に歓喜して未曾有なりと歎ず。我等今者斯の悪道を免れて、快く安穏なることを得つ。是に衆人前んで化城に入って、已度の想を生じ安穏の想を生ず。
爾の時に導師、此の人衆の既に止息することを得て復疲倦無きを知って、即ち化城を滅して、衆人に語って、汝等去来宝処は近きに在り。向の大城は我が化作する所なり、止息せんが為のみと言わんが如し(将導の譬)

とあるhttps://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/3/07.htm

方便力を以て、険道の中に於て三百由旬を過ぎ、一城を化作して、衆人に告げて言わく、汝等怖るることなかれ、退き還ること得ることなかれ。今此の大城、中に於て止って意の所作に随うべし、

のことである。「諧聲品字箋」(清)に、

釋氏有方便法門者、随方便人之傍門也、正法之門荘厳高廣、行不易到、如一大城之四門焉、特於四角旁方、随便開門、就近而入、故曰方便、

とある。これが転じて、

何にもして南山より盗出し奉らんと方便(はうべん)廻されけれ共(太平記)、

と、

目的のために利用される一時の手段。また、その手段を用いること、

の意となり、

てだて、

の意で、さらに、

嘘も方便、

というように、

計略、

の意でも使う(大言海・精選版日本国語大辞典)。

たつき、

は、

方便、
活計、

とあて(精選版日本国語大辞典)、

たづき、
たつぎ、

ともいい、

たどき、
たづか、

とも訛るが、

恋ふといふはえも名づけたり言ふすべの多豆伎(タヅキ)もなきは我(あ)が身なりけり(万葉集)、

と、

手がかり。よるべき手段、方法、

の意、上述の、

大野らにたづきも知らず標(しめ)結ひてありかつましじ我(あ)が恋ふらくは(万葉集)、
世の中の繁(しげ)き仮廬(かりほ)に住み住みて至らむ国の多附(たづき)知らずも(仝上)、

では、

様子・状態を知る手段、見当、

の意、転じて、

世渡るたづき中々にとめぬ月日の数そへて(浮世草子「宗祇諸国物語(1685)」)、

と、

生活の手段。生計、

の意となる(仝上)。

「延」.gif

(「延」 https://kakijun.jp/page/0882200.htmlより)

「延」(エン)は、「ふりはへて」で触れたように、

会意文字。「止(あし)+廴(ひく)+ノ印(のばす)」で、長く引きのばして進むこと、

とある(漢字源)。別に、会意文字ながら、

会意。「彳(道路)」+「止 (人の足)」で、長い道のりを連想させる。「のびる」を意味する漢語{延 /*lan/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BB%B6

会意文字です(廴+正)。「十字路の左半分を取り出しさらにそれをのばした」象形と「国や村の象形と立ち止まる足の象形」(「まっすぐ進む」の意味)から、道がまっすぐ「のびる」を意味する「延」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1012.html

と、構成を異にするが、

形声。意符㢟(てん)(原形は𢓊。ゆく、うつる)と、音符𠂆(エイ)→(エン)とから成る。遠くまで歩く、ひいて、「のびる」意を表す(角川新字源)、

と形声文字とする説もある。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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