放(はな)り


葦屋(あしのや)の菟原娘子(うなゐをとめ)の八年子(やとせこ)の片生(かたお)ひの時ゆ小放(をばな)りに髪たくまでに並び居る家にも見えず(高橋虫麻呂)

の、

八年子(やとせこ)、

は、

八歳ぐらいのまだ幼い時から、

片生ひ、

は、

半端な成長、

の意(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

小放(をばな)り、

の、

小、

は接頭語、

放り、

は、

娘子(をとめ)らが放(はな)りの髪を由布の山雲なたなびき家のあたり見む(万葉集)、

と、

少女の結ばないで垂らしておく髪、

また、そういう

少女、

をいう(広辞苑)。

はなりの髪、
ふりわけ髪(がみ)、
うない、
うないはなり、

ともいう(仝上・精選版日本国語大辞典)。

丱女(かんじょ)

みずら

で触れたことだが、

うなゐ(うない)、

は、

髫、
髫髪、

とあて、

古の俗、年少児の年、十五六の間は束髪於額(ひさごはな)す。十七八の間は、分けて、総角(あげまき)にす(書紀)、

と、

髫髪(うなゐ)にしていた童子の髪を十三、四を過ぎてから、両分し、頭上の左右にあげて巻き、輪を作ったもの、はなりとも(岩波古語辞典)、

とも、

髪を中央から左右に分け、両耳の上に巻いて輪をつくり、角のように突き出したもの。成人男子の「みづら」と似ているが、「みづら」は耳のあたりに垂らしたもの、

ともある(精選版日本国語大辞典)、

束髪於額(ひさごはな)、

にする前の髪型を、

うなゐ(髫髪)、

という。これは、

7、8歳の童児の髪をうなじのあたりで結んで垂らしたもの、

また、女児の髪を襟首のあたりで切り下げておくもの、

で(デジタル大辞泉)、

うないがみ(髫髪)、

ともいい、

ウナは項(うなじ)、ヰは率(ゐ)、髪がうなじにまとめられている意で、子供の髪を垂らしてうなじにまとめた形。また、その髪形をする十二、三歳までの子供。その先、年齢がいくと、髪を神をあげて、「はなり」「あげまき」にした(岩波古語辞典)、
「項居(うない)」の意か(デジタル大辞泉)
「うな」は「項」、「ゐ」は「居」の意か(精選版日本国語大辞典)、
項集(うなゐ)の義(大言海)、古へ、男女兒、生まれて二歳までは、髪を鋏みおく、三四歳、髪置(かみおき)す。是れ、被髪(わらは)、童丱(かぶろ)なり、七八歳、髪の中の毛を項(うなじ)に束ぬ、是れ、うなゐなり、女兒は其外の毛を垂れおきて、肩にて切る、これをうなゐ放(ばなり)、又はなりとのみも云ふ(大言海)、

等々とあり、和名類聚抄(931~38年)に、

髫髪、和名宇奈為(うなゐ)、俗用垂髪二字。謂之童子垂髪也、

新撰字鏡(平安前期)に、

髧、髪至肩垂皃、宇奈井(うなゐ)、

新字鏡(平安後期頃)に、

髫、女佐之(めさし)

類聚名義抄(11~12世紀)に、

髫、モトトリ・メサシ、

とある。

うなゐ、

の後にする髪形、

束髪於額(ひさごはな)、

は、

厩戸皇子、束髪於額(ヒサコハナ)して(書紀)、

とあり、辞書には載らず、はっきりしないが、

ヒサゴバナ(瓠花・瓢花)、

の項に、

上代の一五、六歳の少年の髪型の一つ。瓠の花の形にかたどって、額で束ねたもの、

とある(日本国語大辞典)。ただ、

ひさご花は後世に伝わっていない、

という(文政二年(1819)「北辺随筆」)。

うなゐ、

と同義の、

はなり(放)、

は、上述のように、

うなゐ髪、

ともいい、

7、8歳の童児の髪をうなじのあたりで結んで垂らしたもの、

また、

女児の髪を襟首のあたりで切り下げておくもの,

とある(デジタル大辞泉)が、

少女が肩までつくように垂らしていた「うなゐ」の髪を、肩から離れる程度にあげること、

また、

その少女、

ともある(岩波古語辞典)が、

うなゐばなり(髫髪放)の略、

として、

七八歳、髪の中の毛を項(うなじ)に束ぬ、是れ、うなゐなり、女兒は其外の毛を垂れおきて、肩にて切る、これをうなゐ放(ばなり)、又はなりとのみも云ふ、

とする(大言海)ので、

うなゐ→うなゐばなり(はなり)、

と、微妙に変化しているというのが正確なのだろう。

はなちがみ、
ふりわけがみ、

ともいう(仝上)のは、その意味だろう。

橘の寺の長屋に我(わ)が率寝(ゐね)し童女(うなゐ)放髪(はなり)は髪上げつらむか(万葉集)

では、

童女(うなゐ)、

は、

八歳くらいの童女の髪、首筋で切りそろえる、

とし、

放髪(はなり)、

は、

十四五歳までの女のおさげ髪、

とし、

あの童女というか放髪というか、あのおぼこ娘は、もう一人前に髪を結いあげているだろう、

と訳し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、両者の区別をつけていない。どちらかというと、

童女(うなゐ)、

は、

少女、

放髪(はなり)、

は、その、

髪形、

ということになる。

「放」.gif


「放」(ホウ)の異体字は、

抛(の代用字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%94%BE。字源は、

会意兼形声。方は、両側に柄の伸びたすきを描いた象形文字。放は「攴(動詞の記号)+音符方」で、両側に伸ばすこと。緊張や束縛を解いて、上下左右に自由に伸ばすこと、

とある(漢字源)。同じく、

会意兼形声文字です(方+攵(攴))。「柄のある農具:すき」の象形(「左右に広がる」の意味)と竹や木の枝を手にする象形(「強制する、わける」の意味)から左右に「広げる」、「はなす」を意味する「放」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji539.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、

かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、誤った分析であるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%94%BE

とあり、他は、

形声。「攴」(動作を表す)+音符「方 /*PANG/」。「はなつ」を意味する漢語{放 /*pangs/}を表す字(仝上)、

形声。攴と、音符方(ハウ)とから成る。人を追いはらう意を表す(角川新字源)、

と、形声文字とするもの、

会意。方+攴(ぼく)。方は架屍の形。これを殴(う)って邪霊を放逐する共感呪術的な呪儀。〔説文〕四下に「逐ふなり」と訓し、方(ほう)声とするが、方は殴撃を加える対象物である。その架屍に頭部の形を加えたものは敫(きよう)で、徼の初文。巫女を殴つものは微、長髪の人を殴つものは徴・傲。邪霊を微(な)くし、徼(もと)めるところを徴するもので、敵に傲る相似た呪法をいう。みな古代祭梟(さいきよう)(首祭)の俗を示す字である(字通)、

と、会意文字とするものに分かれる。

「髫」.gif

(「髫」 https://kakijun.jp/page/E99A200.htmlより)

「髫」(漢音チョウ、呉音ジョウ)
は、

会意兼形声。「髟(かみの毛)+音符召(曲線をなす)」で、曲線を描く垂れ髪、

とある(漢字源)が、他は、

形声。「髟」+音符「召 /*TEW/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AB%AB

形声。声符は召(しょう)。召に迢・超(ちょう)の声がある。〔説文新附〕九上に「小兒の垂るる結(かみ 髪)なり」とあり、幼年のときを垂髫、乳歯のおちる時期を髫(ちようしん)という(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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