くたす
春されば卯の花ぐたし我(わ)が越えし妹が垣間(かきま)は荒れにけるかも(万葉集)
の、
くたす、
は、
腐らせる、
意、ここでは、
踏みにじること、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
卯花ぐたし、
は、
うつぎの花をだいなしにして、
の意で、
卯の花を傷めて、
と訳す(仝上)。
垣間、
は、
うつぎの生け垣の隙間、
の意(仝上)。
うのはなくたす、
は、
卯花腐す、
とあて、
卯の花を腐らす、
卯の花を散らす、
また、
卯の花をいためる、
意とする(精選版日本国語大辞典)。
くたす、
は、
さ/し/す/す/せ/せ、
の、他動詞サ行四段活用で、後世、
くだす、
とも訓ませ(精選版日本国語大辞典)、
腐す、
朽たす、
とあて(岩波古語辞典)、類聚名義抄(11~12世紀)に、
腐、クツ
朽、クチツタ・クチモノ・クサシ。
字鏡(平安後期頃)に、
朽、クツ・タツ・クサシ・クチモノ、
とあり、
くつ(朽)の他動詞形(岩波古語辞典)、
くたる(腐る)の他動詞形。至る、致す。濁る、にごす(「くたす」の)クタは、腐るの語根、朽つ、朽ちと通ず、……多く熟語に用ゐらる。音を転じて、クチャ。塵芥(くた アクタ、ゴミクタ)、腐鶏(くたかけ)、鼻くた、皺くた(しわクチャ)、襤褸くた、揉(もみ)くた(もみクチャ)、一處くた、端(は)ぐた、がらくた、めたクタ(メチャクチャ)、クタびる(草臥)、くたくた(大言海)、
とあり、冒頭の歌のように、
損ずる、
意や、
富人(とみひと)の家の子どもの着る身無み久多志(クタシ)棄つらむ絹綿(きぬわた)らはも(万葉集)、
と、
朽ちさせる、
くさらせる、
意のほか、のちに、
心のうちにくたして過ぎぬべかりけるを(源氏物語)、
と、
(感情や意志を)そこなう、
はたらきのないようにする、
心の中に秘めておし殺す、
意や、
心にくくもてなして止みなむと思へりし事をくたしいてける(源氏物語)
と、
だいなしにする、
意、
あなかしこ。過ち引き出(い)づななどのたまふに、くたされてなむ煩はしがりける(源氏物語)、
と、
無にする、
やる気をなくさせる、気勢をそぐ、
といった、感情面の状態表現から、
此等の人、後の世の歌人をくたしたるなるべし(ささめごと(1463~64頃)」)、
と、
わるくいう、
非難する、
けなす、
くさす、
意や、
兵衛の大君の心高さは、げに捨て難けれど、在五中将の名をば、えくたさじ(源氏物語)、
と、
(多く「名を腐す」の形で)評判などを落とす、けがす、
という、価値表現の意へとシフトしていく(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典・記学研全訳古語辞典)。この、
くたす、
は、後に、
タ行音(t)→サ行音(s)間の子音交替、
で、
くたす(腐)→くさす(貶す)、
に変化していく(日本語の語源)。
くさす、
は、
腐す、
貶す、
とあて(広辞苑・大言海)、
おかんさんの、くさすも久しいもんだ(洒落本「辰巳之園(1770)」)、
と、
(悪意をもって)わるく言う、批評する、
けなす、
意のほか、日葡辞書(1603~04)に、
キヲ cusasu(クサス)、
とあるように、
気を腐(クサラ)したってはじまらねへ事だ(滑稽本「世風呂(1809~13)」)、
と、
不愉快にさせる、
いやにさせる、
意で使う(精選版日本国語大辞典)。なお、
くたす、
は、日葡辞書(1603~04)に、
Nicutaxi、su、aita(ニクタス)、
とあるように、
煮腐す(にくたす)、
と、
形が崩れるまで煮る、
煮すぎて、物をだめにする、
にくさす、
意で使う(精選版日本国語大辞典)。また、
世の常のあだ事の、ひき繕(つくろ)ひ飾れるにおされて、業平が名をやくたすべきと(源氏物語)、
と、
名声や評判を落とす、
面目を失う、
名を汚(けが)す、
名を沈む、
名をはずかしむ。
意で、上述したように、
名を腐す(なをくたす・なをくだす)、
とか、
上達部(かむだちめ)になりぬべき君なめれば、つれなくいひくたしたるなめりかし(宇津保物語)、
と、
価値のないものとして侮り見下して言う、
けなす、
言いくさす、
意で、
言いくたす(腐)、
という言い方もある(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。
「腐」(漢音フ、呉音ブ)は、
会意兼形声。府は、びっしりくっつけて物をしまいこむ倉。腐は「肉+音符府」で、組織がくずれてべったりとくっついた肉、
とある(漢字源)。同じく、
会意兼形声文字です(府+肉)。「屋根の象形と横から見た人の象形と右手の手首に親指をあて脈をはかる象形」(「重要な書類を寄せてしまっておく、倉」の意味)と「切った肉」の象形(「肉」の意味)から、倉にしまいこまれた肉を意味し、そこから、「くさる」を意味する「腐」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1437.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、誤った分析である、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%85%90)、
形声。「肉」+音符「府 /*PO/」。「くさる」を意味する漢語{腐 /*b(r)oʔ/}を表す字(仝上)、
形声。肉と、音符府(フ)とから成る。肉がただれて「くさる」意を表す(角川新字源)、
形声。声符は府(ふ)。〔説文〕四下に「爛(らん)なり」とあり、肉の腐爛することをいう。府はおそらく臓腑の腑の声義をとるもので、腐敗しやすい部分である。すべて腐敗・腐朽する意に用いる(字通)、
と、形声文字としている。
「朽」(漢音キュウ、呉音ク)の異体字は、
㱙、杩、𢩨、𣎸、𣦿、𣧁、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%BD)。字源は、
会意兼形声。丂(コウ)は、伸びようとするものがつかえて曲がったことをあらわす。朽は「木+音符丂」で、くさって曲がった木、
とある(漢字源)。同じく、
会意兼形声文字です(木+丂)。「大地を覆う木」の象形と「曲がった彫刻刀」の象形(「曲がる」の意味)から、「くさって曲がった木」を意味する「朽」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1176.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、
形声。「木」+音符「丂」(「考」の略体)(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%BD)、
形声。木と、音符丂(カウ)→(キウ)とから成る。木がくさってにおう意を表す(角川新字源)、
形声。声符は丂(こう)。〔説文〕四下に㱙を正字とし、「腐るなり」と訓し、朽を別体の字とする。〔列子、湯問〕に「其の肉を㱙ちしめて棄て、然る後に其の骨を埋む」というのは、屍体の風化を待って葬る複葬の法をいう。丂は曲刀の形。木に斧斤を加えて、そのあとの腐朽することをいい、それを屍に及ぼして㱙という(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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