朝(あさ)な朝(さ)な


隠(こも)りのみ恋ふれば苦しなでしこの花に咲き出(で)よ朝(あさ)な朝(さ)な見む(万葉集)

の、

朝(あさ)な朝(さ)な、

は、

朝ごとに、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

朝(あさ)な朝(さ)な、

は、

野辺ちかく家居(いへゐ)しせれば鶯の鳴くなるこゑはあさなあさなきく(古今和歌集)、

と使う、

あさなあさな(朝朝)」の変化した語(精選版日本国語大辞典)、
アサナアサナの約(岩波古語辞典)、

とあり、

朝(あさ)な朝(あさ)な、

の、

ナの意味は不明、

とある(精選版日本国語大辞典)が、

朝閒朝閒(あさのまあさのま)の約(呉(くれ)の藍(あい)、くれなゐ。此方(このかた)、こなた)、夜な夜なと云ふも、夜閒夜閒(よのまよのま)の約、アサナサナと云ふは、中閒のアが、上のナの韻に合するなり、

とあり(大言海)、

は、

朝ごとに、
毎朝。

意(仝上・岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、多く、約めて、

うら恋(こひ)し我(わ)が背の君はなでしこが花にもがもな安佐奈佐奈(アサナサナ)見む(万葉集)、

と、

あさなさな、

で用いる(大言海)。なお、

朝朝、

を、

あさあさ、

と訓ませても、

朝々の蚊にさも似たり市の声(俳諧「俳諧古選(1763)」)、

と、

あさなあさな、

と同義の、

毎朝、
朝ごと、

の意になる(精選版日本国語大辞典)。

朝(あさ)な、

だと、

「な」は接尾語、

として、

あさなは、朝にあたりての心となる歟(「名語記(1275)」)、

と、

朝、

の意になる(精選版日本国語大辞典)。ところで、



は、

朝まだき

で触れたように、古代、夜の時間は、

ユウベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタ、

という区分をし、昼の時間帯は、

アサ→ヒル→ユウ、

と区分した(岩波古語辞典)。「アサ」は、

夜の対ではなく、

ヨイ(宵)・ユウ(夕)の対になる(仝上)、なお、



については触れた。時間帯としては、昼の時間帯の「アサ」は、夜の時間帯の、

アシタ(明日・朝)、

と同じになるが、

アシタ、

は、

あした

で触れたように、

「夜が明けて」という気持ちが常についている点でアサと相違する。夜が中心であるから、夜中に何か事があっての明けの朝という意に多く使う。従ってアルクアシタ(翌朝)ということが多く、そこから中世以後に、アシタは明日の意味へと変化しはじめた、

とあり(仝上)、

アクルアシタ(明くる朝)→アシタ(翌朝)→アシタ(明日)、

と転化していった(日本語の語源・日本語源広辞典)ので、時間帯は同じだが、

夜が明けた朝、
と、
昼を前にした朝、

とは含意が異なったと思われる。しかし、

アサ、

は、

アシタ(明日・朝)の約、

と、「アシタ」由来とみなされる。

〈あが面(オモ)の忘れんシダ(時)は〉(万葉)とあるが、夜明けの時のことをアケシダ(明け時)といった。「ケ」を落としてアシタ(朝)になった。さらにシタ[s(it)a]が縮約されてアサ(朝)になった、

とあり(日本語の語源)、

アクルアシタ(明くる朝)→アシタ(翌朝)→アサ(朝)、

と転化したことになる(日本語源広辞典)。

アサには「明るい時間帯の始まり」の意識が強い(「朝まだき」「朝け」)のに対し、アシタには「暗い時間帯の終わり」に重点があった。そのため、前夜の出来事を受けて、その「翌朝」の意味で用いられることが多く、やがて、ある日から見た「翌日」、後には今日から見た「明日」の意に固定されていく。この意味変化と呼応しつつ、アサが専ら「朝」を指す単独語となり、ユフベが「昨夜」を示すようになった、

とあり(精選版日本国語大辞典)、古代にあっては、アサは、

夜の終わりの時間をさす「あした」とほぼ同じ意味であるが、単独で使われることは少なく、他の語と複合して使われることが多かった。また、「朝さる・朝漕ぐ・朝立つ」など助詞を介さず動詞と直結する例が多い。夕、宵、夜に対応し、「あかとき」とも時間的に重なることがあるらしい。日の照る時間は「昼」で別のものであったが、のち「あさ」のさす時間帯もだんだん広がって、あるときは、一昼夜を暁、明、朝、昼、夕、暮、宵、夜に分けて辰の時(おおよそ午前七~九時)をさすといわれたり、また、広く夜が明けてから正午までの午前中の時間をさして使われることもある、

ともあり(精選版日本国語大辞典)、

アサが「朝日・朝霧・朝夕」など複合語の前項として多く用いられ、平安時代以前には単独語の用例がまれだったのに対し、アシタは単独語としての使用が普通で、複合語としては「朝所」(あしたどころ)くらいであるという違いがあった、

ともある(仝上)。なお、上述の、

シダ、

は、

とき、

の意で、今日、

行きしな、
帰りしな、

と使う、

しな、

の古語である(岩波古語辞典・大言海)。「しな」については、

しな、すがり、すがら

で触れた。

朝も昼も、
いつも、

の意の、

あさなけに

日増しに、
日がたつにつれて、
一日一日と、
毎日毎日、

の意の、

日に異(け)に

あさごとに、
毎朝、

の意の、

朝さらず

日毎に、
毎日、

の意の、

日に日(け)に、日に日(け)に、

は、

日に異(け)に

で、それぞれ触れた。

「朝」.gif


「朝」(①漢音・呉音チョウ、②漢音チョウ、呉音ジョウ)は、「朝月夜」で触れたように、

会意→形声。もと「艸+日+水」の会意文字で、草の間から太陽がのぼり、潮がみちてくる時をしめす。のち「幹(はたが上るように日がのぼる)+音符舟」からなる形声文字となり、東方から太陽の抜け出るあさ、

とある(漢字源)。①は、「太陽の出てくるとき」の意の「あさ」に、②は「来朝」のように、「宮中に参内して、天子や身分の高い人のおめにかかる」意の時の音となる(仝上)。同趣旨で、

形声。意符倝(かん 日がのぼるさま。𠦝は省略形)と、音符舟(シウ)→(テウ)(は変わった形)とから成る。日の出時、早朝の意を表す、

とも(角川新字源)、

会意文字です。「草原に上がる太陽(日)」の象形から「あさ」を意味する「朝」という漢字が成り立ちました。潮流が岸に至る象形は後で付された物です、

ともhttps://okjiten.jp/kanji152.html

会意。艸(そう)+日+月。艸は上下に分書、その艸間に日があらわれ、右になお月影の残るさまで、早朝の意。〔説文〕に字を倝(かん)部七上に収め、「旦なり。倝(旗)に從ひ、舟(しう)聲」とするのは、篆文の字形によって説くもので、字の初形でない。金文には右に水に従う形が多く、潮の干満、すなわち潮汐(ちようせき)による字形があり、その水の形が、のち舟と誤られたものであろう。左も倝の形ではなく、倝は旗竿に旗印や吹き流しをそえた形で、朝とは関係がない。殷には朝日の礼があり、そのとき重要な政務を決したので、朝政といい、そのところを朝廷という。朝は朝夕の意のほかに、政務に関する語として用いる。暮の初文である莫(ぼ)も、上下の艸間に日の沈む形である、

とも(字通)あるが、

「朝」には今日伝わっている文字とは別に、甲骨文字にも便宜的に「朝」と隷定される文字が存在する、

としてhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%9D

会意文字。「艸」(草)+「日」(太陽)+「月」から構成され、月がまだ出ている間に太陽が昇る明け方の様子を象る。「あさ」を意味する漢語{朝 /*traw/}を表す字。この文字は西周の時代に使われなくなり、後世には伝わっていない、

とは別に、

形声。「川」(または「水」)+音符「𠦝 /*TAW/」。「しお」を意味する漢語{潮 /*draw/}を表す字。のち仮借して「あさ」を意味する漢語{朝 /*traw/}に用いる。今日使われている「朝」という漢字はこちらに由来する、

とし、

『説文解字』では「倝」+音符「舟」と説明されているが、これは誤った分析である。金文の形を見ればわかるように、「倝」とも「舟」とも関係が無い、

とある(仝上)。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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