いなのめ


相見(あひみ)らく飽き足(だ)らねどもいなのめの明けさりにけり舟出(ふなで)せむ妻(万葉集)

の、

相見らく、

は、

互いにいつまでも会っていても、

の意、

いなのめの、

の、

いなのめ、

は、

稲の目で、古代家屋の明り取りか、

とあり、

いなのめの、

で、

明けの枕詞、

とする(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

いなのめの、

は、枕詞として、

かかり方未詳(岩波古語辞典・広辞苑)、

ながら、

あけ(明)にかかる(広辞苑)、
「あけ」にかかる(岩波古語辞典)、
「夜が明く」の「明く」にかかる(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、

とされるが、その語源については、

未詳。一説に、「いなのめ」は「稲藁(いねわら)」を編んで壁とした住居の窓代わりの用とした、粗い編目のこととかいう、また、「寝(いな)の目」の意かともいう、「明け」にかかる(広辞苑)、
「いな」は「寝(いな)」に通じるので、「寝(いな)の目の開(あ)け」の意か(岩波古語辞典)、
語源およびかかり方については(イ)「いな(寝)のめ(目)」が朝方に開くから「(夜が)明く」にかかる。(ロ)「いなのめ」は「しののめ」(暁方の意)と同義であるところからとする。(ハ)「いな(稲)のめ(目)」(稲の穂の出始める意)を夜明けにたとえるところからとする。(ニ)「イナ(鯔)のめ(眼)」が赤いところから「赤」と同音の「明」にかかる。(ホ)採光、通風のために、稲藁を粗く編んだむしろのすきま(稲の目)から明け方の光がさし込むところから、など諸説ある(精選版日本国語大辞典)、
イナノメは、寝(いね)の目の転、アクにかかる。いねむしろ、いなむしろ(寝筵)。いねのほ、いなのほ(稲穂)の例(大言海)、

とあるが、

寝(いね)の目→寝(いな)の目、

なのではないか。

いなのめ、

は、枕詞の

いなのめの、

の、

「いなのめの明く」という言い方から転じて、

名詞として、

いなのめは岩のかけ橋ほのぼのとしばし休らへまほならずとも(夫木(ふぼく)集)〈、

と、

あけがた、
あけぼの
夜明け、
しののめ、

の意に使われる(大言海・広辞苑)。

稲、

については、

いね

で触れたように、

いね、

は、

稲(稻)、
禾、

と当て、

稲禾(とうか)、
禾稲(かとう)、

ともいう。

稲、

は、

日本国内に稲の祖先型野生種が存在した形跡はなく、揚子江中流地域において栽培作物として確立してから、栽培技術や食文化などと共に伝播したものと考えられている。日本列島への伝播については、幾つかの説があり、概ね以下のいずれかの経路によると考えられている。
江南地方(長江下流域)から九州北部への直接ルート、
江南地方(長江下流域)から朝鮮半島南西部を経由したルート、
南方の照葉樹林文化圏から黒潮にのってやってきた『海上の道』ルート、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8D、「稲」作は人とともに、伝播した。言葉は、そのとき伝わったとみていい。

イネ、

は、

古形イナの転(岩波古語辞典)、

とあり、稲わらとか稲垣、稲束、稲作、稲田、稲幹(いながら)、稲子(蝗)、稲扱(いなこぎ)、稲荷等々、複合語の中にのみ生き残っている(仝上)。『大言海』は、

イネ、

を、

飯根(いひね)の約、

とし、

飯根(いいね)の約。恆山(くさぎ)を鷺の以比禰と云ひ、白英(ひよどりじょうご)を鶫(つぐみ)の以比禰と云ふ、

としているが、ちょっと意味がくみ取れないが、

恆山(くさぎ)、

は、『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918年編纂)に、

恒山、和名久佐岐、一名宇久比須乃以比祢、

和名類聚抄(931~38年)に、

恒山、和名宇久比須乃以比禰、一云久佐木乃禰、

とあり、

いわゆる「くさぎ」のことを言っており、「ひよどりじょうご(鵯上戸)」は、

赤い実を鵯が好んで食べることから、ヒヨドリジョウゴの名前がついたとされる。実は真っ赤で美味しそうではあるが、不快な匂いがし、鳥にとっても美味しいものとは思えない。最初「ツグミ」の名前を付けていたが、後に、雑食性でなんでも食べる、鵯の名前を借りたのかもしれない。日本の古書『本草和名(ほんぞうわみょう)』には、漢名に「白英(はくえい)」、和名に「保呂之(ホロシ)」の名がある。その後「豆久美乃以比禰(つぐみのいいね)」ともよばれ、江戸時代に「ヒヨドリジョゴ」が定着した、

とありhttp://blog.goo.ne.jp/momono11/e/b7408ea9aa0296032a1d8add99cc78c2、「以比禰」が「飯根」の「いいね」とかさなるが、「以比禰」をもって、「いね」の語源「飯根」の傍証とする根拠が、浅学の自分には見えなかった。なにより、「いね」の古形が「いな」とするなら、これは傍証にもなっていないことになるのだが。他の語源説は、

イヌ(寝)の連用形による名詞がイネ(稻)に転用されたもの。稲藁を敷いて寝たことから(語源辞典・植物篇=吉田金彦)、
イヒネ(飯寝)の約(言元梯・和訓栞)、
イヒネ(飯米)の意(名言通)、
イノチノネ(命根)の略か(和句解・三省録・本朝辞源=宇田甘冥)、
イ(命のイ)+ネ(根・大切な物)と、生命の根となる作物(日本語源広辞典)、
イキネ(生根)から(本朝辞源=宇田甘冥)、
イキネ(息根)の約(日本声母伝・古語類韻=堀秀成)、
イツクシナヘ(美苗)の約(日本釈名・滑稽雑誌所引和訓義解)、
イは発語、イヅル(出)の意、ネはタネ(種)のネ(東雅・言葉の根しらべ=鈴木潔子)、
イヒノメ(飯芽)の義(日本語原学=林甕臣)、
秧の別音inが変化したもの(日本語原考=与謝野寛)、

とあるが、どれも語呂合わせに近い。それを捨てていくと、

イナ→イネ(岩波古語辞典)

なのか、

イヒネ→イネ(大言海)、

になるが、いずれなのかは、語源説がかかわるのだが、いずれとも決めがたい。なお、

イネの実、

である、

こめ、

については、

こめ

よね

で触れた。

「稲」.gif

(「稲」 https://kakijun.jp/page/1474200.htmlより)

「稲」(漢音トウ、呉音ドウ)の異体字、

は、

稻(旧字体)、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A8%B2

「稻」の行書体に由来する略体(「臼」→「旧」の類推)、

とある(仝上)。

「稲(稻)」.gif


「稻」(漢音トウ、呉音ドウ)の、異体字は、

槄(俗字)、稲(新字体)、𰨛(二簡字)、𰨬(俗字)、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A8%BB、字源は、

会意兼形声。「禾(いね)+音符舀(ヨウ・トウ 臼の中でこねる)」、

とある(漢字源)。同じく、

会意兼形声文字です(禾+舀)。「穂先が茎の先端にたれかかる穀物」の象形と「手を上からかぶせて下にあるものをつまみ持つ」象形と「木・石をうがって(掘って)作るうす」の象形から、うすから取り出す穀物を意味し、そこから、「いね」を意味する「稲」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji306.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、

かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、

と否定しhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A8%BB、他は、

形声。「禾」+音符「舀 /*LU/」。「いね」を意味する漢語{稻 /*luuʔ/}を表す字(仝上)、

旧字は、形声。禾と、音符舀(エウ)→(タウ)とから成る。いねの総称。常用漢字は省略形の俗字による(角川新字源)、

形声。旧字は稻に作り、舀(よう)声。舀に滔・慆(とう)の声がある。舀は臼の中に手を入れている形。〔説文〕七上に「稌(もちいね)なり」とあり、粘りのあるものを稲、ないものを秔(こう)、総称して稲という。金文の簠(ほ)の銘文に「用て稻粱を盛(い)る」というのが常語で、簠にいれて神饌とした。〔礼記、曲礼下〕に「稻を嘉蔬(かそ)と曰ふ」とあり、神饌としての名である(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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