よしゑやし


よしゑやし直(ただ)ならずともぬえ鳥のうら泣き居(を)りと告げむ子もがも(万葉集)

の、

よしゑやし直にならずとも、

は、

たとえ直に逢えなくても、

と訳し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

告げむ子もがも、

は、

告げられる子が近くにいてくれてらよいのに、

と訳す(仝上)。

ぬえどりの(鵼鳥の)、

は、鵼の鳴き声が悲しげに聞こえるところから、枕詞として、

うら歎(泣 な)く(忍び泣く)、
のどよふ(か細い声を出す)、
片恋ひ、

にかかる(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)。なお、

もがも

は、

終助詞「もが」にさらに終助詞「も」を添えた語、主に奈良時代にもちいられ、平安時代には「もがな」に代わった、

とあり(広辞苑・デジタル大辞泉)、

体言、形容詞の連用形、副詞などの連用部分につき、その受ける語句が話し手の願望の対象であることを表す、

とし、その

事柄の存在・実現を願う、

意を表し、

……があるといいなあ、
……であるといいなあ、

の意で使う(仝上・デジタル大辞泉)。発生的には、

「もが」に「も」が下接したものであるが、「万葉集」で「毛欲得」「母欲得」「毛冀」などと表記されている例もある、

とされ、上代にすでに、

も‐がも、

という分析意識があった(精選版日本国語大辞典)としている。

都へに行かむ船もが刈り薦(こも)の乱れて思ふ言告げやらむ(万葉集)、
あしひきの山はなくもが月見れば同じき里を心隔てつ(万葉集)、

と、奈良時代に使われた、

もが、

は、

係助詞「も」に終助詞「か」がついた「もか」の転(広辞苑・デジタル大辞泉)、
係助詞「も」に終助詞「が」の付いたもの(精選版日本国語大辞典)、

である(広辞苑・精選版日本国語大辞典)が、

名詞、形容詞および助動詞「なり」の連用形、副詞、助詞に付く。上の事柄の存在・実現を願う意を表す(デジタル大辞泉)、
文末において、体言・副詞・形容詞および助動詞「なり」の連用形、副助詞「さへ」などを受けて、願望を表わす(精選版日本国語大辞典)、
体言・形容詞連用形・副詞および助詞「に」を承け、得たい、そうありたいと思う気持ちを表す(岩波古語辞典)、

等々とあり、

……があればいいなあ、
……であってほしいなあ、
……でありたい、
……がほしい、

といった意味で使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

もが、

をさらに強調して、

もが・も、

といったことになる。

よしゑやし、

は、同じ万葉集でも、

よしゑやし恋ひじとすれど秋風の寒く吹く夜(よ)は君をしぞ思ふ(萬葉集)

では、

よしままよ、

と訳し、また、

暁(あかとき)と鶏(かけ)は鳴くなりよしゑやしひとり寝(ね)る夜(よ)は明けば明けぬとも(万葉集)

では、

ええいなんとでもなれ、

と訳し、

里人(さとびと)も語り継ぐがねよしゑやし恋ひても死なむ誰(た)が名ならめや(万葉集)

では、

えい、ままよ、

と訳し(仝上)、

よしゑやし恋ひじとすれど秋風の寒く吹く夜(よ)は君をしぞ思ふ(萬葉集)

でも、

えいままよ、

の意で、

もう恋い焦がれたりなんかするものか、

と訳す(仝上)。

よしゑやし、

は、

縦やし、

とあて、その、

ヤシは間投助詞(岩波古語辞典)、
「や」も「し」も間投詞、「よし」「よしゑ」を強めたもの(広辞苑)、
エヤは歎辞、シは助詞(大言海)
副詞「よしゑ」+間投助詞「や」「し」から(デジタル大辞泉)、
副詞「よしえ」に助詞「や」「し」の付いてできたもの(精選版日本国語大辞典)、

で、

縦(よし)や然(さ)はあれ、

で、冒頭のように、

逆接の仮定条件を表わす語、

として、

たとえ、……でも、
たといどうなろうとも、
よしんば、……でも、
万一……でも、

の意で(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、略して、

しゑや

とする(大言海)が、転じて、上述の歌の大半のように、

里人(さとびと)も語り継ぐがねよしゑやし恋ひても死なむ誰(た)が名ならめや(万葉集)、

と、

ある事態をやむをえないと容認するさまを表わす語、

として、

まあいいさ、
えいままよ、
どうなってもかまわない、

の意で使う(仝上)。

たとえ……でも(仕方ない)→たといどうなろうとも→まあいいさ→ええままよ、

といった、意味の外延の拡大、転化だろうか。なお、

しゑや

は、

断念・放任・決意を表現するときに発する掛け声、

として、

口惜し屋と云ふ意(大言海)、

で、

ままよ、
ええい、
ええいままよ、

として使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・広辞苑)。

よしゑやし、

の、「や」「し」をとった、

よしゑ、

も、

縦しゑ、

とあて(仝上)、

ヨシは許容・容認する意、ヱは、間投助詞(岩波古語辞典)、
ゑは間投助詞(広辞苑)、
副詞「よし」に間投助詞「ゑ」が付いて一語化した上代語(学研全訳古語辞典)、
副詞「よし」に、助詞「え」の付いてできたもの(精選版日本国語大辞典)、
放任、許容を示す副詞、ヱは間投助詞(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

とあり、

たらちねの母に知らえず我(わ)が持てる心は吉恵(よしヱ)君がまにまに(万葉集)、

と、

十分満足する状態ではないことを承知のうえで、とにかく、決断を下すさま、

で、

たといどうなろうとも、
まあいいさ、
えいままよ、
ええよろしい、

の意である(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。

よしゑやし、

に似たものに、

流れてはいもせの山の中におつる吉野の河のよしや世の中(古今和歌集)、

という、

よしや、

がある。これも、

縦しや、

とあて(仝上・岩波古語辞典)、

ヨシは許容・容認する意。ヤは間投助詞(岩波古語辞典)、
副詞「よし」に助詞「や」の付いてできたもの(精選版日本国語大辞典)、
「や」は間投助詞(広辞苑)
縦(よし)に感動詞のヤを添えたるもの(是非もなしの意)(大言海)、
副詞「よし」+間投助詞「や」から(デジタル大辞泉)、

とあり、

よしゑやし、

と似た用法で、上述の、

流れてはいもせの山の中におつる吉野の河のよしや世の中(古今和歌集)、

と、

不満足ではあるが、やむをえないと考えて、放任・許容するさま、

の意で、

まあいい、
(どうなろうとも)ままよ、
仕方がない、

の意の他に、

吉野川よしや人こそつらからめはやく言ひてし言(こと)は忘れじ(古今和歌集)、

と、

逆接の仮定条件を表わす語、

として、

もし、
かりに、
たとい、
万一、
よしんば、

の意で使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)が、前掲の、

よしや人こそつらからめ、

を、

たとえあの人がつれなくても、まあ仕方ないけれど、

と訳しており(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、

よしんば→(どうなろうとも)ままよ、→仕方がない、

と、意味はほぼ重なってしまっているように見える。なお、

やし、

は、

はしきやし栄えし君のいましせば昨日(きのふ)も今日(けふ)も我(わ)を召(め)さましを(万葉集)、

と、

間投助詞「や」+間投助詞「し」から。上代語。形容詞の連体形や助詞などに付いて文節末に置かれる。語勢を強め、感動の意を表すが、「はしきやし」「はしけやし」「よしゑやし」などの限られた言い方で用いる。(デジタル大辞泉)
間投助詞「や」に副助詞「し」がついたもの、感動を表し、また語調を整えるのに用いる語(広辞苑)
形容詞連体形または間投助詞に続き、調子を整える語「愛(は)しけやし」「よしゑやし」など(岩波古語辞典)、
間投助詞「や」+間投助詞「し」から。上代語》形容詞の連体形や助詞などに付いて文節末に置かれる。語勢を強め、感動の意を表す(精選版日本国語大辞典)、

などとあり、前掲の歌は、

はしきやし、

を、

ああ、お慕わしい、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。なお、

はしきやし

は、

愛しきやし、

と当て、

は(愛)しけやし、

は、

はしき予辞(ヨシ)我家の方ゆ雲居立ち来も(日本書紀)、
はしきよしかくのみからに慕ひ来(こ)し妹が心のすべもすべなさ(万葉集)、

と、

は(愛)しきよし、

ともいい、

間投助詞の「よ」「し」を重ねたもの。上代語》種々の語に付いて、文節末に置かれる。語勢を強め、感動の意を表す(デジタル大辞泉)、
間投助詞「よ」「し」の重なってできたもの ) 文節末に添えて詠嘆を表わす(精選版日本国語大辞典)、

とあるが、

形容詞「よし」から、仮に宜(よ)しと許す意(広辞苑)、
形容詞ヨシ(宜)の転用。他人の判断や行動を許容・容認し、また、自己の決意・断念を表現する語。下に、逆接仮定条件をあらわす「とも」を伴うことが少なくない(岩波古語辞典)、

とあるので、

よしゑやし、

や、

よしゑ、

の用法に、この、

よし、

の意味の翳が強いことがわかる。

よし、

は、

縦し、

とあて、

人は皆萩を秋と言ふよし我(わ)れは尾花が末(うれ)を秋とは言はむ(万葉集)、

と、

満足ではないが仕方なく、
ままよ、
かまいはしない、
それはともかく、

の意で(広辞苑・岩波古語辞典)、前掲の歌では、

なに、かまうものか、

と訳し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、さらに、

人はよし思ひ息(や)むとも玉葛(たまかづら)影に見えつつ忘らえぬかも(万葉集)

と、

たとえ……でも(かまわない)、

意でも使い(岩波古語辞典)、前掲の歌では、

人はよし思ひ息(や)むとも、

を、

他人はよしたとえ悲しみを忘れようとも(それはかまわぬ)、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。なお、

よし、

については、

よし・あし

で触れたが、

よし、

は、

宜し、

と当てるが、

宜し、

は、

よろし、

とも訓ませる。

よろし、

は、口語では、

よろしい、

だが、

よろし(宜し)、

は、

(ヨル(寄)の派生語であるヨラシの転)主観的に良しと評価される、そちらに寄りたくなる意(広辞苑)、
動詞「よる(寄)」からヨラシという形容詞が派生し、それがヨロシに変化したもので、その方へ近寄りたいというのが原義だという説が有力である(精選版日本国語大辞典)、
形容詞ヨラシの転、その方へなびき寄り近づきたい気持ちがする意。ヨシ(良)が積極的に良の判定を下しているのに対し、悪い感じではない、まあ適当、相当なものだ、一通りの水準に達しているの意(岩波古語辞典)、
エシの義(言元梯)、
ヨシの義、ロはやすめ字(日本釈名・国語本義)、
ヨキの語から(国語の語根とその分類=大島正健)、
ヨロヒシキ(備如)の義(名言通)、

等々とある。また、

よろし、

に転じたとされる、

みつみつし久米の子等(ら)が頭椎(くぶつつ)・伊斯都都(石椎 イシツツ)いもち今撃たば良らし(古事記)、

とある、

よらし(宜し・良らし)、

も、

動詞「寄る」の形容詞化。近寄りたくなるようなさま、が原義(デジタル大辞泉)、
(ヨラシは)ヨリ(寄)の形容詞形。側に寄りたい気持ちがするする意が原義。ヨリ(寄)・ヨラシの関係は、アサミ(浅)・アサマシ、サワギ(騒)・サワガシ、ユキ(行)・ユカシの類(岩波古語辞典)、

とされ、

好ましい、

意である(デジタル大辞泉)。なお、古代では、

「よし」が積極的な判定を下すのに対して、「よろし」は消極的で、「よし」よりも低い評価を表わす(精選版日本国語大辞典)、
ヨシ(良)が積極的に良の判定を下しているのに対し、悪い感じではない、まあ適当、相当なものだ、一通りの水準に達しているの意(岩波古語辞典)、

そして、中古には、

「よし・よろし・わろし(わるし)・あし」と四段階の評価があり、ヨシはヨロシよりも高い評価を表わしたといわれる。「日葡辞書」にヨシは「良い、非常によい」、ヨロシイは「良い、適当な(もの)」などと説明されており、中世も同様の傾向にあったと考えられる、

とある(精選版日本国語大辞典)。そういうところから考えると、こういうことだろうか、

よし、

は、

ある基準を超えている、

だから、積極的な価値表現になる。しかし、

よろし、

は、その基準線すれすれ、つまり、

まずまず、
あるいは、
普通、

という意味になる。だから、

笠(かさ)うち着、足ひき包み、よろしき姿したる者、ひたすらに家ごとに、乞ひありく(方丈記)、

と、

まずまずだ、
まあよい、
悪くない、

意や、

物みなは新(あら)たしきよしただしくも人は古(ふ)りにしよろしかるべし(万葉集)、

と、

好ましい、
満足できる、

意や、

湯浴(ゆあ)みなどせむとて、あたりのよろしき所におりて行く(土佐日記)、

と、

ふさわしい、
適当だ、

の意や、

事よろしきときこそ腰折れかかりたることも思ひ続けけれ(更級日記)、

と、

普通だ、
ありふれている、
たいしたことはない、

といった意になる(学研全訳古語辞典)。だから、

宜し、

を当てるが、

よろし、

には、

良し、
善し、
好し、
吉し、
佳し、

等々の字は当てない。こうみると、

よしゑやし、

の、

よし、

が、

よし・あし、

の、

よし、

ではなく、

よろし(宜)、

の含意の、

よし(宜)、

でなくては、

たとえ……でも(仕方ない)→たといどうなろうとも→まあいいさ→ええままよ、

という意味の変化にはならず、

よし、

だと、

物事の本性、状態などが好ましく、満足すべきさまであるの意。「あし」「わるし」に対していう。古くは「よろし」よりも高い評価を表わす。くだけた口語表現では終止形・連体形が「いい」の形をとる(精選版日本国語大辞典)、
「あし(悪)」「わろし(劣)」の対。吉凶・正邪・善悪・美醜・優劣などについて、一般的に、好感・満足をえる状態である意(岩波古語辞典)、

となるので、

良し、
善し、
好し、
吉し、
佳し、
宜し、

とあてるのだから、言ってみれば、

良いか悪いか、

なので、

たとえ、
とか、
まあいいか、
とか、

とはならず、

ええいままよ、、

とはならないだろう。たとえば、

雪寒(さむ)み咲きには咲かぬ梅の花よしこのころはかくてもあるがね(万葉集)、

の、

よし、

は、

まあ当分こうしているのがよかろう、

と訳し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

よろし、

の含意である。

「縦」.gif

(「縦」 https://kakijun.jp/page/1650200.htmlより)

「縦」(慣用ジュウ、漢音ショウ、呉音シュ)の異体字は、

縱(繁体字/正字)、纵(簡体字)、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B8%A6

「縱」の略体、

であるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B8%A6

「縦(縱)」.gif


「縱」(慣用ジュウ、漢音ショウ、呉音シュ)は、

会意兼形声。从(ジュウ)は、Aの人のあとにBの人が従うさまを示す会意文字。それに止(足)と彳印を加えたのが從(従)の字。縱は「糸+音符從(ジュウ)」で、糸がつぎつぎと連なって、細長くのびること。たてに長く縦隊をつくるから、たての意となり、縦隊はどこまでものびるので、のびほうだいの意となる、

とある(漢字源)。同じく、

会意兼形声文字です(糸+従)。「より糸」の象形(「たて糸」の意味)と「十字路の左半分の象形と立ち止まる足の象形と横から見た人の象形」(人の後に人が従うさまから「したがう」の意味)から、たてに人が従う事を意味し、そこから、「たて」を意味する「縦」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji924.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。「糸」+音符「從 /*TSONG/」。「ゆるめる」を意味する漢語{縱 /*tsongs/}を表す字。のち仮借して「たて」を意味する漢語{縱 /*tsong/}に用いるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B8%B1

旧字は、形声。糸と、音符從(シヨウ)とから成る。ゆるめる意を表す。借りて、「たて」の意に用いる。教育用漢字は省略形による(角川新字源)、

形声。声符は從(従)(じゆう)。從は二人相従う意。縦にならぶことをいう。〔説文〕十三上に「緩やかなり」というのは、縦糸をゆるやかに張る意であろう。また「一に曰く、舍(はな)つなり」と放縦の意とする(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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