祭りの跡
H・ルフェーヴル『パリ・コミューン』、リサガレー『パリ・コミューン』、大佛次郎『バリ燃ゆ』を読む。
確か、マルクスは、『ルイ・ボナパルトのブリュメールの十八日』で、
ヘーゲルはどこかでのべている。すべての世界史的な大事件や大人物はいわば二度あらわれるものだ、と。一度目は悲劇として、二度目は茶番として、と、かれは、つけくわえるのをわすれたのだ。
と述べていた。もっとも、チャップリンは、
人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ、
と言っているので、相対的なものでしかないが、一般には、一度目は、
1799年11月9日(共和暦8年霧月18日)、ナポレオン・ボナパルトのクーデター、
をいい、二度目は、その甥のルイ・ボナパルトの、
1851年12月2日のクーデター、
を指しているようだが、僕は、一度目を、
パリ・コミューン(1871)、
二度目を、そこから学んだ、
ロシア革命(1917)、
つまり、
10月革命、
世に言う、
ソビエト革命(ボリシェヴィキ革命)、
だと思っている。
パリ・コミューン、
を、
祭り、
と呼んだのは、ルフェーブルだが、こう言っている。
パリ・コミューンとは何か。それはまず巨大で雄大な祭りであった。フランス人民と人民一般の精髄であり象徴であるパリの人民が、自分自身に捧げ、かつ世界に示した一つり祭りであった。
と、そして、
コミューンとは何か。それはこの世紀と現代における最大の祭りであった。最も冷静な分析でさえ、蜂起した人々が単に政治的決定に関することにとどまらず、日常性の次元においても、自分たちの生活と歴史の主人公になろうとする感動と意欲をもったことをそこに見出す。われわれがマルクスの、「コミューンの最も偉大な社会的方策は、活動するコミューンの存在自体であった……。パリはすべて真実であり、ベルサイユはすべて虚偽であった」という言葉を理解するのは、この意味においてである。
と。また、こうも言っている。
現代の革命は、単に政治的変化から成るものではない。それは技術の上での可能性だけではなく、意識するか否かは別として、人間的可能性の開化に向う。それは日常の倦怠と単調から手を切る。それは「祭り」になろうとする。移行は同時に日常性から「祭り」への歩みである。コミューンにおいては、人民戦線(1936)およびパリ解放(1944)におけると同じく、祭りの部分があった。すなわち、人民の祭り、都市の祭り、喜びの爆発、想像力のある沸騰。現代革命の「ユートピア」的であると同時に「革新的」なこの側面は、強調するに値する。
と(『パリ・コミューン』)。しかし、そのつけは大きい、ベルサイユの、
政府軍との凄惨な市街戦により1万から1万5千人の兵士が死亡し、4万3、522人のコミューン支持者が捕虜となり、無差別殺人が発生して、老若男女を問わず多くの市民が殺傷され、パリ侵入から最終局面までに3万人にのぼる死者を出し、4万3、522人のコミューン支持者が捕虜となって、投獄、流刑となった、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%B3)。
祭り、
にしては、その代償は大きすぎる。
パリ・コミューン(Commune de Paris)、
とは、
パリ・コミューンの最中に、もともとあった、
共同体、
の意から、初めて、自ら、
パリ・コミューン、
を宣言したが、その意味は、普仏戦争(1870年7月19日~1871年5月10日)での籠城下、
民主的でもあり革命的性格の人民の政府、
の意で用いられ、その延長線上での用法で、市民は、
コミューン、
を、
人民政府、
と理解し、敵対するベルサイユ政府側も、その意味で使っていた(『パリ燃ゆ』)。
プログラムなく出発した(仝上)、
とされる、
パリ・コミューン、
は、
議論と私的衝突で時間を失っている(仝上)、
間に、ベルサイユの政府は、プロシャの捕虜となっていた将兵を取り戻すなど、着々と軍備を整え、
5月21日、
のパリ侵入から、
5月28日、
には、パリ市全域は鎮圧されるに至る。政府側の意図的な大量虐殺は、
未来に向かってコミューンが準備した新しい芽生え、
の完全な殲滅であり、それが政府側の意志でもあった。だからこそ、
降伏などせず、闘いながら死ぬこと、これこそがコミューンの偉大さを形成する、
という、コミューン側の意志と対応している。
しかし、このパリ・コミューンから学び、組織とプログラムを整えた、
ロシア革命、
は、結局、
スターリニズム、
しか生まず、今日の、
中国、
北朝鮮、
を見るまでもなく、見事に、
パリ・コミューン、
の真反対の政治政体になっている。これが、二度目は、
喜劇、
という所以である。そのせいか、いまや、
革命、
という言葉は、やたらと目にする、
〇〇革命、
などと、矮小化され、嘲笑の対象でしかない。だが、少なくとも、マルクスには、
貧困にあえぐ人々、
を救うにはどうすればいいかという処方箋を、『資本論』で示した。それが妥当かどうかは今はどうでもいい。真正面から、政治課題をどう解決するかに向き合ったことは確かである。。しかし、それ以降、シュムペーター)を除けば、ケインズをはじめとする、近経及び、現代経済學は、
経済運営、
にのみ関心はあるが、かつて以上に膨れ上がった、
貧富の拡大、
に対する処方箋を持たない。そもそもそれを経済学課題ととらえてもいない(ように見える)し、その象徴に、とんでもはっぷんの、
トランプ、
を支える経済学者がいる。確実に、世界は劣化している。
参考文献;
H・ルフェーヴル(河野健二・柴田朝子訳)『パリ・コミューン』(岩波書店)
リサガレー(喜安朗・長部重康訳)『パリ・コミューン』(現代思潮社)
K・マルクス(木下半治訳)『フランスの内乱』(岩波文庫)
K・マルクス(伊藤新一・北条元一訳)『ルイ・ボナパルトのブリュメールの十八日』(岩波文庫)
大佛次郎『パリ燃ゆ』(朝日新聞社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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