はも
秋萩の花野のすすき穂には出(い)でず我(あ)が恋ひわたる隠(こも)り妻はも(萬葉集)、
の、
上二句は「穂に出でず」を起こす、
とあり、
隠(こも)り妻、
は、
通ってくる男のあることを知られぬようにして閉じこもっている妻、
とあり、
我(あ)が恋ひわたる隠(こも)り妻はも、
を、
私が人知れず恋し続けている隠り妻は、ああ、
と訳し、
はも、
は、
ああ、
と訳している(伊藤博訳注『新版万葉集』)。また、
色に出(い)でて恋ひば人見て知りぬべし心のうちの隠(こも)り妻(づま)はも(万葉集)
では、
はも、
は、
眼前にないモノへの詠嘆、
とし、やはり、
心の奥に蔵(しま)ってあるあの隠り妻は、ああ、
と訳している(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
隠り妻、
は、
こもりづま、
と訓ませ、
人目をはばかって隠れている妻(精選版日本国語大辞典)、
人目を忍ぶ関係にある妻(岩波古語辞典・デジタル大辞泉)、
である。
はも、
は、
係助詞「は」+終助詞「も」(学研全訳古語辞典)、
係助詞「は」+係助詞「も」(デジタル大辞泉)、
係助詞「は」「も」の重なったもの。語源的には「は」「も」いずれも係助詞であるが、文中用法の場合「も」の方は間投機能、文末用法では二語とも間投機能を担っていると考えられる(精選版日本国語大辞典)、
係助詞のハとモとの複合したもの(岩波古語辞典)、
などとあり、冒頭のように、文末の体言につく場合、
(ハもモの)二語とも間投機能を担っていると考えられる(精選版日本国語大辞典)、
強い愛情や執心などをこめた詠嘆を表す(岩波古語辞典)、
主に奈良・平安時代の和歌にみられ、文末にあっては、「は」「も」を終助詞とする説もある(デジタル大辞泉)、
文末にあって詠嘆を表わす(精選版日本国語大辞典)、
文末に用いて、強い詠嘆の意を表す(学研全訳古語辞典)、
と、
……はどうしたろう、
……はどうなったろう、
……よ、ああ、
……は、まあ、
……だなあ、
等々といった意で使い(岩波古語辞典・学研全訳古語辞典)、文中での用法は、
早川(はやかは)の瀬に居(を)る鳥のよしをなみ思ひてありし我(あ)が子羽裳(はも)あはれ(万葉集)、
と、
上の語を取り立てて強める意を表す(学研全訳古語辞典)、
文中の連用語を受け、「は」は係助詞として受ける体言と述語用言との結合を強め、「も」は詠嘆を表わす(精選版日本国語大辞典)、
特に取り立てて提示しようとするそのものに、強い執着や深い感慨を持ち続けている場合に使う(岩波古語辞典)、
とあり、
……は、
……は、まあ、
といった意で使うが、文中用法は上代にも少なく、中古以降はほとんど見られなくなる(精選版日本国語大辞典)とある。また、文末の用法は和歌にみられるが、中古の例も含めて、ほとんどすべて体言を受け、それ以外は、、
家(いは)ろには葦火(あしふ)焚(た)けども住み良けを筑紫(つくし)に至りて恋(こふ)しけ思(も)波母(ハモ)、
の一例のみで、これは、
「恋しけもはも」ではなく「恋しく思はむ」の東国語形であるとの説もある(精選版日本国語大辞典)としている。
なお、万葉集の、
夕さればみ山を去らぬ布雲(にのぐも)のあぜか絶えむと言ひし子ろはも、
防人に立ちし朝明(あさけ)のかな門出(とで)に手離(たばな)れ惜しみ泣きし子らはも、
の、
はも、
は、万葉仮名で、
婆母、
とあり、
ばも、
とよみ、「はも」の上代方言とする説(日本古典文学大系=万葉集)もあり、伊藤博訳注『新版万葉集』でも、
夕さればみ山を去らぬ布雲(にのぐも)のあぜか絶えむと言ひし子ろばも、
防人に立ちし朝明(あさけ)のかな門出(とで)に手離(たばな)れ惜しみ泣きし子らばも、
としているが、
高光る我(わ)が日の御子(みこ)の万代(よろずよ)に國知らさまし島の宮はも、
で、
婆母、
としている例があるので、これも濁音と認めねばならぬか否か決め難い(精選版日本国語大辞典)としている。ちなみに、冒頭の歌は、
波母、
とあてている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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