八占(やうら)
百積(ももさか)の船隠(かく)り入る八占(やうら)さし母は問ふともその名は告(の)らじ(万葉集)
の、
百積(ももさか)の船、
は、
百石積の船、
をいい、
上二句は序、浦の意で、「八占」を起こす、
とあり、
八占、
は、
さまざまの占いを行う意か、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
やうら、
は、
弥占、
ともあて、
さまざまに占うこと、多くの占い(広辞苑)、
幾度も占うこと。さまざまに占ってみること(デジタル大辞泉)、
「や」は数の多いこと、幾度も占うこと。また、さまざまに占うこと。一説に、「や」は矢で、矢を用いてする占い(精選版日本国語大辞典)、
ヤはいや(彌)の義、いやが上にも占ふこと、あまたたび占ふこと(大言海)、
いろいろの占い(岩波古語辞典)。
などとあるが、
やうら、
に、
八、
と
彌(弥)、
を当てることには意味がある。
八つ当たり、
真っ赤な嘘、
八入(やしほ)、
などで触れたように、
や(八)、
は、
八つ、
の意だが、
ヨ(四)と母音交替による倍数関係をなす語。ヤ(彌)・イヤ(彌)と同根(岩波古語辞典)、
ヤ(弥)と同源(広辞苑)、
とあり、
「八」という数の意、
の他に、
八重(やえ)、
八岐(やまた)の大蛇(おろち)、
八雲、
など、名詞・助数詞の前に直接つけて用い、
無限の数量・程度を表す、
具体的な数ではなく数の多いことを表わす(精選版日本国語大辞典)、
とされる(精選版日本国語大辞典)。で、
もと、「大八洲(おほやしま)」「八岐大蛇(やまたのおろち)」などと使い、日本民族の神聖数であった、
とする(仝上)。なお、「彌」と同根とする説については、
此語彌(いや)の約と云ふ人あれど、十の七八と云ふ意にて、「七重の膝を八重に折る」「七浦」「七瀬」「五百代小田(いほしろをだ)」など、皆數多きを云ふ。八が彌ならば、是等の七、五百は、何の略とかせむ、
と、反対とする説がある(大言海)。その上、
副詞の「いや」(縮約形の「や」もある)と同源との説も近世には見られるが、荻生徂徠は「随筆・南留別志(なるべし)」において、「ふたつはひとつの音の転ぜるなり、むつはみつの転ぜるなり。やつはよつの転ぜるなる、
としている(日本語源大辞典)。
よ(四)の母音交替形としてその倍数を表わしたもの(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、
と、
ひとつ→ふたつ、
みつ→むつ、
よつ→やつ、
と、倍数と見るなら、語源を、
ヤ(彌)・イヤ(彌)と同根、
とするのには意味がなくなるのかもしれない。また、「七」との関係では、
古い伝承においては、好んで用いられる数(聖数)とそうでない数とがあり、日本神話、特に出雲系の神話では、「夜久毛(やくも)立つ出雲夜幣賀岐(ヤヘガキ)妻籠みに 夜幣賀岐作る 其の夜幣賀岐を」(古事記)の「夜(ヤ)」のように「八」がしきりに用いられる。また、五や七も用いられるが、六や九はほとんどみられない、
とあり(日本語源大辞典)、「聖数」としての「八」の意がはっきりしてくる。
八占、
は、そう見ると、ただ、多数回という以上の含意が込められているのかもしれない。
正確な回数を示すというのではなく、古代に聖数とされていた八に結びつけて、回数を多く重ねることに重点がある、
とある(岩波古語辞典)のはその意味だろう。
八占(やうら)さし、
の、
さす、
は、
止す、
刺す、
挿す、
指す、
注す、
点す、
鎖す、
差す、
捺す、
等々と当て別けて使っているが、
最も古くは、自然現象において活動力・生命力が直線的に発現し作用する意。ついで空間的・時間的な目標の一点の方向へ、直線的に運動・力・意向がはたらき、目標の内部に直入する意、
とする(岩波古語辞典)。で、
射す・差す、
は、
自然現象において活動力が一方に向かってはたらく、
として、光が射す、枝が伸びる、雲が立ち上る、色を帯びる等々といった意味を挙げる。次いで、
指す・差す、
は、
一定の方向に向かって、直線的に運動をする、
として、腕などを伸ばす、まっすぐに向かう、一点を示す、杯を出す、指定する、指摘する等々といった意味を挙げる。次いで、
刺す・挿す、
は、
先の鋭く尖ったもの、あるいは細く長いものを、真っ直ぐに一点に突き込む、
として、針などをつきさす、針で縫い付ける、棹や棒を水や土の中に突き込む、長いものをまっすぐに入れる、はさんでつける等々といった意味を挙げる。さらに、
鎖す・閉す、
は、
棒状のものをさしこむ意から、ものの隙間に何かをはさみこんで動かないようにする、
として、錠をおろす、ものをつっこみ閉じ込めるといった意味を載せる。さらに
注す・点す、
は、
異質なものをじかにそそぎ加えて変化を起こさせる、
として、注ぎ入れる、火を点ずる、塗りつけるといった意味を載せる。最後に、
止す、
は、
鎖す意から、動詞連用形を承けて、
途中まで~仕掛けてやめる、~しかける、という意味を載せる(岩波古語辞典)。
こう見ると、「さす」の意味が多様過ぎるように見えるが、
何かが働きかける、
という意味から、それが、対象にどんな形に関わるかで、
刺す、
や
挿す、
や
注す、
に代わり、ついには、その瞬間の経過そのものを、
~しかけている、
という意味にまで広げた、と見れば、意味の外延の広がりが見えなくもない。語源を見ると、『日本語源広辞典』は、
「刺す」
と
「指す・差す・射す・挿す・注す」
と、項を分けているが、結局、
刺す、
を原意としている。
刺す、
に、
表面を貫き、内部に異物が入る意です。または、その比喩的な意の刺す、螫す、挿す、注す、射す、差すが同語源です、
とある(日本語源広辞典)。『日本語源大辞典』も、
「刺す・鎖す」
と
「差す・指す・射す」、
と項を別にしつつ、
刺すと同源、
としている。では、
刺す、
の語源は何か。『日本語源大辞典』では、
サス(指)の義(言元梯・国語本義)、
指して突く意(大言海)、
間入の義。サは間の義を有する諸語の語根となる(国語の語幹とその分類=大島正健)、
物をさしこみ、さしたてる際の音から(国語溯原=大矢徹)、
進み出す義(日本語源=賀茂百樹)、
サカス(裂)の義(名言通)、
サはサキ(先)の義、スはスグ(直)の義(和句解)、
等々と挙げている。擬音語・擬態語が多い和語のことから考えると、
物をさしこみ、さしたてる際の音から、
というのは捨てがたいが、未詳ということになる。
「指す」「差す」「挿す」「刺す」、
の違いについて、
「指す」のほうは基本的に、方向や方角などを指し示す場合に使われます。将棋は駒を指で動かすので、「指す」の字があてられるのですね。
「差す」は一般的に、細長い光などがすき間から入り込む様子を表します。もちろん、光だけではありません。「魔が差す」は、心のふとしたすき間からよこしまな考えが忍び込む、という意味ですね。
「挿す」は使い方が限定的で、おもに草花やかんざしなどに使われます。また、「挿し絵」のように何かの間にはさみこむ、さしいれるという意味があるようです。
「刺す」はわりと日常的に使われていますよね。言葉のニュアンスは「差す」よりも強く、細長くとがったもので何かを突き通す、という意味をもっています。「刺」のつくりはりっとうと言い、刃をもつ武器や道具を表す部首です。
このことからも、「刺す」は刃物を使って何かを突く、傷つけるという意味をもつこととがわかります。
「射す」は太陽の光や照明の明かりが入ってくること。
「注す」は水などの液体を容器に注ぐこと。
「点す」は目薬をつけることを表します。
と、意味の使い分けを整理している(http://xn--n8j9do164a.net/archives/4878.html)ものがあるが、漢字は、
「刺」は、朿(シ)の原字は、四方に鋭い刺の出た姿を描いた象形文字。『刺』は『刀+音符朿(とげ)』。刀で刺のようにさすこと。またちくりとさす針。朿は、束ではない。もともと名詞にはシ、動詞にはセキの音を用いたが、後に混用して多く、シの音を用いる、
「挿(插)」は、臿(ソウ)は「臼(うす)+干(きね)」からなり、うすのなかにきねの棒をさしこむさまを示す。のち、手を添えてその原義をあらわす、
「指」は、「手+音符旨」で、まっすぐに伸びて直線に物をさすゆびで、まっすぐに進む意を含む。旨(シ うまいごちそう)は、ここでは単なる音符にすぎない、
「差」は、左はそばから左手で支える意を含み、交叉(コウサ)の叉(ささえる)と同系。差は「穂の形+音符左」。穂を交差して支えると、上端はⅩ型となり、そろわない、そのじくざぐした姿を示す、
「注」の字は、「水+音符主」。主の字は、「ヽは、じっと燃え立つヽ灯火を描いた象形文字。主は、灯火が燭台の上でじっと燃えるさまを描いたもので、じっとひとところにとどまる意を含む」で、水が柱のように立って注ぐ意、
「点(點)」は、占は「卜(うらなう)+口」の会意文字で、占って特定の箇所を撰び決めること。點は「黒(くろい)+音符占」で、特定の箇所を占有した黒いしるしのこと。のち略して点と書く、
「鎖」は、右側の字(音サ)は、小さい意。鎖は素家を音符とし、金を加えた字で、小さい金輪を連ねたくさり、
とあり(漢字源)、多く漢字の意味に依存して、「さす」を使い分けたように見える。結局、どの字を使っても、
刺す、
に至るようであるが、「さし」を接頭語にした語の多くは「差し」の字を当てる。『大言海』は、「差す」について、
其職務を指して遣はす意ならむ。此語、ササレと、未然形に用ゐられてあれば、差の字音にはあらず、和漢、暗合なり。和訓栞、サス「使いをサシつかはす、人足をサスなど云ふは、差の字なり。匡謬正俗に、科發士馬、謂之為差と見ゆ、官府語也、日本紀に、差良家子為使者、軍防令に、凡差兵士と見えたる、是也」。陔餘叢考「官府遣役曰差」、品字箋「差遣、役使也」、
として、
充てて、遣る。つかわす、
押し遣る、また、行(や)る、行う、
前へ伸ばす、
突き張る、
といった意味を載せる。この「差」には、意図して、何かをする、何かをさせる、という含意が強い。では、
八占(やうら)さし、
の、
さまざまの占いを行う、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
さす、
は、
意図して、何かをする、何かをさせる、
という含意に鑑みると、
差す、
なのだろう。なお、
うらなう、
歌占、
夕占、
道行占、
については触れた。
「占」(セン)は、「道行き占」で触れたように、
会意文字。「卜(うらなう)+口」。この口は、くちではなく、ある物やある場所を示す記号。卜(うらない)によって、一つの物や場所を選び決めること、
とある(漢字源)。他も、
会意。卜と、口(くち)とから成り、うらないの結果を判断して言う意を表す(角川新字源)、
会意文字です(卜+口)。「うらないに現れた形」の象形と「口」の象形から、「うらない問う」を意味する「占」という漢字が成り立ちました。また、占いは亀の甲羅に特定の点を刻んで行われる事から、特定の点を「しめる」の意味も表すようになりました(https://okjiten.jp/kanji1212.html)、
会意。卜(ぼく)+口。卜は卜兆の形。口はᗨ(さい)で、祝詞の器。神に祈って卜し、神意を問うことを占という。〔説文〕三下に「兆(てう)を視て問ふなり」とあり、会意とする。その卜占の辞は、のち神託にふさわしい神聖な形式、韻文で示されることが多く、卜筮の書である〔易〕の爻辞(こうじ)は、多く有韻である(字通)、
と、会意文字とするが、
形声。「𡆥 /*LIU/」+羨符「口」。のち筆画を省略して現在の字形となる。「うらないの言葉」を意味する漢語{繇 /*lriu(k)-s/}を表す字。引伸して「予言する」「予見する」を意味する漢語{占 /*tem/}を表すのにも用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%A0)、
と、形声文字とするものもある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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