ふ(嚏)


眉根(まよね)掻き鼻ひ紐解け待つらむかいつかも見むと思へる我(われ)を(万葉集)

の、

眉根(まよね)掻き鼻ひ紐解け、

は、

眉を掻き、くしゃみをし、ひもも解けて、

と訳し、

眉根(まよね)がかゆく、くしゃみが出、下紐が自然に解けるのは、人に逢える前兆とした、

とあり、

男の歌、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

鼻ひ、

の、

ひ、

は、

嚏(ふ)、

とあて、

他動詞ハ行上二段活用で、

くしゃみをする、

意である(学研全訳古語辞典)。上代、

終止形が「ふ」、

で、冒頭の歌のように、

連用形に「鼻火」の形があり、「火」が特殊仮名づかいで「ひ」の乙類を表わす仮名であるところから、上二段活用であったと考えられる、

とあり(精選版日本国語大辞典)、それが、和名類聚抄(931~38年)に、

嚔、波奈比流、噴鼻也、

とあるように、

ひ/ひ/ひる/ひる/ひれ/ひよ、

で、

鼻をいと高うひたれば、あな、心憂(う)(枕草子)、

と、他動詞ハ行上一段活用化し、

嚔(ひ)る、

となった。なお、

くしゃみをするのは、良くない事が起こる前ぶれとか、恋人が訪れる前ぶれなどといわれていた、

などともある(学研全訳古語辞典)が、上代では、

人に恋され、また、恋人が訪れる前兆とみなされた、

らしい。それが、平安時代以後は、

悪い事の起こる前兆と考えられた、

とある(岩波古語辞典)。枕草子の例は、後者とみられる。

ふ(嚔)、

は、

簸(ふ)と同根(岩波古語辞典)、

とある。

簸(フ)、

は、

上一段のフ(嚔)と同根、

で、

箕(み)で穀物を勢いよく振って、籾殻(もみがら)・屑などを除く、

意(岩波古語辞典)で、

奈良時代には上二段活用であった(仝上)、

「簸」を動詞として、上二段に活用した例はないが、「書紀‐神代上」の「簸之河」が、古事記に「肥河」、出雲風土記に「斐伊河」とあり、「肥」「斐」は上代特殊仮名づかいで、乙類の仮名であるところから、「簸」も同様の乙類のヒであったと見られ、したがって、古くは上二段活用であったと考えられる(精選版日本国語大辞典)、

とあり、後に、新撰字鏡(平安前期)で、

簸、米(よね)比留、

類聚名義抄(11~12世紀)に、

簸、ヒル、

と、上一段化した(仝上・岩波古語辞典)。で、

簸(ひ)る、

は、

ひ/ひ/ひる/ひる/ひれ/ひよ、

の、他動詞ハ行上一段活用で(学研全訳古語辞典)、

糠(ぬか)のみ多く候へば、それをひさせんとて置きたる物をば(古今著聞集)、

と、

箕(み)で穀物などをあおり振るって、屑(くず)を除き去る、

意で使う(精選版日本国語大辞典)。しかし、

ひる、

は、和名類聚抄(931~38年)に、

屁、放屁、倍比流(へひる)、下部出気也、

天治字鏡(天治本新撰字鏡)(898年~901年)に、

放屁、戸比留、

類聚名義抄(11~12世紀)に、

屁、放屁、ヘヒル、

とあるように、

放る、

とも当て、

體中より外へ放つ、

意(大言海)とし、

嚔(ひ)る、

は、

放(ひ)るの語意に同じ、

とする説がある(仝上)。前出の、和名類聚抄(931~38年)の、

嚔、波奈比流、噴鼻也、

とある意味と重ならなくもなく、

簸(ひ)る、

の意よりは、意味上、重なり合いが大きい気がする。現に、

くしゃみをする意の「ひる(嚔)」と同語源。「新撰字鏡」に「放屁 戸比留」、「十巻本和名抄‐二」に「放屁 倍比流」の例もある。これらは「戸比利虫」(新撰字鏡)、「久曾比理乃夜万比」(和名抄)などの「ひり」から推して、中古早くから四段活用だったと思われるが、より古くは、「ひる(嚔)」と同じく上一段活用(上代は上二段活用)だったかと考えられる、

としている(精選版日本国語大辞典)ので、

放(ひ)る、
と、
嚔(ひ)る、

は、意味の上からも、音の上からも、同語源と考えていいのではないか。

嚏(ひ)る、

は、

やや、鼻ひたる時、かくまじなはねば死ぬるなりと申せば(徒然草)、

と、

はな(嚔)ひる、

とも訓ませ、

ひ/ひ/ひる/ひる/ひれ/ひよ、

の、自動詞ハ行上一段活用だが、やはり、奈良時代は、

はな(嚔)ふ、

で、上二段活用であったとされる(学研全訳古語辞典・岩波古語辞典)。

嚔(はな)ふく、

で、

つぎねふ山城に蜻蛉(あきつ)波奈布久(ハナフク嚔(はな)ふとも(「琴歌譜(9C前)」)、

と、

はなふく、

と訓ませ、

「鼻吹く」の意、

で、

くしゃみをする、
はなひる、

意である(精選版日本国語大辞典)。

くしゃみ

は、古くは、

くさめ、

といい、本来、

くしゃみをしたときに唱える呪文、

とされる(岩波古語辞典)。名語記に、

鼻ひたる時、くさめとまじなふ、如何。…又、休息万命、急急如律令と唱ふべきを、くさめとは言へりといふ説あり

とあり、

休息命(くそくみやう)の急呼。国府、こふ。脚絆(きゃくはん)、きゃはん。ささめく、そそめく。通夜(つうや)、つや、

と、

嚔(はなひ)りたるときに唱ふべき、厭勝(まじなひ)の呪文。命(いのち)長かれと云ふ意なり。嚔ひれば命終はると云ふ、天竺の伝説あるに因りて、斯かる呪文あるなり。千萬歳(せんまんざい)とも呪(じゅ)じ、今、小兒、はなひれば、母、とこまんざい、とも呪ず、

とある。「とこまんざい」は、「徳万歳」と当て、

小兒のくさめする時、まじなひに云ふ語、

らしい。しかし、

「休息万命(くそくまんみやう)」のくずれた形と言うが、本来は、「糞食(は)め」で、くしゃみに対する罵言(ばげん)か、

とする(岩波古語辞典)見方もある。くしゃみをして、「くそ」とか「くそったれ」とかいう類なのではないか、ということだ。柳田国男は(『少年と国語』)で、

いまある辞典や註釈の本を見ると、クサメという語の起りは、休息万命(きゆうそくばんみよう)、急々如律令(きゆうきゆうによりつりよう)と言うとなえごとを、まちがえたものだと、どこにも出ている。そんなおろかしい説明をまに受けて、ちっともうたがわない人があるのだろうか。休息万命なんかは、漢字を知っている者にも、なんのことを言うのかまるでわからない。そうしてまったく字を知らぬ者が、じつはむかしから、クシャミをおそれていたのである。こんなおかしな文句をもっともらしく本に書き残したのは、むしろ、クサメがすでにひさしく存して、もはや、その心持がかれらには、くみとれなくなっていたからで、いわば、あべこべに休息万命が、クサメをこじつけたものとも取れるのではないか。
呪文なんだから「休息万命」が意味がわかんないことばでもいいんじゃないかとおもうけど、それはそれとして、それじゃあ「くさめ」の語源がなんだっていってるかっていうと、
 クサメの糞くそはめであり、クソヲクラエと同じ語だったことは、気をつけた人がまだないようだが、おおよそはまちがいがあるまい。沖縄でも、首里しゆりのよい家庭で、クシャミをしたときには、クスクエーと言うならわしがあった。これを、魔物のさせるわざと言って、子どもなどのまだ自分ではそう言えない者が、クシャミをしたときには、おとながかわって、このとなえごとをすることになっていた。食うは、この島ではあまり使われず、クラウと同じに、やや悪いことばであって、ふつうにはカム・カミーと言っていた。すなわち、こちらで言うハム・ハメと同じ語である。クソは悪いものだが、かならずしも悪いことばではない。ただ、相手にそれを食え、またはハメと言うにいたって、最大級の悪罵(あくば)ともなれば、また少しもおそれていないという、勇気の表示ともなるのである。必要があるならば、女でもこれを用いたろうが、さすがに、あとあとは少しばかりことばをちぢめ、または、知らずにまねをしていたのがクサメであろうと、私は思う。

と批判しているhttp://toxa.cocolog-nifty.com/phonetika/2010/05/post-8b67.html。これが正解だろう。岩波古語辞典は、この説を取っている。

「嚔」.gif


「嚔」(漢音テイ、呉音タイ)の異体字は、

嚏(俗字)、𤴡、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9A%94。字源は、

会意兼形声。𤴡(テイ)は「つかえるしるし+止」の会意文字で、仕えて止まる意、嚔は、それを音符とし、口を添えたもの、

とある(漢字源)。他は、

形声。「口」+音符「𤴡」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9A%94

とする。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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