ちはやひと


ちはや人宇治の渡りの瀬を早み逢わずこそあれ後(のち)は我(わ)が妻(万葉集)

の、

ちはや人(ひと)、

は、

宇治の枕詞、

とあり、

上三句は世間の障害の譬喩、

とし、

あまりにも流れの激しい瀬に邪魔されて、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

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ちはやひと、

は、

千早人、

とあて、

ちはやびと、

とも訓み、

チハヤはチハヤブルのチハヤと同根(岩波古語辞典)、
最速人(いちはやびと)の約(大言海)、

とあり、枕詞として、

勢いつよい人の意で、ウヂ(勢いの意)と同音の、地名「宇治」にかかる(岩波古語辞典)、
ちはやぶる人である氏(うじ)の意で、「氏」と同音の地名の「宇治」にかかる。はげしいの意の「うじはやし(阻)」と同義あるいは類義であるところからかかるとも(精選版日本国語大辞典)、

とする。

ちはやぶる

は、中世、

ちはやふる、
ちわやふる、

ともいい(日本国語大辞典)、

千早振る、

と当て(広辞苑)、その由来は、

チは風、ハヤは速、ブルは様子をする意(岩波古語辞典・広辞苑)、
動詞「ちはやぶ」の連体形に基づく(大辞林)、
「いちはやぶ(千早ぶ)」の変化。また、「ち」は「霊(ち)」で、「霊威あるさまである」の意とも(日本国語大辞典)、
「ち」は雷(いかづち)の「ち」と同じで「激しい雷光のような威力」を、「はや」は「速し」で「敏捷」を、接尾語の「ぶる」は「振る舞う」を意味するhttps://zatsuneta.com/archives/005742.html
最速(イチハヤブル)の約、勢鋭き意。神にも人にも、尊卑善惡ともに用ゐる。倭姫命世紀に、伊豆速布留神とあり、宇治に續くは、崎嶇(ウヂハヤシ)、迍邅(ウヂハヤシ)、うぢはやきと云ふに因る(大言海)、
イトハヤシ(甚早し)はイチハヤシ(逸早し)に転音し、さらに「敏速に振る舞う」という意でイチハヤブル(逸速振る)といったのが、チハヤブル(千早振る)に転音して「神」の枕詞になった。ふたたびこれを強調したイタモチハヤフル(甚も千早振る)はタモチハフ・タマチハフ(魂幸ふ)に転音して、「神」の枕詞になった、〈タマチハフ神もわれをば打棄(うつ)てこそ(万葉集)〉(日本語の語源)、

等々諸説あるが、はっきりしない。意味からいうと、枕詞にも、

知波夜夫流(チハヤブル)宇治の渡りに棹取りに速けむ人し我が仲間(もこ)に来む(古事記)、

強暴な、
荒々しい、

という意から、

地名「宇治」にかかる。かかり方は、勢い激しく荒荒しい氏(うじ)の意で、「氏」と同音によるか。一説に、「いつ(稜威)」との類音による、

とするものと、

ちはやぶる神の社(やしろ)しなかりせば春日(かすが)の野辺(のへ)に粟(あは)蒔(ま)かましを(万葉集)、

と、

勢いの強力で恐ろしい神、

の意で、「神」およびこれに類する語にかかり、

ちはやぶる神世も聞かず龍田川から紅に水くくるとは(古今和歌集)、

と、

「神」また、「神」を含む「神世」「神無月」「現人神」などにかかり、

千早ぶる天の岩戸を押し開き我に片寄れみごもりの神(類従本長能集)、

と、「神」に縁の深いものを表す語、「斎垣」「天の岩戸」「玉の簾」などにかかるものと、また、

ちはやぶる神なび山のもみぢ葉に思ひはかけじ移ろふ物を(古今和歌集)、

と、特定の神の名、神社のある場所などにもかかるものがあり、さらに、

あはれ千者也布留(チハヤフル)賀茂の社(やしろ)の姫小松あはれ姫小松万代(よろづよ)経(ふ)とも色は変(かは)あはれ色は変らじ(東遊(10C後)求子歌)、

と、著名な神社やその所在地として「賀茂」「平野」「三上山」「香椎宮」「布留」「斎宮(いつきのみや)」などにかかったり、

ちはやぶる糺(ただす)の神の前にして空鳴きしつる時鳥(ほととぎす)かな(古今和歌六帖)、

と、その他の諸所の神社名、神社のある地名、神の名などにかかったりする。また、

ちはやふる伊豆の御山の玉椿八百万代(やほよろづよ)も色は変らじ(金槐和歌集)、

と、

稜威(いつ)の、

意から、それと類音の地名「伊豆」にかかるものがある(精選版日本国語大辞典)。

もし「ちはやぶる」の由来が異なるのなら、上記の、

風(チ)速(ハヤ)ブル、
魂(チ)速(ハヤ)ブル、
最(逸)速(イチハヤ)ブル、
霊(ち)速(ハヤ)ブル、

の、どれが正しいかの判断はつきかねる。だから、

ちはやふ(いちはやぶ)、

は、

千早ぶ、

とあて、

「いちはやぶ」の変化したもの(精選版日本国語大辞典)、
一説に、「ち」は風の意(広辞苑)、

とされ、

び、び、ぶ、ぶる、ぶれ、びよ、

の、自動詞バ行上二段で、

故(かれ)、此の国に道速振(ちはやぶる)荒ぶる国つ神等(ども)の多在(さはな)りと以為(おも)ほす(古事記)、

と、

勢い激しくふるまう、
強暴である、
たけだけしく行なう、

といった意になる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。

いちはやぶ、

は、

逸早(速)ぶ、

とあてる、自動詞 バ上二段活用で、

いちはイツ(神威・霊威)の転、神意がさっと恐ろしく働くのが古い意味、転じて、とっさに手向かいのできないような激しい力が働き、反応がさっと現れ、恐ろしく、不安に感じられる意の形容詞「いちはやし」の動詞化、

で、

皇御孫(すめみま)の朝廷(みかど)に(火の神が)御心一速比(イチハヤビ)給はじとて進(たてまつ)る物は(延喜式(927)祝詞)、

と、

恐ろしくはげしい神威をふるう、
勢い激しくふるまう、
荒々しくなる、

意である(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。こうみると、

ちはやぶる、

は、「風(チ)」に、「魂(チ)」「霊(チ)」の含意があるにしても、

チは風、ハヤは速、ブルは様子をする意、

と見ていいのではないかという気がする。ちなみに、

男神(ひこかみ)も許し給ひ女神(ひめかみも)ちはひ給ひて(万葉集)、

の、

ちはふ、

は、

幸ふ、

とあて、

は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、

の、自動詞ハ行四段活用で、

チは霊力、ハフは、それの働く意(岩波古語辞典)、
「ち」は霊力の意(デジタル大辞泉)、
さちはふの略、いちはやぶる、ちはやぶるの例(大言海)、

とあり、

幸いを與ふ(神より)、

の意で、

霊力を現して加護する、
威力で助ける、

意である(岩波古語辞典)。新撰字鏡(平安前期)に、

影護、知波不(ちはふ)、

類聚名義抄(11~12世紀)に、

授、チハフ・タスク、

とある。ついでに、

襷、

とあてる、

ちはや、

は、

襷襅、
褌、

とも当て(岩波古語辞典)、

供神今食料……細布三丈二尺 戸座襅并(ちはや)料(延喜式)、

とあり、和名類聚抄(931~38年)に、

本朝式云、襷・襅各一条、襅、読知波夜(ちはや)、今案不詳、

類聚名義抄(11~12世紀)に、

襅、チハヤ、

とあり、

襷の類か、、

とあり(岩波古語辞典)、

巫女など、神事に奉仕する女や台所仕事などをする女が用いた襷(たすき)(精選版日本国語大辞典)、
逸速(いちはや)の約、袖を束ねて動作に釆にする意と云ふ(大言海)、
〈いちはや〉の略語である(世界大百科事典)

ともある。これが転じて、

はての夢に、御社よりとて、ちはや著たるをうなの文をもてまで来たりけるを(拾遺和歌集・詞書)、
宮宮の御方の女官共の唐衣・襅着て行き(今昔物語)、

と、

千早、

ともあてる、

巫女、先払いの神人、楉持(しもともち)などが着る服。白の裾の長い小忌(おみ)の肩衣(かたぎぬ)の一種。ちはやふく(精選版日本国語大辞典)、
巫女が神事に奉仕するときに着た服。白布で作る(学研全訳古語辞典)、
巫女(かむなぎ)の着る服、即ち小忌衣なりと云ふ、一重の布にて作る。身二幅、袖一幅(ひとの 鯨尺で1尺(約37.9センチ))にて、木型もち、山藍にて春草、水草、蝶鳥の類を摺る。袖は縫はず、紙縒(こより)にて括る(大言海)、
小忌衣(をみごろも)の類。巫女(みこ)が神事の際用いる。身二幅、袖一幅の白布単衣。山藍で模様を摺る。袖を糸で縫わず、紙捻(こより)で括る(岩波古語辞典)、
神事に奉仕するものが衣服の上に着ける白衣。たとえば大嘗会(だいじようえ)のさいに、神饌(しんせん)や陪膳(ばいぜん)に奉仕する女官(采女(うねめ))の装束では、白の小袖に紅の切袴(きりばかま)、これに絵衣(えぎぬ)という白地に草花模様を泥絵で描いた袿(うちき)様の衣を着け、さらに波衣(なみごろも)という薄縹(はなだ)に白く青海波をあらわした唐衣(からぎぬ)様の短衣を重ね、その上に襅を打ちかけて着るのである。こういう近世の襅は、白の生絹に草花や水などの模様を藍摺(あいずり)にしたもので、形も祭事に男子の用いる小忌衣(おみごろも)と似て、身二幅に袖一幅でおくみのない、襟つきの垂領(たりくび 襟(えり)を肩から胸の左右に引き垂らし、とり違えて着用する)形であるが、本来は小忌衣が垂領形であるのに対して、襅は貫頭衣形のものであったらしい。男女ともに必要に応じて衣服の上にこの貫頭衣形の短衣を着けて、ちょうどたすきをかけたように袖やたもとをその中へたくしこみ、動作をしやすくする目的の衣服であったようである。なお襅は葬送のさいにも葬列に従うものが着けていることが、《北野天神縁起》などの鎌倉時代以後の絵巻物などによって知られる。この時代の襅は、貫頭衣の形はとっているがすでに実用衣でなくて、祭礼の場合も同様に、前は短いが後身が地にひきずるほど長くなっている。古くからあった貫頭式の無袖衣が、とくに祭祀関係とむすびついてでき上がった一種の儀礼服である(世界大百科事典)、

とある。ただ、上代には、

ちはや、

の例はなく、「十巻本和名抄‐四」には「本朝式云襷襅各一条〈襅読知波夜 今案未詳〉」とあり、「和字正俗通」(一七三三)は、襷・襅を国字とする。国字であれば、「ちはや」の語の成立とともに「襅」が造字された可能性が高く、平安初期には「ちはや」の語が成立していたか、

とある(精選版日本国語大辞典)。なお、

小忌衣(をもごろも)
山藍(やまあゐ)
縹(はなだ)

については触れた。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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