自分でいる

日曜日に基本のきに参加した。そこで得たものについては,先日書いたが, http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/2013-0218.html 再度参加した。そこで学んだことは繰り返さないが,実は今回発見したことがある。 ひとつは,わずか10分くらいの間に,その場にいた人に印象をカードで手渡すというワークがあった。そこで僕がもらったのは, …

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生き方が出る

確か,NHKの特別番組で,高倉健が,「その人の生き方が出る」と,演技について語っていたのを覚えている。その時,高倉健は,亡くなった大滝秀治との僅か一言三言のやり取りに,感動して涙ぐんでいた。そこで大滝秀治という人物を,丸ごと受け止め,そのわずかなセリフに,大滝のすべてを注ぎ込んだ,人生を見た,というと大袈裟か。 では,翻って,役者でも,著名人でもない,平凡な自分にとって,おのれの生き方…

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激しい怒り

久しぶりに,吹き出すような怒りを感じた。人との間である程度の齟齬があるのはやむを得ない。多少の行き違いもある。それが積み重なると,相手が,自分の何々が気にいらないせいなのだ,と勝手にその原因を邪推する。その瞬間に,激しい怒りを覚える。勝手な思い込み,そしてこっちが考えてもいない理由で齟齬が起きていると勘ぐるな,といういら立ちが,噴出して,激怒に変わる。 それで一瞬で空気が一変するの…

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「問い」の威力

先日,【第4回 月刊☆西澤ロイ 人生を変えるコトバの宇宙トークライブ】に参加した。テーマは,「深堀力」。 http://www.facebook.com/home.php#!/events/272143256254058/ 深堀力とは,「本質にたどりつく力」ということで,表面をなぞるのではなく,深く,掘り下げて,本当の問題とは何かを掘り下げていく,ということが主題。そのために,お…

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空海のスケール

篠原資明『空海と日本思想』(岩波新書)を読んで。 著者は,プラトンに西洋哲学の基本系として,美とイデアと政治,を見て,それを日本になぞらえ,空海の風雅・成仏・政治を仮定した。それに基づいて,日本思想の基本系を推し量ろうとしている。 その仮説の是非はともかく,ある意味では,芸術から宗教,政治に関わる幅広い空海の知的活動を網羅する試みであり,その巨大な思想の後世への影響を見積もろうと…

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「したいこと」と「しなくてはならないこと」

昨今どういうわけか,「しなくてはならないこと」を口にすると,「したいこと」を言えと言われることがある。それがよくわからない。バランスの問題ではない。 人には,「やらねばならぬこと」「やりたいこと」「やれること」の三つがある。しかし,やらねばならぬことをしないものに,やりたいことは実現できるかもしれないが,人として,全く信をおかない。そういう人をいっぱい見てきた。 僕は「しなくては…

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自分の場・場の自分

人は一人では生きていけない。人とのかかわりの中で生きる。人との結節点として生きる。しかし,ひととの関係とは,場に他ならない。 清水博さんは,「『生きている』ことと『生きていく』こととは,まったく異なることです。…〈いのち〉の居場所がなければ,生きるものは,「生きている」ことはできても,「生きていく」ことはできません。」という。 ではいのちの居場所とは何か。サッカーの例を挙げている…

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人生を語る

先日,「山口ひとみトークライブ☆育自の魔法の生まれた人生」を聞きに行った。 https://www.facebook.com/toshihiko.sugiura.14?ref=tn_tnmn#!/events/527213683983740/ 改めて,自分の人生を語る,ということについて,いろいろ考えさせられた。 人の認知形式,思考形式には,「論理・実証モード(Paradi…

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「なる」と「なりきる」

はたらく場研究所~最高の居場所~5月ライブ,高田天朗さんの「ドラマdeコミュニケーション ~なりきりワーク編~」に参加してきた。 http://kokucheese.com/event/index/88107/ なりきりワークに参加するのは二度目だが,その都度,その時,その場に関わるので,二度目という感覚はなく,その都度,その場の自分を経験している。 つくづく思うのだが…

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グランディング

先日,川本恵さんの「地に足をつけてご機嫌に生きる」ワークショップに参加した。三度目かな。グランディングというものと最初に出会った時の印象が悪く,それに上書きする形で,人との縁で,参加して以来,数を重ねたことになる。 前回そのワークの概要は書いた。 http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11081715.html 毎回,ワークがバージョ…

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物語を書き換える

先日,第63回ブリーフセラピー研究会の,「田中ひな子先生の解決志向アプローチ2」に参加した。前回に続いて参加させていただき,さらに,自分の記憶を上書き(前のが消えた?)した感じがしている。 前回は,クライアントの自己対話に加えてもらうが,メインだったと記憶しているが,今回は, 新しい人生の物語を手に入れるように,クライアントの自己対話では語られていない,クライアントの望む未来の,…

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生きる矜持~石原吉郎の詩をめぐってⅤ

生きる,あるいは生き方という点では, いわれなく座に 耐えることではない 非礼のひとすじがあれば 礼を絶って 膝を立てることだ 膝は そのためにある そろえた指先も そのためにある(「控え」) がいい。それを矜持と呼ぶか,自恃と呼ぶかはわからないか,一種の潔さと言っていい。人が何と言おうと,己というものの尊厳を損なうことに対しては,断然と対峙する,そういう凛とした姿…

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好漢

先日,「情熱派営業マン橋本道至のたぶんスベらない話」に参加させていただいた。いわば,トークライブの観客から,いきなり,飛び入りで,トークライブの主役に名乗りを上げて,それを実現させた,その糞度胸に拍手を送りたい。 かつて,フランクルが言っていたが,どんな人も語りたい人生の物語がある,というのが,本当なのだとつくづく実感させられた一夜でもあった。 ファシリテーターの飯塚和秀さん曰く…

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正念場

正念場とは,性根の発揮が問われている場らしい。その人の根本的な心の持ち方が問われている,といいうよりはその人が生きているに値するのかどうか,が問われている場面といってもいい。 私の知人は, http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11124764.html でも書いたが,すったもんだした挙句転職した。転職に成功した。天職のはずであった。…

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体が…

贄川治樹さんの第8回ボディサイコセラピー入門講座に参加させていただいた。今回のテーマは,「腹」。 確か三回目くらいだと思うが,前回, 感情とエネルギーのセンターはハートと腹。腹が力で,胸は愛。胸部は繊細,腹部には力がある。愛は腹の力で与えられる。呼吸を変えることで自律神経に変化を与えられる,とライヒは言っているそうだ。呼吸を扱うことは感情を扱うこと。呼吸の調整と感情の調整は関連が…

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違和感

たとえば,個人的でも,何かの場においてでも,人と断続的に関わっていて,結構踏み込んだ会話をするようになったとする。そのうちに,相手に自分との関係についての姿勢のようなものがほの見える。たとえば,時間的空間的に制約を設ける感じを受けて,相手に,変だな,と感じたとする。それが何度か重なると,ちょうど,会話は弾んでいるようでも,手でこっちを突っ張っているような感じを受け,ああ,それ以上踏み込んでこ…

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孤独

どうも孤独とか孤立がマイナスのイメージで語られるのが,僕には,しっくりこない。 孤独であることを選ぶとは,おのれひとりで立てるということではないのか。 孤独であることを選ぶとは,おのれ自身というものを大事にするからではないのか。 孤独であることを選ぶとは,おのれひとりでしかできないことがあるからではないのか。 孤独であることを選ぶとは,おのれひとりの器量を頼らなければ誰も頼れない…

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起き方は生き方

FBグループ「俺たち、早起き賊」(飯塚和秀氏主催)のイベント,【第9回 早起き賊の会】に久しぶりに参加させていただいた。 https://www.facebook.com/home.php#!/events/586838054681904/ 毎朝,3時だ,4時だ,5時だと,起きた時間を,フェイスブック上の「俺たち,早起き賊!」グループに,競うように書き込んでいる人たちの,リアルで…

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きりつめた語句~石原吉郎の詩と死をめぐってⅦ

石原吉郎には, 孤独 と 極限状況 が似合う。シベリア抑留で,理不尽な死に直面した石原には,修羅場が見えている。 こんなことを書いている。 人間の体験のなかには,よしんばそれが共同の体験であっても,絶対に共有できない部分があり,その部分を確認することだけが,かろうじて<私が生きた>という実感につながる。そして,その実感を逆に私自身に確認させるこ…

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自己限定との格闘

まあいいか, こんなもんか, しゃあない, といった自分の声と戦ってきた。誰もがそうだが,内心で自分に諦めというか,諦念を誘う声がいつもある。その方が楽なのかもしれない。 一生自分との戦いは続く。自分を受け入れるというのは,自分をそのまま受容すること,しかしそれはいまの自分に自足することではない。いまの自分の生き方やいまの自分のあり方やいまの自分の振る舞いに,「是」ということ…

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