2012年10月29日
人生を表現する生き方~影響を受けた二冊
今回は,影響を受けた二冊,『ノマドワーカーという生き方』『タレントだった僕が芸能界で教わった社会人としての大切なこと』について語りたい。
自己表現というとき,私にとっては,自分の内面のことであり,自分の思いであり,自分の感情であった。その自己を自分の生活に広げたとき,自然主義文学が輸入され,勘違いから,日本的な私小説が始まった。別に田中英光も好きだし,葛西善蔵も嫌いではない。しかし私小説のめり込むのは嫌であった。その意味で,生活を表現する,ということにはどこかに偏見というか先入観があった。文学的な表現力として私小説レベルにいかなければ,ただの公開日記に過ぎない,と。
しかしそういう鱗が目から落ちたのは,飯塚和秀氏の『タレントだった僕が芸能界で教わった社会人としての大切なこと』出版記念イベントで,プロのブロガーとして紹介された立花岳志氏に会い,「日記と情報の違い」を気づかせてもらい,改めて『ノマドワーカーという生き方』を読んだことが大きい。そこで気づいたのは,自己表現から自己の生活表現へ,そして自己の生活表現から,自己の人生の表現へ,さらに自己の生き方そのものの自己表現へという,表現の何重もの変化を経ている,という印象である。
文学表現ということではなく,自己表現として考えたとき,何か大きな変化が,とうに起きているのに,気づけぬまま,相当遅れてたどりついた,という感じなのである。
で,その視点から見たとき,私がたまたま出会った,二冊の本,『ノマドワーカーという生き方』『タレントだった僕が芸能界で教わった社会人としての大切なこと』は,期せずして,自己の人生を表現しており, 面白いことに,そこ徹底していくと,自分の人生そのものの自己表現へと,表現媒体が移行している感じなのである。テーマが,生き方になった瞬間,生き方自体の自己表現へと発展せざるえないのではかろうか。
この二冊並べることの客観的な妥当性はわからない。他にも先行する人生表現はあるのかもしれないが,自分の中では,両者が出会い,初めて,表現方法の逆転に気づかされたという意味では,並んでいるのである。
考えてみれば,たった一回しか上演されない演目を,みずから主役を張っているのだ。それを表現してみることも大事だが,そう意識したとたん,その自分自身の表現そのもの工夫する方向にいくのは当然の流れなのかもしれない。
いま,そう言っている自分自身が,自己表現の場としてブログに参入したのも,この二冊の影響が大きい。まだまだとても人生の表現にまでいたっていないにしろ,自己表現のもうひとつの舞台として,ブログを選択したのに違いはない。
自分の先入観から考えると,多分本屋ではこの二冊を手にすることはなかったと思う。しかし自分の人生を表現し,さらには自分の人生そのものを自己表現するというのは,おのれの生き方そのもの変えていく,いやより高みへと変えざる得なくなるはずなのだ。そのことを,すくなくとも私は,この二冊から教えられた。
己を知ること莫き患えず,知らるべきことを為さんこと求む,と孔子の仰せも,その文脈でみると,生き方としての自分ブランドを高めることと言い換えてもいいかもしれない。
たしかフランクルがいったと記憶しているが,どんなひとも語りたい自分の人生もっている。そうなら,語る面白さを知れば知るほど,語るに値する人生を,たった一度の舞台で自己表現をきわめたくなるに違いない。それでいいのではないか。できるだけ極上の質の高い表現をするために。
今日のアイデア;
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2012年11月11日
『希望のつくり方』について~希望と夢の間をゆく
玄田有史『希望のつくり方』(岩波新書)という本は,タイトルが「ちょっと」と感じさせるもので,面映ゆくて,外でカバーを付けたまま読むのがためらわれて,積読の憂き目にあっていた。それが,ふと昨日目に留まり,読み終えた。久しぶりに,頭の中が活性化し,脳内の広範囲が点滅しているのがわかる,どういうか,読みながら,いろいろなことを考えさせてくれた本だ。読んでみていただくしか,この興奮は伝えにくい。
村上龍は「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが,希望だけがない。」と小説の中で語らせている。データ的には,将来への希望を持っている人(20歳以上)は,78.3%,そのうち実現できると思っている人は,80.7%。つまり,63,2%の人が実現見通しのある希望をもっている,三人に一人が実現可能な希望を持てない社会,ということになる。
本書では,夢と希望の違い,幸福と夢の違い,安心と希望の違いを,しながら,希望をクローズアップしようとしている。その中で気になったのは,夢との違いだ。本書では,
夢は無意識に見るものであり,あるいは現状に満足しない,飽き足らない気持ちから次々生まれる。
希望は,意識的に見たり,苦しい状況だからこそ,あえて持とうとする。
こう区別している。しかし,キング牧師の有名な,「I have a dream」 というセリフがある。希望が,将来に実現したい「まだない存在」(エルンスト・ブロッホ)だとすれば,夢と希望の差は何なのか。本書には,上記しかないが,僕は仰角(高所にある対象物を見る観察者の視線と水平面のなす角度)の差だと感じた。遠くの何かを見ている時,それが水平線に近いか,大空の上か,夢は,仰角が大きい。中天にあれば,夢は憧れに近い。「夢をもったまま死んでいくのが,夢」。しかし仰角が水平面に近づけば近づくほど,現実性が高まる。希望と夢はある面重なっている。公民権運動の中にいたキング牧師には,叶う夢として,dreamという言葉を使ったのではないか。
著者は,希望の四本柱を次のように言っている。
ひとつは,ウイッシュ(wish),思い,願い。
二つ目は,何か,Something,将来こうなりたい,こうありたいという具体的な何か。
三つ目は,Come True,実現。
つまり,
Hope is a Wish for Something to Come True.
しかし,変化は変わるのを待つのではなく,変えるアクションなくては希望は中空の星にとどまる。で,
Hope is a Wish for Something to Come True by Action.
となる。しかし希望は個人の中だけにとどめるものなのか,共有できないものなのか。社会の未来への希望という視点から見た時,
Social Hope is a Wish for Something to Come True by Action with Others.
あるいは,
Social Hope is a Wish for Something to Come True by Action with Each Other.
となる。他の誰かと,共有する何かを一緒に行動して実現しようとする。「個人の希望は,『誰と一緒にやるか(with Others)』という要素を加えることによって,社会の希望となります。このとき他者(others)として,お互い(Each Other)に顔が見えて,一人ひとりの言葉を直接聞きあえる関係を築けるのが,地域の希望の特徴です。」
この本が労働経済学者が書いたという一番のポイントは,希望を共有するところまで視界を広げているところだろう。凡百の夢実現本の軽薄さとの違いがはっきり出ている。
「何が自分に本当は向いているかなど,すぐにわかるものではありません。それこそ,様々な希望や失望を繰り返しながら,一生をかけてみつけていくものです。」
ただ問題は,希望を単なる心の持ちようにしてはいけない,そういう問題意識が著者にはある。その人の置かれた社会や環境によって,希望の有無が左右されているとし,希望の有無を左右する背景を3つ挙げている。
第一は,可能性。選ぶことのできる範囲,もしくは実現できる確率。選択範囲が広かったり,実現確率が高い時,自分の可能性が大きいと感ずる。そういう人ほど,希望を持ちやすい。具体的には,年齢,収入,健康。
第二は,関係性。「希望は個人の内面だけに閉じた問題ではなく,その人を取り巻く社会のありようと深くかかわってい」て,希望があるかどうかも,社会における他者との関係による影響をまぬがれない。これが重要である背景には,「日本に急速に広まっている社会の孤独化現象」だという。その背景から,「人間関係を大事にしよう」「もっとコミュニケーションをうまくしましょう」という最近の風潮にちょっと批判的だ。「日々のコミュニケーションに疲れた人々をもっと追い込む」ことにつながる。「もっとうまく人と交わらなくてはいけないんだ。それができない自分には希望はないんだというプレッシャーがさらに強まる」と。賛成だ。コミュニケーションは大事だが,人生の中ではもっと大事なことがある。
第三は,物語,あるいはストーリー。「最初は希望がないと思い込んでいた人も,丹念に時間をかけて考えていくと,奥底から自分自身の希望に出会うことも多い」「希望を見つけるその過程で」出会うのが,物語だという。そこで思い出すのが,V.E.フランクルが言った,どんな人にも語りたい物語がある,だ。
希望の物語性についての第一の発見は,「希望の多くは失望に変わる。しかし希望の修正を重ねることで,やりがいにであえる」。「希望の多くは短観に実現しません。大事なのは,失望した後に,つらかった経験を踏まえて,次の新しい希望へと,柔軟に修正させていくことです。」統計にも,無やりがい経験の高さは,当初の希望を別の希望にへ得た人だったとう。
希望の物語性についての第二の発見は,「過去の挫折の意味を自分の言葉で語れるひとほど,未来の希望を語ることができる。」統計でも,挫折を経験し,何とか潜り抜けてきたひとほど,希望を持っている。
希望の物語性についての第三の発見は,「無駄」。「希望は,実現することも大切だけど,それ以上に,探し,出会うことにこそ,意味がある。」「希望とは探し続けるものであり,模索のプロセスそのものです。そしてみつけたはずの希望も,多くは失望に終わり,また新しい希望を求めた旅がはじまる。」
つまり「希望は,不安な未来へ立ち向かうため必要な物語です。希望のあるところには,なにがしかの物語が存在します。物語の主役は,必ず紆余曲折を経験します。挫折や失敗の一切ない物語は」ないのだ。「挫折を乗り越えるという体験があって,初めて未来を語る言葉に彩りは増します。」自分の中に自分を動かしていく,物語を持てるかどうか。もちろん未来はわからないが,「人生に無駄なものなどひとつもない。」その通りだ。悪戦苦闘して自分の希望を彫琢していく生き方でいいのだ。それこそが人生ではないか。きれいに語るものの側ではなく,汗みどろの側に物語がある。
希望だけを真正面から,学問として語るだけで,これだけの奥行きがある,つまりは人の生き方を語ることは,社会的人間としての人のつながり,社会のありようまで,視界を広げなくては語れない,その重層的な追及らまずは脱帽。久しぶりに,脳の広範囲が活性化する,読書の楽しみを味わった。
ちなみに,この本が出たのは,2010年なのに全然古さを感じない。釜石の例が出るが,新日鉄釜石の廃炉後の復興が,ちょうど震災からの復興ともダブり,いま読むことにも意味を感じた。
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2012年11月13日
老化とともに幸福感が強まる?~『脳には妙なクセがある』から
池谷祐二『脳には奇妙なクセがある』について
正直いって,本書は,『進化しすぎた脳』『単純な脳、複雑な私』やアントニオ・R・ダマシオ『生存する脳』に比べると,焦点が一点に収斂していないせいで,読むほどに脳が沸騰するという体験はしなかったが,反面連載したものをまとめたという性格もあり,多様な脳に関する最新研究情報をもらったという印象が強い。一回ではもったいない気がするので,何回かに分けて,受け止めたものをまとめてみたい。
全体の印象として最も興味を惹かれたのは,最新の脳研究の最前線での結論もさることながら,仮説を検証するための様々な実験の工夫だ。仮説か問題意識かを確かめるために,研究者が知恵を絞っていろんな実験を工夫をしている様子が,なかなか興味深い。それは,たぶん成功した例しか出ていないので,死屍累々,様々な失敗の累積の上に,この成果があるのだろうと想像してみると面白い。いかに問題意識が最先鋭でも,それを現実に着地させて,どういう実験をすればそれが確かめられるかの発想がなければ役に立たないというのは,われわれの世界でも,どんな理屈も問題意識も,現実に検証しなくては何の価値もない。その意味ではまったく同じことが言えるのかもしれない。
今回は老化を巡ってそんなことで,自分の関心を惹いたものから拾ってみたい。
運動と学力の相関について,反復シャトル走と科目別の相関を調べた例がある。その運動能力の成績と算数が最も相関し,48%,国語読解力についても,40%もの一致率を示したという。読書の内容を理解するときは,脳の前頭前野や帯状野が活性化し,計算に際しては,頭頂間溝が活性化する。この領域は有酸素運動の時活動する部位なのだという。つまり,脳の老化は,体の老化に付随しているのではないか,というわけである。それはよくわかる。集中力や思考を持続するには猛烈な体力を必要とするのだから,そして,そもそも脳も肉体なのであり,日頃の鍛錬が必要なのは,足腰だけではないのかもしれない。
ところで,加齢はあまりいいイメージはないが,アメリカの調査では,人生に対する幸福感が,U字曲線を描く。4,50代が底で,そこから上昇する,という。そのことは脳の活動パターンからも,20歳前後と55歳以上の対比で,若者がマイナスに強く反応するネガティブバイアスを持つのに対して,年配者は年とともに,ネガティブバイアスが減って,プラス面に強く反応する,という。それも,伴侶を失ったり,重病を患ったりした経験のある人ほど,ネガティブバイアスは弱い,という。
穏やかでにこにこしている年寄りが多いというのは,いいことかもしれない。またいい社会なのかもしれないが,反面歳と共に悪い感情が減っていくということは,リスク管理に難があるということを意味する。振り込め詐欺が,これだけ周囲で厳しい制約を設けても,一向減らないのは,ある意味で,そこにいい面しか見ない,という老人特有の心理傾向が反映しているのかもしれない。とするといま取り組んでいるような社会的な対応では,老人の幸福感を動かす力がない,ということになる。後からもちろん後悔するかもしれないが,その相手にさほどの悪感情をもたないのかもしれない。本当か?
夢を描くことで夢は実現するということをいうが,それは未来を想像するときに活性化する前運動野があり,それは体の運動をプログラミングする部位でもある。体の動きが未来のイメージと関係がある,という。さらに未来をいきいき想像するには,海馬が活動する。だから,海馬が老化すると,生き生き未来を描けなくなる,というわけである。脳がふけると,夢が持てなくなる,のか?
高齢者のうつ病が増えている。うつ病の四割が60歳以上なのだという。確かに年齢とともに,寝ていても,昔ほど夢も見ない。幸せ感かどうか現状に安らげば,未来(そんなに先は長くないが)を夢見る必要性もない。心穏やで安定していれば,脳への刺激が減って,痴呆はともかく,うつというのはイメージしにくい。そのせいか,老人性うつは,薬で治る率が高い。で,池谷さんはこういう。
「心境の変化というよりも,むしろ生物学的変化が引き金になっている可能性が高いのだと思います。神経伝達物質の減少という器質的な変化です。」
さて,そこで,だ。では運動すれば,その伝達物質の減少が止められるのか,だ。アメリカ保険福祉省は,一日30分の運動を勧めている。しかし74%はそれを満たしていないそうだ。
もうひとつは,我々が選択行動をとるとき,損得比較をする眼窩前頭皮質であり,他にどんな可能性があるかを調べようとするのは前頭極皮質。いわば「情報利用」と「情報収集」のバランスを取って選択するように,脳の機能上なっている。しかし老化とともに,収集型であることをやめ,身近な人との会話だけで一日が終わってしまう傾向が強い。その意味で,様々な情報にアクセスするために,人とモノとコトとかかわることで,前頭極皮質を活性化する,ということが必要のようだ。
それは老人に限った話ではない。痴ほう症にならない三条件というのがある。①有酸素運動,②メタボにならない,③コミュニケーション,という。コミュニケーションというのは通信,交流,会話という意味も含める。いつもの人ではなく,いろんな人との会話が,脳を刺激するようだ。やはり,体力が肝心だ。
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2012年11月14日
コミュニケーションにかかわる脳の機能~『脳には奇妙なクセがある』からⅡ
引き続き,池谷祐二『脳には奇妙なクセがある』について
かつてコミュニケーションを拒絶されたと受け止めると,脳にとっての衝撃は,実際に殴られたのと同じだといわれていると,読んだことがあるが,例えばこんな実験がある。
三人でバレーボールの練習をしている。初めは三人でボールを回しているが,そのうち被験者にボールが回らなくなる。自分以外は目の前で楽しく遊んでいるのをながめている,そんなのけ者状態にされた,心の痛んだ状態のとき,脳はどう反応するのか。仲間外れにされたその時,大脳皮質の一部である,前帯状皮質が活動する。前帯状皮質の活動が強い人ほど,強い孤立感を味わったという。
この部位は身体の痛みの嫌悪感に関係する。手足の痛むときに活動する部位が,心が痛むときにも活動する。このことについて,池谷さんは,こう書いている。
ヒトは社会的動物です。社会から孤立してしまっては,生きていくのがむずかしいでしょう。ですから,自分が除け者にされているかどうかを,敏感にモニターする必要があります。そのための社会監視システムとして,痛みの神経回路を使いまわすとは,見事な発明であったと言ってよいでしょう。
そこからこんなことを仮説として出している。
一見抽象的にも思えるヒトの高度な思考は,体の運動から派生している。
進化をさかのぼれば,動物は身体運動を行い,そのために筋肉と神経系を発明し,高速の電気信号を用いて,素早く運動を行おうとし,この神経系をさらに効率的に発達させた集積回路が脳,だというわけです。しかし,脳はさらに進化して,身体を省略することをする。
脳の構造で言えば,脳幹や小脳,基底核は進化的に古く,身体と深い関係がある。そうした旧脳の上に,大脳新皮質がある。大脳新皮質は,当初は,旧脳を円滑に動かす促進器であったのが,脳が大きくなるにつれて,大脳新皮質が大多数を占めるようになると,機能の逆転が起き,「ヒトの脳では,この臨界点を超え,大脳新皮質による下剋上がおきている」と池谷さんは推測する。
だから,大脳新皮質が主導権をもつヒトの脳では,身体を省略したがる。つまり,身体運動や身体感覚が内面化されることによって,脳は,「身体から感覚を仕入れて,身体へ運動として返す。身体の運動は,ふたたび,身体感覚として脳に返って」くる,そのループを,身体を省略して,「脳内だけで情報ループを済ませる」ようになる。この「演算行為こそが,いわゆる『考える』ということ」だと,推測する。その結果の,上記の心の痛みと体の痛みの共用ということが起きる。
そういうところが,言葉を使う面でもあらわれる。例えば,ひとに対して,「お前は何々だ」とラべリングするのも,相手の身体運動や行動癖を言葉によってラべリングすることで,感覚や身体運動を,脳内だけで完結していることだというのです。「時間にルーズだから遅刻する」というラベルは,よく遅刻する身体運動の頻度から,脳内でラベルづけしただけだ,という。脳内で自己完結して,理解したつもりになる,ということらしい。かつて「あなたは過去に蓋をしている」と言われたことがあるが,それは僕が,相手には何かを隠しているような不思議な印象を持ち,その理解をラベルづけでわかった気になろうとした,いわば脳の自己防衛反応だったと考えれば,なんとなく相手の気持ちもわかる。もっとも「蓋をしている自分」に気づかないだけだと言われれば,仕方がないが…。
言葉というのは,脳が誕生して5億年を1年の暦に置き換えると,大晦日の夜10時以降,というほど最近なのだが,
言語が逆に,我々の感覚を左右している。こんな例を挙げている。
青と緑の中間色を見た時,言葉でどう表現しようかと苦心する。メキシコ北部のタマフマラ語では,これに対応する言語がある。ロシア語圏でも,「明るい青」と「暗い青」に相当する単語を別々に持っていて,両者を素早く区別する。つまり,語彙の有無が認識力を左右している。さらに推し進めて,「自分や他人の感情に気づくことができるのも,言語を持っているから」だと研究結果が出ている。
このことから,敷衍すると,例のウィトゲンシュタインの言う,人は持っている言語によって,見える世界が違うというのは,脳的にもあたっていることになるらしいのだ。
ここで実感を書くと,実は老化とともに,身体が衰える。衰えることで,脳内で自己完結した思考は,貧弱になっていく気がする。なんたって健康な身体があるからこそ,脳内だけでの代用が可能だったからだ。で,ある年齢になると,身体を思い出す。必ずしも,健康管理のためだけではなく,脳の自己防衛のために,だ。何せ,意志する何十ミリ秒前には,意志させるよう脳が働き出しているのだから,意識は健康のためと思っているが,実は脳は自分の自己完結を強化しようとしているだけなのかもしれない。
そのせいか,最近身体や身体の感覚に妙に惹かれる。これも脳の自己防衛と考えるれば,それに従わないと,ぼけてしまうかもしれない。やばい!
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2012年11月24日
コミュニケーションのダブルバインドとコミュニケーション教育~『わかりあえないことから』よりⅠ
平田オリザ『わかりあえないことから』(講談社現代新書)について
企業の人材担当者は重視する能力のトップにコミュニケーション能力を上げる,という。しかし,そのコミュニケーション能力の内実がはっきりしない。学生は,「きちんと意見が言える」「人の話が聞ける」「空気を読むこと」等々という。しかし,著者は,企業が求めるコミュニケーション能力は,ダブルバインド(二重拘束)に陥っている,と指摘する。たとえば,自主性を重んじる,と常日頃言われ,相談に行くと,「そんなこと自分で判断できないのか,いちいち相談にくるな」と言われる。しかしいったんトラブルが起きると,「なんできちんと上司にホウレンソウしなかった」と叱られる。
これは,創造性や商品開発でもある。「それぞれの創造性を生かす」と言いながら,指示されたこと以外をする余地はあまりない。勝手なことをしても,上司は無視する。有名な例では,大手家電メーカーの技術者がある技術を開発し,上司に提案した。なんとその上司は,「うちのような大手がそんなことをやれるか,ほかにやるところがあるだろう」と拒まれ,挙句,本人は起業し,その技術がいまや家電各社に採用されている,という。
コミュニケーションでも本音と建前がある。たとえば,異文化理解能力,つまり異なる文化,価値観を持った人に対しても,きちんと自分の主張を伝えることができる能力でグローバルな経済環境で力を発揮してもらう。しかし一方では,上司の意思を察して機敏に行動する,会議の空気を読んで反対意見は言わない,輪を乱さない等々が暗黙のうちに求められている。
こんな矛盾した能力が求められているが,求める側がその矛盾に気づいていない,ダブルバインドの典型だ。ベイトソンは,これが統合失調症の原因だという仮説を提起したことがある(今は否定されている)が,例えば,親が「体さえ丈夫ならいい」と一方で言いながら,成績が悪いと怒り出す,こうした例と比べると,異文化理解力と同調圧力のはざまで,コミュニケーションに戸惑う状態が目に見える,と著者はいう。
著者が全国の小中学校でコミュニケーションの授業や国語教材開発を通して,気づいたのは,コミュニケーションの意欲の低下。
特に単語でしゃべる。「ケーキ」「というように。しかし子供が少ないから,優しい母親が,それだけでわかってケーキを出す。子供に限らず,言わなくて済むなら,言わないように言わないように変化する。しゃべれないのではなく,しゃべらない。能力ではなく,意欲の低下。これは学校でも同じだ。少子化で,小1から中3まで30人一クラスというところが結構ある。いくらスピーチの練習をしても,お互いに知り尽くしていて,いまさら話すことはない。少子化が「ボディブロー」のように効いている,と著者はいう。
「伝えたい」という気持ちは,「伝わらない」という経験からしか来ないのではないか。いまの子どもたちには,その経験が不足している,という。
そこで,著者は,現在のコミュニケーション問題を,二つの切り口から提起する。
ひとつは,コミュニケーション問題の顕在化,
もうひとつは,コミュニケーション能力の多様化。
第一の点については,こう言っている。
若者全体のコミュニケーション能力は,どちらかと言えば向上している。「近頃の若者は……」と,したり顔で言うオヤジ評論家たちには,「でも,あなたたちより,いまの子たちの方がダンスはうまいですよ」と言ってあげたいといつも思う。人間の気持ちを表現するのに,言葉ではなく,たとえばダンスをもって最高の表現とする文化体系があれば(中略)日本の中高年の男性は,もっともコミュニケーション能力の低い劣った部族ということになる。
リズム感や音感は,いまの子どもたちの方が明らかに発達しているし,ファッションセンスもいい。異文化コミュニケーションの経験値も高い。けっしていまの若者たちは,表現力もコミュニケーション能力も低下していない。
事態は,じつは逆ではないか。
全体のコミュニケーション能力が上がっているからこそ,どんなときも一定の数いる口下手な人が顕在化したのではないか,と著者はいう。
かつては,そういう人は職人や専門技能者になっていった。「無口な職人」だ。しかしいま日本の製造業はじり貧で,大半は第三次産業,いわばサービス業につかざるを得ない。それは製造業から転職した場合も,同じ問題に出会う。大きな産業構造の変化の中,かつての工業立国のまま,「上司の言うことを聞いて黙々と働く産業戦士を育てる仕組みが続く限り,この問題は,解決しない」という。
必要なのはべらべらしゃべれることではなく,「きちんと自己紹介ができる。必要に応じて大きな声が出せる」その程度のことを楽しく学べるすべはある,と著者はいう。
もうひとつの,コミュニケーションの多様化については,ライフスタイルの多様化によって,ひとりひとりの得意とするコミュニケーションの範疇が多様化している,という。たとえば,一人っ子が2,3割を占める。大学に入るまで親と教師以外の大人と話したことがないという学生が一定数いる。あるいは母親以外の年上の異性と話したことがないものも少なくない。身近な人の死を知らないで医者や看護師になる学生もいる。
いま中堅大学では就職に強い学生は,体育会系と,アルバイト経験の豊かなもの,つまり大人との付き合いになれている学生だ。ここで必要なのはコミュニケーション能力ではなく,慣れの問題ではないか。だから,著者は学生にこういう。
「世間でいうコミュニケーション能力の大半は,たかだか慣れのレベルの問題だ。でもね,二十歳過ぎたら,慣れも実力のうちなんだよ」
ではどう慣れされるコミュニケーション教育をするのか。二つの例を紹介している。
ひとつは,著者が手掛けた中学国語教材の中で,「スキット」を使った劇つくりをさせる。ストーリーは,朝の学校の教室で,子供たちがわいわい騒いでいる。そこへ先生が転校生を連れてくる。転校生の自己紹介と,生徒から転校生へのいくつかの質問。先生は職員室へ戻り,生徒と転校生が残されて,会話していく。
このテキストを,班ごとに配役を決めて,演じる。先生がくるまでワイワイ何の話をするのか,転校生がどこから来たのか,どんな自己紹介をするのか,先生のいなくなった後,どんな話をするか,すべて生徒たちに決めさせ,台本をつくり,それを発表する。
従来のように正解を持っていて,それによって訂正するやり方を取らず,すべてを任せる。
「日常の話し言葉は,無意識に垂れ流されていく。だからその垂れ流されていくところを,どこかでせき止めて意識化させる。できることなら文字化させる。それが確実にできれば,話し言葉の教育の半ばは達成されたといってもいい。」
という。ここに狙いがある。自分たちが使っている言葉を意識する,たとえば「ワイワイ話している」ことを具体的に検討していく中で,話さない子もいる,そこにいない子もいる,遅刻する子もいる,寝ている子もいる等々,そうしたことを意識することを通して,話さないこともいないことも,表現として感ずることになる。
いまひとつは,高校生,大学生,大学院生との演劇ワークショップ。
「わたしの役割は,せいぜい,特に理系の学生にコミュニケーション嫌いを少なくして,余計なコンプレックスを持たせないこと」
と言い切り,コミュニケーションの多様性,多義性に気づいてもらうことだ,という。使っている教材の一例は,列車の中で話しかけるというエクササイズ。
四人掛けのボックス席で,知り合いのAとBが向かい合って座っている。そこにも他人のCがやってきて,「ここ,よろしいですか?」というやり取りで,Aさんが,「旅行ですか?」と声をかけて世間話が始まる,というスキットを使う。
現実の場で,話しかける人が実は少ない。平均的には1割程度という。半分以上が話しかけず,場合による,というのが2,3割。場合によるの大半は相手による,という結果らしい。しかも各国でやってみると,様々。開拓の歴史が浅いアメリカやオーストラリアは話しかける。イギリスの上流階級は,人から紹介されない限り他人に話しかけないマナーがある等々。日本語や韓国語は敬語が発達しているので,相手との関係が決まらないと,どんな言葉で話しかけていいかが決まらないところがある。仮に相手が赤ん坊を抱いたお母さんなら,何か話しかけるかもしれない。
「旅行ですか?」という簡単な言葉をどう投げかけるかを考えることを通して,
自分たちの奥ゆかしいと感じるようなコミュニケーションの特徴が,国際社会では少数派であり,多数派のコミュニケーションをマナーとして学ぶ必要があること
そして,高校生の9割5分は自分からは話しかけないという,だからこの言葉が,その子たちのコンテキスト(その人がどんなつもりでその言葉を使っているかの全体像)の外にあるということ
普段使わない言葉のもつずれが,コミュニケーション不全になりやすい,ということ
を確かめていく作業になる。そして,「他人に話しかけるのは意外にエネルギーのいるものだ」「そのエネルギーのかけ方や方向も人によって違う」ということを実感してもらう。これも慣れる流れにはいるのだろう。
ここまで紹介して,コミュニケーションを考えていくことが,単に個人のコミュニケーション能力の問題に還元できない,社会的,文化的,教育的背景の中で生じていること,それを全体に国としてやる姿勢は見られず,何か方向違いの復古性だけが際立ち,ますます子供たちを追い詰めていく危惧を感じた。
ともすると,コミュニケーションをスキルと考えがちだ。しかし,そのスキルには,シチュエーションがある,バックグラウンドとなる文化的社会的背景がある。コミュニケーションは,その中で浮かんでいる,あぶくと考える。例えば,ヒトと話すときは,こうしましよう。こういうやり方をするといいですわ,等々。そういうあぶくの立て方をどれだけ学んでも,本当に意味があるのか。著者はそう問いかけているように思う。それは,あくまで,コミュニケーションの出来不出来を個人の能力やスキルに還元しているからだ。それができなければ,本人は追い詰められていく,ますます自分がため人間だ,と。コミュニケーションスキルを好意で教えていく人間が,実は追い込む側に加担している。
ちょっと長くなってしまったので,このつづきは,次回に紹介したい。
今日のアイデア;
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2012年11月25日
わかりあうという幻想を手放すコミュニケーション~『わかりあえないことから』よりⅡ
引き続いて,平田オリザ『わかりあえないことから』について
いま日本人に要求されているコミュニケーション能力の質が,大きく変わりつつある,と著者は言う。かつては同一民族という幻想でくくれたが,いまもう日本人はバラバラなのだ。この新しい時代には,バラバラな人間が,価値観はバラバラなままで,「どうにかうまくやっていく能力」が求められている。著者は,「協調性から社交性へ」とそれを呼んでいる。
わたしたちは「心からわかりあえる関係をつくれ」「心からわかりあえなければコミュニケーションではない」とすりこまれてきたが,「もう日本人はわかりあえないのだ」と,著者は言い切る。それを,たとえば,高校生たちに,次のように伝えているという。
「心からわかりあえないんだよ,すぐには」
「心からわかりあえないんだよ,初めからは」
この点が,いま日本人が直面しているコミュニケーション観の大きな転換の本質,という。つまり,心からわかりあえることを前提にコミュニケーションというものを考えるのか,人間はわかりあえない,わかりあえない同士が,どうにか共有できる部分を見つけ,広げていくということでコミュニケーションを考えるか,国際化の中で生きていくこれからの若者にとってどちらが重要と考えるか,協調性が大事でないとは言わないが,より必要なのは社交性ではないか,という。
金子みすゞの「みんなちがって,みんないい」ではなく,「みんなちがって,たいへんだ」でなくてはならない,とそれを表する。この大変さから目を背けてはならない,と。
ところで,日本語では,対話と会話の区別がついていない。辞書では,
会話=複数の人が互いに話すこと,またその話。
対話=向かい合って話し合うこと,またその話
とする。著者は,こう区別する。
会話=価値観や生活習慣なども近い親しいもの同士のおしゃべり
対話=あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換。あるいは親しい人同士でも,価値観が異なるときにおこるそのすりあわせなど
日本社会は,対話の概念が希薄で,ほぼ等質の価値観や生活習慣を持ったもの同士のムラ社会を基本とし,「わかりあう文化」「察しあう文化」を形成してきた。いわば,温室のコミュニケーションである。ヨーロッパは異なる宗教,価値観が陸続きに隣り合わせ,自分が何を愛し,何を憎み,どんな能力を持って社会に貢献できるかを,きちんと他者に言葉で説明できなければ,無能の烙印を押される社会を形成してきた。
たとえば,
柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺
という句を聞いただけで,多くの人々は夕暮れの斑鳩の里の風景を思い浮かべることができる。この均質性,ハイコンテキストな社会が,世界では少数派であると認識し,しかもなお,察しあう,わかりあう日本文化を誇りつつ,他者に対して言葉で説明できる能力を身につけさせてやりたい,それが著者の問題意識であることは,全編を通して伝わってくる。それは若者に限らず,同調するコミュニケーションしか身に着けないまま,転職を余儀なくされている中高年の元製造業技能者も同じ状況にある,という強い危機感でもある。
それは韓国に二十歳で留学し,海外での演劇上演,演劇ワークショップをこなしてきた著者の日本の現状への危機意識でもある。
その中で,コンテキストのずれのもたらすコミュニケーション不全を,強調している。こんな例を挙げている。
ホスピスに,50代の末期癌患者が入院してきた。この患者は,解熱剤を投与するのだが,なかなか効かない。つきっきりの奥さんが,「この薬,効かないようです」と看護師に質問する。看護師は,「これは,これこれこういう薬なんだけれども,他の薬の副作用で,まだ効果があがりません。もう少しがんばりましょう」と丁寧に説明をする。その場では納得するが,また翌日も同じ質問をする。看護師は,親切に答える。それが毎日1週間繰り返される。当然ナースステーションでも「あの人クレーマーではないか」と問題になってくる。そんなある日,ベテラン医師が回診に訪れた時,奥さんは,「どうしてこの薬を使わなきゃならないんです」と,例によって食ってかった。医者は,一言も説明せず,「奥さん,つらいねぇ」といったのだという。奥さんは,その場で泣き崩れたが,翌日から2度と質問をしなかった,という。
コンテキストを理解することは,誰にでも備わっているもので,特殊な能力ではない,と学生に説く,という。その場合,大事なことは,その能力を個人に原因帰属させないことだ。そうではなく,どうすればそういうことが気づきやすい環境をつくれるか,という視点で考えることだ。それをコミュニケーションをデザインする,と表現している。
わたしも,それはいつも感じている。組織内でコミュニケーション齟齬が起きると,個々人の能力に還元する。そのほうが楽だからだ。しかし人はミスをするし,勘違いもする,早飲み込みもする。その齟齬を置きにくい,しくみやルールをつくる。それはすでに当たり前になっている,復唱だが,同じ言葉を繰り返すことではない。自分の理解したことを相手にフィードバックするのだ。大体,しゃべったことではなく,伝わったことがしゃべったことなのだから。何を受け止めたかを必ず返すルールにする。それをたったいまからでもやろうとするかどうかだ。そこには,原因を個人ではなく,仕事の仕組み側にあるという認識がない限り,踏み出せないだろう。フールプルーフと同じ発想ではないだろうか。
最後に著者の言っていることを記しておきたい。
「いい子を演じることに疲れた」という子どもに,「もう演じなくていいんだよ,本当の自分を見つけなさい」ということが多い。しかしいい子を演じさせたのは,学校であり,家庭であり,周囲が,よってたかってそういう子どもを育てようとしてきたのではないのか,と。
第一本当の自分なんてない。私たちは,社会において様々な役割を演じ,その演じている役割の総体が自己を形成している。霊長類学者によれば,ゴリラは,父親になった瞬間,父親という役割を明らかに演じている,という。それが他の霊長類と違うところだという。しかしゴリラも,いくつかの役割を演じ分けることはできない。人間のみが,社会的な役割を演じ分けられる。
私も思う。いい加減,「本当の自分」という言い方をやめるべきだ。いまそこにいる自分がそのまま自分でしかない。いい悪いではなく,自分の価値もまた,何もしないで見つかるはずはない。必至で何かをすることを通してしか見つかるはずはない。まずは歩き出さなくてはならない。そこではじめて,自分の中に動くものがあるはずなのだ。
今日のアイデア;
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#コミュニケーション
#わかりあう文化
#察しあう文化
#役割
#本当の自分
#平田オリザ
#わかりあえないことから
2012年12月18日
冒険は異界を意識するところから始まる~『義経の冒険』をめぐって
金沢英之『義経の冒険』(講談社選書メチエ)を読んだ。
ここでいう,義経の冒険というのは,義経がジンギスカンだったという話ではなく,御伽草子『御曹子島渡』を指す。
義経は,奥州秀衡にかくまわれているが,そこでゑぞが島の「かねひら大王」のもつ「大日の法」という兵法書を手に入れるべく,とさの湊から海路漕ぎ出し,ころんが島,大手島,ねこ島,もろが島,ゆみ島,きかいが島等々を通り過ぎ,むま島,はだか島,女ごの島,ちいさご島に上陸し,やっとゑぞが島につく。そこから千島の都まで七十余日で。たどりついたかねひら大王の内裏は,八十丈の鉄の築地を張り巡らし,牛頭,馬頭,阿防羅刹といった鬼たちが門を守っていた。義経を餌食にしようとした鬼たちに取り囲まれたところで,この世の名残に笛を吹くと,鬼どもを魅了し,大王にも奏聞された。
大王は,五色の身の丈十六丈,八つの手足に,三十の角,百里の先まで届く大声の持ち主で,笛に上機嫌で,上陸した理由を聞く。義経は,大日法の兵法の伝授を賜りたいというと,それなら,わが身と師弟関係を結び,かんふう河で朝に三三三度,夕べに三三〇度垢離を取り,三年三月の精進をした後ようやくならうことができる。葦原国の大天狗太郎坊も,半ばの二十一巻で終わった。もし太郎坊よりならっているのなら,語ってみよ,その後大事を伝える,と言われ,義経は,鞍馬の山奥で習ったことをことごとく行ってみせる。大王は感心して師弟の約束を交わしたが,なかなか教えてもらえない。
大王の娘に「あさひ天女」がいるが,やがて両者は契りを交わし打ち解けあうようになり,義経は天女に,大日の兵法をひと目みたいと打ち明けた。初めは私の手におえないと拒んでいたが,懇願する義経に説かれて,覚悟を決めた天女は,父に勘当されるのを覚悟で,石の蔵を開け,義経は持ち帰った巻物を三日三晩書き写した。
天女は,父に知られる前に葦原国に帰るように訴え,一緒に行けないという天女から,追手に追われた時の「ゑんざん」「らむふうびらんふう」の法を教わり,無事日本へ着く。
わが身を案じる際は,「ぬれてのほう」を使い,茶碗の水に阿吽の文字を書けば,そこに血が浮かぶでしょう。そのときは,わが身は父の手にかかり最期を迎えたと察し,読経してこう背を弔ってほしいと言われたとおりにすると,水の上に一滴の血が浮かんだ…。かくして,義経は,兵法の威徳で日本を思いのまま従え,源氏の御代となった。
大体こんなストーリーである。ここへ結晶するまでに,『古事記』の根堅州国訪問奇譚,吉備真備入唐譚を経て,その間,陰陽道,鞍馬信仰,修験道,それに田村麻呂伝承,聖徳太子伝説等々,様々な日本の文化の地層をくぐりぬけていることを丁寧に追跡している。
しかし伝承・伝説にそんなに詳しくない読者に興味深いのは,鬼というものの意味の方だ。鬼の退治者として登場するのは,いろいろな説明の仕方がある。
ひとつは,神楽の鬼のように,来訪神のような存在。これは,里に対して,山の世界,里にとっての外部としての山の世界,つまり異界性を反映している。
いまひとつは,世界の周縁に存在し,向こう側から現れるものの存在によって,逆に,自分たちの立ち位置が中心であるとする認識を支える役割を果たす。地理的には,東北であったりする(その位置はどんどん北へ移動していく)が,もうひとつ,身近な洞穴であったり,木のほこらやを入り口とした,冥界であったり,竜宮城であったりという,異次元であったりする。
しかし『御曹子島渡』の伝本の新しいものになるにつれて,ゑぞの認識が変わって,鬼から人になっていくという。それはその当時の人々にとって,異界が異界ではなくなっていくことを意味する。異界としてまだ見ぬ世界があればこそ,それとの対比で自分たちを中心として支える物語が作れる。ある意味,異界を意識しながら,自己確認をしているのに近い。これは,何も御伽草子や伝承といった過去の話とは限らないのではあるまいか。
今日のように,世界がひとつにつながり,かつて内と外を隔てていた境界線がなくなり,公と私も,国内と国外も,リアルとバーチャルも境界線があいまいになっていき,一面均一の「いま」「ここ」だけがある,とこんな言い方をされる。別の言い方をすれば,グローバル化,インターネット化で世界は一つになった,と。
どうも,そういう単層の,均一の世界に,われわれは耐えられないのではないか,という気がする。科学一辺倒で,科学ですべてが解き明かされるかに見えて,他方で,かつて以上に,心霊現象やパワースポット,幽霊や祖霊が,かえって信じられるように,かつて鬼と呼ばれたものが,いまは別の名前になっただけではないのだろうか。鬼退治した桃太郎は,鬼が島にいったが,いまわれわれの中では,祈祷師や呪い師が,桃太郎なのだろうか。
御伽草子『御曹子島渡』は過去の世界の話とはいえない気がする。
ひょっとすると,SFの世界は,別の意味の,異界への冒険譚なのかもしれない。あるいはタイムマシンも,平行世界も,もうひとつの冒険譚なのではあるまいか。義経伝説が,異界へのわれわれの想像をかきたてたように,いまは宇宙が我々にとっての異界のひとつであり,SFはわれわれにとっての,現代の義経伝説なのだろう。
この宇宙での惑星外惑星を探すことに夢中になっているプラネットハンターの話は,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/2012-1120.html
で触れたが,かつて大航海時代,ジパング伝説に駆り立てられて,東へ,東へ向かったように,いま新たな鬼の住む異界を目指して探索しているといえるのかもしれない。そこには,鬼ではなく宇宙人が存在している。かつて鬼という存在を,奇天烈に描き出したように,われわれは「スターウォーズ」や「マーズアタック」,「アバター」で,宇宙人を奇天烈に,想像力豊かに描き出している。そうすることで,自分という存在を意識し,アイデンティティを確認しているところがある。であれば,われわれは,その世界に新たに乗り出していく,新たな義経伝説の話が,宇宙探検へのパイロットのように,これからも,別の形で,続々語られるに違いない。
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#義経伝説
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2012年12月31日
弦(ひも)は線ではなく面であり立体でもある~『重力とは何か』を読んでⅡ
前回に引き続いて,大栗博司『重力とは何か』(幻冬舎新書)を読んだ感想を続ける。
70年代からマクロとミクロを統合すると期待された超弦理論であったが, 困った問題が立ちはだかっていた。
そのひとつは,理論が成り立つためには宇宙が10次元(空間9次元+時間1次元)である必要があり,6つの余分な次元がなぜ必要なのかが,理論の欠陥とみなされたこと。
さらに,実験で見つかっていない奇妙な粒子が,理論に含まれていること。
後者は,ジョン・シュワルツと米谷民明によって,前者は,十年後の 1984年, ジョン・シュワルツらによって,6つの余剰空間を小さな空間に丸め込むことで,通常の三次元を除く余剰空間が見えなくなるメカニズムを発見し,再び日の目を見ることになる。
当時の研究者たちにとって,それは奇跡的なことだと思えました。最初からそこを目指していたわけではないのに,たまたま最高の形であらゆるパーツが揃っていた。そのため多くの研究者が「これが最終解答に違いない」と考え,超弦理論に惹かれていったのです。
当時大学院に進んだばかりの著者自身も,この分野を主戦場にしょうと決めた,という。しかし,
一筋縄では理解できません。とくに,超弦理論に使われる「カラビ=ヤウ多様体」と呼ばれる六次元空間では,2点間の距離をどうやって測るかという単純なことさえわかっていなかったのです。
そんな超弦理論の行きづまりを打破したのは,10年後の1995年,エドワード・ウィッテンが,一次元の弦でなくてもいいという画期的な構想を発表した。
「点」でない粒子を考えるなら,一次元だけではなく,たとえば,「二次元の膜」や「三次元の立体」のようなものを考えてもいいはずです。なにしろ空間が九次元まであるのですから,素粒子が広がる次元にも選択肢はたくさんある。四次元,五次元,六次元…に広がった素粒子があってもいいでしょう。……アインシュタインの重力方程式から導かれるブラックホールの解は,質量がある一点(ゼロ次元)に集まってできるものでした。しかし超弦理論の方程式を解くと,ゼロ次元に質量が集まるブラックホール以外に,線(二次元),面(二次元),立体(三次元)…などに沿って質量が集まる解があることがわかります。それをすべて考えよう,というウィッテンが提案したところから「第二次超弦理論革命」が幕を開けました。
いままでもそれに近いアイデアはあったが,一旦,そこで新しいパースペクティブが開くと,クーンのパラダイム変革ではないが,一気に視界が広がっていく。一つの仮説が行き詰まり,それを諦めず追い詰めたものが,それを突破するアイデアを着想する。そういう繰り返しの中,螺旋階段を上る,というより,踊り場から数段ステージを一気に登る,今その時代の中にあるらしい。
想定するさまざまな「膜」のことを「ブレーン(brane)」と呼びます。これは,二次元の膜を意味する「メインブレーン(membrane)という英語からの造語です。…ゼロ次元の点を「0-ブレーン」,一次元の線を「1-ブレーン」,二次元の面を「2-ブレーン」…と呼び,一般にp次元の(pは0,1,2といった次元を表す整数)の膜を「p-ブレーン」と呼んでいました。
ちなみに,英語では,「pea」は「豆」のことで,「pea brain」と言えば,「豆頭=お馬鹿さん」の意味もあり,綴りは違うが,「p-brane」は,それにひっかけたイギリス流のユーモアでもありました。
と著者は付け加えてる。そういえば,iPS細胞のiも,当時世界的に大流行していた米アップルの携帯音楽プレーヤーiPodのように普及してほしいとの願いが込められているそうだ。そういえば,最初になづけるには,それなりに発見者や発明者の思いがこもっている。
名づけるとは,物事を想像または生成させる行為であり,そのようにして誕生した物事の認識そのものであった。(中略)人間は名前によって,連続体としてある世界に切れ目を入れ対象を区切り,相互に分離することを通じて事物を生成させ,それぞれの名前を組織化することによって事物を了解する。(中略)ある事物についての名前を獲ることは,その存在についての認識の獲得それ自体を意味するのであった。(『「名づけ」の精神史』)
だからこそ,ヴィトゲンシュタインのいう,持っている言葉によって見える世界が違うことが起こる。それは別の話だが,ここでは,新たに視界に入った図,いままでは一様の地でしかなかったものに,図が見えたことを意味する。とすれば,その名づけには特別な意味がある。
この数か月後,ジョセフ・ボルチンスキーが,両端のある「開いた弦」のアイデアを提起する(この膜をD-ブレーンと呼ぶ。このDは,19世紀の数学者のグスタフ・ディリクレからとっているらしい)。それを,こう説明する。
ブラックホールの近くを閉じた弦がたくさん飛び回っているとしましょう。ブラックホールの表面は事象の地平線で,その中の様子は遠方からは観察することができません。そのため,閉じた弦の半分だけが,たまたま事象の地平線を越えて中に入ったとして,それを遠方からみると,「両端のある弦」がブラックホールの表面に張り付いているように見えます。このような考察から,ボルチンスキーは,ブラックホールの表面には開いた弦の端が張り付いていると考えました。
この結果,次のような視界が開けていく。
表面に張り付いた弦をブラックホールの「自由度」とみなせることがわかりました。物理学では,物の状態を表すのに自由度という概念を用います。たとえば,ある部屋の空気の自由度は,それぞれの分子の位置です。分子の位置をすべて決めれば,部屋の中の空気の状態が完全に決まります。
ブラックホールの場合には,その自由度が表面に張り付いた弦であることが,ボルチンスキーのアイデアによってわかったのです。自由度がわかれば,ブラックホールにどのような状態があるのかもわかり,その状態の総数(すなわち書き込める情報量)を計算することができるようになりました。
たとえば私のミクロな自由度は,私の体を構成する原子の配置にほかなりません。それになぞらえて言うなら,表面に張り付いた弦はブラックホールの「原子」のようなものだと言えるでしょう。
だとすれば,空気の分子によって熱や温度などの性質がミクロな立場から導き出せるのと同じように,「原子」である開いた弦によって,ブラックホールの発熱をミクロな立場から理解できるはずです。
その計算を最初に行ったのは,アンドリュー・ストロミンジャーとカムラン・バッファで,その結果ブラックホールが大きくなる極限ではホーキングの計算から期待された状態数(10の「10の78乗」)と一致し,質量の大きなブラックボックスでの問題を解決し,次は,ミクロの小さいブラックホールの状態をどう理解するかです。そこで,著者は,かつて三人の共同研究者と発表した「トポロジカルな弦理論」を使って,アンドリュー・ストロミンジャーとカムラン・バッファに呼び掛け,あらゆるサイズのブラックホールの状態数を計算できることを突き止める。
しかしブラックホール問題には,奇妙な計算結果が見つかる。
それは,ホーキングの計算と超弦理論の計算が一致したブラックホールの状態の数が,ブラックホールの体積ではなく,「表面積」に比例していることです。
この不思議な事実から,ひとつのアイデアが生まれる。ブラックホールの中で起きていることは,すべてその表面が知っているのではないか。つまり,
三次元空間のある領域で起きる重力現象は,すべてその空間の果てに設置されたスクリーンに投影されて,スクリーンの上の二次元世界の現象として理解することができる…。
これを,重力のホログラフィー原理と名付けられている,という。
この結果,奇妙な事態に陥るのだが,それは次回に譲る。しかし次々とアイデアに時代が開かれ,さらにまたそこから次のアイデアに導かれていく,その沸騰する雰囲気がうらやましい。もちろん,すべてが紳士的であるわけではなく,出し抜いたり,改竄したり,ねつ造したり,だましたり,人を追い詰めたり,といった,どの世界にもある葛藤,闘争もある。そのあたりは,アレクサンダー・コーンの『科学の罠』『科学の運』(工作舎)やアービング・M・クロツの『幻の大発見』(朝日新聞社)あたりに詳しい。
それでも,アイデアを競いあうという,いわばタイムラグのあるブレストというかキャッチボールは,いまや時々刻々,ネットを介して瞬時に行われている。著者が,ジョン・シュワルツらの論文を船便で待ち,スタートダッシュで三か月の遅れをとったという,焦りがよくわかる。
参考文献;
ブライアン・グリーン『宇宙を織りなすもの』(草思社)
ブライアン・グリーン『エレガントな宇宙』(草思社)
市村弘正『「名づけ」の精神史』(みすず書房)
今日のアイデア;
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#アインシュタイン
#重力
#超弦理論
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#一般相対性理論
#素粒子
#ブラックホール
#自由度
#大栗博司
#重力とは何か
2013年01月01日
われわれは二次元スクリーン上に存在している?~『重力とは何か』を読んでⅢ
前回,前々回に引き続いて,大栗博司『重力とは何か』(幻冬舎新書)を読んだ感想を続ける。
三次元空間のある領域で起きる重力現象は,すべてその空間の果てに設置されたスクリーンに投影されて,スクリーンの上の二次元世界の現象として理解することができる…。
これを,重力のホログラフィー原理と名付けられている,という奇妙な説について,ブライアン・グリーンは,『宇宙を織りなすもの』で,それをこうショッキングに表現している。
ひょっとすると私たちは,今このときも,3ブレーン(ブレーンとは膜braneのこと)の内部に生きているのではないだろうか?高次の宇宙(三次元のドライブイン・シアター)の内部に置かれている二次元スクリーン(2ブレーン)の中で暮らす白雪姫のように,私たちの知るものすべては,ひも/M理論(5つのひも理論を統合するマスター理論の意味)の言う高次元宇宙の内部にある三次元スクリーン(3ブレーン)の中に存在しているのではなかろうか?ニュートン,ライプニッツ,マッハ,アインシュタインが三次元空間と呼んだものは,実は,ひも/M理論における三次元の実体なのではないだろうか?相対論的に言えば,ミンコフスキーとアインシュタインが開発した四次元時空は,実は,時間とともに展開していく3ブレーンの軌跡である可能性はないのだろうか?つまり,私たちの知るこの宇宙は,一枚のブレーンなのではないだろうか?
著者も,「重力は幻想である」といったのは,「わたしたちが暮らしているこの空間そのものが,ある種の『幻想』」だと言えるからだ」と言っている。
私たちは縦・横・高さという三つの情報で位置の決まる三次元空間を現実のものだと感じていますが,ホログラフィー原理の立場から見れば,それはホログラムを「立体」だと感じるのと同じことに過ぎません。空間の果てにある二次元の平面上で起きていることを,三次元空間で起きているように幻想しているのです。
重力に押しつぶされて,二次元空間のようなところにいる小惑星の生命体が,地球からの知識を急速に吸収して,高度な文明へと発展を遂げていくSF小説を読んだ記憶があるが,タイトルを忘れた。
それは,ともかく,ホログラフィー原理によって,重力を含まない量子力学に翻訳できるだけではなく,量子力学だけでは解決困難な問題を,重力理論に翻訳して,アインシュタインの幾何学的な方法で解くことができるようになった。しかし,超弦理論が目指しているのは,究極の統一理論,宇宙の玉ねぎの「芯」を説明する,最終的な基本法則である。しかしまだ,道は,途上にある。
そのとき,残された大きな問題がある。
その基本法則には,理論的な必然があるのか,偶然なのか。
もし偶然だとすると,宇宙は一つだけではなく無数にあって,超弦理論で可能な選択肢は全てどこかの宇宙で実現しているのではないか。ブライアン・グリーンは,『エレガントな宇宙』でこう言っている。
インフレーション的膨張の条件は宇宙全体に散らばった孤立した領域でくり返し現れるかもしれない。そうなると,インフレーション的膨張が起こり,そうした領域は新たな個別の宇宙に発展する。こうした宇宙のそれぞれでこのプロセスがつづき,古い宇宙の遠く離れた領域で新たな宇宙が生まれ,膨張する宇宙の広がりの網が果てしなく成長する。……この大きく広がった宇宙の概念を多宇宙,その構成部分のそれぞれを宇宙と呼ぼう。……私たちが知っていることすべてが,この宇宙全体を通じて一貫した一様な物理が成り立っている…と述べた。しかし,他のもろもろの宇宙がこの宇宙から切り離されているか,あるいは,少なくともあちらのひかりがこちらに届くだけの時間がこれまでになかったほど遠く離れているのであれば,このことは他のもろもろの宇宙の物理特性には何の関係もないかもしれない。そうであれば,物理は宇宙ごとに異なると想像できる。
しかし,逆に,私たちの世界をつくっている素粒子模型は,いくつかある選択肢の中から,どうして選ばれたのか。それを「人間原理」と呼ぶようだが,
自然界の基本法則には,宇宙に人間=知的生命体がうまれるよう絶妙に調節されているように見えるものが少なくありません。
その極端なのが,ガイア理論の,ジェームズ・ラブロックの考えだが,不思議な調節は,たとえば,
太陽と地球とのちょうどいい距離。太陽から,150億メートル離れている。
陽子は正の電荷をもつので,陽子同士は反発しあう。しかし電磁気力がいまより2パーセント弱かったら,陽子同士が直接結合し,太陽は爆発的に燃え尽きる。
陽子は電子の約2000倍の重さだが,この質量比が大きすぎるとDNAのような構造をつくれない。
暗黒エネルギーは10の120乗分の一という値だが,これより大きければ,宇宙の膨張速度が速くなりすぎて,銀河は生成できない。逆に負の値だと宇宙は潰れてしまう。
空間は三次元だが,仮に四次元だと,ニュートンの法則の逆二乗ではなく,逆三乗になり,太陽系は不安定になり,惑星は太陽に落ち込んでしまう。
等々,こう基本法則を並べると,あまりにも人間に都合がよすぎる。これを神様に頼らず説明しようとするのが,人間原理だと,著者は言う。
私たちが太陽に近すぎる水星や遠すぎる海王星ではなく,知的生命体への進化に適した地球の上にいるように,私たちのこの宇宙が,たまたま私たちにとって「ちょうどよい基本法則」を持っていた…。
こう考える「人間原理」は,科学にとって最終兵器だと,著者は警鐘を鳴らす。
説得力のある仮説なのは確かですし,実際そうである可能性はありますが,安易にこの考えに頼るべきではない。最初から人間原理で考えていると,実は理論から演繹できる現象を見逃して「偶然」で片づけてしまうおそれがあるからです。
物理学の歴史においては,偶然に決まっていると思われていたことの多くが,より基本的な法則が発見されることで,理論の必然として説明できるようになりました。
そしてこういう例を挙げている。
私たちの宇宙は,三次元方向にはほとんど平坦であることがわかっています。これは宇宙の膨張のエネルギーと物質のエネルギーが絶妙につりあっているからです。もしもビックバンの一秒後に,このふたつのエネルギーがわずか100兆分の一でもズレていたら,宇宙の膨張がそのズレを増幅するので,宇宙はすぐに収縮して潰れてしまうか,急激に膨張して冷え切ってしまっていたでしょう。
この絶妙なつりあいは,人間原理でなくても,説明できる。著者は,言う。
インフレーション理論によると初期宇宙は加速的膨張によって宇宙がアイロンをかけられたように真っ平になるので,100兆分の一の精度の微調節も自然におきます。
と。そして,こう締めくくります。
科学とは,自然を理解するたる目に新しい理論を構築していく作業です。実証的検証がその重要なステップであることは言うまでもありませんが,科学の進歩とは,…ある分野から生まれた新しいアイデアが科学者のコミュニティの中でどのように受け入れられていくか,それがどれだけ新しい研究を触発しているかということも,その分野の進歩を測る重要な目安だと思います。
いま物理の最前線は,その意味で沸騰していると言っていいのかもしれない。ガイア理論のジェームズ・ラブロックがガイアシンフォニーの第4番で,こういっていた。
答えは直観的にわかり,自分を納得させるのに2年かかり,仲間をわからせるのに3年かかる。
ひとつの斬新なアイデアがパラダイムを崩し,新しいパースペクティブを開く。その醍醐味を十分知らしめる本になっている。
僕などは,宇宙が膨張している,と初めて聞いた時,その外はどうなっている?という疑問を持ったものだ。本書はそれに,間接的だがひとつの答えを出してくれていた。それが僕には拾いものであった。
ビッグバン=大爆発というと,空間の一点から,爆発物が外向きに広がっていく様子をイメージするかもしれません。そうすると,爆発物がまだ届いていないところはどうなっているのか疑問になります。しかし,宇宙のビッグバンでは,空間自身が膨張するのです。空間の膨張とは「二点間の距離が広がる」ことですから,必ずしもその空間の「外側」は必要ありません。箱が外側に向かって拡張しなくても,箱の内部の縮尺が変化すれば,二点間の距離は広がったり狭まったりします。(中略)
例えば,あなたの目の前に左から右に無限に伸びているゴムひもがあると思ってください。無限なので両端はありませんが,それでも,ゴムが伸びれば,二点間の距離は広がるし,縮めば二点間の距離は狭まります。つまり,無限の空間でも,膨張や収縮はできます。
きっとよくある質問なのでしょう。手慣れた答えです。そして思ったのは,たぶん大きさのイメージが理解を超えているのだろう。宇宙誌膨張しているという時,ゴム風船をイメージする。どうもそうではない。しかも距離に比例する速さで遠ざかっている。
距離が遠いほど遠ざかるのなら,あるところから先の銀河が地球から遠ざかる速度は,光速を超えてしまうでしょう。拘束を宇宙の制限速度としたアインシュタイン理論に反すると思うでしょうが,あの理論は宇宙の中での移動速度に関するものですから,宇宙そのものが超光速で膨張することまでは禁止していません。
では,超光速で遠ざかっている銀河は,地球から観測できるでしょうか。答えはノーです。膨張が続いている限り,その光は地球に届きません。実際,最新の観測結果によると,宇宙の膨張は止まるどころか,100億年ごとに二点間の距離が倍になる勢いで加速しています。
46億年の地球の歴史よりはるかに遠い昔が,仮に光が届いたとしても,今地球に届くのだと考えると,途方もない感覚にとらわれてくる。とても人間の間尺では測りきれないのはやむを得ないだろう。
参考文献;
ブライアン・グリーン『宇宙を織りなすもの』(草思社)
ブライアン・グリーン『エレガントな宇宙』(草思社)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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2013年01月15日
パースペクティブを広くとることで見えてくるもの~宮地正人『幕末維新変革史』を読んで
上下二冊の,宮地正人『幕末維新変革史』(岩波書店)を読んだ。
本書の中で,福沢諭吉が『西洋事情』を上梓する際,「天下にこんなものを読む人が有るか無いか夫れも分からず,仮令読んだからとて,之を日本の実際に試みるなんて固より思いも寄らぬことで,一口に申せば西洋の小説,夢物語の戯作くらいに自ら認めて居た」という,諭吉の述懐に,珍しくこういう私論を持ち込んでいる。
本物の著述というものは,人に読ませる以上に,なによりもまず自らの思考を筋道だたせるもの,自己の身体に内在化させるものなのである。(宮地正人『幕末維新変革史下』)
これが,そのまま,本書への著者の覚悟といったもののように受け止めた。
はっきり言って,こういう通史を読んだことはない。あえて言えば,大佛次郎の『天皇の世紀』が匹敵するか。でもあれは,人物中心の縦だけに視点が当たっていた。
本書の特色は,いろいろあるが,3つに整理できる。
第一は,世界史の中に突然投げ込まれる当時の日本の背景となる,欧米列強の東アジア進出から,「前史」として,書き始められる。
冒頭は,こう始まる。
マゼランが1519年,世界一周航海を行おうとした当時は,緯度だけが計測できた。
航海術の開発史は,そのまま世界へ欧米列強が進出する前提になる。つまり,日本史は,世界史レベルの中において位置づけなおされる。日本から見てわからないことが,世界史から見ると,よく見える。あの当時の日本のおかれているジレンマ,個人の有能無能,日本の有能無能だけでは測れない。自分ではコントロールできない時代の圧力といったものの中でしか見えないものがある。
第二は,この本の終りは,田中正造と幕末維新で,こう締めくくられる。
幕末期から明治初年にかけての政治体験から正造が導き出した政治原則は,反封建・反専制であり,法によって保障され,しかもその規模と大小によって決して区別されることのない私有権の擁護であった。彼はこの原則を堅持し貫徹していく中で,労働と生存権の思想にその後の闘いの中で接近していくのである。
すでにこの中に,明治の中期後期の芽がある,という考え方は,この直前の章,福沢諭吉と幕末維新の最後で,こう書くのとつながっている。
諭吉の「丁丑公論」での西郷擁護に触れて,
そのベクトルは大きく異なっていたにしろ,一貫して社会から国家を照射し,社会のレヴェルから国家のあり方を構想しようとする立場において,福沢と西郷は立場を共有していた。それだからこそ,西郷自刃の直後,公表を全く目的とせずひそかに福沢が草した「丁丑公論」こそが,最もすぐれた西郷追悼の言葉になったのである。
として,その引用の後,こう締めくくるのである。
福沢諭吉は国家に対峙する抵抗の精神を西郷に見出す。国家以前に社会があり,社会のためにこそ国家があるとの彼の思想が,自由民権運動の思想と行動にいかに多大な影響を与えたのか,その後の歴史が証明するだろう。
と。この著述全体は,地租改正と西南戦争で終わるが,そのパースペクティブは,もっと広く,自由民権運動にまで及んでいる。その締めくくりで,こう書く。
士族反乱に訴えることが不可能となった状況のもと,幕府の私政と秕政に対する新政府の正統性を保証するものとしての明治元年の五箇条の御誓文と新政府のスローガン「公議輿論の尊重」を前面に押し出し,自由民権運動によって国政参加を要求することになるのは極めて自然な流であった。しかも,新政府が掲げ,条約改正交渉出会えなくも失敗した「万国対峙」と国家主権の回復の実現,即ち不平等条約の廃棄を,自由平等運動の結果創設される国会に国民の総力を結集することによってかちとることを主要目的に構えるのである。士族運動は明治初年代の歴史動向の中から,そしてそこに根差して発展していくのである。
このことが国権拡張につながる芽も,僕はここにあると考えている。すなわち,条約改正が失敗するのは,不平等条約締結が単なる徳川政権の失政ではなく,世界側つまり欧米列強から見ると全く違うということだ。
欧米キリスト教諸国が日本に押し付けている治外法権と低率協定関税は,日本に対してだけのものでは全くなく,不平等条約体制という国際的法秩序そのものだ,という苦い真実を使節団は米欧回覧の中で初めて理解した。
そのなかから,
国家的能動性を誇示して国威・国権を回復するコースには,条約改正の早期実現による主権国家としての日本の確立という道とともに,日本を19世紀後半の世界資本主義体制に安定的に編入するため,東アジア外交関係の形成,国境画定という国際的課題で国家的能動性を顕在化させる道が存在していた。
その道が,民権・国権と対峙しながら,統一されていくのも,世界史レベルで見た日本の生き残りの,ひとつの途だったということが見えてくる。
本書の特徴の第三は,通史としての,一本道を,縦だけではなく,断面を層として膨らませていく手法がとられていることだ。
その中に,おなじみの吉田松陰,勝海舟,西郷隆盛,福沢諭吉等々とは別に,幕末期の漂流民(ジョン万次郎を含めて)のもたらす世界知識,蝦夷地に通じた松浦武四郎,町医師から奥医師となった坪井信良, さらに,個人とは別に,幕末維新期に影響を与えた,平田国学,風説留という各地の豪農,儒者,医師が書き取った手記,手紙での同時代の意見や感想,『夜明け前』のモデルとなった信州の豪農たち,蘭学者たち,国学者たち,豪農・豪商,農民が,その時代どう考えていたのか,手紙,日記を駆使して,時代の横断面から,分厚い歴史の地層を描出している。
たとえば,平田国学について,
自然科学書は当時の知識人の必読文献であり,篤胤とその門弟たちは人を批判するのに,「コペルニクスも知らないで」と嘲笑している。
と,国学者レベルの持つ幅広い知識を紹介しているし,風説留では,
(ペリー)来航情報が瞬時にして全国に伝搬し,人々がそれを記録し,そして江戸の事態を深い憂慮をもって凝視するという社会が出現していた。
という。だから,ある意味で世論があった。「幕府を守ろうとする」私権で動いていることが,幕府・幕閣を除く有意の人々には見えてくる。幕府は,見限られるべくして,見限られていく。
著書は,前書きで,こう書く。
本書の基本的視角は,幕末維新期を,非合理主義的・排外主義的攘夷主義から開明的開国主義への転向過程とする,多くの幕末維新通史にみられる歴史理論への正面からの批判である。
たとえば,攘夷について,
狭義の奉勅攘夷期を,無謀で非合理主義的な排外運動と見るのが,明治20年代から今日までの日本の普通の理解だが,著者はそうは見ていない。
民族運動の中でも,その地域に伝統的国家が長期にわたって存続し続けていた場合には,必ず国家性の回復という性格がそこにはまとわりついてくる。特に日本の場合には古代以来の王権が武家の組織する幕府と合体して,日本人にとっての伝統的国家観念を形成していた。当時の日本人の全員が感じた危機感とは,この国家解体の危機感,このままいってしまっては日本国家そのものが消滅してしまうのではないかとの得体の知れない恐怖感なのである。幕府が外圧に押されて後退するたびに,この感覚は増幅され,それへの対抗運動と凝縮行動がとられていく。(中略)
吉田松陰は刑死の直前,「天下将に乱麻,此事不忍見,故に死ぬると,此の明らめ,大いに吾と相違なり,天下乱麻とならば,大いに吾力を竭すべき所なり,豈死すべけんや,唯今の勢いは和漢古今歴史にて見及ばぬ悪兆にて,治世から乱世なしに直ちに亡国になるべし」「何卒乱世となれかし,乱世となる勢い御見据候か,治世から直に亡国にはならぬか,此所,僕大いに惑う」と述べている。この乱世を起こす能力もない日本「亡国」化の危機感が彼をあのように刑死にまで突き動かした根源なのである。
と説明している。こういう言い方もしている。
攘夷主義としてレッテルを貼られている政治思想は,少なくとも日本の場合,外国嫌いだから,あるいは世界の事情に通じていない無知蒙昧だから形成されたのではない。国家権力が外圧に対して主体的に対応不可能に陥った時,国家と社会の解体と崩壊の危機意識から必然的に発生する。その条件が消滅すれば,当然存在しなくなるものである。すべてを世界史を前提とした政治過程として理解すべきだ,と著者は思っている。
そして,この通史全体を,こう概括する。
この世界資本主義への力づくの包摂過程に対し,日本は世界史の中でも例外的といえるほどの激しい抵抗と対外戦争を経,その中で初めて,ヨーロッパは17世紀なかば,絶対主義国際体制のもとで確立された主権国家というもの(著者はこれを天皇制国家の原基形態と考えている)を,19世紀70年代,欧米列強により不平等条約体制を押し付けられた東アジア地域世界に創りあげた。そしてこの主権国家がようやく獲得した自信をもって,上から日本社会を権力的につかみ直そうとするその瞬間,幕末維新変革過程でぶ厚く形成されてきた日本社会そのものが,自由民権運動という一大国民運動をもって,自己の論理,社会の論理を国家に貫徹させようとする。この極めてダイナミックな歴史過程こそが幕末維新変革の政治過程ではないだろうか。
その意図は,おおよそ達成されている。もちろん好みを言えば,勝のウエイトより福沢が重視されている,横井小楠が軽視されすぎている等々という個人的な憾みはあるが,初めて,幕末維新史が,イデオロギーではなく,内発する人々の動機とエネルギーに焦点を当てた感じがする。
本書読むうちに,いまの時代と重なる。幕末時代,外圧に対抗することで,自らのアイデンティティを確立していった。敗戦後もそうだ。しかし,いま日本は1000兆もの借金まみれの中,また政府は新たな借金を増やそうとしている。頼みの1500兆の個人金融資産も,個人債務,株式・出資金等々を除くと,ほぼ借金と重なりつつある,危険水域に達している。その危機に,政治家も,経営者も,自治体トップも,もちろん国民も,本気で臨むものはほとんどいない。何か,まだ国に頼めば何とかなる,とぼんやり期待している。土建屋はまた公共事業に蟻のように集まっている。地方自治体は国に頼めば何とかなると思っている,企業も国の補助金をあてにし,ちょっと具合が悪いと,働かなくても,年金より多い生活保護にすがる。惰性と,無気力というか奇妙な能天気で,この先に巨大な大瀑布があるとわかっているのに,流され続けている。あの時,幕府が,世界史のテンポに比べて緩慢であったように,いまわれわれも,世界史のテンポに比して,あまりにも緩慢で,のんびりしている。
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2013年04月29日
嫌悪感は生存適応性が高い?
嫌悪感については,前回,
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で触れたが,引き続き,人間しか持たないという嫌悪感について,続けて考えてみたい。
ハーツは,面白いことを言う。
多くの感情には,ポジティブな気持ちよりもネガティブな気持ちが勝るほうが物事がうまく運ぶのだ。なかなかそんなふうには思えないかもしれない。しかし,ポジティブさよりもネガティブさの方が多めというアンバランスに基づいて行動した方が,生物学的に見ると生存適応性が高くなる。プラス面に近づくよりも,マイナスを回避する方が,生存にはずっと有利なのである。
世をあげてポジティブ思考なのだが,程度問題だ。能天気なのは,リスク対応ができない,それは人間の嫌悪感の存在理由とつながっている。嫌悪感の敏感なものが,生き残ってきた。
たとえば,ハーツは,「見るも恐ろしい」病もちの物乞いから逃げたがる衝動を嫌悪感と呼び,
嫌悪というのは,恐怖の一種,つまり病が招く緩慢で不確実な死から逃れさせるために進化した,特殊なタイプの恐怖だからである。…恐怖は衝動的で思考を伴わず湧き起こり,素早く激しく,そして差し迫った危険が招く死を避けるのに役立ってくれる。…これと対照的に,嫌悪感は学習され,熟慮的で,かなりゆっくり進行している。
一定の認知を経て理解するプロセスが介在しないと嫌悪が起きない,という。脳は,恐怖は扁桃体が活性化し,嫌悪感は,島皮質が活性化する。
嫌悪は,人間の感情をつかさどる六つの基本感情のなかでも,最新でかつ先進的であると私は確信している。(中略)人類はなぜ,恐怖というより基本的な反応から,嫌悪感を発展さ是なければならなかったのか。それは,人間の寿命が哺乳類のなかでも特別に長かったからだ。
と言う。つまり,嫌悪感の神経学的な基盤が,嫌悪感の基本的な特徴が人間を病気から守ることだ,として,ある実験の例を挙げる。
健康な被験者に無害な細菌を注射し,悪人たちがピストルで威嚇している写真か,あるいは発熱している人の写真,
咳をしている人の写真,痘痕だらけの人の写真のいずれかを見せた。次に被験者の血液を採取して,免疫反応の強さを測定したのである。その結果,病気の写真を見た人は,恐怖心をかきたてられる写真を見た人よりずっと免疫反応が強かったという。これは,病気にかかっている人を見ることで,体内の免疫システムが誘発されて,迫りくる病気と闘う反応を起動させることができることを意味する。しかし,病気の写真を見て,強い嫌悪感を感じた人は,特に感じなかった人に比べて,免疫システムの反応が低かったという。
これについて,ハーツはこう説明する。
私たちには生まれながらにバックアップシステムが備わっているからではないだろうか。嫌悪感を刺激しても病原菌から逃げたいという気持ちに心が向かわない場合には,身体が病原菌と闘おうとしてより激しく積極的に免疫システムが働く。逆にいえば,身体の免疫システムが十分にしっかりしていない時にこそ,心は嫌悪感をよりいだきやすくなるのだ。…免疫システムが危うくなると,健康そのものである時よりもよりたやすく,激しい嫌悪感を催すことが多い。
こう考えることができる。十分身体の免疫システムが働かない時は,嫌悪感で,それを回避して,「行動による免疫システム」を働かす。つまり回避して,避けようとする。
しかし醜いものや気持ち悪いものを回避することは,単に「行動による免疫メカニズム」と呼んでもいいのか?それとも,社会的差別や反感の正当化なのではないのか?そうハーツは問いかける。なぜなら,子どもはそれを避けたりはしない。だから生得のものではない。
むしろ,「不適応者」に対する嫌悪感情の根源にあるのは,もっと深いところに潜む懸念だと私は確信している。
それを「死」とハーツは言う。ある実験では,自分の死について心に浮かぶ感情をじっくり考えてもらい,死んだときに肉体に何が起こると思うかを書き留めてもらった。その結果,自分の死について考えると,嫌悪感受性が高くなった,という。だから,
いつか死ぬ運命だと想起させる他人や刺激を嫌がる気持ちは,そもそも自分自身の死への意識と,死に対していだく恐れだ。
嫌悪感をコントロールするのは,死への恐怖なのだ,と言う。そして,共感との関連で,こうまとめている。
結局,…嫌悪感は,どんな不愉快なことが我が身に起こるかについて知る,生き残るための直感だ。
その意味で,他の,喜び,悲しみ,怒り,恐怖,驚きは,嫌悪感と比べると,はるかに自動的,反射的で,しかも外から与えられる感情である。嫌悪感には,幼い子供や動物にはみられない,ある意味で自己中心的な思考と自覚が必要だ。基本的に嫌悪感は,本質的に自己焦点的であり,内省的だという。
ある意味嫌悪感が,社会的な産物なら,差別も価値観も,また内省によって崩すことができる。知識と経験が嫌悪をもたらすなら,知識と経験が嫌悪感を消してくれるはずなのだ。嫌悪感が,知的発達と同じ軌跡を描くのであれば,意味のない嫌悪は,知的レベルの低さを反映している。
参考文献;
レイチェル・ハーツ『あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか』(原書房)
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2013年05月03日
城というものの象徴性を創り出す
千田嘉博『信長の城』(岩波新書)を読む。
信長が館城とした,勝旗城,那古野城,清州城,小牧山城,岐阜城,安土城と,信長が住まった城の軌跡を通して,信長が,なそうとしたこと,めざしたものが見える,と著者はいう。
①近世城郭が獲得した強力な象徴性を創り上げたこと。これはいまでも受け継がれ,我々に影響を与えている。
②自分を頂点とした武士の権力構造を,城づくりの中につくりだしていった。
③信長を頂点とした秩序観は,城下一体にも城と町とが一体化させた,近世的な城下町を実現した。
その出発点は,父信秀から譲られ,初めて城主となった那古野城に見ることができる。信長は,林秀勝,平手政秀,内藤勝介という宿老がついた。那古野城の発掘でわかったことは,那古野城の周囲に,そうした宿老たちの,堀を備えた強固な館城群がみられたことだと,著者は言う。その周囲に,家臣屋敷を配置し,社寺や市町を再編して取り込んだ,室町時代から戦国期の城下町と変わらぬものであった。
那古野城下に凝集的に建設された館城群の堀は,強力な防御性をもち,那古野城と変わらぬ防備を施した館城を築いて,軍事力を分有し,相対的に高い自立性を持っていた,ということが,城から読めるのである。
実際林秀勝は,弟の信行を後継者として謀反を起こしたが,信長軍700に対して,柴田(勝家)・林の動員したのは,柴田1000,林700と,信長を凌駕していた。
著者は言う。
信長は生涯をかけて,大名と家臣たちの分立・連合的な権力構造を脱却し,大名を中心とした求心的な権力を生み出そうとしていきました。それは同時代のほかの大名より徹底し,また地域的な一揆体制による横並びの権力が各地に根を張った戦国期の社会構造とも異質なものでした。四方を敵に囲まれ,兄弟,一族,宿老からも背かれた若き日の過酷な経験が,信長に専制的な権力を目指す道を選ばせたのかもしれません。
次に入った清須城には,『信長公記』の記述によって,北矢蔵,南矢蔵と呼ばれる,櫓があったことがわかるが,「天主」と呼ばれるほどの櫓だった。著者は,当時の多くが山城に拠点を移していたが,当時の「大名の拠点変化に遅れた城郭形態だった」という。平らな清州周辺では,山はなく,そのために,「北矢蔵」「南矢蔵」という立派な櫓を備え,防御を重視した館城を建設したのは,尾張における戦国期拠点城郭への変化とみられる,という。ただ
清須城では館そのものが複郭化したのではなく,防御面から,館城を並列的に配置するにとどまったもので,清須城を中核として周辺の館城を階層的に再配置できる政治体制ではなかった。したがって,城の周囲には,直属の家臣や直属の商職人の住むエリアを堀で囲んだ惣構えがあり,その外にも,一般の商職人の住む市町とがある。
戦国時代の城下町は,城を中心に大名と武士・直属商工業者の住む惣構えで守られた町と,それから空間的に分離した市町という二元構造になっているが,清須城下はその構造になっている。
次の小牧山城へ移る前,二宮山へ移ると言ったが,家中の不満が大きいため,標高が三分の一の小牧山へ移ると言って,家中を納得させた。この時代は,重臣たちは,それぞれの領地に館城をもち,清須に出仕した時の屋敷を清須城下にもっていたが,妻子は本拠の館城に住んでいた。
信長は,直臣に対しては,屋敷の配置を直接指示し,信長を中心とした求心的な城下町を築こうとしたようだ。ただ,他の戦国大名に比べると,50年も遅れて山城の拠点化を始めている,ということを著者は強調している。
信長は,常に時代の先端を切り開いていたのではありません。それどころか,居城の選択という点では,大幅に遅れた大名であった。
にもかかわらず,古代以来の伝統的な都市設計ではなく,効率的な長方形街区と短冊形地割を組み合わせた,近世城下町の源流になっている,というところが面白い。しかもあらかじめ,長方形街区の街路を挟んで両側に立ち並んだ町屋の敷地奥の境界線にそって,南北に整然とした排水施設「背割り下水」が設けられていた。ここでも信長の合理性が垣間見える。
家臣との関係では,直臣はともかく重臣は,まだ別途に館城をもつという,並列的な関係が続いており,小牧山城は,先進的な街づくりと同時に中世的な面も強く残していたと言えるらしい。しかし,小牧山城の大手道をみると,山麓・山腹では,意図的に防御性の弱い,直線道にして,中心部だけを防御性を高めた曲線の大手道にするなど,信長は目指す方向に一歩歩みを進めていたようだ。
次の岐阜城では,家臣との間の絶対的な階層構造を実現しようとしている。それは裏を返すと,家臣に君臨する信長の権力基盤が圧倒的に強化され,重臣が相対的に下位になり,かつての重臣に支えられた構造ではなくなったことを反映している。
岐阜城は,大きく山上の城と山麓の館に分かれる。その間300mの比高差があり,山城には,信長家族と限られた家臣しか立ち入ることができない。一方山麓の館は,守護公権力を受けついだ公権力としての権威を象徴した,室町時代の武家儀礼にのっとった空間構成になっていたが,その構造は,七層もの曲輪を階層的に積み重ねた,しかも身分によって入り口や道が違うなど,家臣との横並びではなく,家臣の上に立つ権力者として臨んだ,という姿勢を明確に反映したものになっている。
信長の目指した圧倒的な上下関係を構造として構築した城の構造になっている。かつては,武家の一部が分散していた小牧山城に比して,劇的な変化をなし,それぞれが別個の館城を築いて分立的な面影は消え,柴田勝家も,木下藤吉郎も,一族の織田信広も,肩を並べた武家屋敷街を形成していた。城下町はやはり惣構えの内と外の二重構造にはなっているものの,惣構え外の市町には,楽市の制札を出し,市町へ引っ越すものに,特権を与えたのは有名な話であろう。
そしてその集大成が安土城ということになる。安土城は,最高所の天主を核として,山腹から山麓,周囲の平地にかけて,階層的な武家屋敷を計画し,そうした求心的な城郭構造を,実現するため,天主,高石垣,巧みな出入口,瓦葺で礎石建ちの建物群を揃えた,近世城郭を最初に実現した城となる。さらに,城下町は,城下の街全体を自由な楽市とする画期的な政策を実施し,城と町が一体化した一元的な城下町を実現した。しかし,実態は,武家屋敷は,妻子の居住する本宅ではなく,あくまで,安土に出する時の屋敷でしかなく,その意味では,まだ過渡的なものであったことがわかる。
他の戦国武将に比べると,信長は一貫して信長を頂点とした求心的な権力を目指した。他の城では,曲輪が横並びに連結した並列的な構造なのに,信長は,旧来の並列的な分立構造をリセットするように,城を建て替えるたびに,階層構造にこだわった。例えば,安土城では,信長の居所である城郭中心には瓦を用い,家臣の屋敷には瓦の使用を禁止するなどにも,典型的に意図を見て取ることができる。
信長が城下町を地域の経済・流通の拠点にしていくという,特に安土城で見せた城づくりが,近世へと受け継がれていく。その意味では,信長の目指した社会構造,自分を中心として,武家,商工業者,階層化させたものが,江戸時代の構造へとつながっていく,という気がする。
城づくりをただマニアックな構造にとどめず,信長の意図を,発掘と航空写真,絵図を対比しつつ総合的に示した本書の意図は,読後強く印象に残る。
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2013年05月05日
リーダーシップの源泉
ジョセフ・ジャウォースキーは,こう言う。
数年にわたるリーダーシップ・フォーラムでの経験から,私は,人々の中には一体感を経験したい,自分より大きなものの役に立ちたいという強い欲求があることがわかってきた。そんなふうに役立つことが人間である意味だということも理解し始めた。だからこそ,個々のメンバーよりももっと大きなものと結びつき,一つの意識として行動するチームの一員であるという経験は,人々の人生においてたぐいまれな瞬間として光彩を放つことになるのだ。
それを場ができると呼んでもいい。その時,リーダーシップのあり方も変化している。ジャウォースキーは,リーダーシップを,四段階に分けた。
第一段階 自分が中心になるリーダー
この段階では,メンバーを大切にすることができない,信念がなく,自分の意思のほかは何にも左右されない未熟な段階。その時その時で変わる可能性があり,誠実さに欠ける。
第二段階 一定の水準に達しつつあるリーダー
メンバーを大切にする程度にまで成熟している。この段階にあるリーダーにとっては,安定性が大きな価値を持つ。彼らは公正さと礼儀とメンバーに対する敬意を大切にし,必ず組織の目標を達成する。この段階になると,性向は,メンバーとともに,そしてメンバーを通して成し遂げられる。
第三段階 サーバント・リーダー
帰属意識の範囲を広げ,あらゆる人を受け入れる。第三段階のリーダーは自分の権力を使ってメンバーの役に立ったり,メンバーを成長させたりする。この段階のリーダーは「強い達成欲求」を示すが,組織のメンバーや社会の誰かを犠牲にすることはない。
第四段階 新生のリーダー
昨今の山積する課題に対しては,サーバント・リーダーシップだけでは十分ではなく,サーバント・リーダーの特徴と価値観を持っているが,全体的なレベルが一段上がる。そして目を見張るような働きをし,業績を上げるその中心には,暗黙知を使う力がある。第四段階のリーダーは,宇宙には目に見えない知性があって,私たちを導き,創り出すべき未来に対して準備させてくれると確信している。
いまの場を,いまのチームを,より大きな広がりの中で,全体の中で,位置づけなおす,ということは,意味を変えることかもしれない。意味が変わると,現実の見え方が変わり,行動の意味も変わる。
ジャウォースキーは,最終的に4つの原理にまとめる。
①宇宙には開かれた,出現する性質がある。
一連のシンプルな構成要素が,新しい性質を持った新しい統一体として,自己組織化という,より高いレベルで突然ふたたび現れることがある。そうした出現する性質について原因も理由も見つけることはできないが,何度も経験するうちに,宇宙が無限の可能性を提供してくれることがわかる。
②宇宙は,分割されていない全体性の世界である。物質世界も意識も両方ともが,分割されていない同じ全体の部分なのだ。
存在の全体は,空間と時間それぞれの断片―一つの物であれ,考えであれ,出来事であれ―の中に包まれている。そのため,宇宙にあるあらゆるものは,人間の意思やあり方を含め,ほかのあらゆるものに影響を及ぼす。なぜなら,あらゆるものは同じ完全なる全体の部分だからである。
③宇宙には,無限の可能性を持つ創造的な源泉がある。
この源泉と結びつくと,新たな現実―発見,創造,再生,変革―が出現する。私たちと源泉は宇宙が徐々に明らかになる中でパートナーになるのである。
④自己実現と愛(すなわち宇宙で最も強力なエネルギー)への規律ある道を歩むという選択をすることによって,その道では,数千年にわたって育まれてきた,いにしえの考えや,瞑想の実践や,豊かな自然の営みに直接触れる事から,さまざまな教えを受けることになる。
本物のリーダーシップとは,出現する場をうまく使って,新たな現実を生み出す技術だという。そして,あらわれることになっているものは,何を成し遂げるかを決めたときに初めて現れる。だから,自分の中から現れようとするものに,この世界の存在の過程に,耳を傾ける。世界によって支持してもらうためでなく,世界が望むとおりに世界を実現するために。
では,どうすればいいのか。マイケル・ポラニーは,そのプロセスをこうまとめている,という。
①ふとした折に,それとなく示される
発見のプロセスは,見出されるべき問題がふとした折にそれとなく示されて,おぼろげに始まる。それは心の奥から沸き起こるぼんやりした声,すなわち「明確に言い表すことのできない衝動」であり,その衝動の中で,ほかの人が存在していることに気づきさえしない問題を感じ取ることになる。
②宇宙の意思によってヒューリスティックな情熱が引き起こされる
最初に起きるぼんやりした暗示は,発見者によって,探究しようという固い決意へと変わる。これは使命,すなわち宇宙の意思によって突き動かされるヒューリスティックな情熱,自分自身より大きなものに身をゆだねるという行為へと進化する。
③身をゆだねること,奉仕する気持ち
発見者は,現れようとしているものにいっそう近づくために,自分の現在の知から離れようとする。
④精力的に理解を深める人として内在する
発見者は労苦を重ねることによって,心が整い,自分ではコントロールできない源泉から真実を受け取れるようになると信じて行動する。
⑤一歩下がることと突然のひらめき―恩寵
探求は静かに時が流れたのちに終わりを迎える。ふいに恵治がって問題の解決策がもたらされる。
⑥試してみることと確認
こうした勝利の閃光によってもたらされるものは,普通の解決策ではなく,まだ試していない方法に思い当ったにすぎない。
まさに,U理論のステップの,Uの谷の底の,「内在ひらめき」プロセスで,源泉とどう意思疎通するか,だ。
①全体を見渡す力 他の視点からの見方に,つまり別の現実があり得ることに心が開く。
②メタファーの魔法 目の前の課題について認識される状況を,不可能と思われる状況から無可能な状況に変える。
③共鳴の役割 もともと別々だった二人の私が,共有される私になり,現実に対する認識や解釈を変えられるようになる。
④不確かさに身をゆだねる 不確定性とともに流れる。現実が望むように現実に現れさせる。
⑤概念的相補性についての論証 原子スケールでの波動・粒子の二重性が相補的であるように,その現実をその現実が望むように明らかにしなくてはならない。意識と源泉も相補的,相互重なりあって経験を生む。
⑥心のセルフマネジメント 心を鍛えるツールを使う。
ボームは,その人がたゆまぬ個人的鍛錬をするならば,人の肉体は,予期せぬ大量の情報の入り口になる,といっている。
ここでは,三つを挙げている。
ひとつは,世界はひらかれ,可能性にあふれていると考えることで,心のあり方が可能性へシフトする
いまひとつは,内面を鍛える。瞑想,観想,自然の中で過ごす等々
そして,即座に行動する勇気
結局,神秘的な「啓示」や個人的な瞑想的なものに丸められてしまっているのが気にいらない。それが大事だということは認めるにしても。
監訳者金井壽宏は,こうまとめる。
出現する未来を感じて,それを現実のものにしていく。そのような力が,ビジョンに向かって,人々を巻き込み,そのビジョンを実際に現実のものにしていくというリーダーシップの基盤にある。こうしたジャウォースキーのリーダーシップ論が通常のリーダーシップ論と大きく異なる点は,その一種の神秘的な性質にある。つながり合う人々の「出現する未来」への想いが強ければ,偶然も味方となり,いろいろな流れが絶妙のタイミングと組み合わせで合流する局面がある,とジャウォースキーは示唆している。
「源泉(ソース)」とは,ボームの言葉では,「内蔵秩序」である。リーダーシップ,チームワークがうまくいくとき,ひとつの意識として行動しているという感覚をもたらすものであり,個々のメンバーよりももっと「大きなもの」に結びついているという感覚をもたらすもの,と言えよう。
ボームの言う内蔵秩序というのは,境界や単独の存在を離れ,全体論や相互のつながりを指す。「非分離の分離」という。たとえば,音楽に夢中になっているとき,それを直接経験している。フロー状態もそれだ。バラバラでありながら,一つの感覚を同時に持つというのは,確かにまれだがある。
結局リーダーシップを,また特殊なものに還元しているとしか思えない。こんなことをしているうちに社会は動く。人は飢え死にする。リーダーシップをどこかカリスマ性へ戻そうとしているようにしか見えない。だとすれば,矛盾と腹立ちを覚えるだけだ。
参考文献;
ジョセフ・ジャウォースキー『源泉』(金井壽宏監訳 英治出版)
デヴィッド・ボーム『ダイアローグ』(金井真弓訳 英治出版)
マイケル・ポラニー『暗黙知の次元』(佐藤 敬三訳 紀伊國屋書店)
今日のアイデア;
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2013年05月21日
「する」(doing)機能の脳(左脳)と「ある」(being)機能の脳(右脳)
ジル・ボルト・テイラー『奇跡の脳』(新潮文庫)を読んで。
僕は基本的に右脳・左脳と区別して語る人を信じない。人は,両方合わせて僕なのであって,片っ方では,「僕」として存在しない。機能として僕を語ることは,御免蒙る。
しかし,30代半ばで,先天性の動静脈瘤奇形(AVM)によって,大量の血液が左半球のあふれ,左脳の思考中枢の機能を失った,脳科学者が,8年かけて脳卒中から回復した奇跡的な努力をまとめた本だとすると,まずはその先入観を捨てて,受け入れるところから始めなくてはならない。
僕はキャパを超えて努力した人しか,自分を超えられないと信じているのだ。
出血したのは,左脳の,方向定位連合野(からだの境界,空間と時間),ウェルニッケ野(言葉の意味を理解する能力),感覚野(皮膚と筋で世界を感じ取る能力),ブローカ野(文章をつくる能力),運動野(体を動かい能力)にかかわる分野が出血で沈んだ。その結果,順序立てて出来事を並べる左脳が機能不全に陥り,「内部に心地よい安らぎが訪れた」という。
解放感と変容する感じに包まれて,意識の中心はシータ村にいるかのようです。仏教徒なら,涅槃の境地に入ったと言うでしょう。
具体的にはこんなふうになっていく。
…左脳の言語中枢が徐々に静かになるにつれて,わたしは人生の思い出から切り離され,神の恵みのような感覚に浸り,心がなごんでいきました。高度な認知能力と過去の人生から切り離されたことによって,意識は悟りの感覚,あるいは宇宙と融合して「ひとつになる」ところまで高まっていきました。無理やりとはいえ,家路をたどるような感じで,心地よいのです。この時点で,わたしは自分を囲んでいる三次元の現実感覚を失っていました。
左脳は自分自身を,他から分離された固体として認知するように訓練されていました。今ではその堅苦しい回路から解放され,わたしの右脳は永遠の流れへの結びつきを楽しんでいました。もう孤独ではなく,淋しくもない。魂は宇宙と同じように大きく,そして無限の海のなかで歓喜に心を躍らせていました。
しかしそれは,本来の能力が意識があるのに,系統的にむしり取られていく状態なのである。
まず耳を通ってくる音を理解する能力を失う。
次に,目の前にある何かの物体のもともとの形を見る能力を失う。
更に,何でもなかった匂いがきつく,息をするのもつらくなる。
そして,温度も振動も苦痛も,あるいはどこに手があるのか足があるのかの知覚を失う。
そして,自分自身を宇宙と同じように大きいと感じる。自分がどこのだれかを思い出す内側の声が聞こえなくなる。
そこから天性の介護人である母親と二人三脚の回復をしていくことになる。著者はこう言う。
脳卒中で一命をとりとめた方の多くが,自分はもう回復できないと嘆いています。でも本当は,彼らが成し遂げている小さな成功に,誰も注意を払わないから回復できないのだと,わたしは常日頃から考えています。だって,できることとできないことの境目がハッキリしなければ,次に何に挑戦していいのか,わからないはず。そんなことでは,回復なんて気の遠くなるような話ではありませんか。
だから,
うまく回復するためには,できないことではなく,出来ることに注目するのが非常に大切。
頭のなかに響く対話,つまり独り言には要注意。なぜなら,ちょっと油断すると,1日何千回だって,以前の自分と比べて劣っていると感じてしまうからです。
わたしがきちんと回復できるかどうかは,あらゆる課題を小さく単純な行動のステップに分けられるかどうかにかかっていました。
それらを実践する母親の辛抱強い励まし,意志的に努力を積み重ねる介護が,少しずつ著者を回復させていく。
できるだけ早く神経系を刺激する必要があることを,二人は本質的によく理解していました。わたしのニューロンは「失神状態」でしたが,専門的にみれば,実際に死んだのはわずかなニューロンにすぎません。(中略)ニューロンは他のニューロンと回路でつながって育つか,そうでなければ刺激のない孤立状態で死んで行くかのどちらかです。GG(母親のこと)もわたしも,脳を取り戻すことに闘志を燃やしていました。ですから寸暇を惜しんで,貴重なエネルギーを全部残らず利用したのです。
回復は感情を感じるプロセスで見えてきたと言う。たとえば,
新しい感情がわたしを通って溢れ出し,わたしを解放するのを感じるんです。こうした「感じる」体験に名称をつけるための新しい言葉を学ばなければなりませんでした。そしてもっとも注目すべきことは,「ある感じ」をつなぎ留めてからだの中に長く残しておくか,あるいはすぐに追い出してしまうかを選ぶ力をもつていることに,自分自身がきづいたこと。(中略)どの感情的なプログラムを持ち続けたいのか,どんな感情的なプログラムは二度と動かしたくないのか(たとえば,短気,批判,不親切など)を決めるには,やきもきしました。この世界で,どんな「わたし」とどのように過ごしたいかを選べるなんて,脳卒中はなんてステキな贈り物をくれたのでしょう。
そうして著者は,自分の脳を自分でコントロールできる力を,同時に学び身につけていく。
知りたかったのは,左脳の機能を取り戻すために,せっかく見つけた右脳の意識,価値観,人格のどれくらいを犠牲にしなくてはいけないのか,という点でした。
しかし,
脳内の出血によって,自分を決めていた左脳の言語中枢の細胞が失われたとき,左脳は右脳の細胞を抑制できなくなりました。その結果,頭蓋の中に共存している二つの独特な「キャラクター」のあいだに,はっきり線引きできるようになったのです。
それは,誰にもできると著者は言う。
あなたが,左右それぞれの「キャラクター」に合った大脳半球の住み処を見つけてやれば,左右の個性は尊重され,世界の中でどのように生きていきたいのか,もっと主張できるようになります。(中略)頭蓋の内側にいるのは「誰」なのかをハッキリ理解することによって,バランスのとれた脳が,人生の過ごし方の道しるべとなるのです。
そのバランスを,こう著者はまとめている。
わたしはたしかに,右脳マインドが生命を包みこむ際の態度,柔軟さ,熱意が大好きですが,左脳マインドも実は驚きに満ちていることを知っています。なにしろわたしは,10年に近い歳月をかけて,左脳の性格を回復させようと努力したのですから。左脳の仕事は,右脳がもっている全エネルギーを受け取り,右脳がもっている現在の全情報を受け取り,右脳が感じているすばらしい可能性のすべてを受け取る責任を担い,それを実行可能な形にすること。
著者は,コントロールのコツをこう言っている。
わたしは,反応能力を,「感覚系を通って入ってくるあらゆる刺激に対してどう反応するかを選ぶ能力」と定義します。自発的に引き起こされる(感情を司る)大脳辺縁系のプログラムが存在しますが,このプログラムの一つが誘発されて,化学物質が体内に満ちわたり,そして血液からその痕跡が消えるまで,すべてが90秒以内に終わります。
通常無意識で反応しているのを意識的に,90秒を目安に,自分で選択できるということです。例えば,90秒過ぎても怒りが続いていたとしたら,それはそれが機能するよう自分数が選択し続けているだけのことだ,というわけです。
最後に,左脳が判断能力を失っている間に見つけた涅槃体験から,著者は,脳卒中から得た「新たな発見」を,こう言い切る。
「頭の中でほんの一歩踏み出せば,そこには心の平和がある。そこに近づくためには,いつも人を支配している左脳の声を黙らせるだけでいい」と。
それも,自分でコントロールできると,著者は言いたげである。
脳の可塑性によって,著者は8年後,失われた機能を回復したが,「わたしの脳の配線は昔とは異なっており,興味を覚えることも,好き嫌いも,前とは違ってしまっている」という。ひょっとしたら,別の人間に生まれ変わっている,と言えなくもない。
参考文献;
ジル・ボルト・テイラー『奇跡の脳』(新潮文庫)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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2013年05月25日
組織の学習と個人の学習
ピーター・M・センゲの『学習する組織』を読んだ。何年前か,『フィールドブック 学習する組織「5つの能力」』を読んだ時の,脳の発酵するような興奮はなく,正直に言うと,醒めて,眉に唾をつけつつ読んでいた。
それは単に自分の側の変化なのか,時代の変化なのか,僕自身には見極めがつかない。ただ,距離を置いて,それを計っている自分がいたことは確かだ。
学習する組織のディシプリンとして,
システム思考
自己マスタリー
メンタル・モデル
共有ビジョン
チーム学習
という中で,他のディシプリンは,当たり前で,最も気になるのは,自己マスタリーだ。
自己マスタリーとは,
自分たちにとって最も重要である結果をつねに実現することができる―要するに,芸術家が作品に取り組むがごとくに人生に向き合う。自身の生涯を通じた学習に身を投じることによってそれを実現するのである。
といい,このディシプリンは,
継続的に私たちの個人のビジョンを明確にし,それを客観的に深めることであり,エネルギーを集中させること,忍耐力を身に着けること,そして,現実を客観的に見ることである。
という。別にすべての人がスーパーマンになることを前提にしているのではないと思うが,「学習」に焦点を合わせることで,何かがずれているように思えてならない。もちろん,そういう人の成長を組織が促すのは大事だが,あくまで,組織でのかかわりの中であって,それ以上でも以下でもない。組織内人生=自分の人生ではないのだから。
そういう時に,清水博さんのモデルが思い出される。これについては,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11189806.html
で触れたが,サッカーの例を挙げている。
サッカーの選手たちが,サッカー場という居場所に自分で自分の役割を位置づけることができるようになると,はじめて立派にチームプレーをすることができる。
あるいはフランスのサッカーチームとの親善試合で負けたことについて,フランスの記者が,
フランスの選手はグラウンドを広く使っていたが,日本の選手は狭く使っていた。
と評したという。
まず,ふたつのことが言える。ひとつは,人がチームに入った状態を考える。その場に入って,自分の居場所を見つけるまでに,チームから学んだり教えられたりしながら,チーム自体の居場所を知り,その目的を知り,その意味を知り,そこでの自分のいる意味を知って,はじめて自分がそこで何をするかが見えてくる。そう考えれば,我々はいつもこれを繰り返している。それを僕は,「ポジショニング」と呼んできた。
自分の「ポジショニング」がわからない人は,自分の役割どころか,何をするためにそこにいるのかが,わからないので,チーム内で主体的に仕事に関わり,仕事を創り出していくことができない。それではチームの石ころ,つまり邪魔者にしかなれない。
いまひとつは,チームのいる場所を考える。チーム内的なポジショニングだけではなく,チームの置かれている組織全体との関係の中で,チームそのものをポジショニングする,チーム外的な視点を持てないと,チームの目標を目的化する。そうではなく,チームの目的を考える視点と言ってもいい。
人の成長をサポートするのは,この視点からでなくてはならない。たとえば「知れるを知るとなし,知らざるを知しらざるとせよ。これ知るなり」という,無知の知を自覚したとき,そのサポートをするというのはいい。しかしそれはあくまで実践との関連の中でなくてはならない。
もちろん,
個人が学習することによってのみ組織は学習する。
それはその通りだが,問題は,学習の中身だ。ここが,たぶん,この本に対する姿勢の分岐点のような気がする。
自己マスタリーは,能力やスキルを土台にしているが,それらにとどまるものではない。(中略)独創的な仕事として自分の人生に取り組み,受身的な視点ではなく,創造的な視点で生きるということなのだ。
自己マスタリーがディシプリン―自分の人生に一体化させて取り組む―の一つになれば,二つの根本的な動きが具現化する。一つは,自分にとって何が重要かを絶えず明確にすることだ。(中略)もう一つは,どうすれば今の現実をもっとはっきり見ることができるかを絶えず学ぶことだ。
ビジョン(私たちがありたい姿)と今の現実(ありたい姿の現在地)のはっきりしたイメージを対置させたときに「創造的緊張」(クリエイティブ・テンション)と呼ばれるものが生まれる。…自己マスタリーの本質は,自分の人生においてこの創造的緊張をどう生み出し,どう持続するかを学習することだ。
おいおい,と思わないのだろうか,それは,その人の人生そのものであって,そこに組織がどう介入しようというのか。どこかで逸脱している,としか思えない。これをありがたがる人は,僕には理解できない。組織学習,学習する組織は大事だが,それと個々人の人生そのものとは別だ。そういう言い方をすると誤解されるが,もちろんそういう人生創造をすることが前提かもしれない。しかしそれこそ自己責任ではないか。するもしないも自己責任,自由だ。
僕はこの本のように,個人の成長に組織が関与するのを是としない。はっきり言って大きなお世話だ。しかし,個人にとっての意味を組織の意味とつなげていくための架け橋を,組織がすることはむしろ大事だ。学習の中身は,それだと思う。僕は,それを旗と呼んでいる。組織の中で,
自分が何をするためにそこにいるのか,
それは自分にとってどんな意味があるのか,
そのために自分ができることは何か,
そこで自分がしたいことは何か,
を考えていく。その限りで,個々の成長のサポートを組織ですることは意味があるし重要だ。自分の旗を立てる意味については,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11129007.html
で触れたし,そもそも仕事で,「旗」を立てるについては,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11011724.html
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/10966920.html
で触れた。それを超えて個人の生き方まで踏み込むのは,本末転倒だ。センゲだからと言ってありがたがる必要はない。ダメなものはだめだ。
思い出すのは,清水さんの,「自己の卵モデル」だ。
①自己は卵のように局在的性質をもつ「黄身」(局在的自己)と遍在的性質をもつ「白身」(遍在的自己)の二領域構造をもっている。黄身の働きは大脳新皮質,白身の働きは身体の活(はたら)きに相当する。
②黄身には中核があり,そこには自己表現のルールが存在している。もって生まれた性格に加えて,人生のなかで獲得した体験がルール化されている。黄身と白身は決して混ざらないが,両者の相互誘導合致によって,黄身の活(はたら)きが白身に移る。逆もあり,白身が黄身を変えることもある。
③場所における人間は「器」に割って入れられた卵に相当する。白身はできる限り空間的に広がろうとする。器に広がった白身が「場」に相当する。他方,黄身は場のどこかに適切な位置に広がらず局在しようとする。
④人間の集まりの状態は,一つの「器」に多くの卵を割って入れた状態に相当する。器の中では,黄身は互いに分かれて局在するが,白身は空間的に広がって互いに接触する。そして互いに混じり合って,一つの全体的な秩序状態(コヒーレント状態)を生成(自己組織)する。このコヒーレント状態の生成によって,複数の黄身のあいだでの場の共有(空間的な場の共有も含む)がおきる。そして集団には,多くの「我」(独立した卵)という意志器に代わって,「われわれ」(白身を共有した卵)という意識が生まれる。
⑤白身が広がった範囲が場である。したがって器は,白身の広がりである場の活(はたら)きを通して。黄身(狭義の自己=自分)に「自己全体の存在範囲」(自分が今存在している生活世界の範囲)を示す活(はたら)きをする。そして黄身は,示された生活世界に存在するための適切な位置を発見する。
⑥個(黄身)の合計が全体ではない。器が,その内部に広がるコヒーレントな白身の場を通じて,黄身に全体性を与える役割をしている。現実の生活世界では,いつもはじめから器が用意されているとは限らない。実際は,器はそのつど生成され,またその器の形態は器における人間の活(はたら)きによって変化していく(実際,空間的に広がった白身の境界が器の形であるという考え方もある)全体は,卵が広がろうとする活(はたら)きと,器を外から限定しようとするちからとがある。
⑦内側からの力は自己拡張の本能的欲望から生まれるが,外側からの力は遍在的な生命が様々な生命を包摂しようとする活(はたら)きによって生まれる。両者のバランスが場の形成作用となる。
組織という器の中で,白身と白身の接点にチームができる。だからと言って,黄身のありようまで組織側から変えられてたまるか。とっさにそう感じた。
この本の「学習する組織」の肝は,「自己マスタリー」だ。それだけにいただけない。
参考文献;
ピーター・M・センゲ『学習する組織』(英治出版)
清水博『場の思想』(東京大学出版会)
今日のアイデア;
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2013年06月03日
ソリューション・トークの効果
『DV加害者が変わる』を読んだ。解決志向グループセラピー実践マニュアルと副題された本書は,DV加害者プログラムでのソリューション・フォーカスト・アプローチの実践記録である。
DV加害者に対する裁判所命令の一つとしてDV加害者プログラムへの参加が義務付けられているアメリカでは,様々な治療プログラムが試みがなされているにもかかわらず,再犯率は,15~50%と言われている。このプログラムは,3カ月に8回のセッションを行うという,まさに短期プログラムにもかかわらず,再犯率は,16.7%であった。
特徴は,従来型のように,問題や原因に焦点をあてる「プロブレム・トーク」ではなく,どうなりたいか,どうしたいかに焦点をあてた「ソリューション・トーク」に集中し,次の原則に基づいて,治療に取り組んでいる。
①参加者が答えをもっている
②できないことではなく出来ることに焦点を絞る
③変化は絶えず起きている。参加者は問題や欠点があると思っているにもかかわらず,より満足のいく方法か違った仕方で対処できているときがある。
④部分の小さな変化は他の部分の変化を導く
つまり,「問題に深入りせず,目標と目に見える行動と進歩する生活を新しく有益な方法で描写することによって,意味と解決を構築することをめざす」。なぜなら,
病理や問題について話すことは自己成就的実現(言い続けると本当になること)になり,問題のある現実を維持したり解決したりしようとする私たちの注意をそらすことになる
からだという。そのために,ソリューション・トークの鍵は,ゴール設定である。
ゴールが使われ始めると,何ができないかから何ができるかに注意の焦点が移っていく。そうすると参加者は他人や自分をせめるのではなく,今とは違うより良い未来を作る責任を感じるのである。
そして,
ゴール作りの目的は変化が起きやすい状況を作ることである。参加者が自分のゴールと合致する行動をはじめたら,その行動がもたらす利点を参加者に気づかせる。ほんの小さな行動や考えの変化にも注目し,それが重要なものだと説明する。私たちの役割は,参加者が作り上げる目標とその結果としての行動が彼らにとって大きな利益であることを体験してもらい,そのための状況を作ることである。
それを,SFAの創始者,インスー・キム・バーグ,スティーブ・ディ・シェイザーは,「あたりまえのことを予想もしなかったことに変える」という。つまり,
小さな変化を見逃さない,
ことなのだ。そのため,ゴールは,6つの条件が説明されている。
①あなたの生活を改善するうえで役に立つゴールを作り出してほしい
②そのゴールは対人関係上のものでなければならない。つまり,あなたがゴールに向かって努力するときに,別の人があなたの変化に気づき,あなたの行動の変化から影響を受けるようなものでなければならない
③別の考え方では,あなたがゴールに向かって努力しているビデオテープをもってきたとすれば,あなたが「している」違ったこと,さらにはそれらが他の人にどう影響しているかをテープ上で指摘できるようなものでなければならない
④ゴールはあなたが普段していなかった何か「違う」ことでなければならない
⑤毎回ゴールへの努力を説明することになっているので,少なくとも週に2,3回は実行できるような行動でなければならない
⑥第3回のグループセッションまでに全員が承認されたゴールを作り上げていなければならないし,それに向かって努力していなければ3回目以降グループにとどまることはできない
では,セラピスト(ここではファシリテーターと呼んでいる)はどういう姿勢で取り組むのか。ソリューション・フォーカスト・アプローチのおなじみの原則といっていい。
第一は,知らない姿勢。
私たちは,参加者が彼ら自身の生活の専門家になれると信じている。(中略)変化の本質は,参加者自身が解決を創造したり見つけたりする努力のなかにあると私たちは信じている。解決は参加者の探求によってのみ得られるものである。(中略)私たちが彼らの能力を信頼していれば,彼らは自分に適した持続可能な解決に到達する…。
第二は,選択肢を作り出す。
参加者の多くは,自分の周囲の人々と出来事が,彼らの生活を支配していると感じている。彼らは周りから支配的だと言われているのに,自分では他の人々に支配されていると感じている。彼らは自分に無数の選択肢があるということを見落としている。その選択肢を自覚させ,彼らが自分の生活の専門家だという自覚を促すことがファシリテーターの重要な仕事の一つである。
第三は,変化は絶え間なく起こる。
ひとに「殴る人」「犠牲者」「うつ」「そううつ」などと分類されると,彼らが絶えず変わって変化している複雑な人だという事実を認識しにくくなる。実際にひとが「変わって」も,その変化は無視されやすく,(中略)「それは一時的なものだ」として片づけられてしまう。
第四は,あらゆるものは関連している。
小さな持続する変化は広範囲に影響する可能性がある…。小さな変化は一人の参加者の小さな持続する変化は広範囲に影響する可能性がある…。小さな変化は一人の参加者のゴール探求に活用されるものだが,グループ過程にも使われる。(中略)最も変化しそうな参加者から変化を追求し始めればよいことになる。それが変化の流れに他の参加者を引き込むからである。参加者が次々に引き込まれると,流れはさらに強くなり,人を惹きつける。流れが十分強力になったとき,グループ自体が前進し,参加者の報告に強い関心を示すようになる。
では実践としてどんな対話をするのか。
①傾聴
それは,聞いてますよ,というメッセージを伝えるだけでなく,あなたの話していることに興味があります,とかあなたの話していることは重要ですというフィードバックを参加者に伝えていることになる。
②承認
参加者の行動,感情,思考を支持し,参加者に希望を注ぎ込み,さらにゴールを追求しようという勇気を与える。
③繰り返し
参加者の説明した行動,意味,感情をさらに明確にして強化するフィードバックを与えるという意味で,鏡や反響板のような働きをする。
④拡大
参加者のゴール達成の努力に新しい意味と可能性を生み出すために,参加者の言葉を使ったり拡大したりする。
⑤評価的質問
・探索を助ける その中でどんな可能性がありますか
・計画を助ける このゴールをどうやって実行しますか,いままでとどんな違うことをしますか
・指標づくり それができたことがどうやってわかりますか
・例外探し できていたことはないですか
・スケーリングクエスチョン ゴール10のうちいまいくつ
・効果を考える それが出来たらどんなことが起きますか,それをしていたことを誰が知っていましたか
・有用性 それがどんな役に立ちましたか
・実行可能性 それをすることは無理のないことですか
・意味つげ どうやってそれが出来たんですか
・変化を起こしたのは本人 あなたはいつそれを決めたんですか
こう見てくると,ソリューション・フォーカスト・アプローチがコーチングと親和性がいかに高いかが改めて再認識できる。
参考文献;
モー・イー・リー&ジョン・シーボルト&エイドリアナ・ウーケン『DV加害者が変わる』(金剛出版)
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2013年06月05日
遺伝子の開花
かつて,神田橋條治さんが,
ボクは,精神療法の目標は自己実現であり自己実現とは遺伝子の開花である,と考えています。「鵜は鵜のように,烏は烏のように」がボクの治療方針のセントラル・ドグマです。
と書いていた。遺伝子学の堀田さんは,
遺伝子で決めている範囲を逸脱することはできない。それは厳然たる真理だと思います。ただし,遺伝子が決めている範囲をすべて使っているかというと,実はほとんど使っていないとおもうんですよ。僕だって,もし優れた指導者に出会えれば,全然違う才能を発揮して,…いたかもしれません。そういう才能を発揮するような環境にいなければ,その才能が有ることも知らずに死んでいくわけです。(中略)自分が遺伝的にもらった才能というのは,自分が思っているよりはるかに広い。それを開拓するのが,学習するということです。
というふうに語っている。つまりは,遺伝子で決定論的に決まるのではなく,非決定論的な柔軟性がある,それは少し丸めた言い方をすると,どんな生き方をするかでその開花は変わる,といってもいい。
ところで,ハエのゲノム(一組の染色体)には,約一万五千の遺伝子があり,ヒトの遺伝子は三万程度で,その差が小さいように感じるが,一個の遺伝子を変えただけで大きなことが起きるのだから,数千個も変われば,全然違うものになる。しかし,
ひとつの幹に沿って生物が進化していって,最後に無脊椎と脊椎の二つの枝に分かれたんです。それもたかだか四億~五億年前のことで,四〇億年近い生命の歴史を考えれば,別れてからの時間が全体の10パーセントなら,90パーセントは同じだということになります。
その意味では,ヒトとヒトの間の差は,平均0.1%,ゲノムとして0.1%の変動,チンパンジーとは1%の違い。10倍違う。わずか1%の差でも,
ヒトとヒトの間の距離の10倍くらいのところにチンパンジーがいるというようなイメージです。
こう空間的に示されると,不思議とイメージが鮮明になる。それもそのはずで,
脳の視角野といわれる部分は,実際に物体を見たときに働いている領域なんですが,イメージしただけでも同じように活動する…。
ことに起因している。
言語については,小さい時にある段階までに一番適応しやすい年齢があり,自然に言語を学んでいくが,
脳は,聞こえているものが言語なのか雑音なのかわかっています。赤ん坊がちゃんと言葉がわかるようになるということは,たくさんの聞こえている音の中から言葉を抽出して取り入れている…。
という。ここで不思議なのは,手話もそれと同じ自然言語なのだということだ。
アメリカの研究では,手話を第一言語として使っていたろうあ者が左脳のトラブルで手話失語になることを報告しています。
つまり,手話も赤ちゃんが自然に第一言語として覚え,手話を使っているときの脳を調べると,完全に左脳優位であるという。
ここから想像できることは,言語化する方法が何であれ,抽象化する作業は左脳が担う。必然的に,脳の機能としては同じだということだ。
では,そういう人間の脳とコンピュータを比較して,何がわかるのか。人がコンピュータをつくるので,コンピュータは人を超えられない,そういう常識は正しいのか。
たとえば,将棋のコンピュータでは,従来の,手をしらみつぶしに計算して,最も良い手を残すというやり方から,
最初に可能な手を絞り込んでしまうのです。つまり,手持ちのデータを使って,いくつかの手はありえないということで,落としてしまう。絞った手に関して深く読んで見込があるかどうかを判定して,その中で一番良いのを残すという方法を取っています。
という。「将棋のコンピュータは,捨て方を人間が教えてやった時点で,創造性に一歩近づいた」のだという。
この背後にあるのは,堀田さんの,
天才とは,ものを捨てる能力の高いひとじゃないか,…いろいろな可能性を考えるスピードが速くて,しかも,その可能性の中で,適切なものだけ残して,不適切なものを捨てる。
という考え方と照らしてみるとき,一歩人に近づいている。たとえば,
コンピュータが意志をもてるか,というのは本質的な問題です。「意志」とは,自分が自分に対して命令を出すことでしょう。…それら簡単にできます。つまり,コンピュータがある命令を別の命令で呼べばいいわけです。それは「サブルーチン」というプログラムの基本としてよく知られています。(中略)人間の脳もまさにそうなっているのでしょう。下位の命令は,脚を動かしなさい,…という「運動野」の命令なんですが,その上位の前頭葉のニューロンは,その命令に対してさらに命令を出す役割をしているのです。
本書でも言っているが,人間と同じものをつくっても仕方がない。何をするためのものなのか,というツールとして徹底するのか,人の代替をつくろうとするのか,そういう選択が現実的になってきた時代にいる,ということが実感である。
参考文献;
堀田凱樹・酒井邦嘉『遺伝子・脳・言語』(中公新書)
神田橋條治『技を育む』(中山書店)
今日のアイデア;
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2013年06月13日
なんだかなぁ
坂野潤治『西郷隆盛と明治維新』を詠む。
なぜ反乱したか,著者はこう言う。
西郷には内乱にまで訴えて実現しなければならないような『目的』は,もはやのこされていなかった。幕府を倒し,大名を倒し,近代的な中央集権国家を樹立するという西郷の夢は,すべて果たされてしまったのである。西南戦争は,西郷にとっては,大義なき内戦だったのである。
そして,桐野利秋ら急進派の暴発に引きずられたのだとする。だとすれば,長州の前原一誠,佐賀の江藤新平と同列の,いわゆる不平士族の乱の中に埋没していく。それが,西郷の虚像を崩し,「実像を再現する」という本書の趣旨からすれば,竜頭蛇尾に終わっていると言わざるを得ない。
更に最大の「征韓論」については,毛利俊彦『明治6年政変の研究』で論証された通り,「征韓」ではなく,「使節派遣」という傍証に,江華島事件に対する対応を,
是迄の友誼上実に天理に於いて恥ずべきの所為に御座候
何分にも道を尽くさず,只弱を慢り強を恐れ候神庭り起こり候ものと察せられ候
の手紙を引くというのでは,少し説得力に欠ける。当事者でない時は,岡目八目,正論を吐くことができる。人とはそういうものだ。
同時に,多くの根拠に,元薩摩藩士の勝田孫弥『西郷隆盛伝』に依拠していることも,いささか気になる。所詮伝記ではないか。上記江華島事件についての隆盛の手紙を載せたことについて,こう持ち上げる。
1895年といえば,日清戦争での日本の勝利はすでに決まっていた。そのような時,この西郷伝の著者は,西郷が「征韓」論者ではなかったことを強調しているのである。
さらに,勝と西郷の最初の会談について,
この会談の重要性を最初に指摘したのは,明治27(1894)年刊の勝田の『西郷隆盛伝』である。
として,そこに同席した吉井友美と西郷の大久保への書簡が収録されていて,最近まで両書簡の関係が明らかでなかった。もっと早くこの書に注目すべきであった,というのである。それは,こうした偉人伝をないがしろにした(?)反省と見れば,妥当なのだが。ただし,論証抜きに,これに依拠して,
西郷の復権と大久保の転換こそが,「維新の大業」の本格的な始動であるとする勝田孫弥の指摘は,的を射たものと思われる。
とするのは,いかがなものであろうか。
それでなくとも,随所に,新書とは言え,歴史家の物とは見えない筆の走りが散見される。たとえば,
1859年初めから丸5年間流刑に処した島津久光には嫌悪の情しか湧いてこないし,その久光に忠勤を励んだ5年間の大久保利通にも,筆者は好感を持てない。
西郷流刑の張本人である島津久光の幕政改革に興奮している勝海舟問いあう人物も,あまり好きにはなれない。
これ以後2年に及ぶ,徳之島,沖永良部島への西郷の流刑は,藩主の実父島津久光の無知と傲慢から出たもので,…とても許せる処置ではない。
等々,まあ私見を入れてはいけないとは言わぬが,あんまりである。それは,別のところにも現れる。たとえば,
ペリーの2度の来航に際して,「尊王攘夷」の本家とも言うべき水戸藩の態度が,攘夷の先送り,いわゆる「ぶらかし論」に転換したのである。
というのはいい,しかし,横井小楠も勝海舟も西郷も棚上げ論である,とまとめるのは,丸めすぎにもほどがある。少なくとも,西郷は知らず,小楠は,
応接の最下等は,彼の威権に屈して和議を唱えるもの。これは話にならない。結局幕府はこれを取った。次策は,理非を分かたず一切異国を拒否して戦争をしようとするもの。これが攘夷派の主張だ。長州が通告なく通過する艦船を砲撃したのはこれだ。これは天地自然の道理を知らないから,長州がそうなったように,必ず破れる。第三策は,しばらく屈して和し,士気を張ってから戦おうというもの。水戸派の主張だ。これは彼我の国情をよく知っているようだが,実は天下の大義に暗い。一旦和してしまえば,天下の人心怠惰にながれ,士気がふるいたつことなど覚束ない。最上の策は,必戦の覚悟を固め,国を挙げて材傑の人を集め政体を改革することである。天下の人心に大義のあることを知らせ,士気を一新することである。我は戦闘必死を旨とし,天地の大義を奉じて彼に応接する道こそが,義にかなうはずだ。
ということを言っている。そして,こういう詩もある。
守るに非ざれば戦う能わず
戦うに非ざれば和する能わず
和は豈に不利の事ならんや
戦守の如何なるかを顧みよ
我が武已に虜を呑めば
和は以て邦家を安んず
看(み)よ看よ今日の和
保たざるは明らかに河の如し
事実は細部に真実がある。細部をおろそかにするのは,真実を求める意思がないことの証明ではないか。まして,小楠,海舟を貶めることは,相対的に,結果として隆盛を貶めている。贔屓の引き倒しとはこのことである。
参考文献;
坂野潤治『西郷隆盛と明治維新』(講談社現代新書)
野口宗親『横井小楠漢詩文全釈』(熊本出版文化会館)
松浦玲編『佐久間象山・横井小楠』(中央公論社)
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2013年06月14日
元勲
一坂太郎『山形有朋の「奇兵隊戦記」』(歴史新書y)を読む。
元勲というのは,
明治維新を実現し,明治政府の樹立・安定に寄与した一群のカリスマ的な人物たちが「元勲」と呼ばれた,
のだそうだ。しかし,薩摩で言えば,西郷隆盛は城山で自刃し,大久保利通は紀尾井坂で暗殺され,長州で言えば,大村益次郎は暗殺され,木戸孝允は病死し,前原一誠は萩の乱で死に,広沢真臣は暗殺された。
山形有朋は,最終的に生き残り,陸軍を牛耳り,長州閥のトップとして,明治維新から第二次大戦の敗戦へと導くに至った元凶だと思っていたし,いまも変わらない。しかも,成り上がりそのままに豪邸を造り,私財を蓄え,あまつさえ大和屋和助事件では,金にまみれて危うく失脚するところを,西郷隆盛に救われた,まあそういった,金と名誉と権力にまみれた,いわば藩閥政府の首魁(たまたま生きのこったから)として,元勲の象徴的存在として君臨した。
その山形の,奇兵隊と,戊辰の国内線の自伝的戦記(『懐旧旧事』『越の山嵐』)を元にした,狂介時代の事績を振り返る。狂介は,正確には,苗字も許されない,足軽の下の中間の出身である。
世に出る機会の第一は,松下村塾の入江九一らの推挙で京都へ藩命で出て,久坂玄瑞らに出会い,梅田雲浜にあい,時勢を肌で感じたことだ。これをきっかけに,松下村塾に入門する。わずか一か月しか松蔭と接する機会はなかったが,松蔭は,「気」があると,狂介の人材を認めた。以後60年,狂介は,「門下生」と言ってはばからず,自身を松蔭の後継者として信じて疑わなかった。
松蔭の言う「草莽」が,狂介を含む,軽輩,軽率の人材を想定した,「草莽崛起」であることを考えれば,後述するように,創設者の高杉晋作ではなく,軍監として実権を握った狂介に,本当の意味の「奇兵」の「奇兵」たるゆえんがわかっていたと考えることができる。
高杉晋作は,藩の正規軍の補佐として,奇兵隊を提案し,結成する。高杉の構想では,奇兵隊は,有志の集まりであり,藩士,陪臣,軽率を選ばず,もっぱら力量を重視し,堅固の隊にしたいと上申し,その後,百姓,商人も応募してきたため,認めている。最終的に,奇兵隊士823人,うち559人の出身がはっきりしており,士48.7%,農42.4%,町4.5%,社僧4.5%の構成になる。この後,遊撃隊,八幡隊,御楯隊,膺懲隊,集義隊,南園隊といった奇兵隊的なものが400ほど結成される。
大事なのは,高杉に平等意識があったのではない,ということだ。攘夷決行に当たり,外国襲撃に備える兵力不足を補うための動員に過ぎない。したがって,身分差は変わらず,袖章の素材一つとっても,士分は絹,足軽以下は晒と決められていた。が,応募する側は,栄達の機会と期待し,農家の次三男をはじめとして,藩内から野心に燃えて入隊希望が殺到した。
四国連合艦隊の襲来で,一敗地にまみれた経験が,奇兵隊の性格を変えていく。第一次長州征伐で藩論が変わり,実験を握った「俗論派」はひたすら恭順し,奇兵隊をはじめとする諸隊に解散命令を出す。しかし奇兵隊他主力はそれに応じず,狂介は,あくまで戦いによる政権交代を主張する。この間隊の軍規を独自に定め,藩命に逆らう非合法の諸隊は,山口に駐屯,諸隊幹部による独自の意思決定システムを築きあげていく。
しかし結果として藩内内戦の導火線を引いたのは,高杉晋作で,狂介ら諸隊指導部の逡巡や躊躇をしり目に,わずか80名を率いて,決起する。この辺りが,高杉の決断力のさえているところで,結局諸隊は引きずられるようにして,俗論派との決戦に踏み切り,絵堂急襲で口火を切り,大田で俗論派を破る。この大田・絵堂の闘いで勝利を導いた狂介には,この戦いが「維新の元素」を創ったとの自負があった,という。
一方高杉晋作は,あくまで正義派として奇兵隊他諸隊を政権奪取の軍事力として利用はしたが,諸隊の下級武士や庶民を新政権に加える気はない。しかし諸隊は,藩政府を監視したり,威嚇する勢力として,存在感を増す。高杉は,上士で構成する干城隊を結成して,諸隊の上におき,「諸隊の指揮号令も干城隊総督,政府より請け,…諸隊の総管を呼び申し合わす」ようにするのだという。しかし高杉の想定以上に,下級武士や民衆の勢いが強く,統括できなかった。そのエネルギーの中心に,狂介がいたとみることができる。
傑作は,萩へ進軍するにあたって,世子を押し立ててくる政府軍に,「洞春公(毛利元就)の神霊」と書いた紙切れ一枚で対抗しようとする狂介の発想だ。この発想は,既得権益や既得制度に胡坐をかく上士にはない,松蔭の期待した「草莽」の発想に他ならない。ここは,狂介の面目躍如といっていい。
こうした背景から,狂介は,戊辰前後,武力討伐へ変じる辺り,逡巡する藩上層部に反し,九州制圧,近畿制圧といった倒幕を堂々と藩に対して主張している。諸隊を牛耳る実力者として,その存在が大きくなっているのがわかる。藩首脳が逡巡し,決断しないのをみると,狂介は,諸隊の集団数百人規模での脱藩を計画する。
著者は言う。
山形は慎重な性格だったが,時に大胆な決断をし行動することがあった。この点高杉に通ずるものがある。自分たちの意見が通らないからといって,一度に数百人の兵士が脱藩するなど,史上類を見ないであろう。
こうして,戊辰戦役を戦い抜いた諸隊は,山口に帰還するが,山形は,軍功により永世禄600石を得,奇兵隊を離れ,海外巡遊の旅に出る。しかしその間,論功行賞も十分なされないまま,身分を重視した東京常備軍兵への選抜6-名以外は,「土民は農に帰り,商夫は商を専らに」と,解散させられる。
それを不満とする奇兵隊,鋭武隊,振武隊,遊撃隊,健武隊,整武隊などの諸隊1200名が山口を脱走,最終的には2000名に膨れ上がったが,木戸指揮下の軍に撃破され,最終的に,百名を超える隊士が処刑され,決着をつけられる。
結果的に,高杉晋作が,そして木戸孝允が目途したように,戦力として利用されただけで,奇兵隊と諸隊は抹殺されたといっていい。その血の上に,山形の栄達がある。
しかし,考えようによれば,西郷,高杉,大久保,木戸と40代で死んだのに比し,85歳の往生を遂げた山形の,生き残りがちといっていい。
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2013年06月23日
脳が教えること
V・S・ラマチャンドラン『脳のなかの天使』(山下篤子訳)を読む。
前作の『脳のなかの幽霊』に衝撃を受け,つづいて『脳のなかの幽霊、ふたたび』も読んで,三作目になる。今回の『脳のなかの天使』という訳題はどうも変だ。原題は『The Tell-Tale Brain』とある。まあ,脳が暴露することというか,脳の告げ口というか,脳が教えることという方が,原題のニュアンスに近いのではないか。
ラマチャンドランは,
進歩がいかにめざましくても,私たちは私たち自身に完全に正直でありつづけ,人間の脳について知るべきことのうち,小さな断片しかまだ発見できていないと認める必要がある。
といいつつ,本書の主題を,
まず,人間は心にユニークで特別な存在であり,「単なる」霊長類の種のひとつではない。
もうひとつ共通する主題は,全体にわたる進化的見地である。脳がどのように進化したかの理解なしに,脳が働く仕組みを理解するのは不可能である。
と述べている。ダーウィンのブルドックと称されたハクスリーとその論敵(神の)創造論者オーウェンの説を紹介しながら,ラマチャンドランは,こういう。
人間の脳は…実際にユニークであり,類人猿のそれとは大きなへだたりによって区別されるという主張において,オーウェンは正しかった。しかしこの見解は,人間の脳は,何百万年という年月によって少しずつ,神の介入なしに進化したというハクスリーやダーウィンの主張と完全に両立する。
そして,こう想定する。
そして今から15万年ほど前に,鍵となる脳構造と機能が爆発的に発達し,それらの幸運な組み合わせの結果として,私が論じている意味において人間を特別な存在としている精神的能力が生じた。私たちは誠信書房の相転移をくぐりぬけたのである。脳部位はすべてもとと同じままそこにあったが,それらがいっしょになって開始された新たな働きは,部分の総和をはるかにうわまわるものだった。
その基本姿勢は,上記からわかるように,仮説を立てるところだ。こう言っている。
科学は世界についての素朴な,偏見のない観察からはじまるという考えはよくあるまちがいで,実際はその反対である。未知の領域を探求するときはつねに,真かもしれない暗黙の仮説―あらかじめ考えた見解もしくは偏見―から出発する。イギリスの動物学者で科学哲学者のピーター・メダワーがかつて述べたように,私たちは「知識という牧草を食べる牛」ではない。発見の行為はすべて,決定的に重要に二つのステップをともなう。第一は,何が真であるかについての推量を明確に述べること,第二は,その推量を検証するために不可欠の実験を考案することである。
そして,ダーウィンを引用する。
誤って事実とされたことは,長くそのままになりがちなので,科学の進歩にとって極めて有害である。しかし誤った見解は,たとえなんらかの証拠によって支持されていようと,ほとんど害をなさない。誤りを立証するという有益なだれもが実行したがるからだ。
その意味で,本書は,神経科学者として接してきた様々な患者の症例をベースに大胆な仮説と大胆な実験に満ちている。例の,切断した手足が痛むという幻肢の話は,やはり衝撃的だし,それを鏡で脳を騙して,軽減させるという実践は,何度見ても,そのユニークな「実験の考案」には脱帽する。
さて,本書の肝は,「人間のユニークさ」にある気がする。それを失った症例から,ラマチャンドランは大胆に仮説を立てている。そのいくつかを紹介してみる。
自動車事故で頭部に重傷を負い,前部帯状回が損傷し,無動無言症と呼ばれる半昏睡状態になった患者は,歩くことも話すこともできない寝たきりの状態で,人を認識することもできなかった。驚くべきことに, 父親が隣の部屋から電話してくると,意識がはっきりして父を認識して話せる。しかし部屋へ戻ってくると父を認識できず,元の状態に戻る。ラマチャンドランは,こう推測する。
前部帯状回にいたる視角の経路のある段階だけが選択的に損傷され,聴覚の経路だけが健在だったとしたらどうか。(中略)ジェイソンの視覚運動システムは,それでもまだ,空間内の対象物を追い,自動的にそちらに目を向けることはできるが,彼は見ているものを認識できず,それに意味つげることもできない。ジェイソンは,父親と話しているときをのぞくと,意味のある豊かなメタ表象を形成する能力に欠けている。メタ表象は,わたしたち人間の生物種としてのユニークさのかなめであると同時に,個人としての独自性や自己感にとっても不可欠である。
そこからこう仮説を立てていく。
脳は,進化の歴史のごく早い時期に,外界の対象物の一次感覚表象を形成する能力を発達させた。この一次感覚表象が引き起こす反応の数は非常に限られている。たとえばラットの脳は,ネコの一次表象―具体的には,反射的に避けなくてはならない,やわらかな毛でおおわれた,うごいているものという表象―しかもてない。しかし人間の脳がさらに進化したとき,ある意味で古い脳に寄生する第二の脳(正確にいえば一セットの神経結合)が出現した。この第二の脳は,第一の脳からの情報を処理し,それを,言語野シンボル思考を含む幅広いレパートリーのより洗練された反応に使える,あつかいやすいチャンクにすることによって,メタ表象(表象の表象―高次の抽象)をつくりだす。
さらに,
メタ表象は私たちの価値観,信念,優先順位づけなどに欠くことのできない前提条件である。(中略)そうした高次の表象は,心のなかで,人間に独特のやり方でさまざまに操作することができる。それらは私たちの自己感と結びついて,私たちが外界…で意味を発見しそれに対する自分の立場を決定することを可能にしている。
その意味で上記症例の患者は「断片化された自己」しかもたない。そこから,ラマチャンドランはこう言う。
自己は自己自身が信じているような一枚岩的な存在ではない。(中略)自己は多数の構成要素からなっており,単一の自己という見解は幻想かもしれないと,神経科学は私たちに告げている。
しかし,別の言い方をすると,メタ化の中に自己の本質があり,キルケゴールが,
自己とはひとつの関係,その関係それ自身に関係する関係である。あるいはその関係においてその関係がそれ自身に関係するということ,そのことである。
という言葉につながる。単なるメタだけではなく,メタ関係のメタだから,そのリンクの一部でも切れれば,自己は一部消えて行く。 脳に,脳の構造に,その答えがある。
参考文献;
V・S・ラマチャンドラン『脳のなかの天使』(山下篤子訳 角川書店)
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