2012年11月08日
質問を効果的に使う~土俵の効果
質問については,コーチング的な意味と位置づけについては,例えば,次のようなことが言えるし,
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod06432.htm
またコーチング的対応とそうでないやり取りとの違いは,
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod064301.htm
とまとめることができる。
でも,もう少し先を考えてみたい。
たとえば,「コーチングのスキルは,注意を向けることに尽きる」(ジョセフ・オコナー&アンドレア・ラゲス『NLPでコーチング』)という言い方もあるし,「注意を向けるだけで,心はつながる。それが欠けていては,共感は生まれようがない」(ダニエル・ゴールマン『SQ 生きかたの知能指数』)ともいう。
ゴールマンは,注意を向けるということについて,さらに,
「相手に注意力を集中するほど,相手の内面を鋭敏に感じ取ることができる。より迅速に,より微妙な信号まで,より曖昧な状況においても,感じ取ることができる。逆に,ストレスが大きければ,それだけ相手に対する共感力は落ちる」
「このような特別の結びつきにはつねに3つの要素が伴うことを,ローゼンタール(ハーバード大学教授)は発見した。お互いに対する心の傾注,肯定的な感情の共有,そして非言語的動作の同調性,である。この三要素がそろったとき,ラポールが生まれる。お互いに対する心の傾注は,第一の重要な要素だ。2人の人間が互いに相手の言動にきちんと注意を向けるとき,そこには互いに対する関心が生まれ,2人の集中力がひとつになって知覚が結びつく。お互いが注意を向け合う状態になると,感情を共有しやすくなる」
ともいう。それを,私は,共通の土俵という言い方をする。土俵というと,「戦う場」のイメージが強いので,共通の場でも,フィールドでも,舞台でも構わないが,ともかく,一緒の地平に立っているということが大事なのだ。
「流行のハウツー本に書かれている内容とは反対で,意図的に腕の組み方や姿勢を真似て相手に調子を合わせても,それ自体でラポールが高まるわけではないのだ」という。これは,その通りだと思う。この背後には,
「ドイツ語の『Einfühlung』は,1909年に初めて英語に訳され,「empathy(共感)」という新造語として伝わったが,このドイツ語を文字通りに訳すならば,『~の中へ感じる』であって,他者の感情を内的に模倣することを示している。『empathy』という訳語を作ったセオドア・リップスは,『サーカスで綱渡りをする芸人を見ているとき,私は自分が彼の内側に入ったような気持ちになる』と述べている。他者の感情を自分自身の身体で経験するような感覚だ。そして,そういうことは確かに起こる。神経科学者たちは,ミラーニューロンの働きが活発な人ほど共感も強い,と指摘している。」
なのだと,例のミラーニューロンまで挙げている。しかし,こんなことよりなにより,土俵にのるようにすればいい。一番いいのは,相手の土俵にのることだ。
たとえば,部下に,「バカヤロー」と,その失策やミスを頭ごなしに叱るのは,正解を自分が持っているところから,自分の土俵で言っている。これを,
「自分で振り返って,俺はなんて馬鹿なことをやってるんだって,思うことない?」
と問いかければ,部下は自分自身の中で,答えを見つけなくてはならないだろう。質問は,質問されたものが,自分の中に答えを見つけようとすることなら,問う側から,相こ手に考えてほしいことを,命ずることなく,探させることになる。
「お前は,あほか!」
というよりは,
「お前さんは,自分で振り返って,おれはあほか,と思うことない?」
と問いかけたほうがいい。ただし,その問いに答えられないようなタイプもいる。正真正銘の考えないタイプの場合は,噛んで含めるように,小さなステップを,ひとつひとつ,叱りながら導くしかない。しかしその場合でも,相手に,なぜ自分が相手を叱っているか,の思いをきちんと伝えなくてはいけない。基本的に,
口に出さないことは伝わらない。
と私は思っているので,たとえば,「今ここで,これをきちんと覚えておかないと,ここで働く戦力とはみなされないぞ。」というように。
で,このことは,単に,叱るとか指導といったことだけではなく,アイデアや発想のおいても,必要だと思っている。これについては,
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/view51.htm
でもふれたが,一緒につくりあげていく,というのは,一緒の土俵に乗らない限りできないことなのだ。
【注】ミラーニューロンは,相手の動作を見ただけで活性化する。ミラーニューロンの多くは,運動前野にある。実際の会話や動作,運動を起こそうとする意図まで含めて,運動にかかわる神経を支配する部分のそばにあることで,他人の動作を見ただけで,自分の脳内で同じ動作を起こす部分が即座に活性化する。人間のミラーニューロンには,物まね以外にも,意図を読み取る,相手の行動から社会的願意を推論する,感情を読み取るなどの働きがあり,共感性の神経科学的な根拠となっている。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#質問
#コミュニケーション
#部下指導
#叱る
#ミラーニューロン
#土俵
2014年05月29日
やる気
やる気については,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163480.html
で触れたが,以前書いたのをもとに,自分なりにやる気ということについての考え方を,整理し直してみた。
①まず,「やる気がない」という評価は正しいか
「やる気がない」を前提に,なぜやる気がないのか(原因探求),どうしたらいいのか(手段検討),と対応するのは,やる気の問題でなければ,的外れになる。やる気がないとみえたときでも,背後を推測してみると,さまざまことが想定でき,一筋縄ではゆかないのである。
第一に,本当に本人のやる気の問題なのかどうかである。上司が,やる気がないと判断しているのは,自分の期待している仕事の仕方,仕事への取り組み姿勢,仕事の遂行能力ができていないからだが,部下には一杯一杯だけなのかもしれないし,これで十分やっているつもりなのかもしれない。それは,上司の期待が相手との間ですりあわされていないことを意味する。
第二は,仮にやる気がないとしても,それが本人だけの問題なのかどうかである。本人にはやる気があっても,それを果たす知識やスキルが欠けていたのかもしれない,聞きたくても,周囲は自分の仕事で精一杯で声をかけられない状況かもしれない,上司や同僚との関係に悩んでいるのかもしれない等々,そうなった別の理由があるかもしれないのである。とすると,それは上司が部下の見積もりを誤ったことからきているのである。
②どういうときにやる気をなくすのか
有名な心理学実験に,繰り返し逃れられない電気ショックを経験した犬は,避けられる場面でもそのショックを回避しようとせず無抵抗になるという。これを学習性無気力というが,自分でコントロールできない経験を重ねることで無気力になるのだというのである。それには,ふたつの要因がある。
○自分自身にコントロールできない原因があると感ずる場合(内的要因)
○外的状況がコントロールできない原因があると感ずる場合(外的要因)
要は,
自分のリソース(知識・経験・スキル)のせいと思うか,
相手(状況・条件)のせいと思うか,
だが,どちらにしても,結局自分に帰ってくる。自分にはとうてい無理だと思うか,たまたま難しすぎたが,次は努力すればできると思うか。それは,過去に成功体験をもっているかどうかによって,自分は何とかできる人間と思っているか,いつも失敗している人間だと思うかによる,といってもいい。逆に言えば,努力すればコントロールできるという自信がもてていれば,無気力に陥るのを避けられるのである。そういう自信をどうつけさせるかの問題と考えてみることが大事なのである。
③そもそもやる気とは何か
「やる気」の「遣る」とは,「ものごとをはかどらせる」こと,やる気とは,
物事を積極的に進めようとする目的意識(広辞苑)
とある。やる気があるとは,それをするための「何か」(目的)が自分の中にあることなのである。それをするためならその気になれる,たとえば,それをする意味や価値や魅力(大切さや値打ち,面白さや楽しさ),興味や関心,自己表現(目立つ,存在感,賞賛)等々が必要なのである。
しかしそのことにどんなに価値や魅力があっても,自分にやれる(できる)と思えなければ,願望や夢,憧れで終わるだろう。その距離が遠すぎれば,努力する気にすらならないだろう。
④やる気がある状態とはどういう状態なのか
そう考えると,やる気がある状態には,
●その気になれる意味や価値がある(やりたいことかやりたいもの)こと,
●それが自分にも,(努力すれば)やれると思えること,
が必要である。ただ,厳密に言うと,「やれる」と思うには,「やれる」という予感(自信)だけの場合と実際に「やれた」経験(実績)があってそう感じる場合とがある。予感だけなら,うぬぼれや過信も入る。現実にぶつかったとき通用する根拠もないのに,のうてんきに自信だけをもたれても困るのである。
そこで,「やれる」と思えるには,
●自分ならできるのではないかという自分への自信(あるいは自分へのプラスイメージ)だけでなく,
その裏づけとして,
●具体的にどうやればいいかがある程度見通せ(こうすればいいのではないかという予想が立ち),それなら自分にできると思えることが必要になる。
そういう予想ができるには,ある程度経験が必要である。自信を空手形にしないためには,担保となる経験が必要なのである。つまり,
第1に,「やりたいこと」が「やれる(かも)」と思えること,
第2に,「やれる(かも)」が「やれた!」経験の裏打ちをさせること,
この2つをセットにして,やる気を現実に着地させることが必要なのである。
⑤「やれた」ことで「やれる」を強化する
経験の裏打ちをさせるにも,まず実際にやらせなくてはならない。自分にもできると思えるには,
・やることのおおよその見通しができる,
・こうすればいいという,やり方の予想ができる,
・それをするのに必要な知識やスキルが自分にあると思える,
ことが必要である。それには,
・十分やれる可能性のあるものにチャレンジし,
・まず,確実に達成した成果をえて,
「やれた!」という成功感を感じることが必要である。
「やれる(かも)」が,実際に「やれた!」
を味うことで,
次への自信(「次もできる(かも)」)
と
もっとうまくやりたいという意欲
につながる。それには,楽々できるのでは自信にはならない。少し努力してクリアできるようなハードルを,励ましながら,チャレンジさせる必要がある。できないかもしれないとしり込みする不安を,
・できるだけ協力と支援を惜しまない,
・困ったときには,いつでも相談に乗る,
という後ろ盾で支えて,一歩踏み出させ,何とか「できた!」という,成功感を味わせるのである。そうした経験の積み重ねによって,どんなときもある程度「こうすればできる」という見通しをたてられる自分への自信をつけさせることである。
⑥人の力を借りることの意味を学ばせる
このためには,それが本人だけの孤独な戦いではなく,その努力自体が,メンバーから支えられ認められ,支援がえられ,メンバーとして受け入れられていると感じさせるものでなければならない。
なぜなら,「こうすれば」できるという見通しには,ここまでは自分でできるが,ここからは助力があればできるという判断が必要なときがある。
成功感
で,もうひとつ必要なのは,なんでも自分でやりとげることだけではなく,周りの力を借りて,一人ではできない高いハードルをクリアする経験なのだ。でなければ,自分の力以上の仕事をすることはできない。本人のやる気だけに問題を完結させるのではなく,周囲も巻き込んで仕事をやりとげていく力を育てていくプロセスこそが,チームのパフォーマンスにとっても欠かせぬことなのである。
以上を整理すると,やる気を引き出し,持続させるのは5つである。
①その気になれる意味や価値(やりたいことかやりたいもの)がある
②やってみて,「やれた!」という成功感を味わう(実績をつむ)
③自分にもできる(こうすればできそうだ)と思える(自信をつける)
④そうやっている自分の努力をメンバーが認めている(承認される)
⑤メンバーとして受け入れられていると感じられる(有効感がある)
⑥やる気を育むチームの条件
やりたいと思うものがあっても,自分ができると思えなければ,やる気にはつながらず,やりたいと思っても,どうやればいいかが見えなければ,やってみようとは思わない。またやりだしても,達成の目途が立たなければ,意欲は萎えるし,まして誰も自分のやっていることを認めてくれなければ,やる気は続かないのである。
そう考えると,メンバーのやる気を育てるのは,チームリーダーやチームメンバーが,部下を育てることに関心をもち,その気にさせる仕掛けをつくることが不可欠だとわかるのである。つまり,
①本人にやりたいことを見つける機会があり,
②それをやりとげるための助言やヒントをもらうことができ,
③自分にできると感じられる体験をつむチャンスが与えられ,
④それを後押しし,励まし支える雰囲気があって,
⑤一歩一歩やれたという成功感を積み重ね,
⑤チームに必要な人間だと認められる,
ことが必要なのである。それはマネジメントとしての課題なのである。
参考文献;
宮本美沙子『やる気の心理学』(創元社)
波多野完治・依田新・重松鷹泰監修『学習心理学ハンドブック』(金子書房)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm