2012年11月12日

笑顔の効果~ユーモアのある光景


「絶望の反対は,なにか?」
普通に考えると,希望ということになる。だが,ある女性歌手は,
「絶望の反対は,ユーモアではないか。」
と答えたという。辞書では,
「上品なオシャレや諧謔」
「社会生活における不要な緊迫を和らげるのに役立つ,婉曲表現によるおかしみ。」
とあるそうだ。(『希望のつくり方』)

コトバ的には「希望」が妥当なのだろうが,その伝でいくと,絶望の底から,ふっと引き上げられる,その瞬間の感情に焦点を当てると,滲むような笑顔が浮かぶきっかけになるもの,と受け止めてもいいのだろう。望みのなくなった時,ふと笑いを誘われて,そこから立ち上がるきっかけをつかむ。そんな藁しべなのかもしれない。それを,表情側に焦点を当てれば,ユーモアに誘われて引き出された笑顔ということになるのではないか。

箸を横にして口にくわえると,そこに浮かぶ表情筋の使い方は笑顔に似ているそうだ。そして笑顔に似た表情をつくると,ドーパミン系の神経活動が変化するといわれている,という。ドーパミンは脳の快楽に関係した神経伝達物質で,楽しいから笑顔を作るというより,笑顔をつくると,楽しくなる機能を脳はもっているらしい。しかも,実験では,笑顔になると,楽しいものを見つける能力が高まるのだという。つまりは,悲しみやネガティブではなく,面白さや楽しさに目が向く。

逆に恐怖や嫌悪の表情の実験では,恐怖の表情をつくると,それだけで視野が広がり,眼球の動きが早まり,遠くの標的をとらえられるようになり,嫌悪の表情をつくると,逆に視野が狭くなり,知覚が低下したという。つまり,この実験で,恐怖への準備は恐怖の感情ではなく,恐怖の表情をつくることで,スイッチがはいるらしい。これを顔面のフィードバック効果というそうだが,笑い顔をつくるだけで,プラスのフィードバック効果が心にあるというのは頷けよう。

そう考えると,ユーモアが,絶望の反対,あるいは絶望を抜け出すきっかけになる,というのもまんざら嘘とは言えない。というか,確かにいいセンスだ。ひょっとしたら,本当に絶望した経験のある人なのかもしれない。

たとえば,われわれは,相手のしぐさをまねる性向があり,相手の笑顔をみたら,自分もその表情を真似るらしい。すると笑顔の効果で自分の感情が楽しくなる。ということは,笑いの場,笑いを生み出す場にいるのがいいのではないか。

例えば,寄席。ただし吉本喜劇はだめだと思う。あのわざとらしい,あざとい笑いの強制は,自然に生み出す笑いとは似ても似つかない。あそこからは,絶望感が深まるものしか生まれない気がする。なんというのだろう,思わずつられてにこりとしてしまう,そういう笑いを引き出すものでなくてはいけないのではないか。例えば,古いかもしれないが,ひげダンス。欽ちゃん走り。あるいはパントマイム。寄席ならそんなのがいっぱいありそうだ。吉本新喜劇よりは松竹新喜劇(ちょっと古すぎか!)。

なぜそう思うかというと,こういう例がある。

脳卒中によって左半球の運動皮質が破壊され,顔の右半分がマヒしている患者の場合,患者の口元は正常に動いている側に引っ張られてしまう傾向がある。患者に口を開け,歯を見せるように言うと,その傾向は一層際立つ。

ところが,患者が滑稽な話に反応して自発的に微笑んだり高笑いすると,まったく違ったことが起きる。笑いは正常で,顔の両側がまっとうに動き,表情は自然で,その人間がマヒにかかる前に見せていた笑いと変わらない。これは情動と関係する一連の動きをコントロールしているものが,随意的な動きをコントロールしているものと同じではないことからきているらしい。

もし笑いが,心に楽しさの灯をともすのなら,わざとらしく笑うよりは,自然な笑い,湧き上がる笑いによる効果のほうがいい,まあ個人的にはそう思うのだ。

これをもう少し敷衍するなら,いつも笑いのある場は,楽しさいっぱいだろう。そして,そういう場には発想が豊かに違いない。なぜなら,発想力とは選択肢がいっぱいあることであり,それにはユーモアが重要なキーワードなのだ。しかめ面した顔からは,トンネルビジョンに入り込んだどん底の苦しさしかない。そこには選択肢は少ない。



参考文献;
池谷裕二『脳には妙なクセがある』(扶桑社)
アントニオ・R・ダマシオ『生存する脳』(講談社)


今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm




#笑い
#ユーモア
#絶望
#おかしみ
#フィードバック効果
#笑顔

ラベル:ユーモア 笑顔
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2014年01月21日

笑い


らくごカフェで,柳家一琴師匠の落語を三席うかがってきた。

常々思うが,人は,どこで,笑うかは一様ではなく,確かにおかしいが,それほどでもないところに,反応する人もいれば,その場がどっと反応するのに,自分は,それほどでもなく,つられて,笑うということもある。

笑いというのは,その場にいると伝播する,というところがある。あくびも伝わるが,それとはちょっと違う。あくびは,その場を共有している何人かに,伝わるが,その伝わり方は,場の共有の深さに比例する。どういうか,くつろぎ感というか,安心感というか,心のほのぼの度を共有している感じである。

笑いの伝播は,笑いの漣に,渦に,波に,飲み込まれる,という感じである。場そのものが笑っているというか,笑いを促すところがある。主体は,「場」のように思う。だから,「場」が重要なのだと思う。

ある意味,その場にいる人が,落語家(この場合一琴師匠)の噺を聴きに来ている,という状態。いわば,耳になっている。

それはレディネス状態といっていい。

http://kwww3.koshigaya.bunkyo.ac.jp/wiki/index.php/%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8D%E3%82%B9

によると,レディネスとは,

ある行動の習得に必要な条件が用意されている状態をいう。これが,特に学習のレディネスとも呼ばれる概念の定義である。 そして必要な条件としては,身体や神経系の成熟,すでに習得している知識や興味,態度などが想定されている。あることがらの習得に,学習者の身心の条件が準備されているとき,すなわち一定のレディネスが成立していれば,学習者は,その学習に興味を持ち,進んでこれを習得しようとし,学習の効果をあげることができる,

と。つまり,程度の差はあれ,落語とはどういうものかということを弁え,噺を聴くことはどういうことかが了解できている,いわば,

笑い,

を期待して,そういう構えで,その場にいる。つまり,笑う準備はできているのである。

言い方は悪いが,笑いの臨界点に達している。だから,ちょっとしたことでも笑いが起きやすい。そこで笑いに共振れすること自体が,そこにいる,その場そのものにいることの共有のように感じる。もしも,何か,自分に笑えないことがあって,場の笑いから取り残されると,なんとなくさびしく感じる,そういう場になっている,ということだ。だから,場の笑いに身をゆだねて,ひととき,おのれを解き放つ。

噺家は,

ひとりで何役も演じ,語りのほかは身振り・手振りのみで物語を進め,また扇子や手拭を使ってあらゆるものを表現する,

ことで,聴衆の想像力が物語の世界が広げていくのを支える。だから,師匠が,たとえば,ただ表情だけで,ただを捏ねる子供の反応を演じているとき,客観的にみれば,ふた色にわかれる,

子どもと一体になって口元を歪めているか,

父親と一体になって困惑した表情になっているか,

いずれも,ただ身振りと声色だけで演じられている世界の向こうに,噺家ではなく,噺家の描く噺の世界にどっぷりつかっている。にもかかわらず,それを笑うとき,

その世界と一体になっていては笑えない。その場の,

滑稽さ,

は,それを判別するもう一つの目があるから,笑える。子供の仕草を笑うには,それがおかしいと思うには,それを第三者として見る位置からでなければ,おかしいとは感じない。しかし,一方で,子どもの身振りとシンクロして口をゆがめている。

とすると,観客は,複雑な意識の動きをしていることになる。

一方で,噺家の身振りに一体化して,演じられている子どもと一体化した表情になりつつ,

他方で,その身振り手振りの滑稽さを,第三者の目(観客)の目で観る視点も持っている,

映画でも演劇でも,似たことは起きているが,落語では,噺家の語る言葉以外に,噺の世界はどこにも現前していない。つまり,それを聴く観客の人の心の中にだけ描き出されているのである。

それだけに,一方で,世界に一体化し,他方で,それを観るという意識の行きつ戻りつが,際立つ。

もちろん持っている言葉によって,人は見える世界が違いうから,同じ噺家が発した言葉でも同じ世界が見えているとは限らない。特に江戸の世話物になると,もう同じものが見えてはいない。しかし,

笑いは,同期し,

笑いの波は伝搬する。だから,面白い。


今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm



#落語
#噺家
#噺
#笑い
#世話物
#レディネス

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2015年05月02日

わらふ


笑については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/402589627.html

で触れたことがあるので,少し重複するかもしれないが,「をかし」を調べていて,『大言海』の,

わらふ,

にであったので,「わらふ」にからめて,少し調べてみた。「をかし」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/418220586.html?1430423659

で触れた。『大言海』の「わらふ」の項には,その漢字が,

笑・嗤・咲・哂・哄・莞・粲・噱・咍,

と挙げてあり,「わらふ」の意味を挙げる前に,まず,こういう説明がある。

「顔の散(わら)くる意という。笑は,おかしき也。嗤はわらいぐさにする也。咲は,笑の古字。哂は,わっとわらう。哄は,どっとわらう。莞は,ほほえみわらう。粲は,歯を出してわらう。噱は,ふきだしてわらう。咍は,あざけりわらう。」

と,その後に,

喜び楽しみて声をたつ。笑むあまりに声を出す
ほころぶ,咲く,ひらく。

と,「わらふ」の意味が来る。因みに,「散くる」は,『大言海』に,「わらく」は,

(散[ハラ]に通ず)乱れ散る。はららく。ほろろぐ。

とある。顔が(笑い)崩れる,さまを言っているらしい。「はらはら」「はらめき」の「はら」に通じるのかも。それにしても,『大言海』は,『古語辞典』よりはるかに,奥行のある説明になっている。

つくづく思うのだが,『大言海』の発刊当時(昭和五年)には,この漢字がまだ生きていた,ということなのだろう。つまり,「わらい」を表現する漢字の奥行があった。いま,「わらい」で引いても,「笑・嗤・咲・嗤」ではないか。それだけ,漢字によって,その笑いの意味が細かく伝えられた,ということだ。それをすべてが読めたかどうかは知らない。しかし,お上が定めた当用漢字以降,言語表現が浅くなった気がしないでもない。それは,新聞雑誌からルビの消えたときではないか。たぶん,愚民政策というより,(政治家や官僚が)おのれの使えない漢字を制限する,という自分の鏡を写した政策だったのではないか,と勘繰りたくなる。漢字のルビがあれば,誰も困らなかったのだから。

閑話休題。

「笑ふ」の語源は,

「ワラ(割・破る)+ふ(継続)」

で,顔の表情が割れ,それの継続・反復する状態をいう,らしい。

「顔の表情が割れ続ける,がワラフ」状態,

というわけである。

漢字の「笑」の,

「竹」は,タケの枝二本を描いたもの。周囲を囲むという意味が含まれる。

「夭」は,細くてしなやかなさま。人間のしなやかな姿を描いた象形文字。

で,「竹+夭(ほそい)」は,細い竹のこと。正字は,「口+笑」で,口を細くすぼめて,ほほとわらうこと。それを,日本では,「鳥鳴き花笑う」という慣用句から,花がさくの意に転用された,という。

そのせいか,日本語の「笑う」には,

口を開けて,喜びの声を立てる。喜び・うれしさ・おかしさ・照れくささなどの気持ちから,顔の表情をくずす。
(「嗤う」とも書く)あざけりばかにする。嘲笑する。
(「笑ってしまう」「笑っちゃう」の形で)あまりひどくて、相手にするのもばかばかしいほどである。
(比喩的に)花のつぼみが開く。また、果物が熟して皮が裂けること,また縫い目のほころびること。
(俳句などの文学的表現に)春になって,芽が出たり花が咲いたりして,明るいようすになる。
(膝が笑うというように)力が入らず機能しなくなる。ゆるんだりほどけたりする。

等々,結構多様な使い方になる。笑うことが楽しく,嬉しいことだけではなく,わらうしかないさまも,比喩的に使っている。

「笑い」の機能については,

(当惑や驚き,不安,悲しみを喚起する刺激に対する反応であることもあるが)多くは,くすぐり等々の触覚刺激をはじめとして,言葉や視聴覚の刺激に対するもので,緊張の解消や快い感情,ユーモア体験にともなう,人間に特有の身体反応,特に顔面を中心とした表出行動,

と定義されたりする。笑いの対人関係効果にもつ親和力は,

新生児微笑

と呼ばれるもののもつ効果で十分発揮されている。この生得的行動に対して,ほとんど養育者は高い確率でポジティブな応答を返す。この相互作用は,強い伝達力を持っている。笑顔に怒る人は,まずいない。

笑いは,クスグリへの反応を除くと,

うれしさの笑い
言葉の役割をする笑い
可笑しさの笑い

にわけられる,という。そう考えると,

笑い

微笑み(笑み)

は違うのかもしれない。因みに,「ほほえみ」は,

「ホホ(頬)+えむ(笑む)」

で,頬の筋肉がゆるみ,にこにこする意味である。「えむ」は,

「エム(口が開きはじめる,さける)」

で,にこにこする,を意味する。「にこにこ」は,擬態語で,そこから「にこやか」が出ている。『大言海』「ほほゑむ」の説明が面白い。

「含(ほほ)み笑むの意ならむ。或いは云う,頬笑むの義,頬に其の気色の顕るる意,と。」

こう説明されると,

忍びて少し笑う,にっこり笑う。
花少し開く。咲きそむ。わころぶ。

という意味がよく伝わる。「ゑむ」には,

「口をひらかんとする義,ゑらぐ(歓喜)に通ず,

とある。微笑みのもつ言語代替行為は,言葉以上に「行為の互恵性」を引き出す。しかし,それ以上の効果があるらしい。

「ヒトは表情豊かな生物です。表情を作るための顔面筋が,ほかの動物たちに比べ,はるかに発達しています。バラエティ豊かな表情は他者とのコミュニケーションに役立つのはもちろんですが,…表情を作る本人にも影響を与えます。」

それを,

顔面フィードバック

と呼ぶ。

「恐怖への準備は,恐怖の感情そのものではなく,恐怖の表情を作ることによってスイッチが入る」

らしい。つまり,笑顔を作ることによって,ほのぼのとした気分,楽しい気分にスイッチがはいる,と。あるいは,微笑むことで,自分の(相手への)好意に,自分で気づく,というように。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
池谷裕二『脳には妙なクセがある』(扶桑社)







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