自分の思いを伝えるということ~どうしたら土俵を共有できるか

人を好きになったり,嫌いになったりは,恋は思案の外,という言葉があるくらい,理屈では分からない。だから,その思いを伝えようとすると,なかなか難しい。しかし,それは自分の視点からしか見ていないからかもしれない。 今昔物語に,有名な話がある。 (といっても,恋い焦がれた男が,相手を嫌いになるつもりで,便器を見たら,香木があったという,さんざんこけにされたという印象程度しかなかったの…

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コミュニケーションの土俵

例えば,好きという思いを,伝えても,相手が自分の想いの土俵に乗らなければ, 片思いであり, 無理強いをすれば,ストーカーになる。しかし考えてみれば,何もこれは特殊なことではない。 普通の人と人とが知り合い,わかりあう, というのとどこも変わりはない。 自分の想いを共有しあうというのは,そう簡単ではない。しあっているつもり,と言うだけのことかもしれない。 安…

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間合い

人との間合いがよく見えない。たぶん,ぼくが距離を置くと,相手も距離を置く。しかし,僕が間を詰めると,相手が両手で突っ張るように見えた時,僕には,それ以上踏み込む気がなくなる。 人との関係の難しさが,いい歳になっても,身に染みる。 これは立ち会いと同じだと思う。本来真剣勝負なのだ。宮本武蔵は言う。 敵をうつ拍子に,一拍子といって,彼我ともに太刀の届くほどの位置を取り,敵の心組…

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共振れ

既に一度触れたことがあるが, http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11041914.html 「恋」を,ちょっと別の角度,「共振れ」(あるいは「共振れ幻想」)という視点から考えてみたい。まあ,艶っぽいこととは無縁な無粋な人間ではあるが,だからこそ考えてみたい。与謝野晶子,の 柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君 て…

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