「おじさんと呼ばれる年齢になって」について

何年か前,岡山を旅行中に,市内の郷土文学館で,見つけた, おじさんと 人に呼ばれる齢になっても じっきに かっとなる癖はやまぬ 思慮分別もたらぬ 金も力もないが 名誉も地位もほしくない(吉塚勤治「自己紹介」) という詩が気にいっている。「自己紹介」という題なのも,いい。もう,おじさんどころか,爺だが。 歳をとると,視野が狭くなる。行動範囲も限られてくる。必然的に…

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嫌悪感は社会的に育てられる

嫌悪感とは決して腹黒い感情ではない。嫌悪感とは,他者に共感できる文明化された人間であるがゆえの副産物である。 嫌悪感はきわめて社会的な感情である。 レイチェル・ハーツは,『あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか』で,こう書いている。 ただ,ハーツの言うのは,disgustのことで,むかつく,嫌気と訳されているが,監修者の綾部早穂さんは, 怒り(anger)は,頭や腹にきて…

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読書

本を読むというのが,習い性のようになっている。昔は,あまり本を読んだ記憶がない。少なくとも,高校生の時代は。まあ,おくてである。 しかし,大学に入って以来,無知を悟り,というか思いっきり恥をかいて,夏休みまでに,平凡社の世界文学全集,という文庫サイズのものが実家にあって,それを読破した。その中に,『戦争と平和』もあったはずだか,ショーロホフ『静かなドン』にただ圧倒された記憶がある。 …

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読む

読むというのは, 読むと,数(よ)むとは語原が同じ,つまり, 数える, とされる。お経をヨム,と同じなのだそうだ。ヨムは,中国語源では, 文書をヨム 意味を抜き出す, 言葉を眼で追う, を指すらしい。しかし,どうも作品(多くは文学作品だが)を読む,というときの, 読む, はちょっと異なるのではないか,という気がする。 吉本隆明の発言に, …

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