2013年01月24日

無知の姿勢(not knowing)を貫く~田中ひな子「解決志向アプローチと社会構成主義」に参加して


先日,日本ソリューション協会・ブリーフセラピー研究会による田中ひな子先生の『解決志向アプローチと社会構成主義~ 会話するだけでよくなっていく仕組み 』に参加した。サブタイトルの,「 会話するだけでよくなっていく仕組み 」にも惹かれた。レジュメを参考に,そこで,受け止めたことを整理してみたい。

社会構成主義は,難しいことはわからないが,どこかに正解があるのではなく,正解は,一人一人の中にある,ということだと受け止めている。ここから,セラピストが正解をもっていて,ドクターのように診察するというようにはいかない,ということが,セラピストの姿勢として言明されている,と受け止めている。それは,ロジャースの言う共感性とは,微妙に違うというと感じている。ロジャースは,as ifといった。あたかも,相手であるように,と。そこには,誤解かもしれないが,「相手になってみる」という姿勢が垣間見える。しかしここで言う,あえて社会構成主義ということは,正解はクライアントにしかない,とすれば,相手に聞くしかないという姿勢が見えてくる。

レジュメの冒頭には,(聞き漏らしたが,たぶん『解決のための面接技法』からの引用だと思う?)

すべてのクライアントは自分たちの問題を解決するのに必要なリソース(資源)と強さをもっており,自分たちにとって何が良いことかをよく知っており,またそれを望んでいて,彼らなりに精一杯やっているのだ

という信念(前提)に基づいた会話を行う,とある。これを,若島孔文先生は,相手に○をつける。という。これについては,

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/10967952.html

で触れた。つまり,

セラピーとは「会話」を通して「解決」という現実を構成することである。

というのが,出発点なのであるが,大前提は,相手を認め,相手の存在を認知し,承認することからスタートする,ということなのだ。で,

・クライアントこそは自分自身の人生の専門家である。
・セラピストはインタヴューの専門家である。
・無知の姿勢(知らないというnot knowing姿勢);純粋な好奇心が伝わってくる態度,「教えてもらう立場」
・「何を信じているか」が「どのように見えるか」に影響を与え,「どのように見るか」が「何が見えるか」に影響を与え,「何が見えるか」が「何をするか」に影響を与える。

が基本になる。ここでいう会話は,人と人との会話だけでなく,その人自身が自分としている会話(「自分を巡る自分との対話)であり,セラピストは,クライアントのしている「自分との会話」に入っていく。そこに入れてもらい,その人の普段の会話の輪に入れてもらわなくてはならない。だから,無知の姿勢で,たずねていく。できるだけ「クライアントの言葉」を使って,クライアントになじみやすい言葉でたずねていく。

・「何を信じているか」が「どのように見えるか」に影響を与え,「どのように見るか」が「何が見えるか」に影響を与え,「何が見えるか」が「何をするか」に影響を与える。

この時,マザー・テレサの,

思考に気をつけなさい、
それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、
それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、
それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、
それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、
それはいつか運命になるから。

の言葉が,引用された。だからといって,セラピストが変化を起こすということではない。

大切なのは変化を起こすことではなく,会話のための空間を広げることである。治療における変化とは,対話を通じて新しい物語を作ることを意味する。そして対話が進むにつれ,まったく新しい物語,「それまで語られることのなかった」ストーリーが,相互の協力によって創造される。(H・アンダーソン&H・グーリシャン「クライアントこそ専門家である」)

ナラティブは,別にナラティブセラピーだけの専売特許ではない。V・E・フランクルは,誰もが自分の物語を語りたがっている,という言い方をした。ドミナント・ストーリーに対抗するオルタナティブ・ストーリーは無数にある。それだけの人生を,生きている。結節点ごとに,人生を選択し,無数の選択肢の中から選んできた。その一つ一つがその人の人生の物語として浮かび上がってくる。そういう会話をする,ということだろう。

田中ひな子先生は,それを,「会話を乗り物と思う」という。会話が主体性を持つ。よく,場とか土俵という言い方を僕はするが,その両者のいる空間そのものが,主体的に動き始める。それを,「脳と脳が溶けあう」「脳と脳がドッキング」すると,ひな子先生はたとえる。そのやりとりの中では,どれがセラピストの発言か,クライアントのそれかはわからない,そのような会話が,独自に動き出す,そういう磁場のようなものを作り出す。

そのとき,問題などに焦点を当ててはならない。問題は,何かの基準に対して,無数に発生する。ちょっと体調が悪い,喧嘩した,そっぽを向かれた,しくじった,躓いた,頭が痛い等々。その一つ一つに振り回されたところで,次はまた別の問題が起きるだけだ。「問題」と名付けただけで,何かすべてがマイナスに見えてくる。そうではなく,そこで起きたことなのだ。ただクライアントには処理できない何事かが起きた。その物語を聞く。ただ,判断しないで聞く。

面白いのは,それでも,クライアントがどう考えても変だと感じるときはある。そんな時は,まだクライアントのことをちゃんと理解できていないのだ,と考え,こう質問する,という。

「それはどんなふうに役立つんですか?」
「そのことがどんなふうに役に立つんですか?」

その役立つものを実現することができる,その「変だと感じる」こと以外の方法を一緒に考えることができる。我田引水だが,くだらないアイデアはない,と思っていて,くだらないアイデアを出された時,「そのアイデアを実現すると何が可能になるのか」と目的を聞き,その目的実現のための,ほかの手段を一緒に考えていこうとするのと,よく似ている。

自分で何とかしてきた重荷が,自力で解決できなくなったから,セラピーにやってくる。そして,自分でやっていけるようになったら,セラピーが終了する。そこにあるのは,問題ではない。そこにあるのは,人生でかかええてしまった重荷にすぎない。

社会構成主義について,レジュメには,

・現実は人々の間で言語(会話)を通して構成される。
・人は他者との会話によってはぐくまれる物語的アイデンティティのなかで,そして,それを通して生きる。「自己」は常に変化し続けており,セラピストの技能とはこのプロセスに参加する能力を意味する。

とある。これを自分流に解釈すると,現実は,その人の中にしかない,だからそれはその人の頭をのぞくしかない。そのために,セラピストは,クライアントに質問し,クライアントの中の現実に,一緒に向き合い,それを解決できる手がかりをクライアントに見つけてもらうようにする(プロブレムトークではなく,ソリューショントーク)。それを,

新しい現実をつくっていく。

と田中ひな子先生は言われたが,

新しい物語に書き換える。

と言ってもいい。そのためには,

・変わりにくい部分ではなく変わりやすい部分に焦点を当てる

で,変化のためには,こう考える。

・変化は絶え間なく起こっていて,変化は必然である。
・例外(問題の起こっていない時,うまくいったこと)を日常化するのが解決である。例外とは,すでに存在している解決である。
・どんな困難状況でも,独りの行動に一つの小さな変化が起きればよい。それによって関係する人々の行動に,さざなみのように,変化を生み出すことができる。
・原因を除去して問題を解決するのではなく,小さな解決を一つずつ構築していく。
・いままでと違うことを行うことより,いままでと同じことを続ける方が容易である。

で,解決思考セラピーとは,

クライアントの望んでいることに基づいて,うまくいっていること(例外)を見つけて,そのための対処行動(工夫・努力)をコンプリメント(ほめてめぎらう)する

となる。そのためのセントラルフィロソフィーは,おなじみの3つである。

①それがうまくいっているなら,それを変えてはいけません。
②もし何かがいったんうまくいったならば,もっとそれをつづけましょう(Do more)
③もしそれがうまくいかないのなら,何か違うことをしましょう。

この日は,いくつかのワークをやった後,
①ソリューショントーク:ミラクル・クエスチョン
②例外探しの質問とコーピングクエスチョン
③スケーリング・クエスチョン
④フィードバックバックと感想
の流れで,セッションをやったが,確か森俊夫先生も言っておられた気がするが,ミラクルが起きた状態を,詳しく聞けば聞くほど,クライアントの中で,何ができるかに気づきやすくなる,ワークの中で,そんなことを実感した。

セラピストはわからないからクライアントに聞く,聞くほどに,クライアントが生きている世界が見えてくる。そうなれば,それを否定する視線が入る余地はない。本気になって相手から浮いてのことを聞こうとしていないから,批判や反論が出る。聴くことの奥深さを改めて再確認した。

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm




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2014年02月18日

リソース


先日,日本産業カウンセラー協会・神奈川支部の「ブリーフセラピー・ステップアップコース」(講師;森俊夫先生)に参加させていただいた。

ブリーフ・セラピーのステップアップということで,実践的なテーマが取り上げられ,今回は,リソースがメインでワークが行われた。

キーワード風に言うと,

ソリューション・フォーカスト・アプローチにおいて,傾聴とはリソースとして聴く(問題として聴くのではなく)

ということになる。で,立て続けに,

クライアント役の「最近の最大に困ったこと」

を聴き,そこからリソースを見つけて,コンプリメントとしてフィードバックするワークを行った。

ソリューション・フォーカスト・アプローチでは,クライアントへのフィードバックには,

コンプリメント

ブリッジ

提案

がある。

コンプリメントは,第一に,クライアントにとって重要なものを肯定する。第二に,クライアントの成功と長所を肯定する。

コンプリメントは,意味的には,ねぎらうこと,敬意を表することだが,あくまでクライアントの言葉や行動にもとづいた事実に根ざしていなくてはならない。やり方としては,直接的なコンプリメントと間接的なコンプリメントがある。

直接的なコンプリメントは,肯定的評価(「それはすごいですね,よくやれましたね」)と肯定的反応(「わあ,すごい!」)がある。

間接的コンプリメントは肯定的な質問である。
①望まして結果について更に「どうやってそれをやったんですか」と質問する,
②関係を通して,「それを聞いたらお子さんはどう反応するでしょうね」と,肯定的なものを暗示する質問,
③何が最善かはクライアントがわかっていることを暗示する,「どうしてそれをしたらいいとわかったんですか」と質問する。

コンプリメントは,言語的だけではなく,非言語的な頷き,表情,身振りなどの反応も含まれる。森先生曰く,(自分には)頷きだけで何十種類ある,と。

ブリッジは,コンプリメントと提案を結びつける,提案の理由づけである。提案したことをしてもらうには,リソースを活かすのだということを,理由づけするが,そうなると,コンプリメントが,ピンポイントを突いてないと,ブリッジは,不発になる。

提案は,クライアントにしてもらうことを提案する。提案には,行動提案と観察提案がある。

森先生曰く,

コンプリメントは,ブリッジになる,

と。いいコンプリメントは,クライアントの思ってもいなかったリソースを突く。それは,リソースのピンポイントを突いているからだ,と。

コンプリメント自体が目的ではない。コンプリメントは,介入である。介入は,「こうすればこうなる…」という変化を想定してする。コンプリメントも同じである。

なぜそのコンプリメントをするのか
   ↓
その後のクライアントの良い変化を導くためである
   ↓
そのためには,どこを突けばいいのか
   ↓
それは,どこを変化させたいのか,とイコールになる。

そこにコンプリメントを入れることによって,そのリソースが生きてくる,そのようにコンプリメントをどうすればいいのか,というように変化が想定されたコンプリメントでなければならない。

それは,当然,クライアントの目指す解決像をつくるのに役立たなければならない。

結果として,そういうセラピストの頭の中の動きと,クライアントの頭の中の動きが同時に,一緒につくる,つまり,

セラピストが,このリソースがあれば解決像が実現できる

と思うことが,同時に,

クライアントも,これがあれば,解決像が実現できる,

と思えるようなものでなくてはならない。

だから,ワークで,リソースを見つけることは,多寡はあっても,それほど難しくない。

出来ている具体的なものを,

僅かな変化も見逃さず,

拾い上げていくことはできる。しかし,それは,

あくまで食材で,

それが,どういう変化に,

どう機能するかを見きわめて,ピンポイントで言語化して,

コンプリメント,

として提示する,そこには確かに森先生の言われるように,「クリエイティブ」がいる。ただリソースを並べ立てても,クライアントにとっては,いつも耳慣れていることだけかもしれない。それを,

どう変化につながるリソースとしてフィードバックできるか,確かにセラピストの技量が問われる。

それは,

現状出来ていることではなく,

またいま顕在化していることでもなく,

まだ現れてもいないし,クライアントも気づいていない,

クライアントの隠された可能性,

まさに力の源泉を探り当てることなのだから,

メタ化(あるいは一点にフォーカス)

想像力

見通す力

が必要になるようだ。

最後にやったワークショップは,

こいつだけは絶対許せない人

をクライアントに語らせ,カウンセラーも一緒になって掘り下げて,その後,その許せない人を

コンプリメント

というか,その人のリソースリストを作る,ということを試みた。そこで必要なのは,

リソースを聴く,

だが,もっと必要なのは,価値や是非や好悪の判断を手放して,

その人に焦点をあて,

その人がその人としてあるのは何か,

その人がさらにその人らしくあるには何が不可欠か,

を見抜く視点のように思えた。

これは,まさにコーチの姿勢とリンクしていく。しかしここまでの見通しをもってリソースの見極めををしているかどうか…!


参考文献;
ピーター・ディヤング&インスー・キム・バーグ『解決のための面接技法【第三版】』(金剛出版)

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm


2014年03月19日

奇跡


前回に続いて,先日,日本産業カウンセラー協会・神奈川支部の「ブリーフセラピー・ステップアップコース」(講師;森俊夫先生)の

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388984031.html

第二回目。今回は,「ミラクル・クエスチョン(MQ)」を中心に,その実践バージョン。

ソリューション・フォーカスト・アプローチにおける,ミラクル・クエスチョンは,たとえば,こんなふうに始まる。

「それではちょっと変わった,たぶん耳慣れない質問をしたいと思います。少し想像力を働かせていただけますか」
「ちょっと想像してみてください」
「ここで面接を終えた後,あなたは家へ帰って夜,テレビを見たり,いつもどおりのことをしたりして,そしてその後ベッドに入っておやすみになられますよね」
「そして,あなたがおやすみになっている間に,奇跡が起こります…」
「そして今日ここで,あなたが相談にこられたことが解決するのです。アッと言う間にね…」
「しかしこの奇跡は,あなたがおやすみになっている間におきたので,あなたは奇跡が起きたということはわかりません」
「朝,あなたが目覚めたときに,
 a;あなたに奇跡が起きたことを,どんな風にあなたは気づくのでしょうか?
 b;あなたの一番の友達(あるいは家族)は,あなたに奇跡が起きたのをどのように知るのでしょうか?」

aは,自己視点,bは,他者視点で,相手に応じてどちらかの問いをして,変化を記述してもらうことになる。そして,ここからは,「ビデオトーク」というか,詳細に細部を,具体的に聞いていく。ここが,MQの肝なのである。

ところが,である。

実はお恥ずかしいが,今回初めて気づいたことがある。このMQは,いままでも試みたことがあるが,間違っていたのは,問いをしていくうちに,

起きている奇跡そのものを聞き出そうとしていた,

らしいのである。しかし,今回,改めて再確認したのは,ここで必要なのは,奇跡の,

何が(起きている)か

ではなく,それはクライアント自身にわかっていればいいことで,

既に手に入れた状態,

をこそ,詳細に聞いていくことなのだ。すでに,なりたい,ありたい,

解決状態にある,

そこでどういうふうに生活しているのか,こそが大事な,

手に入れた状態,

なのである。そこで,

何をしているのか(→何ができているのか)
何を感じているのか(→何が感じられているのか)
何を考えているのか(→何が考えられるようになったのか)
何を思っているのか(→何が思えるようになったのか)

という,具体的な状態,それこそが,クライアントが求めてきたことなのではないか。その,

起きてしまった奇跡の中でどう生活しているのか,

こそが,詳らかに,それこそ,微に入り細に渡って,具体化し,具象化しなくてはならない。それこそが,クライアントの手に入れたかったものだからだ。そして,そこで,いますでに,

起きている奇跡,

つまり,「例外」を探していくことになる。それは,すでに,いま,気づかないうちに,

できていること,

手に入れていること,

なっていること,

なのである。これが解決の手掛かりになる。

だから,ミラクル・クエスチョンが,

解決像の構築,

となる所以なのだ。もちろん,ミラクル・クエスチョンのバリエーションは一杯ある。よくあるのは,

自信がない,

というのに,

もし自信がついていたらどうなっている(解決状態)んですか

と問うやり方がシンプルかもしれない。コーチングでもよくやる。あるいは,

理想と言い替えて,

理想が実現したら,

というのもある。未来からの電話や,未来へのタイムマシンや,もう一人の自分への変身や,どこでもドアや,工夫次第で,いまのステージから,一気に手に入れた状態へ誘う,手段の取り方次第,ということになる。

だから,ミラクル・クエスチョンの要素としては,

●起こりえない変化が起きた,という表現であれば,奇跡でも,未来でも,構わない。

●すべての問題が解決されている,というところが鍵。そこで言われていることも,言われていないことも,すべて実現した状態,ということだ。

●それが,いますぐ,即時に,日常生活の中で起きている。

●それにクライアントは気づかず,起きてしまっている。なぜ起きたかは,どうでもいい。

その状態の中で,何ができるか,を詳細にたどることが,クライアントの求めている解決状態の確認になる。

それが求めていた解決状態

なのだから。

参考文献;
テリー・ピショー&イボンヌ・M・ドラン『解決志向アプローチ再入門』(金剛出版)




今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm


2014年05月11日

違い


テリー・ピショー&イボンヌ・M・ドラン『解決志向アプローチ再入門』を読む。

ソリューション・フォーカスト・アプローチ(SFA)については,何度も触れたが,最近では,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388984031.html

http://ppnetwork.seesaa.net/article/391885947.html

で,触れた。そこで上がった参考文献を,改めて,読み直してみた。

復習という意味合いが強かったが,いくつか,改めて,気づいたこともある。

裁判所,保護観察部等々の紹介機関からやってくる,薬物中毒,アルコール中毒,DV等のクライエントをセラピーするという条件の中で,いかにソリューション・フォーカスト・アプローチが有効かを,実践的に確かめ,自分のものにしていった著者たちの,問題志向からの転換の悪戦苦闘が,反映されているという意味では,アメリカの事情に詳しくないものには,多少煩雑で,読みにくいところもあるが,創始者の,インスー・キム・バーグやスティーブ・ディ・シェイザーという第一世代の薫陶を受けた,第二世代のセラピストが,

臨床現場で習得していったプロセス,

が具体化されており,より噛み砕かれた内容になっている。その意味で,振り返るのに,丁度いい。特に,

第一章 解決志向の基本
第二章 個人セッションの流れ
第四章 たくさんのミラクル

は,振り返りと整理には,丁度良かった。たとえば,解決志向の原則は,

1.壊れていないならば,治すな
2.何かがうまくいっているならば,もっとそれをせよ
3.うまくいっていないならば,何かちがうことをせよ
4.小さな歩みの積み重ねが大きな変化につながる
5.解決は必ずしも直接的に問題と関連するとは限らない
6.解決を創り出すための言語に必要なものは,問題を記述するために必要なものとは異なる
7.どんな問題も常に起こっているわけではない。利用可能な例外が常にある
8.未来は,創り出されるし,努力して変えることもできる

ミラクル・クエスチョンについては,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/391885947.html

で触れたので,それ以外をすこし拾い出してみる。

例外については,スティーブの,

「不規則」な例外が不規則ではなく,実は,まだ記述されていないが,ある文脈のパターンの中に埋め込まれているのである。そして,これがもし記述されれば,例外を予測し,その結果,それを処方することもできるだろう,

を引用し,

例外は,変化が足元にあり現実である可能性があるという,かすかな望みを提供する場合が多い。例外が明るみに出ると,クライエントは希望を得る。というのは,自分の奇跡の一部が今起こっていると彼らにわかり始めるからである。

そう,例外は,「既に起こっている奇跡」だということの再確認である。

実は今回再度気づき直したのは,

違いの質問

である。著者は,こう言う,

違いの質問は,クライエントの変化の効果や変化の可能性を確認して目立たせ,その結果,提案された変化が確実に,現実的で,実現可能で,やりがいがあるものとなるための「エコロジーチェック」を提供する,

と。そして,

違いの質問は,クライエントの中に火をともすために必要な,拡大された状態を提供する。

典型的には,クライエントが現在,過去,または将来可能性のある具体的な変化を認識した後で,この質問はなされる。

第一に,

過去の変化の影響を探求する違いの質問は,同様の変化が現在の状況において有益と思われるかどうかを,クライエントが決定するのを援助する点で有益である。

この場合,忘れていたスキルや成功体験を認識し直すことが多い,という。たとえば,

「あなたが以前,毎晩一緒に夕食をとるようにしていたとき,そのことでご両親との関係でどんなことが違っていたのですか」

第二に,

可能性のある変化(例えば,奇跡の日に起こる変化や,一たび問題が解決された後のこと)を探求する質問は,クライエントの奇跡が,関係する人々にとって長期的に持続する利益を結果的に生み出す様子を明確にする点で役立つ。

変化が,どう周囲の人に影響し,それがどう自分に反照してくるかの確認だが,たとえば,

セラピスト「(クライエントに起こった変化)で,あなたにとってどんなことが違ってきたのですか」
クライエント「初めて実現しそうに思えたんです。…実際私は興奮しているの!」
セラピスト「そんなに興奮すると,どんなことが違ってきますか?」
クライエント「元気が出ます。…初めて力が湧いてきます。これが上手くいくようにしたいと思っています」
セラピスト「これらの変化で,息子さんにとってどんなことが違ってくるでしょうか?」

この周囲への影響の質問は,

関係性の質問

として著者が設定している介入と関係が強い。つまり,関係性の質問は,

自分の目標を達成することが自分の人生における重要な人々に与える影響を,クライエントが評価する,

よう援助する。それは,そのまま,可能性の実現がどういう違いをもたらすか,ということにつながる。たとえば,ミラクル・クエスチョンのあと,

「御主人に,夜中に奇跡が起こって,あなたの飲酒問題が解決したことがわかるでしょうか?」

とつながる。その意味で,著者は,「違いの質問」に,二つの切り口があるとして,

ひとつは,クライエント自身の変化の気づき,
いまひとつは,周囲の人,家族,友人の変化の気づき,

と言っている感じがする。ここからは,僕の勝手な理解になるが,この二つの切り口も,もう少し細かく,例示できそうな気がする。たとえば,

①変化の前と後

「ここに治療に着た結果として,どんなことが違ってくれたらいいと思いますか?」
「これを修了し,やり終えたことがケースワーカーにわかると,どんなことが違ってくるでしょうか?」

②変化そのものによる変化

「この奇跡で,あなたと息子さんにとってどんなことが違ってくるでしょうか?」
「もしケースワーカーがあなたのそんな側面を見ることができたとしたら,どんなことが違ってくるでしょうか?」

③変化の発生

「そういった行動でどういった違いがうまれると,あなたは思われますか?」
「あなたが(セラピーに)現れたことがケースワーカーにわかったら,あなたにとってどんなことが違ってくるでしょうか?」

④レベルアップの変化

「(スケーリング・クエスチョンで)あなたが6にいるとき,どんなことが違っていているでしょうか?」
「そうなったら,どんなことが違ってくるでしょうか?」

⑤変化の予測

「ここへ来た結果として,どんなことが違っていたらいいと思っていますか?」
「あなたのご両親は,あなたがここへ来た結果として,どんなことが違ってくればいいなと思っているでしょう?」

⑥変化の差異

「それはいつもと違うのでしょうか?」
「あなたにとって,どんなことが違ってくるでしょう?」
「そんなふうにすると,とても違ってくることを知っていたのですか?」
「どんな行動が違ってくるのが,見える必要があるのでしょうか?」
「それでどんなことが違ってくるのでしょう?」

等々,多少重複するところがあるが,

変化の差,違い,
変化の状態から見えるものの違い,
相手から見える違い,

といったものだが,細かく言うと,

違う,
違っている,
違ってくる,
違って見える,

と言い替えただけで,微妙に変わる。ここでは,クライエントに,

どういう立場で,
どの位置に立って,
どの条件のもとで,
どういう立場で,
どういう背景で,
どういう文脈で,

等々ビューポイントを設定してもらうことで,いまとの違いに気づき,そこに,自分の持っているリソース,あるいは,引き起こした変化に着目してもらうことが重要なのだ,と改めて再確認させられた次第。


参考文献;
テリー・ピショー&イボンヌ・M・ドラン『解決志向アプローチ再入門』(金剛出版)





今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

2015年03月03日

シングルセッション


ブリーフ・セラピー研究会「解決志向アプローチによるシングルセッションセラピー 」(講師:田中ひな子先生)に伺ってきた。

「継続できる面接もあればそうでない面接もあります。クライエントははじめの面接で少しでも希望を見出すことができなければ離れていってしまうのが普通です。そこで一回の面接で必要なことをすべてするシングルセッションセラピーのスタンスが必要になってきます。
解決志向アプローチは初回面接でゴール設定から行動課題の提示まで行うプラグマティックな手法であり、シングルセッションセラピーと親和性が高いです。また、社会構成主義の観点から「カウンセリングのゴールとは何か」という根本的な問いや「いかに言葉がその人の現実をつくるか」といったことを改めて見つめ直します。」

と案内文にあった。田中ひな子先生については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163109.html

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163304.html

等々,何度か触れてきた。また再確認の意味で伺ったが,結局,

どうなったらいいのか,

何ができているのか,

ということを明らかにしていくことで,

その明らかにする言葉で,明らかになった現実が見えてくる,

ということをしているのだという,その会話の威力を再確認させられた。それは,そういう言葉で,可能な現実を紡ぎ出す,ということに等しい。

逆ラベル,

というと変だが,

マザコン

というラベルを貼るか,

母親を愛している,

というラベルを張るかで,見えてくる世界が一変する。あるいは,

クライエントの抵抗,

とみるか,

抵抗というカタチで(セラピストに)協力しようとしている,

と見るかで,クライエントが放つセラピストへの反発も意味が変わってくる。ソリューション・フォーカスト・アプローチの開発者スティーブ・ド・シェイザーは,

抵抗の死,

と表現し,セラピストが気づいていないことをそういう形で(クライエントが)表現しているという言い方をしているそうである。そういう言葉で,現実を捉えるというより,そういう,現実を作る,

言葉で現実をつくる,

という言い方が妥当なのかもしれない,という社会構成主義のもつ現実をも再確認させていただいた。

「会話を通して,解決という現実を構成する話をすることで現実が変っていく」

と言い換えてもいいし,レジュメにあった,アンダーソンの,

「大切なのは変化を起こすことではなく,会話のための空間を広げていくことである。治療における変化とは,対話を通して新しい物語を作ることを意味する。そして対話が進むにつれ,まったく新しい物語,『それまで語られなかった』ストーリーが,相互の協力によって創造される」

という言い方をしてもいいのかもしれない。

だからスケーリング・クエスチョンも,10~0で,仮に「0」とクライエントが答えたとしても,

「マイナス」でないのは,何があるからなのか,

と,たずねていく姿勢である。だからこそ,改めて,

「すべてのクライエントは自分たちの問題を解決するのに必要なリソース(資源)と強さをもっており,自分たちにとって何が良いことかを知っており,またそれを望んでいて,彼らなりに精一杯やっているのだ」

という信念を前提にする。それは,

できる
あるいは
できている
あるいは
しようとしている

ということを前提にすべての問いが成り立っているということである。

「何を信じているか」が「どのように見るか」に影響を与え,「どのように見るか」が「何が見えるか」に影響を与え,「何が見えるか」が「何をするか」に影響を与える,

とは,セラピストの第一声で,決まるといってもいい。だから,

「どんなふうになるといいと思って,今日きましたか」

と聞くことは,よくなる,ということを前提にしている。だから,

「どのくらい,またどのようにして問題が解決することを期待していますか」
「何が,いまセラピーを受けるのがよいと判断させたのですか」
「セラピストはあなたが問題に対処するのをどのように助けになると思いますか」

と聞く。それは。セラピーの長さも,セラピストにどうしてほしいのかも,クライエントこそが決めるのだし,そうする力があなたにはあると(信じていると)伝えていることになる。

だから,

できていることがあるはずだという「例外探し」も,
できてしまったはずの未来のビジュアライズである「ミラクル・クエスチョン」も,
リソースに焦点を当てる「コンプリメント」(「どうしてそんなことができたのですか」「どうやってそれをやったのですか」)も,

すべてが,でき(てい)ることを拾い出すのではあるが,それは,できているはずだし,できるはずだと,信じているセラピストの信念の反映としての問いであり投げかけなのだという一貫性が,クローズアップしてくる。

エクササイズで,

何を持っていますか,
何ができますか,

を連続質問するワークをしたが,そこには,相手のもっているものを探るという問いになるか,持っているはずだから見つけ出してくれという姿勢で問いかけるかでは,相手への印象が変る。

セッションの最後の,

「今日はありがとうございました。面接を終了する前に聞いておきたいのですが,私が質問もしなかったし,自分でも言わなかったけれども,いま,話しておきたい重要なことはありますか,あるいは聞いておきたいことはありますか」

言葉も,象徴的に聞こえる。

参考文献;
モーシィ・タルトン『シングル・セッション・セラピー』(金剛出版)








今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

2016年07月13日

イエス・セット


田中ひな子先生の「ソリューション・フォーカスト・アプローチ再考」(第79回ブリーフ・セラピー研究会 定例研究会)に参加してきた。

案内メールには,

「1980年代に提唱されたソリューション・フォーカスト・アプローチ(以下、SFA)は、開発者らの「シンプルが一番」との方針にそってマニュアル化されていきました。その結果、多くの人が利用可能になりましたが、そぎ落とされた部分も少なくありません。実際、開発者であるド・シェイザーやインスーらの面接ビデオを見ると、システム論(MRIアプローチ)や社会構成主義などの予備知識がなければ理解し難いものです。この講座では、座学とワーク、ロールプレイを通して、SFAをより効果的に、より柔軟に使用するために、マニュアルに書かれていない部分について学んでいきます。」

とあった。

結論を先に言うなら,ソリューション・フォーカスト・アプローチの神髄は,

「いいセッションは,イエス・セットが続きます。」(田中ひな子)

という言葉に尽きるようだ。イエス・セットは,言うまでもなく,

「質問者が相手が『はい』と応えると思える質問を次々していくこと」

である。

「いい天気ですね」「はい」「過ごしやすいですね」「はい」

というやつである。これは究極,

おばさんの会話,

だそうである。敵意はありません,という信頼醸成であると同時に,一種の暗示に入っていく,とも言える。

そこから,結局,ソリューション・フォーカスト・アプローチは,

あなたは何ができますか?
あなたは何をもっていますか?
あなたはどうなりたいのですか?

という三つの質問が象徴している,という。そこにあるのは,

既に出来ている部分,
既に実現している部分,
既に持っているもの,

を探し出していく,つまり,

リソースを探す,

ということに尽きる。それが,考えてみれば,

出来ていない,
もっていない,

自分の,

例外探し,

に通じるし,例の,,

ミラクル・クエスチョン,

自体が,究極のリソース探しに他ならない。因みに,ミラクル・クエスチョンは,たとえば,こんな風だ。

「ここでちょっと変わった質問をしたいと思います。少し想像力がいるかもしれません。今回の面接が終った後で,家に帰ってお休みになったと考えてください。あなたが眠っている間に奇跡が起こって,今日,ご相談にこられた問題が解決したとします。でも,あなたは眠っているので奇跡が起こったことはわからないわけです。明日の朝になって,夜中に奇跡が起こって相談に来られた問題が解決したことをあなたに教えてくれる,最初の小さな事柄はどんなことでしょうか?どのような違いに気がつきますか?」

ソリューション・フォーカスト・アプローチは,今日,

会話そのもの,

を重視する姿勢に変っている。それは,

社会構成主義,

の,

「現実は人々の間で言語(会話)を通して構成される」
「人は他者との会話によって育まれる物語的アイデンティティのなかで,そして,それを通して,生きる。『自己』は常に変化し続けており,セラピストの技能とはこのプロセスに参加する能力を意味する」

という考え方であり,それは,

コラボレイティブ・アプローチ,

つまり,協働的対話,とされる。そこにあるのは,専門家による介入ではない。

無知の姿勢,

である。以前,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/437533769.html

で,ジョン・マクレオッド『物語りとしての心理療法―ナラティヴ・セラピィの魅力』に触れた折,セラピストがすることは,クライエントを治療したり改善することではなく,こうした「共同構成」を通して,

「単に自らのストーリィを語る場があり,そこでそのストーリィを尊重され,受け止められることが計り知れない自己肯定感を得る経験」

となる,ということだというのと通底する,今日のセラピーの共通姿勢なのだろう。そういうセッションを,

「クライエントの会話(自己内対話)の部屋にセラピストが参加すること」(田中ひな子)

あるいは,

「クライエントの土俵に乗ること」(平木典子)

というのであり,それは,ミルトン・エリクソンの言う,

「相手の枠組みであること」

というのと同じであろう。そして,ミラクル・クエスチョンも例外探しも,

その会話の空間を広げること,

だということになる。

「大切なのは変化を起こすことではなく,会話の空間を広げることである。治療における変化とは,対話を通して新しい物語をつくることを意味する。そして対話が進むこにつれ,まったく新しい物語,『それまで語られることのなかった』ストーリーが,相互の協力によって創造される。」(H・アンダーソン&H・グーリシャン『クライエントこそ専門家である。』)

会話の空間を広げる,とは,

視界を開く,

ということに通じる。

「現実は可能性の束,その中の何に着目してどのラインを未来へつなげていくか」(田中ひな子)

だという言葉は,ハイデガーの,

「人は死ぬまで可能性の中にある」

という実存を思い起こさせる。最後は,

「イエスに到達しイエスにとどまる」(田中ひな子)

ということに尽きる。

参考文献;
ジョン・マクレオッド『物語りとしての心理療法―ナラティヴ・セラピィの魅力』(誠信書房)

ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm