2013年05月06日

サムライとヤクザ


かつてもいまも,僕は,サムライを美化する連中を嫌いである。侍は,基本,社会の寄生虫である。穀つぶしである。ヤクザも同様だ。自閉し自己完結した世界に閉じこもり,それを完結させるために独自のしきたりと風儀を必要とする。

昔,博徒に仮託して,こう語らせたことがある。

「あっしはね,こう申し上げては失礼ながら,お武家様なんぞは,あっしら博徒同様,この世には必要のない,無職渡世ではないかと思いやすね,百姓衆にとっても,職人にとっても,ましてや商人にとっては,お武家さまなんぞは無用のものですよ,何かを生み出すわけではなし,ただ何の因果か上にたって威張ってお指図される。でも,その無用の方々がいなかったら,どれだけお百姓衆の肩の荷が軽くなることか,
 お侍方は,仁とか義とか,仰ってますが,それは上に乗っかっておられる言い訳に聞こえます。理をこねくっておられる。いい迷惑です。いっそ,そこをのいてくれっていいたいですよ。あっしらにも,あるんですよ,仲間内の仁義ってやつが,杯かわした親分への忠,お互いの島への義ってやつですよ。でも,こんなのは,住んでいる人を無視して,勝手にあっしらが囲っただけですよ,これも似てるでしょ,お武家様のやり口に,まあ,真似たんでしょうがね。無職渡世は無職渡世なりに理屈がいるんですよ」

その通りなのだ。新渡戸稲造は,『武士道』で,こう書いた。

武士道精神がいかにすべての社会階級に浸透したかは,男達として知られたる特定階級の人物,平民主義の天成の頭領の発達によっても知られる。彼らは剛毅の男子であって,その頭の頂より足の爪先に至るまで豪快なる男児の力をもって力強くあった。平民の権利の代言者かつ保護者として,彼らはおのおの数百千の乾児(こぶん)を有し,これらの乾児は武士が大名に対したると同じ流儀に,喜んで「肢体と生命,身体,財産および地上の名誉」を捧げて,彼らに奉仕した。過激短気の市井の徒たるべき阻止力を構成した。

この愚かな文を読むだけで,『武士道』を読む気をなくすだろう。この「男達」を「暴力団」「ヤクザ」と置き換えればよい。第一,大正時代から,警察は,ヤクザを「暴力団」と措定し,その取締りを計っていることは,国立公文書館に当たれば,わかる。暴力団が男達(おとこだて)なんぞといわれたら,みかじめ料を拒んだがために殺されかけた人は何と言うか。

暴力団は勝手に,お互いの間で縄張りという自己の勢力範囲を設定し,縄張り内で風俗営業等の営業を行いあるいは行おうとしている者に対し,その営業を認める対価あるいはその用心棒代的な意味で,挨拶料,ショバ代,守料など様々な名目で金品を要求する。この要求に応じた者にこれを月々支払わせるが,これをみかじめ料と呼ぶらしい。

ともすれば,任侠道を表看板にし,暴力を武器としたアウトサイダーたちの反社会的行動であり,利権争いに過ぎない。任侠道などは,武士道同様,ないからこそ,あるいはすたれたからこそ,言挙げしなくてはならなかったまでだ。それが自己防衛というか,自分存在証明に他ならない。でなければ,存在する必要がないのだから。

ところで,明治期,『武士道』の英文が出た直後,こういう書評が出た。新渡戸が薩摩藩の若者が薩摩琵琶を奏でるのを「優美」と称賛したのに対して,

薩摩琵琶と関係の親密な『賤のおだまき』は之を何とか評せん。元禄文学などに一つの題目となれる最も忌まわしき武士の猥褻は,余りに詩的に武士道を謳歌する者をして調子に乗らざらしむる車の歯止めなるべし。

薩摩藩でとりわけ男色の習俗が顕著で,その事実を伝えず,美化するだけでは表面的だ,と言っている。ことほどさように,実は,実体としての武士とは別の世界を,虚構の世界を描いている,そう考えるほかない代物なのだ。

氏家幹人は,こうまとめている。

戦乱の世が終わり,武将が大名に昇華して,徳川体制に組み込まれた。その過程で,戦士の作法であった男道はすたれ,治者あるいは役人の心得である武士道へと様変わりする。爾来,武士は総じて非武闘化し,代わって,武家屋敷側が傭兵のように雇った,供回り,駕籠かきに委託した。次第に彼らは武士を軽視し,武家も彼らの命知らずの行動に危機感を抱きながら,ある種賞嘆の感情を抱くようになる。

結局平和ボケし,堕落した武士に変わって,馬鹿な男伊達を競う連中が出てきて,それがヤクザの精神の(いわゆる任侠の)淵源になっているだけだ。

幕末の開明的官僚,川路左衛門尉聖謨は,その一人。こう日記に書いている。

上かたの盗賊は,死するといふことはしりながら網のかかるまで先甘美軽暖の事によを過ごすか,百年生て乞人たらむよりは盗人と成てわかくして被殺かましといふかこときもの共にて,入墨後の盗なと少しもおしつつますみないふ也,死をみる如帰に人とは不思議也。

この畏怖の念に,すでに武士と盗人,ヤクザと区分けすることの無意味さが現れている。

結局大事なことは,もっともらしい看板や二本差しではなく,人としてどうなのか,ということが問われているだけだ。それに,任侠だの侍だの男だてなどの限定をする必要はない。

子曰く,暴虎憑河し,死して悔いなき者は,吾与(とも)にせざるなり,

である。

これでも三河武士の末裔だが,それでも,サムライであることを野放図に賛美する輩が信じられない。


参考文献;
氏家幹人『サムライとヤクザ』(ちくま文庫)

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm



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2016年02月15日

五本指


真偽は知らないが,豊臣秀吉は,六本指であった,という説がある。

秀吉.jpg

「羽柴秀吉画像」(名古屋市秀吉清正記念館蔵)


前田利家の伝記『国祖遺言』に,

「太閤様は,右手の親指が一つ多く六つもあった。あるとき,蒲生氏郷,肥前,金森長近ら三人が聚楽第で,太閤様がいらっしゃる今の側の四畳半の間で夜半まで話をしていた。そのとき秀吉さまほどの方が,六つの指を切り捨てなかったことをなんと思っていらっしゃらなかったようだった。信長さまは秀吉さまの異名として『六ツめ』と呼んでいたことをお話された。」

とある,という。いまでもそうだが,先天性多指症というのがあり,

「指(足の場合は趾)が分離形成される段階で、1本の指(趾)が2本以上に分かれて形成される疾患のことである。結果として手足の指の数が6本以上となる。反対に、指の数が少ないのを欠指(趾)症という。」

何かの本で,出産というのが,いかに奇跡的か,ということを書いてあったのを読んだ記憶がある。

「日本人では手指の場合は拇指(親指)に、足趾の場合は第V趾に多く見られる。」

という。ルイス・フロイス『日本史』にも,秀吉を,

「優秀な武将で戦闘に熟練していたが、気品に欠けていた。身長が低く、醜悪な容貌の持ち主だった。片手には六本の指があった。眼がとび出ており、支那人のように鬚が少なかった。極度に淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺していた。抜け目なき策略家であった。」

と書く。姜沆『看羊録』にも,秀吉は,

「生まれたとき,右手が六本指であった。成長するに及び,…刀で截里落としてしまった。」

との記述がある。多指症は,二千人から三千人に一人の発生頻度らしいし,男が三に対して女性が二と言われる。当時の医療技術から考えると,切るのはリスクが大きい。渡邊大門氏は,

「非常に面倒なのは,大小の二つの指には本来は一つになるべく組織などが分化していることで,単に動かしにくい小さい指を切ればよいという問題ではないことである。要するに不要な指を切るというものではなく,指を再生する手術になるということだ。これはかなり複雑なものであり,大手術になるといわれている。」

と述べ,前近代日本では,指を切ったという例はあまりなく,秀吉も切らなかった可能性が高い,という。

なぜ,五本指なのか。

http://matome.naver.jp/odai/2143030879212163801

によると,

「生物は環境によって、長い時間をかけて姿を変化させてきました。より種を存続させられるよう環境に適合し、進化の過程で不要な部分は退化させてきたのです。魚から両生類が進化したばかりの時代には、6本や8本の指を持つ生物もいましたが、進化の過程で不要な指が退化していくことで、5本指のものが登場し、これが現在の、陸上脊椎動物全ての祖先になったと考えられています。」

とし,

「いろいろな本数の種の中から、なぜか5本指のものだけが生き残り、両生類の子孫である爬虫類や哺乳類も5本指となった。」

と,理由はわからないが,

「クジラやゾウからコウモリやヒトにいたるまでの多くの脊椎動物の手足は同じ設計図をもっている。つまり、5本の指は、手首にある関節の集まりに結びついている。」

ので,

「馬も牛もその祖先は5本指で、進化するごとに指の数を減らして、今の姿になったということです。陸上をすばやく駆けて、天敵である肉食動物から早く逃げるためには、たくさん指があるよりも、蹄のついた1本指のほうが適していたのでしょう。人間はというと、祖先と同じ指の数を“偶然”維持し続けているだけなのです。地球の誕生に比べると、人間の誕生は、ほんの最近の出来事です。もしかしたら、人間はまだ進化の途中なのかも知れません。」

とする。五本指は,進化プロセスの偶然としても,

「両手の指が10本なので10進法が普及した」

など,それが基本発想を左右していることに変りはない。

阿部正路氏は,

「人間の五本の指は,知恵と慈悲と瞋恚と貧貪と愚痴を示すという。」

と書く,

「二つの美徳と三つの悪戸を同時にかねそなえているのが人間であり,人間は二つの美徳で三つの悪を必死でこらえている危ない存在であるからこそ人間なのであって,その二つの美徳を失えば,もはや鬼であり,妖怪である。」

とする。

「瞋恚と貧貪と愚痴」

とは,所謂三毒である。

「仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、すなわち貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」

を指す。即ち,

むさぼり,
いかり,
おろか,

である。これのみになった妖怪が,泥田坊である。

泥田坊.jpg

鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「泥田坊」


鳥山石燕は,『今昔百鬼拾遺』で,

「むかし北国(ほくこく)に翁あり子孫のためにいささかの田地をかひ置て寒暑風雨をさけず時々の耕作おこたらざりしに この翁死してよりその子 酒にふけりて農業を事とせずはてにはこの田地を他人にうりあたへれば夜な々々目の一つあるくろきものいでて 田をかへせ々々とののしりけり これを泥田坊といふとぞ」

と,泥田坊を説明する。

「智恵も慈悲も失って,鬼と化しつつおのれの失われた田地を求めつづける」

まさに,貪る鬼である。阿部氏はこう説明する。

「〈悪〉は『泥田坊』ではない。『泥田坊』を鬼にまでおいやったものなのだ。ここでは酒にふけったわが子に仮託されているが,実はわが子をそこまで追いやったものこそ妖怪なのだ。それは,『泥田坊』の前に決して姿をあらわさず,ために『泥田坊』の三本の指は爪そのものと化しつつ,虚空をあがき,おのれの胸をかきむしる。見開かれた目は,怒りのあまり頭の中心に集まって一つとなる。叫ぶ声は聞こえないが,その身開かれた一つの目は,永遠に閉ざされることなく不気味に光っている。」


参考文献;
阿部正路『日本の妖怪たち』(東京書籍)
http://matome.naver.jp/odai/2143030879212163801
渡邊大門『秀吉の出自と出世伝説』(歴史新書y)
http://www.city.nagoya.jp/kurashi/category/19-15-2-5-0-0-0-0-0-0.html


ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm



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