2013年05月20日

生命をつくる


岩崎秀雄『〈生命〉とは何だろうか』(講談社現代新書)を読む。

生命とは何かへの答え方として,冒頭に,リチャード・ファインマンの,

「もし自分につくれないのなら,私はそれを理解したことにはならない」

という発言をもってくる。つまり,生命とは何かへの答えは,それが作れるかどうかにかかっている。

第一線では,二つのアプローチがある。ひとつは,トップダウン型のアプローチ。ゲノムDNAを大規模に改変することで,新たな生命体を生み出そうとする試み。いまひとつは,ボトムアップ型アプローチ。研究者が簡単な見取り図を設計して,それに基づいて化学物質を試験管の中で混ぜ合わせて簡単な生命体をくみ上げる試み。

トップダウン型の人工細胞の場合,これが作ったものになるのか,という疑問が生まれ,ボトムアップ型の場合,これを生命体と呼んでいいのかという疑問がでる。両社は対極だが,「生命がどのような存在なのか,どのようにして生き物らしい振る舞いをするのか。その見取り図(設計図)を把握しようとする試みが,自然科学としての生命科学の本流」である,という。

「細胞が生命の基本単位であり,細胞というのは基本的に細胞が分裂して増える」という細胞説が,生物学の前提となっている。だから,細胞を創ることで,生命体を生み出そうとしていくことになる。

では,その人工細胞はどういう特性をもっている必要があるのか。研究者たちは,

「自己増殖すること,代謝機能をもつこと,遺伝子情報をもっていること」

を挙げる。それは人工細胞の源流,「トラウベの人工細胞」を考え出したトラウベは,市井の研究者であり,こんな言葉を残している。

「新たな発見を目の前にしながら,あらゆる進歩に目をつむり,市販することしか考えないたくさんの人たちがいた」

いわば,クーンのパラダイムではないが,要は,知識でものを見ている。だから知らないことを認めるのは大変難しい。しかしトラウベの成果に影響を受け,生命を物理化学的に解明しようとした,フランスのルデュックは,「生きていること」の3機能を,

・エネルギー変換器 外部からエネルギーを受けとり,外部に別の形で放出する
・物質変換器 環境から物質を受けとり,別の化学物質の形に変換する
・形態変換器 はじめはシンプルな形から次第に複雑な形態に変化していく

とした。日本の第一人者,柴谷篤弘は,生物モデルを,

エネルギー変換系であること
系は自己保存の機構を持つこと
系は自己増殖の機構ホ持つこと

とする。しかし,こういう発想からの転換になったのは,チューリング・テストだという。チューリングは,「機械が知性を持つかどうかをどう判断するか」という思考実験で,「やり取りしている相手が,人間なのか機会なのかが見分けられなかったら,機会が知性をもつとはんだんしてよい」という提案であった。

そこから人工物を細胞とみなせるかどうかは,,見分けられるかどうかで判断する,という,言ってみると客観的基準ではなく,「間主観的判定」によってしか,論じられないのではないか,と著者は言う。

江上不二夫は,地球外生物はタンパク質や核酸をもつとはかぎらない。その意味からも,生命の合成も,物質にとらわれず,物質は何でできていても,金属でも,プラスチックでも,生命の基本的な性格を示すものが作られれば,生命の合成といえないことはないだろう,という。

そしてさらに一歩進んで,情報論から,生命を要素間のネットワークの振る舞いと考えるという方向が出てくる。

そこでは,森羅万象が情報の流れ,あるいはダイナミックな制御ネットワークに満ちた世界として記述されます。「これが生命である」と定義を与えるのではなく,物質と生命現象と非生命現象とは切れ目なく連続的につながっていることを前提として,「僕らが知っている生物の中には,そのうちの特定の振る舞いが含まれる」という形で生命の理解が進んでいる。

そこでは,特性を列挙することで生命を定義する姿勢が無効化されている。境界がボーダレスであるゆえに,どこからが生命的な情報の状態なのかを指定できないからである。

そこから想定されることは,情報だけで生命現象を現出させることも可能かもしれない,ということになる。まるでマトリックスの世界である。


今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm



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posted by Toshi at 04:54| Comment(9) | | 更新情報をチェックする