2013年06月07日
サムシング・グレート
矢作直樹・村上和雄『神と見えない世界』(祥伝社新書)を読む。
科学者だから許されるが,結構間違いや思い込みで語っているところがあり,そういうところを端折っても,科学者が真剣にサムシング・グレートに向き合っているのか,と疑問を感じた。思いつきでモノを言うのは,科学者のすべきことではない。
科学の研究を突き詰めていって,その先に畏怖を感じるというのはいい。しかし,それと宗教とは別だ。宗教心とも別だ,と僕は思う。正直言って,こんな程度を語っているから,科学者の中で,サムシング・グレートあるいは神秘さについて心を開く人が少ないのだと思う。雑に過ぎる。
たとえば,宇宙論に,「人間原理説」があるのは,僕も知っている。
もしビックバン時の物理定数が少しでも狂ったら,今の宇宙は生まれていません。宇宙では,引力を含めたさまざまな定数がビシッと決まっています。ある定数は,7.0000でないとダメで,6.9999でも7.0001でもダメ。では,この定数を決めたのは誰か?
「この定数を決めたのは誰か?」という問いは,科学者の問いではない。「誰か」と擬人化した瞬間,科学者であることを停止している。思考停止とは言わないが,「この定数を決めたのは何か?」という問いからしか,未知は開かない。
これらは,宇宙における偉大な法則です。素粒子みたいな極微の世界から,宇宙の生成と発展に至るまで,人智を超える「神の働き」があったとしか思えないというのが,私の考えです。
と村上さんが断言する。それが宗教心からではないのが,わからない。100年前もいまも,四割の科学者は神を信じている。その人の言う,「神の働き」とは違うことを村上さんは言っている。「サムシング・グレート」をそう呼んでいる。信仰心をもちつつ科学者であることと,科学者でありながら,サムシング・グレートを「神の働き」ということとは,似ているようで,すさまじい懸隔がある。だから,ここには,まっとうな科学者は近づかない。
アインシュタインが,
宗教心抜きの科学は足が不自由も同然であり,科学抜きの宗教は目が不自由も同然である。
を引用しているが,アインシュタインとご自分たちの立ち位置の違いに,全く無自覚である。
例えば,ゲノムについても,
DNAは命の設計図と言われていますが,あれは言いすぎです。そもそも命の設計図じたいがわからないわけですから。部品設計図としてのDNAという存在は理解できますが,命の設計図,つまり「魂の設計図」は科学ではまったくわかりません。
ちょっとまってよ,「魂」というものがあることを仮説として考えるなら,それを科学として解明したの?と聞きたくなる。「神」がいることを前提にしない限りできない議論をしている。つまり,論点先取りの議論をしている。これも,DNAを動かしている何かを想定しなければ理解できない,というサムシング・グレートを意識する畏怖心とは,別の理屈をここへもってきて,それで良しとしてしまっている。思考停止と言っているのは,ここなのだ。
アインシュタインの立脚点とは違うというのはここだ。畏怖心を持つことと,それを神の仕業としてしまうこととは別だ。そうした瞬間,人智を超えている,と手探りすることすらやめている。
ある部分がわかれば,また別の「謎」が出現する…。
だから,「魂」という表現で丸めてしまうのは,思考をそこでやめることではないのか?
体は60兆個の細胞でできており,それは一年くらいで一度ほとんど全部入れ替わりますから,…残っているのは魂しかありません。
ちょっと待ってくれよ,「魂」を勝手に仮定して話を進めないでほしい。全部すれ変わってしまってもなお,「私」であるのは,どういう仕組みなのか,を問うことの方が先なのではないか。
簡単な解決策が見つかったならば,それは神の答えだ。
というアインシュタインの言葉は,思考停止の言い訳に使ってはならない,とつくづく思う。
同じく,野依良治さんの,
科学者が次々と新しいことを発見するけれども,発見したと同時にさらに多くの疑問が出てくる。宇宙でも科学でも自分たちが知っていることは,まだまだごくわずか。その意味では,科学者は謙虚であらねば…。
という言葉も,アインシュタインの,
基本的な法則を発見するのに論理的なやり方など存在しない。ただ直感あるのみで,それを助けるのが,見かけの裏に隠れている秩序を感じ取る力である。
というのを神秘性というだけにとどめず,神につなげてしまっては,お二人が嘆く。それは,謙虚ではなく,神への平服でしかない。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#矢作直樹
#村上和雄
#神と見えない世界
#サムシング・グレート
#アインシュタイン
#野依良治
2016年01月13日
うぶめ
「うぶめ」と聞いてすぐに,ピント来る人は少ないだろう。よほどの妖怪通である。
産女,
あるいは,
姑獲鳥,
と当て,
うぶめどり,
と訓む場合も,
姑獲鳥,
と当てる。
「うぶめ」は,辞書(『広辞苑』)には,
産褥にある女,
(「姑獲鳥」と書く)出産のため死んだ女がなるという想像上の鳥,または幽霊。その声は,子供の鳴声に似,夜中に飛行して子供を害するという。うぶめどり,うぐめ,
と,その意味を載せる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%A3%E5%A5%B3
には,
「産女、姑獲鳥(うぶめ)は日本の妊婦の妖怪である。憂婦女鳥とも表記する。死んだ妊婦をそのまま埋葬すると、『産女』になるという概念は古くから存在し、多くの地方で子供が産まれないまま妊婦が産褥で死亡した際は、腹を裂いて胎児を取り出し、母親に抱かせたり負わせたりして葬るべきと伝えられている。胎児を取り出せない場合には、人形を添えて棺に入れる地方もある。」
とある。出産が,今でもそうだが,難事だったことを窺わせる。産女は,
http://www.candychild.com/fantasy/u/
によると,
「赤子を抱いて現れる。下半身は血まみれで、子供を抱いてくれと頼む。抱いていると、赤子はだんだん重くなり、地面に下ろそうと思っても、身動きができない状態になる。その重さに耐えることができれば、彼女は成仏することができるという。抱いていた赤子が、木の葉に変わっていたという話もある。姑獲鳥(うぶめどり)は青鷺に似た鳥のような生き物で、青白い炎に包まれて空を飛ぶ。地上に降りると、産女になるとされる。」
とあるが,
http://www.zb.em-net.ne.jp/~kiokunomori/html/mukashi/kaisetsu/ubume.html
によると,
「産女とは、産死した女の霊が化した化物(妖怪・幽霊)の事をいいます。産女の登場する話は沢山の種類がありますが多くは、晩方に道の畔(川の畔など)に現れ、通る人に赤子を抱いてくれと 頼むというものです。そしてその先の話は三種に分かれます。
第一は、名僧の法力によって母子の亡魂が救われるというもので、『和漢三才図会』『新編鎌倉志』などの産女塔の由来譚による と、昔この寺の第五世日棟上人が、ある夜妙本寺の祖師堂へ詣る道すがら、夷堂橋の脇から産女の幽霊が現れるのに出会った。 冥途の苦難を免れたいと乞うので回向すると、一包の金を捧げて消えたというものです。
第二は、抱いた赤子が次第に重く腕がぬけるほどになり、それに耐えると金銀をくれるというもので、上総山式郡大和村法光寺の 宝物『産の玉』の由来として説かれている話のごときものです。
昔、寺の日行という上人が、道の途中で女が憔悴した赤子を抱いているのに出会い、頼みに応じて抱き取ってやると、 重さは石のようで、冷たさは氷のようであった。上人はさわがずにお経をよんでいると、女はお陰で救われたと礼を言い、 礼物として安産の玉をくれたと伝えられています。
そして第三は、授かった礼物が金品ではなく大力(怪力)であるというものです。 島原半島に伝わる話の一つに、ある女が産女の子を預かって大力を授けられ、後代々の女の子にそれが 伝わったという例があります。」
とある。ところが,姑獲鳥を,
こかくちょう,
と訓むと,中国の別の妖怪になる。これが,日本に伝わって,混同されたものとされている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%91%E7%8D%B2%E9%B3%A5
によると,姑獲鳥(こかくちょう)は,
「中国の伝承上の鳥。西晋代の博物誌『玄中記』、明代の本草書『本草綱目』などの古書に記述があり、日本でも江戸時代の百科事典『和漢三才図会』に記述されている」
とある。この妖怪は,
「『夜行遊女』『天帝少女』『乳母鳥』『鬼鳥』ともいう。鬼神の一種であって、よく人間の生命を奪うとある。夜間に飛行して幼児を害する怪鳥で、鳴く声は幼児のよう。中国の荊州に多く棲息し、毛を着ると鳥に変身し、毛を脱ぐと女性の姿になるという。他人の子供を奪って自分の子とする習性があり、子供や夜干しされた子供の着物を発見すると血で印をつける。付けられた子供はたちまち魂を奪われ、ひきつけの一種である無辜疳(むこかん)という病気になるという。」
とある。そして,
「江戸時代初頭の日本では、日本の伝承上の妖怪『産女』が中国の妖怪である姑獲鳥と同一視され、『姑獲鳥』と書いて『うぶめ』と読むようになったが、これは産婦にまつわる伝承において、産女が姑獲鳥と混同され、同一視されたためと見られている」
らしいが,「鳴く声は幼児のよう」というから,確かに紛らわしい。
これが,遠い昔のことかというと,
「1984年(昭和59年)5月15日の午前7時25分、静岡市(現・静岡市葵区)産女(うぶめ)の県道で女性が運転する乗用車が集団登校中の児童の行列に突っ込み、児童数人を跳ね飛ばしてガードレールに激突した。加害者の証言によると、三つ辻の道路の左側に変な老婆が立っており、避けようとして事故になったと答えた。だがこの事故を目撃した児童はオートバイを追い越そうとして事故になったと証言し、老婆のことには言及していない。その土地は古来から産女新田と呼ばれていて、地名の由来は江戸時代に牧野喜藤兵衛という漂泊の者の妻が妊娠中に死に、その霊が何度も現れたため、その怨念を鎮めるため村人が産女明神として祀ったという縁起である。」
という例が載る。
そのことを信じる,というかそういう文化的文脈の中にある人にしか見えないものなのだろう。
参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%A3%E5%A5%B3
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%91%E7%8D%B2%E9%B3%A5
http://www.zb.em-net.ne.jp/~kiokunomori/html/mukashi/kaisetsu/ubume.html
堤邦彦『江戸の怪異譚―地下水脈の系譜』(ぺりかん社)
ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
2016年05月14日
通り魔
通り魔と言うと,今日では,
通りすがりに,人に危害を加える者,
というか,
行きずりの犯罪,
の意味になるが,通り魔は,もともと,
通り悪魔,
あるいは,
通り者,
あるいは,
通り物,
とも言うらしい。「つう」の意味の「通り者」については,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/437747411.html
で触れた。ここで言う「通り者」は,辞書(『広辞苑』)には,
一瞬に通り過ぎ,その通り道に言え又はそれに行き会った人に災害を与えるという魔物,
とある。『江戸語大辞典』は,「通り物」として,
「通り魔,魔物」
としか載せない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E3%82%8A%E6%82%AA%E9%AD%94
は,「通り悪魔」の項で,
「気持ちがぼんやりとしている人間に憑依し、その人の心を乱すとされる日本の妖怪。『世事百談』『古今雑談思出草紙』などの江戸時代の随筆に見られ、通り者(とおりもの)、通り魔(とおりま)ともいう。」
とある。『広辞苑』のイメージとは違う。
http://www.youkaiwiki.com/entry/2013/01/27/%E9%80%9A%E3%82%8A%E6%82%AA%E9%AD%94(%E3%81%A8%E3%81%8A%E3%82%8A%E3%81%82%E3%81%8F%E3%81%BE)
も,やはり「通り悪魔」として,
「ぼうっとしている心に憑依する妖怪。
心を常に落ち着け、冷静でいる者には憑きにくいが、そうでなければ誰にでも憑依する可能性のある恐ろしい妖怪である。」
とあり,通りすがり,と言うイメージではない。
『世事百談』より「通り悪魔の怪異」
いまで言う,「通り魔」だと,むしろ,「かまいたち」と呼ばれたものに近いかもしれない。
鳥山石燕『画図百鬼夜行』(1776年)より「窮奇」(かまいたち)
鳥山石燕は,「かまいたち」に,
窮奇,
の字を当てているが,通常,
鎌鼬,
の字を当てる。その経緯を,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E9%BC%AC
では,
「鎌鼬(かまいたち)は、日本に伝えられる妖怪、もしくはそれが起こすとされた怪異である。つむじ風に乗って現われて人を切りつける。これに出遭った人は刃物で切られたような鋭い傷を受けるが、痛みはなく、傷からは血も出ないともされる。別物であるが風を媒介とする点から江戸時代の書物では中国の窮奇(きゅうき)と同一視されており、窮奇の訓読みとして『かまいたち』が採用されていた。」
と説明している。因みに,「窮奇」とは,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AA%AE%E5%A5%87
に,
清・汪紱『山海経存』より「窮奇」
「中国神話に登場する怪物あるいは霊獣の一つ。四凶の一つとされる。中国最古の地理書『山海経』では、『西山経』四の巻で、ハリネズミの毛が生えた牛で、邽山(けいざん)という山に住み、犬のような鳴き声をあげ、人間を食べるものと説明しているが、『海内北経』では人食いの翼をもったトラで、人間を頭から食べると説明している。五帝の1人である少昊の不肖の息子の霊が邽山に留まってこの怪物になったともいう。」
とある。それが,
「『淮南子』では、『窮奇は広莫風(こうばくふう)を吹き起こす』とあり、風神の一種とみなされていた。」
ということから,「かまいたち」と同一視されたらしい。辞書(『広辞苑』)には,
「物に触れても撃ち付けてもいないのに,切傷のできる現象。昔は鼬のしわざと考え,この名がある。越後七不思議の一つに数え,信越地方に多い。鎌風。」
とある。『大言海』には,
「(人体に,利鎌を持ちて斬りたる痕の如きものの生ずるを,鼬の所為として名づく)気候の変動よりして,空気中に真空を生じ,人体これに触るれば,体内の気,平均を保つため,皮膚を裂きてこうむる負傷」
と載る。この説は,明治期に流布したものらしいが,
「実際には皮膚はかなり丈夫な組織であり、人体を損傷するほどの気圧差が旋風によって生じることは物理的にも考えられず、さらに、かまいたちの発生する状況で人間の皮膚以外の物(衣服や周囲の物品)が切られているような事象も報告されていない。これらの理由から、現在では機械的な要因によるものではなく、皮膚表面が気化熱によって急激に冷やされるために、組織が変性して裂けるといったような生理学的現象(あかぎれ)であると考えられている。かまいたちの伝承が雪国に多いことも、この説を裏付ける。また、切れるという現象に限定すれば、風が巻き上げた鋭利な小石や木の葉によるものとも考えられている。」
と,今日では考えられているらしい。「通り悪魔」を,憑依という面から言えば,
狐憑き,
に似ているのかもしれない。
法橋玉山画『玉山画譜』にある狐憑きの画
「狐憑き」は,『世界大百科事典 第2版』には,
「キツネの霊が人間の体に乗り移ったとする信仰。現在でも広く各地で信じられている。憑かれるのは女性が多い。憑かれるとキツネのような行動をして,あらぬことを口走ったりするのが,狐憑きの典型的な症状であるが,体などに原因不明の異常が生じた時,そのような症状を呈さなくても,祈禱師によって,キツネが憑いているからだとされる場合もある。キツネに憑かれたままにすると,内臓を食いちぎられて,病気の末に死んでしまうとされ,祈禱師などを招いて祈禱したり,憑かれた者をいじめたり,松葉でいぶしたりして祓い落とす。」
とあるし,『日本大百科全書(ニッポニカ)』には,
「狐の霊が人に取り憑いて異常な状態を現出させること。憑依(ひょうい)(憑霊(ひょうれい)、憑き物)現象のもっとも代表的なもの。日本では狐は早くから霊威ある動物と認められており、狐塚という地名の示すように狐を祀(まつ)る習俗、狐によって豊凶を占う習俗、田の神の使いとみなす信仰、稲荷(いなり)神の使いないしは稲荷神そのものとする信仰、密教や修験道(しゅげんどう)などの系統の行法を行っての託宣・卜占(ぼくせん)・巫術(ふじゅつ)など、古くから狐に対する信仰が深くかつ広かったことが明らかである。このような狐への信仰を背景として狐憑きが成立したとみてよい。憑く小獣については普通『きつね』とよぶだけだが、所によっては特殊な呼び名をもつ。たとえば、関東から東北にかけてオサキ・オサキドウカ(御先稲荷)・イズナ(飯綱)、関東西部から中部地方にかけてはクダギツネ(管狐)、山陰の一部でトウビョウ・ニンコ(人狐)、九州の一部でヤコ(野狐)などである。しかしその形態・性情については不思議に伝承の一致があり、大きさはほぼ子猫ほど、色は茶褐色、眷属(けんぞく)は75匹などということが多い。いずれにせよ異常な状態になるのであるから、こうした状態変化をもたらしたり、またはその原因を説明し、はては『狐を落とす』と称して解放させたりすることのできる呪術(じゅじゅつ)者・祈祷師(きとうし)の活動も、狐馮きの俗信に伴って広まっていた。室町中期に『狐仕(きつねつかい)』と称する職業的祈祷師が都市にいた(『康富記(やすとみき)』)ことも明らかである。京都の吉田家からは近世初頭に『野狐鎮札』と称する符(ふ)を出していた(『梵舜(ぼんしゅん)日記』)。」
とあり,
「狐憑きそのものは本来動物崇拝から発したもので、古代中国の記録にもみえ、東アジアに広く共通する現象であったとみてよい。」
とされるようだ。こう見ると,「通り悪魔」は,
狐憑き,
や
鎌鼬,
と,「いたち」や「きつね」に原因が特定できない分だけ,不気味,と言えば言えるかもしれない。それにしても,通りすがりにいきなり人に危害を加える者を,
通り魔,
と名づけたのは,なかなかの慧眼と言えるのかもしれない。避けようのない,鎌鼬に似ていて,憑依されたように豹変するという意味で。
参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E3%82%8A%E6%82%AA%E9%AD%94
http://www.youkaiwiki.com/entry/2013/01/27/%E9%80%9A%E3%82%8A%E6%82%AA%E9%AD%94(%E3%81%A8%E3%81%8A%E3%82%8A%E3%81%82%E3%81%8F%E3%81%BE)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%90%E6%86%91%E3%81%8D
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E9%BC%AC
ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm