2013年10月20日

リラクセーション


成瀬悟策『リラクセーション』を読む。
 
正直に言うが,リラクセーションは苦手である。だから,この本も,長く積読になっていた。ただ,不意に手に取って,読み始めてしまった。

本書について,著者は,

本書のリラクセーションは,巷間行われている筋の生理的な弛みを目的とするものではありません。自分の体の「緊張を自分で弛める」という本人自身の心理的な努力活動を目指しているのです。…からだの緊張という生理的な現象を手がかりとしながら,ご自身でそれをリラックスさせる努力と体験の仕方を模索し,有効なやり方を見出して,自らに適したものを見につけ,生活のなかで習熟していけるようになっていただくことです。

と言う。まあ,自分で緊張を見つけ,それをほぐす方法を見つける手がかりに,ということのようだ。

実のところ,リラクセーションの状態がわからない。だらけているせいか,いつも弛緩していると思いきや,とんでもない。弛めようとしても,どこかで身構えている緊張が残っている。たとえば,

何かをしようとする,しようとしない,いずれにしても,意図があり,意図があるところでは,筋緊張が伴う。

これから動作しようとする予期的な意図の仕方,その気になり方によって現れる準備緊張。

緊張が不全ないし残留して,慢性化する恒常緊張。

人前に出るとか,試験や面接をうけるという状況で起こる場面緊張。

翌日のことを考えて緊張が強くなるイメージ緊張。

等々,日常生活にストレスはつきものだが,

ストレスに対して自分のこころが緊張したというふうに感じているのですが,緊張したのは自分のからだであって,心ではありません。…こころは自分が緊張させた自分のからだの緊張を感じているだけなのです。

と。では,その緊張をどう弛めるのか。

筋の過剰な緊張に対処する仕方として,「弛む」と「弛める」があり,著者はこう言います。

「弛む」ことをよしとするのは,収縮・緊張している筋群の緊張水準が低下した状態であることを重視するからで…本人自身がその「弛む」プロセスそのものに直接関わるか否かに関係なく,どんな方法によつても筋緊張が低下した状態になりさえすればよしとします。

それに対して,

「弛める」ことを重視するのは,自分のからだの緊張レベルを高いところから低いところへ,自分自身の目的実現的な努力,即ち動作という心理活動を意識し,さらにはそれができるようになることを目指しているからです。

当然本書の目指しているのは,

本人自身が主体的に関わり,…自分で自分のからだを「弛める」自己弛緩という心理活動

である。

自己弛緩のプロセスでは,主体が自ら弛めようという意志をもって,ともすれば無用な緊張に走ろうとする自分のからだ,すなわち「身体」という自分自身に真正面から立ち向かいます。

ところで,

リラクセーションが難しいのは,自分が緊張していることに気づいていないからです。

その通りなのだ。そこで,

緊張を捨てなさいといっても,それが容易に務できるわけではありません。幸い緊張感は,その存在を肩の凝り,背中の痛み,頸の突っ張り,腰の痛み,股や膝の突っ張りなどの身体的緊張として,その所在を明らかにしています。それらの部位に本人自身が力を入れて緊張させているのが原因ですから,それを止めさえすればいいのです。

それがリラクセーションの基本は,入れた力を抜くことだが,自分の力を入れていることに気づいていないのだから,自分が緊張していることに気づくためのひとつの方法として,ジェイコブソンの弛緩方法を入り口として紹介している。

これについての評価ができるほど,リラクセーションに精通しているわけではないが,自分で筋肉をそらせることで,緊張する感覚を味わってみるには,いい方法のように思われる。

それは,緊張させながら,緊張を弛める,というもののようだ。

自分のからだに意識を向ける,と言うことの重要性は,ある意味,自分の凝っている,あるいは緊張している部分に注意を向けるということの,重要なのかもしれない。

自分のそれに鈍感だと,どうしても人のそれにも鈍感になる。まずは,自分のからだの好不調,緊張弛緩程度には敏感になりたいものだ。


参考文献;
成瀬悟策『リラクセーション』(講談社ブルーバックス)

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm




#成瀬悟策
#リラクセーション

posted by Toshi at 05:32| Comment(28) | 身体 | 更新情報をチェックする

2015年06月26日

くりからもんもん


くりからもんもんは,

倶利伽羅紋々

と書く。意味は,

背中に彫った倶利迦羅竜王の入れ墨。また、その入れ墨をした人。転じて、入れ墨。

とある。倶利伽羅とは,

梵語Kulikaの音写で,倶利迦羅竜王の略。倶利迦羅竜王とは,

「不動明王の化身としての竜王。形像は、岩上で火炎に包まれた黒竜が剣に巻きついて、それをのもうとするさまに表される。剣は外道の智、竜は不動明王の智を表したものという。倶利迦羅明王。倶利迦羅不動明王。倶利伽羅。」

とある。不動明王とは,

「梵語Acalanāthaの訳,五大明王・八大明王の主尊。大日如来の命を受けて魔軍を撃退し、災害悪毒を除き、煩悩を断ち切り、行者を守り、諸願を満足させる。右手に利剣、左手に縄を持ち、岩上に座して火炎に包まれた姿で、怒りの形相に表す。両眼を開いたものと左眼を半眼にしたものとあり、牙を出す。制吒迦(せいたか)・矜羯羅(こんがら)の二童子を従えた三尊形式が多い。不動尊。無動尊。」

と,まあ,ここまでチャンクダウンしても,不得要領。いやはやおのれの,無学非才,無知は,救いがたく,恥じ入るばかり。

倶利伽羅紋々の「紋々」は,

模様の意味の紋を重ねたもの,

だが, 倶利伽羅王が火焔に包まれた竜から,「燃え燃え」との説もあるが,「模様」が淵源のようだ。特に,「倶利伽羅紋々」といった場合,入れ墨でも,本来は,

背中一面に彫った刺青,

を指すらしい(それから入れ墨一般に広がったらしい)ので,まあ,確かに「紋々」という印象かもしれない。

『大言海』の「倶利伽羅」の項の説明がいい。

「(梵語krkara黒龍と訳すと云う)岩の上に立てたる剱を,黒龍の,巻きめぐりて,其の切先を呑まんとし,其の背に,火焔の燃えあがる象を図したるもの。剱は不動明王の三摩耶形(さんまやぎょう)にて,右手に持てる降魔の剱,龍は,左手に持てる縛の索(なわ)にて,龍の剱を巻くは,即ち不動の化身の像なりと云う。勇肌の火消,鳶の者などの,その背に,此図を文身(ほりもの)にしたるを,倶利伽羅もんもんと云う。燃え燃えを火焔の勢いに因みて,勇ましくはねて云うなるべし」

と。この説の説得力がある。

この倶利伽羅紋々のいわれについて,野村胡堂は,『銭形平次捕物控』「お珊文身調べ」の中で,文身(ほりもの)は,もとは罪人の入墨から起こったとも言われるが,これが盛んになったのは,元禄以降,特に宝暦,明和,寛政と盛んなったとして,

「大模様の文身の発達したのは,歌舞伎芝居や,浮世絵の発達と一致したもので,今日残って居る倶利伽羅紋々という言葉は,三代目中村歌右衛門が江戸に下って,両腕一パイに文身を描いて,倶利伽羅太郎を演じてから起こったことだと言われて居ります。」

と書いている。倶利伽羅太郎のことはよくわからなかったが,四代目歌右衛門について,

「四代目中村歌右衛門(二代目中村芝翫)は、天保四年中村座九月狂言『手向山紅葉御幣』において、『芝翫名残り狂言何れも大出来大々当りくりから太郎にて腕に倶梨伽羅龍の入れぼくろせしなり此節歌川国芳画にて水滸伝豪傑のにしき画大に流行して東都侠者彫ものにせし也是によりて芝翫如是にして看官の眼をよろこばせしなり』と評されるように、ほりものと所縁が深い人物であることは、間違いないと言えるであろう。」

という記述(大貫菜穂「上方浮世絵にみるほりものの発露」)があるので,三代目か四代目かは知らないが,上方歌舞伎から持ち込んだもののような気がする。

「いれずみ」は,

「入れ+墨」

で,文身,刺青とも当てる。『大言海』は,

刑の名。肌に傷付けて,墨汁を差す。後の標となすなり。徳川氏の制には,追放,敲き等に付加(つけ)て行う。二の腕に,幅三分ずつ,二条入れる。あるいは左,あるいは右。またあるいは,顔にも入れる,

が最初に出る。つぎに,

ほりもの,

ときて,「ほりもの」の項には,いわゆる彫物のほかに,

人の膚に針にて,人物,花鳥など,種々の象を刺し作り,墨,朱なとを差し入れること。市虎(いさみ)など身の飾りとす。いれずみ,箚青,雕青,文身。

という説明がある。刺青は,「アルプスの氷河から発見された5300年前のアイスマンの体には入れ墨のような文様が見つかっている」など,

「体毛の少ない現生人類の誕生以降、比較的早期に発生し普遍的に継承されて来た身体装飾技術と推測されている。」

という。日本でも,世界的にも古く,

縄文時代に作成された土偶の表面に見られる文様,

があるし,縄文人と文化的関係が深い蝦夷やアイヌ民族の間に入れ墨文化が存在している。

三世紀の,『魏志倭人伝』には,

「男子皆黥面文身以其文左右大小別尊之差」

の記述があり,その後の,『後漢書東夷伝』にも,

「諸国文身各異或左或右或大或小尊卑有差」

との記述があり,入れ墨の位置や大小によって社会的身分の差を表示したり,他の生物への威嚇効果を期待したりと,意図は異なるが,日本人(だけではないが)にとって,刺青は,縁がある。世界的にもタトゥーがはやっているのは,飾りもさることながら,人類の気質に起因しているのかもしれない。








今日のアイデア;
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