2014年02月01日
懐の深さ
勝海舟が,こんなことを言っている。
久能山だとか,日光だとかいふものを,世の中の人は,たゞ単に徳川氏の祖廟とばかり思つて居るだらうが,あそこには,ちやんと信長,秀吉,家康,三人の霊を合祀してあるのだ。これで織田豊臣の遺臣なども,自然に心を徳川氏に寄せて来たものだ。この辺の深味は,とても当世の政治家には解らない。
うろ覚えで書くが,確か,司馬遼太郎が,『街道をゆく』の中で,
徳川幕府が,森林保護のために結構尽力してきた,
という趣旨のことを言っていた。それが維新後消え,荒れた,と。目安箱にしてもそうだが,封建制という限界はあるにしても,為政者側の懐は深かった。それが天保頃になると,制度疲労を起こし,幕末になると,ほとんど当事者能力を失ったのは,人材登用が,うまく機能しなくなったということにあるように見える。
それにしても,この懐の深さは,計算づくではできない。目先の利益だけでは,到底間尺が合わないからだ。例の米百俵にしても,小泉元総理が違う文脈で利用したのと゛は異なり,長岡藩が河井継之助に率いられて列藩同盟に加わり,戦火で荒廃した中でも,人材育成という長期的視点に着目したところにこそ目を向けなくてはならない。しかし,それは,自分たちは贅沢三昧しながら,民に節約を強いる政治とは別物でなくてはならない。それは,詐欺である。
懐が深い,というのは,
①度量が広い。包容力がある,
②理解や能力に幅がある,
③相撲で,身長が高く,両腕の長い力士に見られる能力で,四つに組んだとき,両腕と胸とで作る空間が広く,相手になかなかまわしを与えないことをいう。
の意味がある。言い換えると,
・器量とか,度量とかという,器の大きさになるか,
・奥深さ
になる。ここで言いたいのは,それとは微妙にずれる気がする。
ただあわてず騒がず,悠然とことに当たる,
というニュアンスだと,大きさしか示していない。ここで見ているのは,視野の広さという意味のような気がする。近視眼的ではなく,もっと幅広く,奥行き深く,長期の視点でものが見られる,という意味だ。
目の前の問題処理だけではなく,長期間視点で,布石を打ち,種をまいていく,
という感じになる。かつての日本企業がそうであったように,それは余裕が必要になる。それは,システムにも,財政的にも,人材的にも,キャパシティがあるからこそできる,ように見える。
今日の日本は,余裕を失っている。ヘイトスピーチ,それへの対抗,人種差別,一極集中バッシング等々,社会全体が狭量になっている。苛立ち,些細なことで突っかかり,とげとげしているように見える。そのせいか,短期の,目先のことに振り回されて,長期の視点が消えているように見える。
日本が近隣諸国に,特に中韓に強気になるのは,総じて,国内が窮しているときが多い。明治の征韓論も,国内の政情不安と経済的困窮とが,外に目を向けさせていた。それは,余裕のなさといっていい。
だが,そんな中にも,勝のように,日清韓の三国連携で欧米列強に抗すべしという論を張っていた人もいた。そこには,長期の視点があった気がしてならない。
目先の自尊心や利害に振り回されて,強硬姿勢を取るのは,百年の計がなさすぎる。
確か竹内好だと思うが,中国人と日本人では時間のスケールが百年単位か十年(?)位の差がある,といっていたような気がするが,その中国も,いまや懐の深さを失ってしまったように見える。
それは言ってみると,個人になぞらえれば,
トンネルビジョン,
に陥っているに等しい。ぶっちゃけ,どつぼにはまっている。その視野狭窄から抜け出す方法は,
時間的にか
空間的にか,
距離を取ることしか抜け出す道はない。空間的には,なかなか難しいかもしれないが,少なくとも,時間のスケールを100年とは言わないまでも,30年,40年単位で考える視点が欲しい。そうすると,視界が変わる。
ついでながら,竹内の,
大東亜戦争は、植民地侵略戦争であると同時に、対帝国主義の戦争でもあった。この二つの側面は、事実上一本化されていたが、論理上は区別されなければならない。(中略)太平洋戦争において両側面は癒着していたのであって、この癒着をはがすことはこの段階ではもう不可能だったからである。というよりも、癒着をはがす論理がありうることを、われわれは戦後に東京裁判でのパール判事の少数意見からはじめて教わった…,
という文章が目に留まった。これが僕には視界の広いものの見方に見える。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#勝海舟
#竹内好
#日清韓の三国連携