2012年10月26日

アイデアを一杯出す


アイデアは,いわば脳内のリンクをどう多岐に張るかにかかっている。はっとひらめいたとき,0.1秒脳内の広範囲が活性化するという。つまり,いつもとは違うところがつながって,ひらめきにいたったことになる。
それを前提にすると,アイデア出しは自己完結させてはならない。ブレインストーミングが有効のなは,それによって,自分の脳が刺激を受け,思わぬところとリンクさせることが出来るからだ。
また一つは,その意味では,いつものように見ている限り,同じようにしか見えない。そこで,見え方を変える工夫がいる。
たとえば,ひっくり返す,裏返す,遠ざける,近づける,分解する,解体する等々。そうやって見え方を変えることで,いつもと違う見方を強制的にする,というのもひとつ。
おいおいお伝えするとして,大事なことは,脳内リンクが多様化,多岐化するのを常態にすること。それには,脳内リンクの筋力トレーニングしかない。
ばかばかしくても,日々考え続ける。いま一日一個を実践している。ぶっちゃけると,実は今年にって,一日一個にしたが,従来は一日二個であった。歳とともに,二個目が出なくなって,とうとう諦めた。二個にチャレンジするのもいい。
その成果は,次のページを見てほしい。実にくだらないことに着目してほしい。

http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

アイデアは,完成品が出るのではなく,くだらないものから,揉んでいく。その意味で,アイデアにくだらないものはない。くだらないと一蹴した瞬間,大事な獲物を逃す。出発点にすぎないことを肝に銘じなくてはならない。


http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod0211.htm

http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/training0.htm



#アイデア
#発想
#製品開発
ラベル:発想 アイデア
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2012年10月31日

相手に〇をつける


われわれは,まず相手に先入観をもつ。
強持てだ,不潔だ。愛想が悪い。目が怖い等々。自分には,それと,こちらの持つ仮説とどこが違うのかがわかっていないようだ。たとえば,コーチAでは,タイプ別けということをいう。私はコントローラーというタイプが強く。それと並んで,プロモーターがある。それがわかると,私の振る舞いのすべてがコントローラーにふりわけらけられる。やることなすことが,コントローラーの枠にはまって見えられることで,いらだつかしょげるか,相手にしないかしか選択肢がない気がしてくる。それで納得している相手の当てはめを聞かされていると,自分が自分でなくなっていく印象がある。セラピストが,DSM-Ⅳの分類基準に当てはめて病名診断をするのも,それとよく似ているのかもしれない。

今更めくが,ロジャースは,「人間的成長の促進に関するいくつかの仮説」の中で,こういっている。
「私がある種の関係を提供できるなら,相手は自分が成長するために,その関係を用いる力が自分の中にあることを見出すであろうし,そこで変化と人間的な成長が生じるであろう」
そして,有名な3つの要点を取り上げている。

「私は自分自身が関係の中で純粋であるほど,その関係は援助的なものになることを見出してきた。このことは,私が出来る限り,自分自身の感情に気づいている必要がある,ということを意味している。つまり表面的には,ある態度を表しながら,より深層の無意識的な水準では,別の態度を持っているのでは,純粋であるとは言えない。」

「第二の条件として,私は次のことを見出している。すなわち,私がその人に対して受容と好意を持てば持つほど,その人自身の成長のために用いることができるような関係を創りだすことが出来る。受容という言葉の意味は,私にとって,無条件に自己の尊厳を持つ人間―つまりどんな状態や行動や感情であろうと,価値ある人間―として,その人に暖かい配慮を寄せるということである。」

「私はまた,私がクライアントを理解したいと思い続けていると感じている度合いに応じて,つまり,その瞬間の相手の感情とコミュニケーションのどちらについても,その人が見ているままに,感受性豊かに共感することによって,関係が重要なものになるということ見出している。」

ここにすべてが尽きているような気がする。だから,こころある人は,仮説を立てて人に向きあわない。あるいはすぐに自分の仮説てばなすことができる。
でも,自分でもたぶん無意識でやることがあるだろう。その仮説から見れば,すべてが,そう見えてくる,というように。それで相手がわかった気になる。

その意味では,コミュニケーションについていった,エリクソンの原則を,自分は大切にしたいといつも思っている。

ひとつ,相手について仮定しないこと
ひとつ,緩やかな変化
ひとつ,相手の枠組みであること
ひとつ,自らの考えを変える力があることを,相手自身が気づけるような状況つくること
ひとつ,そのために使える相手のリソースとなるもの相手の中に見つけて利用する
そこにあるのは,眼鏡や仮説ではなく,逃げることなく,相手と向き合うことだ。

同じことを,ブリーフセラピーの若島礼文先生は,
 まずは相手に○をつける。
 自然な変化の語り(どう良くなっているか,良くなっているところに焦点あてる)
 Do something different
の三原則挙げる。

またCTI系のコーアクティブ会話術では,
 先ずは受け止める
 いいところを見つける(①とにかく「いいね!」という。②その考えのいいところは,といい点にフォーカスする,③さらに加えると,とそれを発展させる )
 感謝を見つける
の三原則を挙げる。

先ずは相手に○印つけなくて,どうするのか,自分にまず言い聞かさなくてはならない。わたし自身が,人以上に,好き嫌いの先入観が強いから。

参考文献;『ロジャースが語る自己実現の道』(岩崎学術出版)



今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm



#コミュニケーション
#会話
#ブリーフセラピー
#タイプ分け
#エリクソン
#ミーアクティブ会話術
#ロジャース
#相手に〇をつける
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2012年11月01日

大丈夫?という声掛けの危うさ



「大丈夫?」というと,苦しそうに急き込んでいた母が,「大丈夫じゃない!」と苦しそうに返してきたのを初めて聞いたときは,びっくりした。そういうこと言う人ではなかったからだ。あわててナースコールを押すと,ちょっと見ただけで,医師を呼びに走った。それからは,何回か,同じ問いかけし,同じ応えが返ってくる,それもそのうち出来なくなった。そんな思い出が蘇る。

正直,見かねて,だれもが,ついつい「大丈夫?」と声を掛けがちである。

これが,親しい仲なら,ただの気遣いですむが,これが上下関係,上位者と下位者だと,そうはいかない。内心は,困っていて,悩んでいても,「大丈夫?」と上司に声掛けられて,「ハイ,困ってます,実は…」と返事できるには,それこそ,両者に信頼関係がないと難しい。たとえば,ジョハリの窓でいう,「パブリック」ができているのなら,こころ安く打ち明けられるが,そうでなければ,「ハイ,大丈夫です」といいがちである。いや,そういわなくてはならないような,暗黙のプレッシャーを上司のその言葉に受け取りがちである。意識しているかいないかは別に,その言い方には上から目線を感じてしまい,「大丈夫」としか答えようがないのかもしれない。

だから,分担しているパートを担っている,各部下に,「うまくいっている? 」「大丈夫?」と声を掛けて,部下から,「大丈夫です」と返事がきたからといって,安心してはならない。ここは,大丈夫といっておくしかない。困っていることがある,といいそびれてしまったから,いまさら聞けない,そんなことをしたら,なんでもっと早くいわない,と叱られるのがおちだ,等々。その結果,蓋を開けたら,その部分が遅れており,全体の足を引っ張ることになる,なんてことになる。

ではどういう声掛けをしたらいいのか。ベストの答えは,個々ばらばらだろうが,せめて「ちょっと心配そうに見えたが,困ったことがあったら,いつでも声をかけてね」とか「サポートがいるなら,遠慮しないで言ってね」というように,具体的な声掛けでないと,実はとは言いづらいのかもしれない。

「大丈夫?」という言い方には,念のため声をかけるが,たぶん大丈夫だという返事が来ると,どこかで期待してるというニュアンスが,みえみえで,とても何が打ち明けたり,相談できる雰囲気感じさせないのに,違いない。本来,日頃から,そういう気安い関係がつくれればいいが,それが難しければ,せめて,声掛けの言葉に,こちらの思いや心が開かれているのでなくてはならない。そこに,声を掛ける側の心が開いている状態が,相手にみえなくてはならないのだろう。

「アドバイスしていい? 」という声掛けでは,多く相手に優位性を感じ取り,体が固まるのだという。そこには,暗に「俺の言うことを聞け」というニュアンスを嗅ぎとるからだ,といわれている。親切心も,気遣いも,自分の立ち位置を意識して,相手にどう受けとられるかを考える必要があることが多い。なかなか人の心理は難しい。

●ジョハリの窓

ジョハリの窓については,

http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod0652.htm
のコミュニケーション・チャンネルを確立できる~常にパブリックをつくる
をご覧ください。

“ジョハリの窓”は,ジョセフ・ラフトとハリー・インガムのファーストネームからつけられた。自己理解の仕方として,
・自分にわかっている自分/自分にわかっていない自分
・他人にわかっている部分/他人にわかっていない部分
の4つの窓に分けてみようとするものである。

共通のコミュニケーションの土俵づくりという面で“ジョハリの窓”を考えたとき,重要なのがパブリックづくりである。自分(上司)が知っている自分を,自分が果たしている役割,自分のしている仕事の仕方,進め方,何を重視し,何に価値をおいているか,を他人(部下ひとりひとり)が,理解してくれている部分とすると,パブリックのできている部分だけで,部下ひとりひとりとのコミュニケーションの土俵ができていることになる。これを相手との間で形成するのが,コミュニケーションの土俵づくりをする意味である。

パブリックを広げる方法はふたつである。
第一に,自分が何を考え,どう思っているかを語ることである。自分が何を目指し,何をしようとしているかを明確にすることによって,プライベイトな部分を小さくできる。
第二は,相手からのフィードバックを聞くことである。自分の行動がメンバーからどう受け止められているかをフィードバックしてもらい,自分の知らない部分,気づいていない部分を受けいれることによって,ブラインドの部分を減らせるのである。

今日のアイデア;
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#
コミュニケーション
#大丈夫
#気遣い
#アドバイス
#声掛け
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2013年08月18日

思い


人の思いの重さを感じることはないだろうか。

こんな歌がある。

別れても 別れても
こころの奥に
いつまでも いつまでも
覚えておいて ほしいから
幸せ祈る 言葉に換えて
忘れな草を 
あなたに あなたに(「忘れな草をあなたに」)

結構怖い。三番は,もっとすごい。

よろこびの よろこびの
涙にくれて
抱き合う 抱き合う
その日が いつか来るように
二人の愛の 思い出そえて
忘れな草を 
あなたに あなたに

自分の思いについては必死なのに,人の思いに無頓着ということがある。しかしそれに気づくと,結構気疎いというか,重いというか…。

人への思いは,恋でも愛でも憧憬でも嫉妬でも憎しみでも恨みでも,本人にとっては,必然というか,流れがある。しかし,相手にとっては唐突のことが多い。

だから怖いし重い。

それは妙に長く続く。相手の中で底流のように伏在し続け,あるとき,ふっと噴出したりする。

がさつな僕自身には,艶めいた話はほとんどないが,微妙な恨みはいっぱい買った。

ただ自分は無頓着なので,それに無自覚な分,余計に相手に思いが募るらしい。いつぞや,ずいぶん昔のことを,

君は人の心に一杯ひっかき傷をつけた…!

と言われた。昔のことだ,笑い話なのかもしれない。しかし,そのとき,十何年ぶりかで再会したそのときに,そう言うということは,ずっと底流していた思いが,僕の顔をみて,ふいに引き出されたという言い方もできる。

僕にも同じように底流する思いはある。しかし,そういう相手に生涯で二度と会うことはない。というか,会いたくはない。会う機会があっても,たぶん合わない選択をするだろう。それも,思いの錘りが,僕を引きとめている。

それに向きあえ

という人がいる。

いいのですよ,大なり小なり,人はそういうさまざまに輻輳する思いを持っている。そのすべてを明るみに出したところで,人生が画期的に変わるわけではない。僕に大きな変革が起きるのでもない。いつも思うが,過去にエンジンはない。

君は過去に蓋をしている,

とかつてある心理系の人間に言われたが,当たっていなくもない。僕は過去を振り返ることで,未来への道を拓くという発想を取らない。過去が足を引っ張っているのではない。今,いまの問題に躓いている自分がいるだけだ。ひとは,いまを生きている。過去に囚われている人は,過去を生きている。過去を生きている人は,いまを生きていない。

いまに,すべての鍵がある。

いまを突破しなくては,未来はない。それができた瞬間,過去は別の光に照らされるだろう。いまの暗いスポットライトで照らされているのは,因果関係という物語に拘泥する暗い物語だ。しかしいまが,輝く時,その輝くスポットライトに照らし出されるのは,オルタナティブな自分の物語だ。

自分の物語を決めているのは,いまの生き方だ。

僕はいまの思いを大切にする。

いま好きな人は,いまのその人であって,過去の影ではない。いまの思いが,過去の思いを変える。まるで,過去からそう決まっていたような,因果関係の物語が見えてくるかもしれない。

しかしそれは所詮物語に過ぎない。次のいまの思いの中で,また別の物語が生まれるだろう。

結局人は自分の物語を生きる。その物語を生涯かけて完成するしかない。

そう,他人の思いに振り回されないでいいのだ,と思う。人はおのれの物語の中で,おのれの思いを紡ぐ。僕は僕の物語の中で,僕自身の思いを紡ぐ。もし二人の思いが重なれば,ふた色の糸で,一緒に物語を紡げばいい。

現象学的に言えば,所詮,人の見る現実は幻に過ぎない。それは自分の目にしか見えないうつつなのだ。その限りで,ゆめもうつつも,境目はない。




今日のアイデア;
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#現象学的
#思い
#物語
#オルタナティブ






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2013年12月14日



先日,異世代交流会で,金春流能楽師山井綱雄さんの話を聞き,若干舞を拝見する機会を得た。

長く誤解していたが,信長が,

人間五十年,化天のうちを比ぶれば,夢幻の如くなり
一度生を享け,滅せぬもののあるべきか

と,『信長公記』に曰く,

此時,信長敦盛の舞を遊ばし候。人間五十年 下天の内をくらぶれば,夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか,と候て,螺ふけ,具足よこせと仰せられ,御物具召され,たちながら御食をまいり,御甲めし候ひて御出陣なさる,

と,桶狭間の戦い前夜,今川義元軍の尾張侵攻を聞き,清洲城の信長は,まず「敦盛」のこの一節を謡い舞い,陣貝を吹かせた上で具足を着け,立ったまま湯漬を食したあと甲冑を着けて出陣したという一節が,特に49歳で本能寺で死んだことと重なって,

「人の世の50年の歳月は,下天の一日にしかあたらない」

と,一層印象深いが,これを能の敦盛と勘違いしていた。

だから,秀吉が,賤ヶ岳の合戦で勝利し,姫路へ凱旋,帰城した時,上機嫌で,敦盛を舞ったというのを,勝手に信長の真似と捉えていた。

しかし,信長のは,正しくは,幸若舞であり,今は伝承が途絶えているので,詳しくはわからないという。

ウィキペディアには,

幸若舞は,室町時代に流行した語りを伴う曲舞の一種。福岡県みやま市瀬高町大江に伝わる重要無形民俗文化財(1976年指定)の民俗芸能として現存している。能や歌舞伎の原型といわれ,700年の伝統を持ち,毎年1月20日に大江天満神社で奉納される,

明治維新後,禄を離れた各地の幸若舞はその舞を捨ててしまい,この大頭流の大江幸若舞のみが現在に伝わっている。大江の地に受け継がれてから,2009年現在で222年の伝統がある,

とある。ということは,能と秀吉のつながりは,信長とは関係ない。

ウィキペディアには,

金春安照(六十二世宗家)に秀吉が師事したために,金春流は公的な催能の際には中心的な役割を果たし,政権公認の流儀として各地の武将たちにもてはやされることとなった。秀吉作のいわゆる「太閤能」も安照らによって型付されたものである。安照は小柄で醜貌と恵まれない外見だったと伝えられるが,重厚な芸風によって能界を圧倒し,大量の芸論や型付を書残すなど,当時を代表する太夫の一人であった,

とあるが,秀吉は,シテとして,舞台に上がった武将の嚆矢とされる。特に金春流とは深くつながった。ただ,

江戸幕府開府後も,金春流はその勢力を認められて四座のなかでは観世流に次ぐ第二位とされたものの,豊臣家とあまりに親密であったことが災いし,流派は停滞期に入ってゆく。その一方で観世流は徳川家康が,喜多流は徳川秀忠が,宝生流は徳川綱吉が愛好し,その影響によって各地の大名のあいだで流行していった。

とされている。ただ,他の流派は,観阿弥・世阿弥の時代を始祖とするのに対して,金春流は,

伝説の上では聖徳太子に近侍した秦河勝を初世としているが,実質的には室町時代前期に奈良春日大社・興福寺に奉仕した猿楽大和四座の一,円満井座に端を発する,

という古い歴史を誇る。秀吉がどうして能に,特に金春流にはまったのかは,わからないところがあるが,

http://www.the-noh.com/jp/trivia/104.html

には,

彼は自分の業績を新作能として作らせました。それが,「豊公能」と呼ばれる作品群です。

「豊公能」は,秀吉58歳のころに作られたと言われています。当初は十番能だったと見られていますが,謡本で伝わっているものでは,「吉野詣」「高野参詣」「明智討」「柴田」「北條」の五番が有名です(近年,「この花」という曲が発見されました)。「吉野詣」は,吉野に参詣した秀吉に蔵王権現が現れ,秀吉の治世を寿ぐ,というもの。「高野参詣」は,母大政所の三回忌に高野に詣でた秀吉に,大政所の亡霊が現れて秀吉の孝行を称えるというもの。「明智討」「柴田」「北條」は,秀吉の戦功を称えたものです。

秀吉は,これらを宮中に献上し,また,ほぼすべてを自ら舞ったようです。能を愛好した権力者は,足利義満,徳川綱吉ほか,数多くいます。しかし自身の生涯を能に仕立て,あまつさえ舞った人はほかに見当たりません。豊臣秀吉の能への耽溺ぶりがうかがえます。

とある。

秀吉は,セルフブランディングの名人なのである。

祐筆の大村由己に,

『天正記』
『播磨別所記』
『惟任退治記』
『柴田退治記』
『関白任官記』
『聚楽行幸記』
『金賦之記』

と次々に,ほぼ同時進行で,自分の戦さの軍記を書かせている。しかも当時の軍記物は,旗下の武将たちの前で詠むのである。それは,自分の事績の宣伝に他ならない。

自分の出生も,御落胤説を語りだすなど,自己を演出するのに,余念のない秀吉のことだ。能の,あのきらびやかな舞台に,もう一つの,しかも自分が主役を演じられる格好の手段を手に入れた心地なのではないか。

自分の歴史を,自分で舞って,表現する,

得意絶頂の秀吉が目に浮かぶ。

秀吉は世阿弥ふうのいかにも優美な曲を好んだ,

とのことだが,天下人が,能に肩入れしたことの効果は波及的だ。

衰退していた興福寺での薪能や春日若宮祭での催能を復活させたり,大和猿楽四座に対して継続的に配当米を支給して保護したり,

と,影響が及び,

その保護政策は徳川幕府にも継承されて,能楽の古典劇化,式楽化が進んだ,

とされている。



今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm





#金春流
#山井綱雄
#天正記
#播磨別所記
#惟任退治記
#柴田退治記
#関白任官記
#聚楽行幸記
#金賦之記
#秀吉

posted by Toshi at 05:00| Comment(0) | カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2014年03月31日

香道


無粋のきわみのような自分が,まさか,こんなところに参加するとは,思わなかった,片岡 宗橘さんのお誘いを受けて,

https://www.facebook.com/events/611591715590127/633555376727094/?notif_t=plan_mall_activity

御家流(おいえりゅう)の香道・茶道体験会に,参加してきた。

こう言う「いき」や「粋」とは無縁に生きてきたので,恥ずかしながら,初体験である。

一応来歴をネットで調べると,

茶道の御家流は,

江戸時代初期に美濃加納藩主・安藤信友が興した茶道の流派。譜代大名の安藤対馬守家(幕末期は磐城平藩主家)で伝承され,安藤家御家流とも言う。細川三斎の門人一尾伊織が興した一尾流の流れを汲み,織部流を合わせたものである。留流として安藤家中以外へは秘されてきたが,1970年より一般へ教授されるようになった,

という。

香道(こうどう)の御家流は,

三条西実隆を流祖とし,室町時代以来大臣家である三条西家によって継承されたが,後に亜流は地下(武士・町人)にも流れる。戦後,一般市民(民間)の香道家・一色梨郷や山本霞月などにより,堂上御家流香道を継承していた三条西尭山が正式に近代御家流宗家として推戴され,三条西家の当主が御家流家元を継承している,

という。

話には,聞いたことがあったが,特に,

香道とは,日本の伝統的な芸道で,一定の作法のもとに香木を焚き,立ち上る香りを鑑賞するものである。香木の香りを聞き,鑑賞する聞香(もんこう)と,香りを聞き分ける遊びである組香(くみこう)の二つが主な要素であるそうだが,今回は,香りの聞き分け,を体験させてもらった。

香道においては,多く,聞香炉に灰と,おこした炭団を入れ,灰を形作り,その上に銀葉という雲母の板をのせ,数ミリ角に薄く切った香木を熱し,香りを発散させる方式がとられる。銀葉を灰の上で押すことにより,銀葉と炭団の位置を調節する。これにより伝わる熱を調節し,香りの発散の度合いを決める。

いただいた案内によると,

一,斎院
一,斎宮
一,野々宮

と,源氏物語にちなんで,その名にふさわしい(と選んだ)香木を,順次聞いて,その後,聞いていない香を混ぜて,どの香かを当てる,というもの。正直言って,その微妙な違いが判るほどではなかったので,区別がつかなかったのだが,その香の,

微妙な,

というか,

微かな,

違いというか,それぞれの個性を聞き分けるのは難しいというより,その一瞬感じたのは,

ああ,こんなにも微妙な差異を楽しんでいたのか,という感嘆というか驚異といっていい。いま,巷にあふれている香りは,弱いとされるオーデコロンですら,鼻を刺激するのに比べたら,

何と仄かな,

と思ってしまう。

その後,濃茶と薄茶をいただいたが,まあ,所作のしきたりはともなく,ただなぞっただけだが,香道も,茶道も,

その独特の時間の流れ,

にまず,自分の佇まいが,その異質さがさらけ出される気がした。そう,おのれのふりまく,あわただしさ,ありていに言えば,

せわしなさ,

とは無縁の,すさまじく,時間の流れのゆったりした,ちょうど,所作ひとつひとつを,

スローモーションにした,

というと大袈裟だが,そんなゆったりした間合いが,どこか懐かしい気がした。

そして,それは,たぶん,あの場そのものが創り出すというのか,その場にいるということで,

ゆったりした時間を,

共有させてもらう,

という気がする。本当かウソか知らないが,秀吉に茶室に招待された黒田官兵衛(は茶道に関心がなかった)は,そこで一向に茶を点てず,小田原攻めの話に終始した,そして,

これこそが茶の湯の一徳というものである。もし茶室以外の場所で密談すれば,人から剣技を懸けられるが,茶室であれば,その心配がない,

と秀吉が言った,というのである。『名将言行録』のこの逸話は疑わしいが,

一期一会,

の言葉から推測するに,独特の時間と空間であることは,よく分かる。いわば,



が,時間を支配する,という感じである。あるいは,ちょっと大袈裟な言い方をすると,

感覚を研ぎ澄ます,

ことで,場に融ける,

とでもいうような。

ま,しかし,無粋な僕には,脚の痺れが,土産であった。

参考文献;
渡邊大門『黒田官兵衛』(講談社現代新書)



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2014年05月03日

ノブレス・オブリージュ


ノブレス・オブリージュ,

という言葉がある。

ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)は,直訳すると

高貴さは(義務を)強制する,

となる由。日本語では,

位高ければ徳高きを要す,

などと訳されるそうだ。

一般的に財産,権力,社会的地位の保持には責任が伴うことを指す。実際には,貴族などの特権と贅沢を正当化する隠れ蓑として使われていた側面もあるようだ。

ファニー・ケンブルが1837年に手紙に「……確かに『貴族が義務を負う(noblesse oblige)』のならば,王族は(それに比して)より多くの義務を負わねばならない。」

と書いたのが,使われた最初とされている。

倫理的な議論では,特権は,それを持たない人々への義務によって釣り合いが保たれるべきだという「モラル・エコノミー」を要約する際にしばしば用いられる。最近では主に富裕者,有名人,権力者が社会の模範となるように振る舞うべきだという社会的責任に関して用いられる

と,ウィキペディアにはある。

しかし,僕は,孔子の言っていたことも,それだと感じた。なぜ,「士」としての,そのありようが,問われるのか,それは,その地位にいるものの,当然の使命からくる。

高貴である(と認められる)のは,その身分や地位ではなく,その地位にふさわしい責めを担う覚悟がある,

からではないのか。それを,

心映え,

と言うように思う。昨今,そんなトップも,リーダーも,本当に少なくなった気がする。昔はいたのか,と言われると,甚だ,心もとないけれども。しかし,自分のモデルにしたいと,思う人は,確かにいた。思想的にも,生き方的にも,

弊(やぶれ)たる縕袍(うんぽう)を衣て,狐貉を衣る者と立ちて恥じざるもの,

と評された子路のような人物は。

士は以て弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し。仁以て己が任となす。亦重からずや。死して後已む。亦遠からずや。

漫然と上に立ってはならない,ということではないか。上に立つとは,そういう資格とは言わないまでも,そういう覚悟がいる。しかし,昨今,その覚悟どころか,資格すらないものが,上に立っているのではないか。

その身正しければ令せずして行われ,その身正しからざれば,令すと雖も従わず,

と。というより,正しからざる振る舞いによって,いままで結界のうちに閉じ込めてきた悪しきものが,幽鬼の如く,

方は類をもって聚(あつ)まり…,

と,次々と湧き出て,巷を徘徊し始めた。

何を言っても,してもいいという範を,上が示しているからに他ならない。ナチスのハーゲンクロイツの旗を振りまわし,ヘイトスピーチをがなり立てる,人としての埒も矩も超えた言動が徘徊するのを許すのは,われわれ自身の恥そのものであり,みずから,人非人であると喧伝しているのも同じである。

あるいは,

名正しからざれば則ち言順わず,言順わざれば則ち事成らず,事成らざれば則ち礼楽興らず。礼楽興らざれば則ち刑罰中らず,刑罰中らざれば則ち民手足を措く所なし,

とも。おのれのすることに名目の有無など頓着せず,おのが信条を国是とすることに邁進するものは,士どころか,賊である。

少なくとも,士であるからには,みずからを戒め裁く,脇差が必要である。だから二本差しである。でなければ,ただの長どす一本のヤクザと変わらない。

いまや,士と称しつつ,長どす一本の,ヤクザまがいが増えた。その手合いを,

サムライもどき,

という。もどきは,所詮もどき,がんもどきは,



にはなれぬ。


参考文献;
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)



今日のアイデア;
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posted by Toshi at 04:52| Comment(2) | カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2014年08月01日

77年周期


最近変なことに気づいた。

明治維新が,どこを起点にするかによって微妙だが,鳥羽伏見での幕府の敗北か,その前の王政復古の宣言かで,一年位違うが,1867年か1868年か,そこから敗戦の1945年まで,約77年。

そして敗戦から, 77年になるのが,ちょうどオリンピック頃となる。

僕は密かに

77年周期

を信じ始めている。

外圧に拠るか,自壊によるか,天災によるかは別にしても,77年を迎えるのはオリンピック直後,敗戦かあるいは江戸幕府崩壊に匹敵する何かが起きる気がしてならない。

単なる数字合わせかもしれない。

ひところ,ツイッター上で,こんな類比が流れ続けていた。妙に重なっている(気がする)。

1923年 関東大震災
1925年 治安維持法
1940年 東京オリンピック
1941年 太平洋戦争

2011年 東日本大震災
2013年 秘密保護法
2020年 東京オリンピック

しかし,東京オリンピックまでもたないのではないか,という危惧もあるが,この後に,

2021年 

を加えて,明治維新と敗戦の年を加えると,

1868年 明治維新(王政復古の宣言を取ると,1867年)
1923年 関東大震災
1925年 治安維持法
1940年 東京オリンピック
1941年 太平洋戦争

1945年 ポツダム宣言受諾
2011年 東日本大震災
2013年 秘密保護法
2020年 東京オリンピック
2021年 ?

となる。何となく気味が悪い。

貧富の格差が拡大し,長期に経済が停滞した閉塞状況,中韓への意識と言い,「東京オリンピック」浮かれて,1930年代へと向かう社会状況と,どこか似ている。

われわれは,歴史から学ばない。だから同じ轍を何度も踏む。一部のというか,為政者の大勢(超党派の200を超えた議員による「東京裁判史観」からの脱却を目指すグループがある等々)は,敗戦後の体制が嫌なのだろう,決して敗戦自体を認めようとしない。それは,敗戦で死んだ人々への何の自責もないということだ。

しかし,かつて威勢良く,八紘一宇とかといって戦争に駆り出された軍隊がこれほど悲惨な目にあった戦争というのは,世界にほかに例がないのではないか。軍人・軍属あわせて二百三十万人の戦没者が出ているが,この半数以上が餓死者と言われる。戦闘ではなく,補給の断絶による死とは,戦略の死である。

いやいや何より,戦争自体が,

政治の死であり,政治の敗北である。

だから,開戦できても,終戦の仕方が決断できず,二発の原爆をおとされてもなお,決断できなかった。

決められないのは,いまに始まったことではない。

しかし,だ。戦後レジームの脱却の先で,目指している国は,どうやら,戦前もどきらしいのである。たとえば,それは,自民党の憲法草案を見れば一目瞭然,日本国憲法の前文にあった,

全世界の国民が,ひとしく欠乏から免れ,平和の裡に生存する権利を有する

が削除されている。「平和の裡に生存する権利」を認めないということであろうか。

そして,「第三章国民の権利及び義務」では,

第十二条(国民の責務)
この憲法が国民に保障する自由及び権利は,国民の不断の努力により,保持されなければならない。国民は,これを濫用してはならず,自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し,常に公益及び公の秩序に反してはならない。
第十三条(人としての尊重等)
全て国民は,人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については公益及び公の秩序に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大限に尊重されなければならない。
第二十一条(表現の自由)
1 集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由は,保障する。
2 前項の規定にかかわらず,公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い,並びにそれを目的として結社をすることは,認められない。

とし,常に,

公益及び公の秩序に反しない限り,

公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い,並びにそれを目的として結社をすることは,認められない。
と,制約条件が付いている。それは,「公益及び公の秩序に反」に反すると,いつでも投網の範囲を広げる自由が権力側に与えられている。そう,縛りをかけたほうが,

一切の表現の自由は,これを保証する

とする方が,為政者にとって面倒で厄介に違いないのだ。それも含めた,戦前への回帰にほかならない。さらに,

第十章 最高法規

が,削除された。そこにあったのは,第九十七条,

この憲法が日本国民に保障する基本的人権は,人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて,これらの権利は,過去幾多の試錬に堪へ,現在及び将来の国民に対し,侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

である。さらに,それに先立って制定を目指す,国家安全保障基本法では,「国民の責務」として,

国民は,国の安全保障施策に協力し,我が国の安全保障の確保に寄与し,もって平和で安定した国際社会の実現に努めるものとする。

定めている。

こういうカタチで進められている体制に想定されるのは,まぎれもない戦前の復活である。自由とは為政者にとって厄介なもののはずだ。それを右向け右にすれば御しやすいかもしれない。しかし,そんな集団が強いはずはない。現に,対米戦で,奇襲を除くと,ほとんど日本は負け続けた。

しかし,負けを負けとして認めようとしないマインドにとっては,戦後の,東京裁判は屈辱なのだろう。しかしそれ前提にしたサンフランシスコ講和条約で,日本は戦後の国際社会に復帰し,この日の経済地歩がある。A級戦犯合祀の靖国参拝は,戦後体制への挑戦に見えるはずである。

靖国神社の松平永芳宮司は,

国際法的に認められない東京裁判を否定しなければ日本の精神復興はできない

との信念からA級戦犯合祀に踏み切った(だから以降,昭和天皇はそれを痛烈に批判し,以来天皇は一度も参拝していない)。まさに,合祀とは,東京裁判の否定であり,ひいては,サンフランシスコ講和条約自体の否定である。それは,中国,韓国がどうのこうのというレベルの話ではなく,サンフランシスコ講和条約を基礎としてアメリカが築いてきた戦後世界秩序への挑戦なのであり,それは今日の世界全体を敵にするというに等しい。

それが,果たして,アメリカが望むことなのか,ということが真摯に検討された節はない。その覚悟を持って,靖国参拝をしているようにも見えない。もはや,現実を直視するというより,どこか妄想の世界に生きているように見える。

国のために亡くなられた方々を云々

などというレベルの問題ではない。

しかし,戦後レジーム脱却を目指す方々にとっては,そんなことはどうでもいいらしいのである。経済的な不利益も,国民の難渋も,世界的な孤立も視野には入らない。

この先に来るものは,経済の行きづまりか,尖閣をめぐる一触による偶発的な戦争か,第二次関東大震災か東海地震による津波か,は知らないが,大きな崩壊が来るように思えてならない。

200万余の戦死者,それに倍する国内被災者,周辺諸国の人々を含めたらその10倍以上の悲惨をもたらした戦禍で瓦解した戦前の体制への復帰が,どう考えても,国民に幸せをもたらすとは思えず,戦後レジームが破壊されると同時に,そこで,日本という国が,三度目の大変革を迫られる事態を迎えざるを得ない気がしてならない。

そして,それは,いままでの流れからは,外圧によるか天災による自壊になる可能性が大きいのである。しかし,マルクスが言った,

「歴史的な大事件や重要人物はすべて,いうならば二度繰り返される」とヘーゲルはどこかで指摘したが,彼は以下のことを付け加えるのを忘れている。一度目は悲劇だが,二度目は茶番劇だということを,

になぞらえるなら,

一度目は悲劇

だが,

二度目は,同じ轍をわざわざ踏む,

喜劇

にほかならないのではあるまいか。

参考文献;
豊下樽彦・古関彰一『集団的自衛権と安全保障』(岩波新書)
マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(岩波文庫)



今日のアイデア;
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2014年08月19日

めくじら


ずいぶん前,万引きをした中学生を追いかけて列車事故死させた古書店主が非難囂囂,とうとう廃業に追い込まれた。今度は,25万円のブリキの玩具を万引きされた古書店が、「期間内に盗品を返さなければ犯人の顔写真を公開する」と警告したところ,警察からの要請で顔写真の公開を取りやめた。それに対して,

「刑法の規定では、正当な債権を取り返す場合でも脅迫すれば脅迫罪になる。今回のケースは、現時点で恐喝未遂に当たる」

という識者の意見が出ていた。あるいは,

古書店側が人間違いをして,無実の人が犯人として顔を晒される危険がある

という説まで新聞には出ていた。

しかし,おかしい。問題のすり替えなのではないか。結局,弁護士曰く,

盗まれ損

なのだという。何かが,おかしくはないか。法的な不備かもしれない。しかし,そうではなく,万引きしたものを庇う風潮がある気がする。これって,まっとうに,わずかな利で稼ぐ小売りをなりわいとするものを殺すことではないのか。

そもそも万引きしたのは本人の意志である。だとすれば,追いかけられて死んだとしても,それはおのれの所業のつけなのではないか。それこそ,マスコミや為政者の言う,

自己責任

なのに,それを,万引き被害者に転嫁し,あたかも,盗まれたものを追いかけたり,告発するのが,過剰と言うのは,どう考えてもおかしい。

万引きごときで,目くじらをたてるな,というのだろうか。しかし,小事をないがしろらするものは,大事にも高をくくる。大事は小事に宿るのである。

たかが万引きと言うが,例えば,これは普通の新刊本の書店の例だが,

利益率が低い業界の書店の利益は一冊あたり2割程度である。1冊盗まれたら,元を取るのに5冊売る必要があり,利益を出すためにはもう1冊,つまり6冊,6倍も売る必要がある。万引き1回に対して6倍の売上、努力が必要,

なのだそうだ。たかが「万引き」ではないのである。もっと利益の低いコンビニなどは,もっと深刻だと思う。

一説によると子供時代から数えて,万引き経験のない人はほとんどいない,という。ネットでは,

ある二十代の女性が嘆いていた。友人らとの会話の中で,万引き経験がないことを言うと,「嘘でしょう?」「あり得ない」「信じられない」と,誰もまともに信じようとしなかったというのだ。「誰だって一度や二度は万引きをしたことがあるのは当たり前」と,万引きをしたことがない彼女はむしろ異端扱いされた,

という記事すら掲載されていた。

一事が万事である。これが,わが国の実態である。

「人のものを盗んではいけない」

と,子どもにハッキリと言い聞かせている親がどれだけいるのか,と思いたくなる。ひょっとすると,

嘘つきは泥棒の始まり

ということわざは,もはや死語なのかもしれない。なんせ,泥棒が常態になっているのなら,たかが噓くらい誰も気にもしないだろう。そのせいかどうか,平然と国家のトップが嘘を並べ立てて,恥じることがない,というのは,すでに何ごとかを象徴している。この嘘については,

http://ppnetwork.seesaa.net/archives/20140811-1.html

で,すでに触れた。

しかし,実は,もっと深刻なのかもしれないと,ふと気づく。

泥棒はいけないこと

と,建前ではわかっている。しかし,本音は,少しぐらいなら見つからなければいいのではないか,と思っている。それが積み重なれば,タテマエは,あってなきが如く,雲散霧消する。ただの本音の隠れ蓑に堕す。こっちの方が深刻である。言っていることとやっていることのギャップが大きい。そして大きいことを承知している…!

万引きとは,

「マン(一時的な運・マン)+引き」

で,マン(運)よく引き抜く(盗む)ことを言う。よく言われる,

間+引き

を語源とする説は疑わしい,という。万引きは当て字,

買い物をするふりをして隙をみて盗む

ことを言う。まさしく,

正業

への挑戦である。まっとうに働く者を助けない社会に,一体どうして喜んで税を納めるのか。税を納めている側が損なわれ,非難されるような世の中はどこか歪んでいる。

僕は危惧する。

タテマエでは,勤勉,汗水たらして働くことを言いつつ,実は,本音では,それを馬鹿にしている。いかに楽して儲けるかしか考えていない。それは,倫理(僕はいかに生くべきかという人のありようについての価値観のコア部分と思う)が崩壊しているのではないか。

それが,嘘や欺瞞を当たり前とするだけではなく,汗水たらす努力を厭い,さっさと万引きして済まそうとする風潮につながっていないか。一度,簡単に果実がでに入れられれば,万引き感覚で,他人の成果物も平然と盗む。現に農作物の盗難が相次いでいる。

それをゲーム感覚などという言葉の遊びにすりかえるのは,卑劣である。

しかし,窃盗を万引きと言い替えているところで,実は,ごまかし,自己欺瞞がある。軽くしようと,軽いと思い込まそうとしている。敗戦を,終戦と言いくるめたことから始まって,69年たって,その敗戦自体をなかったことにしようとしている心性とは,どこか地続きではないか。

いやいや,すでに民主主義,不戦の誓いと言う文言が,戦没者式辞から消えたという以上,タテマエすら危うくなってきたのかもしれない。

めくじらとは,

ささいなことにむきになる,
目角を立てて他人の欠点を探し出す,

という意味だが,語源的には,

「目+くじら(端・尻)」

で,目尻のことである。で,めくじらを立てるで,眼角を立てて,他人の欠点を言い立てる意となる。しかし,

小事は大事

という。たかが万引きと,めくじらを立てぬものは,人としての基本的なありようが腐っている。基本の構えがなっていない,気がしてならない。

めくじらをたてすぎ?

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)







今日のアイデア;
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2014年08月29日

自画自賛


昨今自画自賛がおおはやりだ。中韓を貶めて,自分を褒めるというのもあるが,手放しの自画自賛もある。

自画自賛は,自己倫理の劣化以外の何ものでもない。

自分を褒めたい,

という言葉が有効なのは,42.195キロを走りきった有森裕子に許されるが,そうでないものに,そうそう口にするのは,ほとんどみっともないといっていい。思っても,口には出さないものだ。

それに似ているといっていい。

自画自賛は,野放図な自己肥大と地続きである。

日常はつつましやかで,謙虚であったが,箍がはずれると,途端に手のひらを返したように,尊大で,自己肥大する。これって,われわれ民族の宿痾ではないか,と思ってしまう。

自分を受け入れる

ことと,

自分を褒める

こととは違う,と僕は思っている。自己を褒めるには,褒める根拠がなくては,たんなる自己妄想である。妄想にいくら妄想を積み重ねても,自分の成長にはならない。

その果てに来るのは,根拠なき自信であり,根拠なき自画自賛であり,そのまま自己肥大していく。

自己を律するとは,自制である。別の言い方をすれば,

戒め

であり,

リミッターといっても言い。制約条件といっても言い。おのれを知るとは,

おのれ自身の現実を弁える

ということでもある。弁えをなくしたら,野放図に何でも言える。古いタイプの人間と言われるかもしれないが,そういう自制心こそが,その人の品格になる,と思っている。

本屋に行って感じるのは,そういう野放図な自己肥大の発露であり,目を背けたくなるような夜郎自大の横行である。恥を知る,という言葉は死語なのか。

学を好むは知に近く,力行は仁に近く,恥を知るは勇に近し

という。あるいは,士とは何かの問いに,

己を行うに恥有り

と,孔子は答えた。そして,あるところで読んだが,

「行己有恥」の四字を「博学於文」(ひろく文を学ぶ)と対句にし,門の扉の両側に対句としてしるしてあるのを,しばしば中国で見かける

という。

僕は,発奮のスイッチは,恥にあると思っている。おのれを恥じるからこそ,おのれを励まし,おのれを高めるバネになる。

はじ(らう)

は,

「端+づ」の連用形

から来ているらしい。

中央から外れている,端末にいる劣等感

が恥であるらしい。

面目がない,

という意味である。



は,

耳+心

で,

恥じらいの心が耳に出る,

のが語源とする説がある。

はじ

には,

恥,辱,愧,羞,慙,忝,忸,怩等々があるが,

恥は,心に恥ずかしく思う義,重き字なり,とある。

辱は,はずかしめであり,栄の反対。外聞の悪いことを言う。そこから転じて,かたじけなし,と訓む。

愧は,おのれの見苦しきを人に対して恥じる意で,恥ずかしくて心にしこりがあること

羞は,心が縮まること。愧じて眩しく,顔が合わせにくいこと。

慙は,愧と同じ。はづると訓む。はぢとは訓まない。心にじわじわと切りこまれた感じ。

忝は,辱と同じ。

怩・忸は,恥じる貌を意味する。心がいじけてきっぱりしない

おのれを恥じるからこそ,身を正し,振る舞いを改め,おのれを高めようとする。謙虚とは,そこから生まれる。

実るほど頭を垂れる稲穂かな

は,もはや死語か。大口をたたくのが,時代の潮流なら,僕は,そこから降りる。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)




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2015年01月08日

ノウハウ


何かを学んだとき,うろ覚えたが,確か,8時間後には,その,

1/2~1/3

を忘れる,と言われる。たしか,エビングハウスの忘却曲線というやつだ,調べ直すと,

「20分後には42%を忘却し,58%を保持していた。 1時間後には56%を忘却し,44%を保持していた。 1日後には74%を忘却し,26%を保持していた。 1週間後(7日間後)には77%を忘却し,23%を保持していた。 1ヶ月後(30日間後)には79%を忘却し,21%を保持していた。」

とある。聞いたり,体験したりする直後から忘れていく,というらしい。しかし,僕は,これをあまり信じていない。忘れているのではなく,脳のなかに貯蔵された記憶とアクセスがしにくくなる,ということだと思っている。まあ,俗説に,死の直前,

一生分が,フィルムのラッシュのように,目の前を流れていく,

というのをどこかで信じているせいかもしれない。しかし,アクセスできないというのは,知らないのとほとんど変わらない。その意味では,学んだことを,使ってみることで,脳のリンクが強化される,というのは,正しいようだ。少なくとも,

学んだり,体験しただけでは,自分のスキルやノウハウにはならない,

というのは正しいようだ。その意味では,一度立ち止まって,

何を学んだのか,
何を経験したのか,

を振り返っておくことは,重要なのだと思う。その振り返り,というのは,

自分のもっている知識や経験とすり合わせて,それとつなぎ直す,

という作業なのではないか。自分のもっている知のネットワーク,体験のネットワークの中につなぎこむ,ということだ。それは,

得た知識

やってみた体験

と,自分の知識・経験とを,メタ・ポジションから見る視点をもつということなのかもしれない。

知には,G・ライルの言うように,

Knowing how

Knowing that

があるのだが,体験したことをつなぎ直すというのは,

どうやったのか,
どう学んだのか,

というKnowing howを,

Knowing that化

することに他ならない。王陽明は,

抑々知っているという以上,それは必ず行いに現れるものだ。知っていながら行わないというのは,要するに知らないということだ。

と言うが,そもそも,

Knowing that

Knowing how

を別と考えることが間違っている,というに等しい。王陽明の,

知といえばすでにそこには行が含まれており,行とだけいえばすでに知が含まれている…,

というのもその趣旨だ。

知は行の始(もと),行は知の成(じつげん)

とはその意味だ。あるいは,知は自己目的ではない,と言い換えてもいい。

行のための知でもなく,知のための行でもない。

元来は,

そのことをよくしようと求めるから学といい,その惑いを解こうと求めるから問といい,その理に通じようと求めるから思といい,その考察を精にしようと求める上から弁といい,その実際を履行しようと求める上から行という…,

ものなのではないか。それは,『中庸』の,

博くこれを学び,審らかにこれを問い,謹みてこれを思い,明らかにこれを弁じ,篤くこれを行う。学ばざることあれば,これを学びて能くせざれば措かざるなり。問わざることあれば,これを問いて知らざれば措かざるなり。思わざることあれば,これを思いて得ざれば措かざるなり。弁ぜざることあれば,これを弁じて明らかならざれば措かざるなり。行わざることあれば,これを行いて篤からざれば措かざるなり。

から来ているし,元をたどれば,『論語』の,

子夏曰く,博く学びて篤く志り,切に問いて近くに思う,

につながる。そもそもかつての知は,実践のための知であった。

行えない,
行わない,

のは知ではないのである。いわゆる,

修身斉家治国平天下

である。つまり,

古えの明徳を天下に明らかにせんと欲する者は先ずその国を治む。その国を治めんと欲する者は先ずその家を斉(ととの)う。その家を斉えんと欲する者は先ずその実を脩む。その身を脩めんと欲する者はまずその心を正す。その心を正さんと欲する者は先ずその意を誠にす。その意を誠に千と欲する者はその知を到(きわ)む。知を到むるは物に格(いた)るに在り。物に格りて后知至(きわま)る。知至まりて后意誠なり。意誠にして后心正し。心正しくして后身脩まる。身脩まりて后家斉う。家斉いて后国治まる。国治まりて后天下平らかなり。

いやはや,ノウハウ(Knowing how)抜きの知(Knowing that)はなかったのである。

それにしても,秘書がとか,妻がとか,そもそもしかるべからざる人間が上にいて国が治まろうはずはない。その現状を見るとき,大塩平八郎を思い出さざるをえない。

それでもなお,知の破綻は,自己完結によってもたらされる。現実との格闘抜きの自己完結があり得ないところで,自己完結させれば,知は細る。

大塩平八郎が,「此節米価弥高直ニ相成,大坂之奉行并諸役人とも,万物一体の仁を忘れ,得手勝手の政道をいたし」と,一揆の檄文に書かざるを得なかったのは,おのれの「万物一体の仁」の思想に反してでも,そこに閑居して見過ごせない「惻隠の情」に従ったとみるべきだ。そして,現今の為政者も,天保当時の幕閣と比べても劣らない体たらくである。

とすれば,ノウハウとは,ただ知の自己完結ではない。「民を視ること傷めるが如し」という思想を実践することを手ばなして,「万物一体の仁」を称えることは出来ないという,(大塩が体現した)最後の倫理が見える気がする。それもまたKnowing thatである。

参考文献;
溝口雄三訳注『伝習録』(中公クラシクス)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
金谷治訳注『大学・中庸』(岩波文庫)






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2015年02月18日

考え落ち


東京国立近代美術館の「高松次郎ミステリーズ」

http://www.momat.go.jp/Honkan/takamatsujiro/

お邪魔した。興味を引かれる部分は少なくないが,観終わっての感想は,

考えおち

という印象である。いわゆる,落語の落ちの一つで,

よく考えないとその意味やおかしみがわからない落ち,
パッと聞いたところではよく分からないがその後よく考えると笑えてくるもの,

というのが考え落ちだが,なかには,あきらかに,

滑っている,

ものもある。そこが面白い。なぜなら,アイデアメモも一緒に展示されていたが,彼自身が,とことん考え詰めた結果だからだ。アイデアを考えるとき,よく言う冗談に,自転車の改良,改善を考えていて,

ペダルをこぐことが負担で,自転車にギアをつけ,
もっとこぐ負担を軽くしたいと,補助動力をつけ,
いやいやこぐこと自体が邪魔くさい,となってエンジンをつけ,

となっていくような可笑しさが,

点→線→形→平面上の空間…

という,彼の思考の(というか画業のテーマの)流れにある。最後,それって,絵画じゃん,と突っ込みたくなる。

考えれば,有名な遠近法を具体的な形に造形したテーブルと椅子のセットにしても,

cont_2296_1.jpg


わざわざ,人間の視覚がつかまえる奥行を,絵で二次元で表現するときに,遠近法で描くが,それをそのまま立体に造形し直した。だから,造形されたものは,実際に奥行ほど小さく短く切られて造られている(だからそれを写真で見ると二次元そのものに写る),というプロセスを,メモノートとセットで展示することで,

考え落ちの

絵解きをして見せているようなものだ。しかし,むしろ,絵解きされることで,二次元表現を三次元に造形し直すということ(逆に言うと,「平面上の空間」ということが,三次元を二次元に置き返すという,ただの絵にしかならないこと)の可笑しみが,ネタバレした落ち,見え見えの落ちの解説を聞かされるような,ちょっと引いた気分になる。これは,時代の差なのかもしれない。

しかし,点を着想し,

点の奥行

と言語化し,それを造形化しようとする発想は,いかにも考えて考えた,

(抽象的な)概念をどう造形化(具象化)するか,

という試みに見え,僕には,斬新であった。自分の頭の中で練りに練った,抽象的な概念を,形にして,

顕現させる,

という,高松次郎の造形美術の制作プロセスそのものを,メモと途中のラフスケッチと完成像を並べることで,絵解きして見せてくれる場になっている。

いかにも頭で考える造形美術家というのが,よく見えて,そのプロセスは興味深かった。たとえば,点の奥行から,線へと移るときだと思うが,

「影(不在発生装置)」

というラフスケッチがある。そこに,点,点の奥行,線が描き出されている,この抽象概念を絵にしようとする,まあ,悪戦苦闘ぶりそのものが,高松次郎という作品群の象徴に見える。

消失点
だの
半実在化
だの
二つの消失点
だの
影の圧縮
だの
遠近法
だの

を造形しようとするチャレンジのプロセスが,とてつもなく前衛的で,魅力がある。だから,今見ても色あせていない。しかし(というか,だからこそというか)いつも,成功しているとは限らず,

滑った考え落ち

なのも,頭で考える造形家らしい。

有心と無心,意識と無意識,策と無策,…の弁証法的統合

とメモ魔にあった。頭でっかち(失礼!)というか,考え過ぎて,それに造形がおっつかない様子が,メモからよく見える。やはり,



がいい。工藤栄一の『服部半蔵 影の軍団』に出演していたを緒形拳が,影を効果的につかうとこうなるのか,と感嘆したと記憶しているが,影は,本体があるから影があるように感じられているが,僕はそうではないと思っている。影があるから,本体が存在していることが分かる。幽体は,影が映らない。有名な,『影』という作品もいいが,

exhb_297.jpg


光を使って見せる,陰翳のマジックが面白い。実際にそれを試せる。

cont_2349_1.JPG


自分を被写体にしてみることで,影を試すことができる。もし,二つの光源からふたつの影がうまれる,というところを,光源はあるのに影が写らなければ,かえって面白いのでは,と感じた。

DSC_0341 - コピー.jpg


あるいは,写った影が,本体と関係なく勝手に動く,ということも,発想としてはある。いまなら,そんなことは技術的には簡単にできそうだ。






今日のアイデア;
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2015年03月05日

考える


第20回アートプロデューサー竹山貴の「月例 あなたの知らない世界」に伺ってきた。

https://www.facebook.com/events/624787821001233/628443380635677/?notif_t=like

そこで,自分なりに,ひとつの問い,

「考える」とはどういうことか,

を得た。問いを得るとは,自分なりに(新しい)答えを探す,ということである。どこかに答があるのではなく,自分なりに答を見つける,ということである。

確か,野中郁次郎氏は,

知識とは思いの客観化プロセス,

という言い方をされた。その思いとは,外にではなく,自分の中にあるものである。それを,

疑問

と呼んでもいいし,

問題意識

と呼んでもいいし,

問い

と呼んでもいい。あるいは,アインシュタインは,ニュートンの万有引力の法則に欠陥を見つけ,

重力はどういう仕組みで働くのか,

太陽はどうやって一億五千万キロの本質的に空っぽの空間を超えて,地球に影響をあたえているのか,

という「愚問」とも思える疑問を懐いた。10年考え続け,アインシュタインの場の方程式を考え出した,と言われている。ここから類推すると,考えるとは,少し独断的な言い方になるが,

自分なりに疑問に感じたことを,自分なりに突き詰め,答えを出すこと,

なのだと思う。そのとき,僕は,ひらめくのと同様,

視界が開く,

という感覚がある,と思っている。大袈裟な言い方をすると,自分の見つけた答によって,(自分にとって)新しい知の地平が開く,という感覚である。吉本隆明の言う,「知ることは,超えることの前提である」というのはこういうことではないか。もちろん,その答は,まだ仮説にすぎない。それは,検証されない限り,妄想と変わらない。だから,考えるというのは,内省のように自己完結することではない。自閉された思考は,妄想と地続きの恐れがある。

疑問から始まる,ということは,

当たり前にしない,

ということでもある。敢えて言えば,疑いを持ってみる,といってもいい。仮説は,基本,その疑問の言語化からしかスタートしない。それが,思考の方向をつけていく。ランダムに思考を掘り下げるわけではない。

仮説については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163509.html

http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod0926.htm

で触れた。疑問から仮説化し,検証するプロセスが,自分が「知」を獲得していくプロセスなのではあるまいか。だからこそ,「思いの客観化プロセス」なのである。横井小楠が,学ぶとは,

「我が心上に就いて理解すべし。朱註に委細備われとも其の註によりて理解すればすなわち,朱子の奴隷にして,学の真意を知らず。」

というのもその意味である。「書を読み文を作る」だけでは,考えることではない。

「書物の上ばかりで物事を会得しょうとしていては,その奴隷になるだけだ。日用の事物の上で心を活用し,どう工夫すれば実現できるのかを考える,そのまま書きとめるのではなく,おのれの中で,なるほどこのことか,と合点するよう心がけるが肝要だ。合点が得られたときは,世間窮通得失栄辱などの外欲の一切を度外視し,舜何人か,小楠何人かの思いが脱然としておこる,」

と言っているのである。ただし,そこまでは妄想である。その得心を,

「日用の事物の上で心を活用し,どう工夫すれば実現できるのか」

を考える,僕はこれが検証,あるいは試行することなのだと思う。ただ,行動だけを言っていない。僕は,思考も立派な行動だと思っているので,掘り下げ,考え詰めてはじめて,視界が開く,それは,解決策であると言い換えてもいい。

かつて考えるということについては,

http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/view07.htm

で整理したことがあるが,時実利彦氏は,考えるとは,

「受けとめた情報に対して,反射的・紋切り型に反応する,いわゆる短絡反応的な精神活動ではない。設定した問題の解決,たてた目標の実現や達成のために,過去のいろいろな経験や現在えた知識をいろいろ組みあわせながら,新しい心の内容にまとめあげてゆく精神活動である。すなわち,思いをめぐらし(連想,想像,推理),考え(思考,工夫),そして決断する(判断)ということである」(『人間であること』)

と定義している。これは,思考プロセスは,反応することではなく,意識内部を経た対応することだ,と言っているだけである。だから,意識が対応するとは,具体的にどういうことかは,捨象されている。

たてた目標を実現するために過去の知識と経験を組み合わせ,まとめる,

とは,どうすることなのか,である。端緒は私的な「思い」からしか始まらない。その私的な思いを客観化して初めて,人と共有可能になる(あるいはひとと議論し研鑽できる)。それが「知」である。

語源的に言うと,「カンガエ(ヘ)」は,

「カ(ありか,すみか)+向かう(両者を向い合せる)」で,事柄に対して二つを向い合せる,

という説と,

「勘+がふ」で,中国音の勘(あれこれと思いめぐらす)を動詞化した,

という説とがある。「かんがへ」は,事実,古語辞典では,「考へ」と「勘へ」と「検へ」とを当てている。そして,

調べただして,考え罰を与える
占いの結果を取り調べて,解釈する
比較考量する

の意味がある。しかし「カンガヘ」は,「カムガヘ」の転訛したものとしている。で,「カムガヘ」を見ると,この古語辞典では,上記の説1の方を取っていて,

古くは,カムカヘ。カはアリカ,スミカのカ。所・点の意。ムカヘは,両者を向き合わせる意。二つの物事をつきあわせて,その合否を調べて,ただす意,としている。意味は,

事実の真偽をしらべ,ただす
調べただして罰する
あれこれ思いはかる

という意味としている。これは,「考える」の一側面でしかないのではないか。だから,哲学研究者はいても,わが国には哲学者,思想家がすくないのではないか,と茶々を入れたくなる。

ふと,カムカヘは,カム(神)ムカヘ(迎へ)ではないのか,という疑問がわく。「ムカヘ」(迎へ)には,呼び寄せる,招くという意味がある。神託を受けることが,考えることだったのではないか,という疑問がわく(熊本の神風連はそうやって行動を決めていたらしい)。妄想である。

中国語の「考」は,腰の曲がった老人の意。これを考えるに用いるのは,攷(コウ)に当てた用法。「攷」は,「丂」(コウ)は曲がりくねった形,「丂」+「攴」(動詞記号)で,まがりくねりつつ奥まで突き詰めること,という意味になる。だから,「考」は,

あれこれと突き詰める
思いめぐらした末に出た意見,またはその論文
遠くまで,終りまで進む

という意味になる。さらに,「勘」は,「甚+力」だが,「甚」は,「甘(おいしい)+匹(いろごと)」の会意文字。食や色事の道楽に深入りする意。「深い」と同系なので,「勘」は,奥深くまで徹底して突き詰める意味になる。意味も,

かんがえる
奥深く突き詰める

となる。しかし,日本語の「カンガヘ」に当てた途端,「比較考量」「調べただす」「託宣の解釈」というニュアンスが出てくる気がするのは,僻目であろうか。ま,しかし,こういうことを云々するのは比較衡量しているだけで,考える,には当たらないのかもしれない。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)






今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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2015年03月11日

面白い


前に書いたかもしれないが,「面白い」(興味が感じられるという意味)の語源は,

「オモ(面)+白い」

で,顔面が白くなるのが語源とするの,がある。もう一つ説があって,

「面+著し」

で,顔の前がパッと明るくなる,という意味,という説がある。で,

「面白いは当て字という説や,どうも胡散臭いというので,教科書では,仮名書きにされていますが,これは語源に従った正しい書き方です。心に強く感じて,パッと顔の前が明るくなるような感情を,オモシロイというわけですから,面白いと書いて,合理的な表記です。」

と,補足説明がある。ネットの語源説明では,

「『面』は目の前を意味し,『白い』は明るくてはっきりしていることを意味した。そこから目の前が明るくなるような状態をさすようになり,目の前にある景色や美しさを指すようになった。さらに転じて,『楽しい』や『心地よい』等々の意味を持つようになり,明るい感情を表す言葉として使われるようになった。」

とあり,

「火を囲んで話をしていたところ,面白い話になると皆が一斉に顔を上げ,火に照らされた顔は白く浮かび上がったところからなどといった説」

を,俗説として退けている。しかし,そうだろうか。

『古語辞典』には,「面白し」について,

「オモは面,正面,面前の意。シロシは白し。明るい光景とか明るいものを見て,目の前がパッと開ける意。また気分の晴れ晴れとする意。それが音楽・遊興などの快さというようにひろまり,文芸・装飾その他に対する知的感興を一般に表すようになった。」

とある。

目の前がパッと明るくなる感じ,

というのは,

目の前がパッと開けた感じ,

でもある。それは,何も景色だけとは限らない,何かを見て,一瞬に世界が開く感じは,同じである。あるいは,何か思いついて,ひらめいた一瞬も視界が開いた感じがある。その意味で,囲炉裏で面白い話を聞いて,パッと眼前が開いた感じがしてもおかしくはない。

能の起源は,天の岩戸に引き籠った天照大御神の御心を捉えんとして,奏した神楽が,「申楽のはじめ」とされるそうだが,

「遊芸に愛で給ひて,大神岩戸を開かせ給ひし時,諸神の面,ことごとくあざやかに見て初めしを以て,『面白』と名付初められしなり。」

という,申楽起源に絡んだ「面白」語源説まである(『風姿花伝』)そうだから,日の前で,火に照らされてではないにしろ,パッと視界が開いた時に見せる表情そのものは,俗説とばかりはいえないだろう。

能芸論では,「面白し」を,

①岩戸前にて神に奏した神楽の遊びが納受されたときに起きた言葉であること
②それは「闇黒」から「明白」への開放・転換の形容語であること,
③それは,「うれし心」「歓喜」「微笑」といったものを内在させていること,
④表現としての「面白し」は,「闇黒」から「明白」へ,「うれし心」への契機を知的に捉えなおしたものであること,

とまとめて,

「面白とは,一点付けたる時の名也」
「明白となるは花,一点付けたるは面白なり」

という説もあるらしい。「一点付けたる」とは,点を一つ打つの意で,「事態を知的・客観的に捉えなおす」という意味らしい。よく分からないで言うのもなんだが,たとえば,書画を眺めていて,何か足りない気がして,点を付け足した,そうしたら面白い,となった,そんな感じであろうか。この段階では,それを「面白し」と言い得る,知的レベル,までに昇華されている,というべきか。

俗人には,ちょっと近づきがたいが,そのせいか,本来の「面白し」の意味は,

(景色や風物が明るくて)心が晴れ晴れするようだ
(気持ちが解放されて)快く楽しい
心惹かれる,感興がわく,

と,やはり知的である。一方,現代の「面白い」にも,『広辞苑』には,

(一説に,目の前が明るくなる感じを表すのが原義で,もと,美しい景色を形容する語)目の前が広々と開ける感じ

と,説明があって,

①気持ちが晴れるようだ,愉快である,たのしい,
②心が惹かれるさま,興趣がある,趣向がある,
③一風変わっている,滑稽だ,
④思い通りでこのましい(主に打消しの語をともなって,「面白くない」)

と,確かに「愉快系」にシフトしているが,しかし笑っているとき,我々の頭の中には,ひらめいたのと,似たことが起こっているのではないか。特に,落語の落ちや下げ,ジョークによって,とんでもないものがつながれ,むすびつけられたとき,一種視界が開く感覚がある。ああ,そうか,というように。それは,何かがひらめいた瞬間そっくりである。

それこそが,面白い,の真骨頂である。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
竹内整一『「おのずから」と「みずから」』(春秋社)





今日のアイデア;
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ラベル:面白い
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2015年03月18日

きいたふう


「きいたふう」は,

利いた風

と当てるか,

聞いた風

と当てるかで違う(『広辞苑』)。同じく,

「きいたふうなことを言う」

でも,

「利いた風」なら,

気が利いていること,

になるし,

「聞いた風」なら,

いかにも物事に通じているように気取ること,
知ったかぶりで生意気なこと,

つまり,

なま聞き,半可通,

になる。しかし,どうも,どちらに当てても,

さも知っているような小生意気な様子,

を指して使う,とある(『語感の辞典』)。「風」が,そのニュアンスだから,「気が利いている」風であり,「知っている」風なのだろう。

ただ『語感の辞典』には,「古めかしく」とあり,

大学生にも通用しなくなった,

とある。昨今大学生は,知性のモデルではなく,病だれの「知性」の方だから,大学生が使わないからと言って,世間一般とは言い難い。むしろ「大学生にも」ではなく,「大学生には」なのではないか。

閑話休題。

語源的にも,

「利いた(ためした,物事に通じている)+風(様子)」

とあり,

わかりもしないのに,わかったような生意気な態度をする様子,

とある。

子曰く,道を聴きて塗(みち)に徳は,徳をこれ棄つるなり,

というのがとっさに浮かぶ。

衒う

というのがこれに当たるのだろう。「衒う」は,

(「照らふ」の意)かがやくようにする,見せびらかす,

という意味になる。「衒」の,「玄」は,

細くて見えにくい糸をあらわす,

といい,よく見えない,曖昧であるという意をもつ。「衒」は,「行+玄」で,

相手の目をごまかして,真相が見えないようにする行いのこと,

とある。だから,意識して,そうしている,という意味では,

すかす
とか
虚飾
とか
見栄
とか
体裁ぶる

とかに近い。顔や身なりを装うのと,知性を装うのとの違いに過ぎない。

類語は,

見識張る

というのが近いが,

曲学阿世

となると,追従にシフトしているので,若干ずれる。

管を以て天を窺う
とか
小知を以て大道を窺う

となると,井の中の蛙で,自覚していないから,さらにずれる。

おのれの分,

ということを意識する。つまり,

分け与えられた性質,地位,身のほど,力量,

の意味だ。天分,性分,分際,身分,分相応,という使い方をする,「分」である。「分」の字は,

「八印(左右にわかれる)+刀」

で,二つに分ける,意。

何と分けたのか,
何から別れたのか,

を考えるとき,知とは,世界から別れたことだ。しかし,見えている世界は,その別れ方,つまり,距離の取り方で異なる。同じく,全体の部分である,といっても,地上に立つのと,月から地球を見るのとは違う。

分を弁える,

とは,そういう意味だと思う。その距離が見えているかどうかが,聞いた風かどうかの別れ道なのだと思う。

由(子路)よ,汝に知ることを誨(おし)えんか。知れるを知るとなし,知らざるを知らざるとせよ。これ知るなり。

である。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
中村明『日本語語感の辞典』(岩波書店)





今日のアイデア;
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2015年04月01日

ABE IS SLEEPING


シンガポールのリー・クアンユー氏の葬儀に出席した日本国の首相が,インドのモディ首相の横で居眠りする姿が報道され,世界へ駆け巡った。いい笑いものである。

真偽は知らない。知らないが,

ABE IS SLEEPING

と報ぜられるだけの振る舞いがあった。それを後から言い訳するのは,

瓜田に履を納れず,
李下に冠を正さず,

に尽きる。

それにしても,そもそも,何をしに行ったのか。一国の元首相の葬儀に,何の緊張感もなく,花見気分で出かけたのだろうか。

そもそもどれほど,リー・クアンユーという人が,わかっていたのか。そして,自らの思想信条(があるとしてだが)といかほど離れた思想信条の持ち主であるかを,いやもっとはっきり言って,昨今の日本政府の言動,「八紘一宇」「侵略戦争の定義はない」「集団的自衛権」等々を,どういう目で見ていた人物であるかを,どれだけ意識していたのだろうか。

『リー・クアンユー回顧録』には,

「日本人は我々に対しても征服者として君臨し、英国よりも残忍で常軌を逸し、悪意に満ちていることを示した。日本の占領の三年半、私は日本兵が人々を苦しめたり殴ったりするたびに、シンガポールが英国の保護下にあればよかったと思ったものである。
同じアジア人として我々は日本人に幻滅した。日本人は、日本人より文明が低く民族的に劣ると見なしているアジア人と一緒に思われることを嫌っていたのである。日本人は天照大神の子孫で、選ばれた民族であり遅れた中国人やインド人、マレー人と自分は違うと考えていたのである。」

という記述がある,という。これが「八紘一宇」の実態である。

シンガポールでは,五万人の華人が日本に殺された。その詳細は,

http://on.fb.me/1xNQJPL

に詳しいが,それによると,当時の,河村警備司令官声明には,こうある,という。

「昭南港ノ華僑ハ、今ニ至ル迄重慶政権ノ宣伝ニ誤ラレ、英国ト協力シ重慶政権ニ対シ政治経済上ノ援助ヲ続ケ来レリ。即チ或ハ義勇軍ヲ編成シテ英軍ニ参加シ……此等反逆ノ華僑ヲ掃蕩シ治安ヲ確立シ、以テ民衆ノ安泰ヲ図ルハ、現下最モ喫緊ノコトナリ……」(昭南日報2月22日付・昭南警備司令官声明)

華人掃討の目的は,重慶政権への援助を阻止することであり,当然ながら,シンガポール解放などではない。長期化・泥沼化している中国戦線を何とかするために,シンガポール占領を機に「援蒋禁絶」「抗戦力の減殺」の方針によって,計画的に行った占領政策であった。ジョホール・バル―シンガポール陥落後には,マレーシアでも華人の大虐殺が行われた。

そのときの被害者を祀る意味で,

日本占領時期死難人民記念碑(英語: The Memorial to the Civilian Victims of the Japanese Occupation, the Civilian War Memorial, 中国語: 日本占领时期死难人民纪念碑, マレー語: Tugu Peringatan Bagi Mangsa Awam Pemerintahan Jepun)

が,シンガポールの戦争記念公園にある(このことすら認識していなかったのかもしれない)。市民戦死者記念碑、血債の塔などとも呼ばれる。そこには,4本の塔が立っている。それぞれ中国人,マレー人,インド人,ユーラシア人(欧亜混血者)の意味がある。

日本国の首相は,どの程度の認識で,この葬儀に出席したのだろうか。ひょっとすると,日本の集団主義と勤労倫理を学べという,

ルックイースト政策(Look East)

という,マレーシアのマハティールと勘違いしている,ということはないだろうか(まさか,と思うが)。しかし,間違いなく,

『リー・クアンユー回顧録』

すら読んでいないのだろう。読んでいたら,ホイホイ出かけるとは思えない。

リー・クアンユーは,日本軍の行動について,

「植民地解放のための戦争」

などと評価する立場とは真逆の評価だし,シンガポールの歴史教科書は日本軍の戦いに対し否定的な立場で書かれている,という。

一体,何をしに行ったのだろう。その振る舞いで,すべてを,語っている。

シンガポール(マレー半島全体)で,日本が何をしたかなど,ほとんど一顧だにせず,

という緊張感のない姿勢の中に,全世界に向かって,おのれの本音を,残酷なまでにさらけだしてしまった。しかし,これは,ひとりアベシンゾー氏の恥にはとどまらない。こういう人物を首相として選び出すべく,過半数の多数を自民党に入れ,国会の牛耳を握らしめるに至った,日本国民全体の,

無恥

無知

をさらしたのだと言っていい。

リー・クアンユーは,上述の本で,

「日本は経済大国として先進国首脳会議の正式メンバーとなり、世界の主要国として果たすべき役割を模索し続けてきた。とりわけ深刻なのは指導者たちの過去の戦争に対する残虐行為に対する姿勢だった。西ドイツの政治指導者は明確に戦争犯罪を認めて謝罪し、犠牲者に賠償を支払い、若い世代に戦争犯罪の歴史を教えて再発を防ぐ努力を行ったが、日本の指導者はどうだろう?多くはいまだ曖昧な態度で言を左右にしている。天皇への配慮に加えて、国民を困惑させたくない気持ちや先祖を侮辱したくない思いがあるのだろう。理由のいかんを問わず、歴代の自民党政権は日本の過去と向き合うことはなかった。」

と手厳しい,という。これを承知で出かけたのであれば,真摯な姿勢を貫くほかはない。居眠りなど(はおろか,そう疑われる振る舞い)は,もってのほかである。

ふざけるな,

どころではなく,ひょっとすれば,リー・クアンユーが求めた,

血の負債,

すなわち戦時中の日本軍によるシンガポール人虐殺に対する償いの要求が,シンガポール独立後の66年,円借款と無償供与が半々の五千万ドルの補償金という返答でしかなかった,ということへの大いなる不満として,寝た子を起こさないとも限らない。

しかし,これ以上は,天に唾することになるであろう。

ABE IS SLEEPING

しかも,

日本人も,眠っている。







今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

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2015年04月02日

責任


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http://gendai.ismedia.jp/articles/print/11152?page=2より)


添田孝史『原発と大津波 警告を葬った人々』を読む。

プロローグのエピソードがすべてを語っている。

「(阪神・淡路大震災の)前年の94年,米・カリフォルニア州ノースリッジの地震で高速道路が崩壊した。このとき,日本の耐震工学の専門家は『あれくらいで日本の構造物は壊れません。最大の理由は,地震や地震災害に対する知識レベルの高さ』」

と大口をたたいた翌年,最新の基準でつくられた高速道路,新幹線の橋脚,ビルまでが大きな被害が起きた。それと同じことが,先の東北地方太平洋沖地震で,「想定外」という言葉で,専門家の安全保証が,何の役にも立たないことを,再び,明るみに出した。

問題は,そういう専門性の是非ではない。専門性の名を借りた,隠蔽こそが,根源にある。それは,,

「原発は最新の地震学の知識を反映しておらず,設計で想定した以上の地震に襲われて事故を起こす可能性がある」

にも拘らず,経済性を隠れ蓑に,対処を怠り続け,そのことを隠蔽し続けてきたことにある。ドイツの公共放送ZDFが,日本政府と原子力産業を「情報隠蔽と改竄の常習犯」と,報じた通りなのである。

本書は,主として,東電の隠蔽とごまかしの,福島原発事故の前史である。本書は,

「プレートテクニクス理論以前の時代に造られた福島第一原発において,その後の科学の発展の成果を取り入れて津波想定を見直し,改良していくことはどうしてできなかったのだろう。」

という当たり前の疑問から,検証していく。

「原発は地震が来ても安全だ」

という神話がひとり歩き,というより喧伝し,そう思い込ませてきた,というのが正しい。今日,明らかになっているのは,2006年の第一次安倍内閣当時の,安倍首相の,「全電源喪失したらどうなるのか」という質問に,

「御指摘のような事態が生じないよう安全の確保には万全を期しているところである。」

と,例によって,口先三寸の嘘を並べたことが知られているが,その口が,原発の再稼働について,

「再稼働に求められる安全性は確保されている。」

と,述べている。同じことが,あんな大災害の後でも,繰り返されていることに,絶望感にかられる。本書の前史は,いかに,東電が,(ひいては政府・官僚が)噓と方便を繰り返してきたかが,詳述されている。

詳しくは,本書に譲るが,東電の対応のひどさと対比すると,同じエリアにあった,女川原発と東海原発は,対応を取っていた。

日本原子力発電は,茨城県が,津波浸水予測を,延宝房総沖地震(1677年)を基準に,

「房総沖から茨城沖まで伸びる震源域で発生した場合(M八・三)を予測。その結果,東海第二原発(日本電源)の地点では,予想される津波高さが5.72メートルとなり,原電が土木学会手法で想定していた4.8メートルを上回った。」

と,

「茨城県に自社よりも厳しい津波想定を公表されてしまい,原電は対策見直しを余儀なくされる。そこで津波に備えて側壁をかさ上げする工事を2009年七月に開始し,工事が終了したのは,東北地方太平洋沖地震のわずか二日前だった。」

という。長期評価にもとづく茨城県の予測に備えていなければ,

「東海第二原発もメルトダウンしていた可能性は高い。」

のだという。わずか二日の差でも,対策に踏み切った決断は生きた。また,

「東北電力の女川原発も,地震本部が津波地震の一つとしてとりあげた三陸沖地震(1611年)がもっとも大きな津波をもたらすとして,以前から対策をとっていた。」

東北電力は,「海岸施設研究委員会」を設けて議論し,

「『明治三陸津波や昭和サンリツ津波よりも震源が南にある地震,例えば貞観や慶長などの地震による津波の波高はもっと大きくなることもあるだろう』といった検討の結果,たかさを14.8メートルにすることを決めた」

という。これについては,同社の平井弥之助副社長が,「貞観津波を配慮せよ」と主張していたのが強く働いた,とある。さらに,中部電力の浜岡原発も,厳しい津波を想定していた。

「したがって,長期評価の津波地震に備えていなかったのは東電だけであった。」

他の電力会社は,予想し,対策することが出来た。東電は,しないことを意思決定していた,と見るほかはない。

しかも,福島県は,野村総研に依頼して,地震・津波被害想定の報告書を受け取り,

「福島第一原発に設計で想定していた約1.7倍り高さ5.8メートルの津波が襲来するという計算結果」

を得ていたにもかかわらず,(茨城県と違い)何の行動もとらないことで,真偽はわからないが,東電の糊塗と先延ばしに手を貸した。著者は,

「水俣病の公式確認の四年前,熊本県はチッソ水俣工場の排水分析や被害調査の必要性に気づいていたが,結局実施しなかった。その出来事を彷彿させる。」

と書く。国の姿勢,官僚の姿勢に,水俣病との対比を語る人が多いが,鼻血事件や,甲状腺がんが早くも兆しを見せているのに,平然と帰還事業を推進する,国や県は,明らかに,水俣病より悪質で,悪意に満ちている。

東電は,何度も高い津波の数値を手にしてきた。2008年のシュミレーションでは,15.7メートルの津波が来る可能性があると判ったにもかかわらず,それを受けた,当時原子力設備管理部長であった吉田昌郎氏は,

「このような高い津波はこないだろう。」

と,(根拠もなく)判断し,それを最終報告に盛り込むことをやめた。その後,吉田氏は,福島第一原発所長として,こないはずの大津波と対峙する羽目になる。著者は,

「東電の2008年三月期決算は,柏崎刈羽原発が地震で全面停止した影響で28年ぶりに赤字に転落していた。また柏崎刈羽の補修や耐震補強に4000億円以上かかる見通しだったからだ。」

と推測する。せめて,予備バッテリーでも備えていれば,全電源喪失時に,当時,自動車のバッテリーをつなごうと悪戦苦闘していたことを思えば,対応することはできたはずだ。

しかし,1994年七省庁がまとめた手引きで,すでに原発の津波予想をし,

「宮城沖から房総半島沖までの領域」

で,1667年の延宝房総沖地震(M八.〇)のような津波地震が起きる可能性を示唆し,福島第一原発で津波高が13.6メートルになる,としていた。実際に起きた東北地方宮城沖地震の13メートルを予想していた。しかし,東電のしたことは,原発対策ではなく,旧通産省を通じて,

圧力を掛け,手引きを書き直し,

させようとした。

著者は,地震の二日後の社長記者会見で,

「想定を大きく超える津波だった。」

との発言を聞いて,「頭に血が上った」と言う。知っていて,しなかった不作為を想定外,と言いくるめたのだ。しかし,国会事故調も,政府事故調も,そして検察も,事実上取るべき対策を取らなかったことについては,「予想できなかった」として,誰をも免責にし,結果誰一人責任を取らなかった。

にも拘らず,「安全」を理由に,再稼働へとひた走る。何一つ事故の検証がなされないまま再稼働すれば,再び同じことが起きる可能性は大きい,危惧が拭えない。

参考文献;
添田孝史『原発と大津波 警告を葬った人々』(岩波新書)








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2015年04月05日

マルチバース



ダウンロード (1).jpg



マルチバースとは,

Multiverse,

つまり,

多宇宙,並行宇宙,多元宇宙,

の意味である。本書の主題である。多宇宙については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/394437227.html

で触れたことがあるが,本書の原題は,『The Hidden Reality』である。これは,

「この本のタイトルを単数形にしたのは,そのすべての根底にある無類の,そして無類に強力なテーマを反映させるためだ。そのテーマとは,宇宙のメカニズムについての秘められた真実を暴く数学の力である。」

隠されていたのは,「宇宙の実像」(リアリティとルビを振っている)である。この著者の,

『エレガントな宇宙』
『宇宙を織りなすもの』

も以前に読んでいるが,今回は,格段に難しい。しかし,これが,現代宇宙論,現代物理学の最先端の総覧なのである。今日,ここまで,つまり,

「物理学はSF化しつつある」(監修者・竹内薫)

ところまで,至っているのである。

しかし,著者に言わせれば,これは,

「数学の導きに積極的に従ったことから起こっている。」

のである。まずは,マックスウェルの方程式。それは,光は,電磁波であり,秒速30万キロメートルと,示した。それを,アインシュタインが,その方程式を徹底し,すべてのものに対して,30万キロメートルを前提に相対性理論へとたどり着き,そのアインシュタインが自分の数学に従わず,ブラックホールや宇宙膨張を信じなかったが,一般相対性理論を突き詰めて,フリードマン,ルメートル,ジュヴァルツシルトらが,今日の宇宙論の道を開いた。シュレディンガーの方程式をつきつめたエヴェレットは,分子・原子・粒子の領域と見なされた量子力学を,すべての有形物に当てはまると考え,量子多宇宙へと導いた。つまり,今日の多宇宙論は,

「数学は宇宙の実像(リアリティ)という織物にしっかり縫い込まれているという考えに基づいている」

のである。それは,「コペルニクス革命」が,究極まできた,ということでもある。

地球は,太陽系の中心ではない,
太陽系は,銀河系の中心ではない,
銀河系は,この宇宙の中心ではない,
この宇宙は,宇宙秩序全体の中心ではない,

と。しかも,それは,「科学者が常にやっていることをやってきた」結果なのだ。つまり,

「データと観測を指針として,物質の基礎要素を説明し,その振る舞い,相互作用,そして展開を支配する様々な力を記述する,数学理論を定式化してきたのだ。そしておどろいたことに,これらの理論が切り開く道を地道にたどっていくと,次から次へと多宇宙の可能性に遭遇した。」

という結果なのだ。

本書の狙いを,著者は,冒頭のところで,

「そのテーマとは,私たちが知っているこの現実の向こうに別の現実がある可能性だ。本書はそのような可能性を探求し,並行宇宙の科学をくまなく巡るたびである。」

と述べる。多宇宙は,宇宙論にはとどまらない。我々のリアルと思う世界そのものをも,突き崩す。その意味では,まさに,

「隠された現実」

でもある。だから,マルチバースは,多世界でもある。なぜなら,

「並行宇宙が広大な時空の向こうにある」

だけでなく,

(量子多宇宙のように)「数ミリのところに浮かんでいる」

という世界でもあるからだ。

本書では,9の並行宇宙バージョンアップを紹介している。

パッチワークキルト多宇宙 我々はそのパッチの一つである
インフレーション多宇宙 永遠のインフレーションが泡宇宙のネットワークを生む。われわれはその泡宇宙の一つ。
プレーン多宇宙 ひも理論が行き着いた,一切れの食パンのような宇宙が並んでいる。
サイクリック多宇宙 プレーンワールド間の衝突がビッグバンをもたらす。いくつもの並行宇宙が始まりうる。
ランドスケープ多宇宙 ひも理論の余剰次元が,インフレーション宇宙とプレーン宇宙を合体させる。
量子多宇宙 確立派が具体化されるたびに世界が分岐して並行して存在する。
ホログラフィック多宇宙 この宇宙は,遠くの境界面で起きていることを映し出しているだけである。
シミュレーション多宇宙 宇宙のシミュレーションの中の世界でしかない。
究極の多宇宙 ありうる宇宙はすべて実在するという包括の宇宙

しかし,自分たちの宇宙の外の宇宙の存在を,検証可能なのだろうか。著者は,こう言う。

「ある宇宙を構成する宇宙は個々にはかなり違うかもしれないが,どれも共通の理論から出て来るものなので,すべてに共通する特徴があるものと思われる。私たちがアクセスできるこの一つの宇宙で私たちが行う測定によって,その特徴が見つからなければ,その他宇宙案が間違っていることがわかる。その特徴が確認されれば,とくにそれが今までにない特徴であれば,その提案は正しいという自信がふかまるだろう。」

あるいは,

「すべての宇宙に共通する特徴がなくても,物理特性の相関関係から立てられる種類の検証可能な予測もある。たとえば,…粒子リストに電子が含まれる宇宙すべてに,まだ検出されていない種類の粒子もあるのなら,私たちの宇宙で行われる実験でその粒子が発見されなければ,その多宇宙案は除外されるだろう。確認されれば,自信が深まる。」

あるいは,

「たとえば,ある多宇宙では場所によって宇宙定数の値にばらつきがあるかもしれない。しかししもし大半の宇宙が,ここで測定されたものと一致する値の宇宙定数をもつのなら,…当然その他宇宙に対する確信は高まる。」

さらに,

「ダメ押しとして,ある多宇宙内のほとんどの宇宙が,私たちの宇宙と違う特性をもっているとしても,私たちに利用できる診断法がもう一つある。人間原理を用いて,多宇宙のなかで私たちの生命体に適した宇宙だけを検討することが出来るのだ。この部分集合の大半が,私たちのものと一致する特性をもっているなら―つまり私たちが生きられる環境の宇宙のなかで,私たちの宇宙が典型的であるなら―この多宇宙に対する確信が生まれる。」

と。一般に科学的枠組みの想定では,三つの事柄,つまり,

第一は,関連する物理法則を記述する数学の方程式,
第二は,数学の方程式に出てくる自然定数すべての数値,
第三は,系の初期条件,

を特定する必要がある。しかし,「初期条件は,宇宙によって違う」ということを鑑みると,

「私たちが問うべきは,多宇宙のどこかに,私たちがここでみるものと一致する粒子配列,つまり初期条件をもつ宇宙があるかどうか」

ではないか,と著者は言うのである。

この,コペルニクス革命の果ての果てまで来ている物理学の現在地について,

「私たちが否が応でも並行宇宙の考えに導く数学の一部または全部が,宇宙の実像(リアリティ)に関係すると証明されれば,アインシュタインの有名な疑問,すなわち宇宙が今の性質を有しているのは,単にほかの宇宙はありえないからなのかどうかという問いに,決定的な答えが出る。『ノー』だ。私たちの宇宙は唯一のありうる宇宙ではない。」

と。

昔,宇宙が膨張するということを聞いたとき,その膨張する宇宙がある空間というのは何か,という素朴な疑問を持った。そう,いま,宇宙を容れる宇宙を論じていることでもあるのだ。

http://ppnetwork.seesaa.net/article/416694519.html?1428004473

で,岸根卓郎『量子論から解き明かす「心の世界」と「あの世」 』を紹介したときの,「並行宇宙」は,このマルチバース論の中の「量子多宇宙」に,確かに,位置づけられている。

参考文献;
ブライアン・グリーン『隠れていた宇宙』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)


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2015年10月18日

うたたね


うたたねは,

転(た)寝,

と当てる。辞書(『広辞苑』)には,

「寝るつもりでなく横になっているうちに眠ること」

と,意味が載っている。語源は,

「ウトウト+ネ(寝)」で,床に入らずうとうとすること,

という意味と,いまひとつ,

「ウツツ(現)+ネ(寝)」で,仮寝,仮眠,

の意の二説がある。「うつつ」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/415235904.html

でふれたが,うつつは,本来,

現実,

のことなのに,『古今集』に「夢かうつつか」「うつつとも夢とも」等々と使われるうちに,夢と現の区別のつかない状態,

夢見心地

を指すようになった,とされる。だから,

夢とも現実ともはっきりしない状態。夢見心地。夢心地,

という意味で使われるようになって以後のことということになる。『古語辞典』をみると,

うとうとと寝ること,仮眠,

とあるので,語源的には,こちらの方なのだろうと思うが,『大言海』は,

仮寝,

の字を当てて,

現寝(うつつね)の転。たぶて,つぶて(礫),あつみ,あたみ(熱海)

と,例によって転訛の例をあげつつ,現寝を取る。で,

寝るとはなしに寝ること,

と意味を挙げる。『語源由来辞典』,

http://gogen-allguide.com/u/utatane.html

は,

「小野小町の歌に,『うたた寝に 恋しき人を 見てしより 恋てふものは たのみそめてき』とあるように,古くから使われている語で,正確な語源は未詳」

としながら,こう書く。

「漢字で『転寝』と書くが,『転た(うたた)』という副詞は,『どんどん進行して甚だしくなるさま』を意味し,『うたた寝』の「うたた」とは意味がかけ離れているため,語源とは考えにくい。また,『夢うつつ』などとつかわれる『うつつ(現)』が語源で,『現(うつつ)寝』が変化したとも考えられるが,『うつつ』が『夢心地』の意味をもつのは後世のことであるため,使われはじめた時代を考えると不自然な説である」

と。しかし,僕は,

転寝



転(うた)た

との「転た」関係が不意に気になる。「転た」は,辞書(『広辞苑』)には,

うたて

と同根とある。「転(うた)て」は,

ウタタの転。物事が移り進んでいよいよ甚だしくなってゆくさま,それに対して嫌だと思いながら,諦めて眺めている意を含む,

とある。で,「転た」は,

ある状態がずんずん進行して一層はなはだしくなるさま,いよいよ,ますます,
程度がはなはだしく進んで,常と違うさま,甚だしく,異常に,
程度が進んで変わりやすいさま,また何となく心動くさま,そぞろに,

と意味があり,三者の意味が微妙に違う。その違いは,副詞としての意味,

いよいよ,
甚だしい,
そぞろに,

の三者に現れている。『大言海』は,「うたた」は,「うたて」の転とするが,「うたて」には,

転(うつ)りて,の略転。うつつね,うたたね,うつかた,うたかた,

と,例によって例示しつつ,「うつりて」の転とする。で,意味は,辞書(『広辞苑』)とは微妙に異なる。

物事,異様に転(うつ)り進みて,甚だしく(あさましく感ずる意を含む)
常ならず,奇(あや)しく,うたた,
かたはらいたく,笑止に,
つれなく,なさけなく,

と。『古語辞典』には,転のほかに,



の字も当てている。で,

うたうたの約。ウタは歌のうた,疑いのうたと同根。自分の気持ちを真直ぐに表現する意。副詞としては,事態が真直ぐに進み,度合いが甚だしいさま。「うたたあり」の形でも使い,後に「うたて」と転じる,

とあり,「うたて」は,平安時代には多くは「うたてあり」の形で使い,

事態の進行を諦めの気持ちで眺める意,

とある。語源はともかく,意に染まぬ進行に,

不愉快,
いたたまれない,
嫌で気に染まない,

といった気持を言外に表している。どんどんとか,甚だしい,という副詞的な背後の,

どうにもならない,

という気持ちがある。その意味では,「転(轉)」の字が,

丸く回転する,

という意味で,「うたた」にこの字を当てた言外のニュアンスがよく伝わる。その意味で,僕には,

転寝

に,この「転」をあてたのも意味があり,

(眠気が)どうにも止まらない諦め,

という方が,語源的に最後に残る,「うとうと寝」よりは,言葉の奥行を感じるのだが。

因みに,「居眠り」は,

「座ったり、腰かけたりしたまま、または他の動作をしながら思わず眠ること」

で,「うたた寝」は,

「寝床に入らないで、眠気に負けてその場で思わず眠ってしまうこと」

だそうだが,転寝の方が範囲が広い。居眠りも,転寝の意味の外延に入ってしまうようだ。








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2017年10月18日

びり


「びり」は,

順番の一番下,

つまり,

どんけつ,

の意味だが,他に,

人をののしって言う語,
使い古して性(しょう)の抜けた布,
遊女,女郎,

という意味がある,と『広辞苑』にはある。『岩波古語辞典』にも,

女,または遊女。また,女を罵って言ういう語,
尻,または女陰。また男女間の情事,もめごと,
いちばん後,最後,

と意味が載る。用例を見る限り,江戸期の言葉に見える。

『大言海』には,

「しり(尻)の転訛か」

として,

最尾,

の意味しか載らない。『江戸語大辞典』にも,やはり,

尻,転じて最末尾,
隠語。女,素人女,玄人女共にいう,

という意味が載り,

びりを釣る,

という言い回しが載る。

芝居者隠語,女郎買いに行く,

意とある。『隠語大辞典』には,

http://www.weblio.jp/content/%E3%81%B3%E3%82%8A?dictCode=INGDJ

「びり」は,それぞれの集団ごとに意味を微妙に変わっていることがわかる載せ方になっている。

〔分類 掏摸、犯罪〕
1. ①最終なること。びりつこに同じ。②小女を罵りていふ詞。
2. 娼婦。支那語にて娼婦を「ぴい」と云ふ。その転訛か又尻の事を「びり」と云ふよりか。転じて芸妓、婦女子。下婢、密淫売婦を云ふ。
3. 女、淫売。〔一般犯罪〕
4. 女、娼妓。〔掏模〕
5. 娼婦。支那語で娼婦を「ビー」というからその転訛か又尻のことを「びり」ということから出たという。転じて芸6. 妓婦女子。下婢などをいう。

〔ルンペン/大阪、俗語、刑事、宮崎県、島根県、長野県〕
1. 婦女ノコトヲ云フ。〔第六類 人身之部・長野県〕
2,.女ノコトヲ云フ。〔第六類 人身之部・島根県〕
3. 女ノコトヲ云フ。〔第六類 人身之部・宮崎県〕
4. 婦女子。〔第二類 人物風俗〕
5. 女のこと。『ビリコケ』は淫奔な女の意である。〔刑事〕
6. 女。
7. 女のことをいふ。「びりこけ」は淫奔な女のことをいふ。

1, 館林にて姦通のことなりと。「俚言集覧」にあれども、情事の意。時に女陰の義とも解すべきか。「びり出入名月の夜に書き初め」「びり出入まず経文のうらに書き」「けつをだんずる所だにびり出入」「びり出入大屋もちつとなまぐさし」「びりいけん母は他人の口をかり」。

〔不良仲間〕
遊廓。大口 不良仲間。

〔ルンペン/大阪、不良少年少女/テキヤ、不/犯、山口県、犯罪者/露天商人、露店商、香、香具師/不良〕
1. 下婢ノコトヲ云フ。〔第六類 人身之部・山口県〕
2. 娼妓。〔第二類 人物風俗〕
3. ビリは女郎のことです。矢張りテキヤの隠語で、ビリは下のことを言ひ現はしたものです。
4. 女郎。
5. 〔不・犯〕女郎のことを云ふ。又下等のこと。「ガセビリ」参照。
6. 娼妓又は下流芸妓を云ふ。
7. 娼妓。行橋。
8. 女郎、娼婦、びり公ともいう。〔香具師・不良〕
9. 売淫のこと。媚(こび)売りの省略語。〔香〕

等々。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/hi/biri.html

には,

「ビリの語源は未詳であるが、『尻(しり)』が転訛して『ひり』となり、『びり』になったとする説が有力とされる。 びりという語は、古く江戸時代の歌舞伎にも見られ、『最下位』の意味のほか、『尻』から『男女の情交』を意味するようになり、『男女の情交』から『女性の陰部』の意味で用いられ、転じて遊女や女郎の意味や遊女などをののしる語としても用いられている。これら全て『尻』が基点になっているため、ビリの尻転訛説は有力と考えられる。また、『屁を放(ひ)る』の『ひる』と『尻』が混ざり、『しり』が『ひり』になり、『びり』になったとする説もあるが、有力な説とは考え難い。」

とある。増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)は,

「シリ,ヒリ,ビリと音韻変化」

を取っているが,これは,『大言海』の,

しり(尻)の転訛,

を具体化したものと思われる。『日本語源大辞典』は,「しり」の転訛の他に,

イバリ(尿)の上略か,また,放屁する意のヒリケツの転か(嫁が君=楳垣実),

を挙げている。この説なら,『語源由来辞典』が捨てた,「放屁」説も具体的に見えてくる。

『岩波古語辞典』『隠語大辞典』などの意味を見てみると,「びり」は,根拠はないが,基本は,「尻」というより,「女陰」を指す隠語だったのではないか,という気がしてくる。俗語のお○○○も,「びり」と同じく,情交も意味する,罵り言葉でもある。だから,

しり→ひり→びり,

の音韻変化ではなく,はじめから,

びり,

だったのではないか,という気がしてならない。そこには,しかし,明らかな差別意識がある。もっとはっきり言って,女性蔑視がある。「尻」からの意味の派生にしては,余りにも,女性あるいは,その下半身系に偏りすぎている。

しり→ひり→びり,

の音韻変化は,どうも牽強付会に見える。あるいは,はっきり言って,おためごかしである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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ラベル:びり
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