2017年11月10日

いね


「いね」は,

稲(稻),
禾,

と当てる。「稲(稻)」の字は,

「舀(ヨウ・トウ)は臼の中をこねること。稻はそれを音符として,禾(いね)を加えた字。」

である。「いね」は,

稲禾(とうか),
禾稲(かとう),

ともいうらしい。「稲」については,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8D

に詳しいが,

「日本国内に稲の祖先型野生種が存在した形跡はなく、揚子江中流地域において栽培作物として確立してから、栽培技術や食文化などと共に伝播したものと考えられている。日本列島への伝播については、幾つかの説があり、概ね以下のいずれかの経路によると考えられている。
江南地方(長江下流域)から九州北部への直接ルート、
江南地方(長江下流域)から朝鮮半島南西部を経由したルート、
南方の照葉樹林文化圏から黒潮にのってやってきた『海上の道』ルートである。」

とあり,「稲」作は人とともに,伝播した。言葉は,そのとき伝わったとみていい。

稻.jpg

成熟期のイネ(長粒種)


『岩波古語辞典』には,

「古形イナの転」

とある。稲わらとか稲垣,稲束,稲作,稲田,稲幹(いながら),稲子(蝗),稲扱(いなこぎ),稲荷等々,複合語の中にのみ生き残っている。

『大言海』は,

「飯根(いいね)の約。恆山(くさぎ)を鷺の以比禰と云ひ,白英(ひよどりじょうご)を鶫(つぐみ)の以比禰と云ふ」

としているが,ちょっと意味がくみ取れないが,「恆山(くさぎ)」は,

http://www2.mmc.atomi.ac.jp/web01/Flower%20Information%20by%20Vps/Flower%20Albumn/ch2-trees/kusaghi.htm

に,

「深江輔仁『本草和名』(ca.918)に、恒山は「和名久佐岐、一名宇久比須乃以比祢」と。源順『倭名類聚抄』(ca.934)に、恒山は「和名宇久比須乃以比禰、一云久佐木乃禰」と。」

あり,いわゆる「くさぎ」のことを言っており,「ひよどりじょうご(鵯上戸)」については,

くさぎ.jpg

(クサギ)


http://blog.goo.ne.jp/momono11/e/b7408ea9aa0296032a1d8add99cc78c2

に,

「赤い実を鵯が好んで食べることから、ヒヨドリジョウゴの名前がついたとされる。実は真っ赤で美味しそうではあるが、不快な匂いがし、鳥にとっても美味しいものとは思えない。最初『ツグミ』の名前を付けていたが、後に、雑食性でなんでも食べる、鵯の名前を借りたのかもしれない。日本の古書『本草和名(ほんぞうわみょう・918)』には、漢名に『白英(はくえい)』、和名に『保つ呂之(ホロシ)』、の名がある。その後『豆久美乃以比禰(つぐみのいいね)』ともよばれ、江戸時代に『ヒヨドリジョゴ』が定着した。」

とあり,「以比禰」が「飯根」と「いいね」かさなるが,「以比禰」をもって,「いね」の語源「飯根」の傍証とする根拠が,浅学の自分には見えなかった。なにより,「いね」の古形が「いな」とするなら,これは傍証にもなっていないことになるのだが,『大言海』は,「いな(稲)」を,

くさなぎじょうご.jpg

(ひよどりじょうご)


「いねの轉」

とし,

「ふね(船),ふな。かね(金),かななど同趣多し」

としているので,「いな」はあくまで,「いね」の転としているところから来ているのだろう。

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/i/ine.html

は,

「稲の語源は以下の通り諸説あり,『食糧』『生命』『寝具』『原産地』のどれに重きを置くかによって見解が異なる。 稲は食糧として重要なものであることから,『いひね(飯根・飯米 )』の意味とする説。 稲は食糧のほか藁を加工して多くのものが作られ,日本人の生活と切っても切れない関係にあることから,『いのちね(命根)』『いきね(生根)』の約など,『生命』と結びつける説。稲の藁は布団や畳などに加工され,古代人は藁を敷いて寝ていたことや,正月の忌み詞として『寝ね(いね)』と掛けた『稲挙ぐ』『稲積む』という言葉があることから,『いね(寝ね)』の連用形が名詞化された説。稲は原産地の言葉に基づくもので,ジャワのスンダ語『binih』,セレベス島のバレエ語『wini』などと同源とする説。漢字の『稲』は,漢音で『ドウ・ダウ』。呉音で『ダオ』と発音し,音読みの『トウ・タウ』には繋がるが,『いね』の語源とは関係ない。」

と諸説を挙げる。また,

http://agrin.jp/hp/q_and_a/kome_yurai.htm

も,

▽イツクシイ(愛)ナエ(苗)、つまり大切な植物としてそだてたところからという説
▽イヒネ(飯寝)からという説
▽イノチノネ(命根)の略という説
▽イツクシナへ(美苗)という意味という説

諸説を挙げる。しかし,いずれも,後世の語呂合わせの感が強い。いずれも,稲作の伝播との関連が見えない。ジャワ島やセレベス島では,伝播経路とうまくつながらない。ただ,

http://riceterraces.net/oryza/rice/kotoba.html

に,「こめ」は,

「今は、『米(コメ)』というと、稲の実である、いわゆる、食べる部分を表しますが、昔は、全体を表していました。 『コメ』は『久米(クメ)』とも同じ言葉で、インドシナ東部、中国南部、琉球諸島および、日本に分布する言葉です。」

とあるのがヒントになるのではないか。なお,「いね」については,

「『イネ』の基本型は『ネ』だといわれています。これは、中国南部の『Nei』『Ni』、ベトナムの『Nep』と繋がる言葉です。」

とあるのが,説得力がある。ちなみに,「稲(トウ)」についても,

「中国で古来使用されていた『稌(ト いね)』と、その新字である『稲(タオ)』で、これは、安南語の『ガオ』、ミュオン語の『カウ』と関係があるとされています。この言葉の繋がりから、中国へは、インドシナから華南を通 って稲が華北へ伝えられたと考えられます。日本語の『稲(トウ)』、朝鮮語の『ト』、タイ語の『カオ』は、これと同系統の言葉とされています。」

としていて,納得できる。なお,「稌」の字は,『漢字源』には載らず,『字源』には,

もちいね,酒を醸すべし,

とのみ意味が載る。

なお,「こめ」の語源については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/454757401.html

で触れた。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8D
http://riceterraces.net/oryza/rice/kotoba.html
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm

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2017年12月26日

さぎ(詐欺)


「さぎ」は,

詐欺,

と表記すると,

偽り欺くこと,
法律用語で,他人を騙しして錯誤におとしいれ,財物などをだまし取ったり,瑕疵ある意思表示をさせたりする行為,

であり,

詐偽,

と表記すると,

真実でないこと,いつわり,

となる。「詐欺」が,行為を指し,「詐偽」が,その中身のいつわりさを表す,ということだろうか。

「詐」の字は,

「乍は刀で切れ目を入れるさまを描いた象形文字で,作の原字。物を切ることは人間の作為である。詐は『言+音符乍(サ)』で,作為を加えた作りごとのこと」

「偽(祇)」の字は,

「爲(=為)の原字は,『手+象の形』の会意文字で,人間が象をあしらって手なづけるさまを示す。作為を加えて甫編来の性質や姿をためなおすの意を含む。僞は『人+音符爲(イ)』で,人間の作為により姿をかえる,正体を隠してうわべをつくろうなどの意。爲(=為)が広く,作為する→するの意となったため,むしろ偽にその原義が保存され,(人間の作為,うわべのつくろいの)用法が為の元の意に近い。」

で,「僞は人之を為す。天真にあらず,故に人に从(したが)ひ,爲に从ふ」とある。

「欺」の字は,

「其(キ)は,四角い箕(ミ)を描いた象形文字。旗(四角い旗)や棋(キ 四角い碁盤)等々に含まれて,四角くかどばった意を含む。欺は『欠(人が体をかがめる)+音符其』で,角ばった顔をしてみせる,相手をへこませること」

と,それぞれの謂れがある。「詐欺」は,中国語では,

欺詐

である。「偽」(いつわる)と「詐」(いつわる)の違いは,

偽は,人為にて,天真にあらざるなり,いつはりこしらへたるなり。虚偽,詐偽と用ふ,
詐は,詐偽と連用する。欺き騙すこと,誠実の反なり,

とある。「欺」(あざむく)は,

「あなどりて,だます義」

とあり,実は,「詐欺」について,この由来は,古事記の「因幡の白兎(しろうさぎ)」の話から来ていると,

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1413118399

に,

「例の『向こう岸の島まで渡るために、サメの数を数えてあげるといってサメを騙して向こう岸までならばせ
渡りきる寸前で嘘がばれ、赤裸にされ、泣いているところを大国主の命にがまの穂で赤裸を治してもらった』―という話しですが。『詐欺(さぎ)『とは、この『因幡の白兎(しろうさぎ)』から由来しています。『白兎(しろうさぎ)』のことを古来から通称『さぎ』といい、一羽二羽と鳥のように数えます。そこから『(さぎ)する』とは、この『因幡の白兎(しろうさぎ)のマネをして相手を騙(だま)す』という意味で古来から使われてきたのです。この古来からの『さぎ』という字に『詐(いつわり)欺(だます)』という漢字が充られたのです。」

とある。

http://www.yuraimemo.com/4027/

にも同趣の話が載る。

「さぎ(鷺)」と「うさぎ(兎)」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/455767810.html?1514147633
http://ppnetwork.seesaa.net/article/455333594.html

でそれぞれ触れたように,「うさぎ」の古形は,「う」である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A0%E5%B9%A1%E3%81%AE%E7%99%BD%E5%85%8E

には,

「この兎は、『白兎神社』や『白兎神』『白兎明神』などに見られるように、『白兎』として伝わる。『古事記』の表記は『菟』、『裸の菟』、『稲羽の素菟』、『菟神』である。本居宣菟長は、「素」には何もまとわず何にも染まっていないの意があると述べる。『古事記』には兎の毛色の言及はなく、宣長のように『素布 ( そふ )』= 白い布から、『素』に白の意があると考えれば『白兎』ともいえる。」

「菟(莵)」は,うさぎ(漢音ト,呉音ツ)である。大穴牟遲神(大国主神)に教えられた通り,「菟」は,

故、爲如教、其身如本也。此稻羽之素菟者也。於今者謂菟神也,

と古事記にはある。で,稲羽の素兎(しろうさぎ),というのであるが。

『大言海』は「さぎ」を,

詐偽,
詐欺,

と当てて,両者を区別していない。「詐欺」も「欺詐」も,

いつわり,だます,

意で変わらない。「中国語」由来と見なすのが自然な気がする。魏志には,

「欺詐侮易,多不得文明」

の用例が載る。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1130536761

の,

「犯罪のサギは『詐欺』、漢語読みである音読みです。(ちなみに中国語で『詐欺』は『欺詐』。ひっくり返りますが同じ字を使います。)漢字は表意文字なので、文字自体に意味があります。『詐欺』の方はどちらも「あざむく、だます、騙る」ことを表す字を使った熟語。」

とあるのが妥当ではなかろうか。牽強付会も過ぎると,ちょっと。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A0%E5%B9%A1%E3%81%AE%E7%99%BD%E5%85%8E
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
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ラベル:さぎ 詐欺 詐偽 欺詐
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2018年01月23日

夕立


「夕立」は,

ゆだち,

ともいい,『大辞林』に,

夏の午後から夕方にかけ,にわかに降り出すどしゃぶり雨。雷を伴うことが多く,短時間で晴れ上がり,一陣の涼風をもたらす,

とある。この場合,「夕」に騙されると,

夕方降る雨,

となるが,『日本語源広辞典』には,

「夕方でもないのに,庭か雨で一時的に暗くなって夕方らしくなる,が本義です。」

とある。

「夏の午後から夕方にかけ」

というのに意味がある。しかし,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%95%E7%AB%8B

には,

「古語としては、雨に限らず、風・波・雲などが夕方に起こり立つことを動詞で『夕立つ(ゆふだつ)』と呼んだ。その名詞形が『夕立(ゆふだち)』である。
ただし一説に、天から降りることを『タツ』といい、雷神が斎場に降臨することを夕立と呼ぶとする。」

とある。しかし,別名,

白雨(はくう),

とも言うところから見ると,明るい時刻に違いない。

http://yain.jp/i/%E5%A4%95%E7%AB%8B

は,

「夏の午後に、多くは雷を伴って降る激しいにわか雨。白雨(はくう)。」

とし,やはり,

「動詞『夕立つ(ゆうだつ)』の連用形が名詞化したもの。『夕立つ』は、夕方に風・雲・波などが起こり立つことの意。動詞『立つ』には現象が現れるという意がある。」

としているが,

http://mobility-8074.at.webry.info/201606/article_22.html

は,

「夕方に降るから『夕立』と言うというように何となく思っていましたが,語源を調べてみたら,ちょっと違うようです。まず,『立つ』には,〈隠れていたもの,見えていなかったものが,急に現れる,急に目立ってくる〉という意味があります。『目立つ』『きわ立つ』 の『立つ』です。
「夕立」 の 「立つ」 は, 〈雲 ・ 風 ・ 波などが,急に現れる〉 ことを言っています。ここで注意したいのは, 『夕立』は,本来は〈雨〉 のことではないということです。雲が現れた結果として雨になることが多いのですが,語源的には『ゆうだち』は雨ではありません。『夕立』の『夕』は,雲や風が現れるのが夕方ということではないのです。この『夕』は,〈夕方のようになる〉という意味での『夕』です。(中略)
で,『夕立』というのは,〈まだ昼間の十分に明るい時間帯なのに,突然,雨雲が湧いてきて,あたかも夕方を思わせるほどに薄暗くなる〉状態のことなのです。『ゆうだち』は,もとは『いやふりたつ (彌降りたつ)』だったという説です。この『彌』は〈いよいよ,ますます,きわめて,いちばん〉の意味の副詞です。つまり,〈きわめて激しく降り出した雨〉という意味の「いやふりたつ」が『やふたつ』→『ゆふたつ』→『ゆふだち』へと変化してきたという説です。」

としている。そう見ると,『大言海』が「ゆふだち」の意味に,

「雲にわかに起(た)ちて降る雨」

とあるのが生きてくる。『日本語源大辞典』には,「立つ」について,

「『万葉集』にすでに『暮立』の表記でみえる。ユウダチのダチ(立つ)は,自然界の動きがはっきりと目に見えることをいう」

とある。『広辞苑』の「立つ」には,

「事物が上方に運動を起こしてはっきと姿を表す」

意の中に,

雲・煙・霧などが立ち上る,

という意味が載る。

ただ気になるのは,『広辞苑』は,「夕立」の項で,

「一説に,天から降ることをタツといい,雷神が斎場に降臨することとする」

とあることだ。『岩波古語辞典』には,「立つ」について,

「自然界の現象や静止している事物の,上方・前方に向き合う動きがはっきりと目に見える意。転じて,物が確実に位置を占めて存在する意」

とある。とすると,

雲がにわかにむくむくと立ち上がるのを龍に見立てる,

ということはあるかもしれない。『日本語源広辞典』は,「たつ(竜)」の語源を,

「立つ」

としているので,「たつ(立つ)」と「たつ(竜)」がつながらないわけではない。龍については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/447506661.html

で触れたが,「龍」は,水と関わる。

長谷川等伯による善女竜王像.jpg

(長谷川等伯による善女竜王像)


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%9C

に,「龍」は,

「中国から伝来し、元々日本にあった蛇神信仰と融合した。中世以降の解釈では日本神話に登場する八岐大蛇も竜の一種とされることがある。古墳などに見られる四神の青竜が有名だが、他にも水の神として各地で民間信仰の対象となった。九頭竜伝承は特に有名である。灌漑技術が未熟だった時代には、旱魃が続くと、竜神に食べ物や生け贄を捧げたり、高僧が祈りを捧げるといった雨乞いが行われている。」

とし,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%AB%9C

は,

「竜神は竜王、竜宮の神、竜宮様とも呼ばれ、水を司る水神として日本各地で祀られる。竜神が棲むとされる沼や淵で行われる雨乞いは全国的にみられる。漁村では海神とされ、豊漁を祈願する竜神祭が行われる。場所によっては竜宮から魚がもたらされるという言い伝えもある。一般に、日本の竜神信仰の基層には蛇神信仰があると想定されている。」

「仏教では竜は八大竜王なども含めて仏法を守護する天竜八部衆のひとつとされ、恵みの雨をもたらす水神のような存在でもある。仏教の竜は本来インドのナーガであって、中国の竜とは形態の異なるものであるが、中国では竜と漢訳され、中国古来の竜と混同ないし同一視されるようになり、中国風の竜のイメージに変容した。日本にも飛鳥時代以降、中国文化の影響を受けた仏教の竜が伝わっている。」

とある。

なお,

夕立は馬の背を分ける,

という言葉があるが,

https://www.waraerujd.com/blank-131

に,

「夕立は馬の背を分けるとは、夕立は馬の片身に降っても反対側の片身には降らないという意味で、夕立の局地性を表現したことわざ。」

である。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A8%E3%82%92%E9%99%8D%E3%82%89%E3%81%9B%E3%81%A6%E6%AE%BA%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%AB%9C
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%AB%9C
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

ラベル:夕立 白雨
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2018年02月25日

むべ


「むべ」は,

宜なるかな,

の「むべ」である。

「うべに同じ」

とある。「うべ」は,

宜,
諾,

とあて,

もっともであること,
なるほど,

の意であり,副詞として,

肯定する意に言う語,

で,

なるほど,
道理である,

という意味で使う。『広辞苑』には,

「宜宜(むべむべ)し」

も載り,

いかにももっともである,
格式ばっている,

という意味で,『岩波古語辞典』には,

「『うべうべし』を平安時代以後,普通にmbembesiと発音したので,それを仮名で書いたもの」

とある。「うべうべし」は,

おももち・声づかひ,うべうべしくもてなしつつ」(『源氏物語』)

という用例があり,さらに,

うべしこそ,

という言い回しもあったらしい。

「ウベに間投助詞シ,係助詞コソをつけて強めた表現」

で,

「これやこの天の羽衣うべしこそ君がみけしとたてまつりけれ」(『伊勢物語』)

という用例が載る。

『岩波古語辞典』には,「むべ」について,

「『うべ』を平安辞退以後,普通にmbeと発音したので,それを仮名で書いたもの」

とあり(「うべ」はubë),「うべ」の項では,

「ウは承諾の意のウに同じ。ベはアヘ(合)の転か。承知する意。事情を受け入れ,納得・肯定する意。類義語ゲニは,諸説の真実性を現実に照らして認める意。」

とある。しかし,『大言海』は,

「得可(うべ)の義。肯(うけ)得べき理(ことわり)の意。為可(すべ)と同趣」

とある。どちらも,意味は同じのようだが,是非を判断する材料はない。

「むべなるかな」の「むべ」は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%99

のいう,

ムベの実.jpg



「ムベ(郁子、野木瓜、学名:Stauntonia hexaphylla)は、アケビ科ムベ属の常緑つる性木本植物。別名、トキワアケビ(常葉通草)。方言名はグベ(長崎県諫早地方)、フユビ(島根県隠岐郡)、ウンベ(鹿児島県)、イノチナガ、コッコなど。」

の「ムベ」でもある。この「ムべ」も,また,

ウベ,

とも言う。『大言海』は「和訓栞」を引いて,

「郁子『苞苴(おほにへ),おほんべ,うんべ,うべ』」

の転訛を取っているが,

http://blog.goo.ne.jp/33bamboo/e/34faaa5d7e4df49eb476d58d395eef16
https://rocketnews24.com/2015/11/25/669653/

等々に,

「天智天皇が8人の子供を持つ大変元気で健康的な老夫婦に出会い、『汝ら如何に斯く長寿ぞ』と長寿の秘訣を尋ねたところ、老夫婦は『この地で取れる無病長寿の霊果を毎年秋に食します』と言いながら果実を差し出した。天智天皇は一口食べ、『むべなるかな』と応えられた」

により,この果物が「ムベ」と呼ばれるようになったという,とある。俗説だが,もっともらしいのは,「ムベ」が「ウベ」とも言うところにある。

http://www.sankei.com/west/news/151110/wst1511100067-n2.html

によると,

琵琶湖南部の蒲生野(かもうの)(現滋賀県東近江市一帯)、奥島山(現近江八幡市北津田町)

であるとされ,

「以来、毎年秋になると同町の住民から皇室にムベが献上されるようになったとされる。平安時代に編纂された法令集『延喜式』31巻には、諸国からの供え物を紹介した『宮内省諸国例貢御贄(れいくみにえ)』の段に、近江国からフナ、マスなどの琵琶湖の魚とともに、ムベが献上されていたという記録が残っている。」

という。しかし,『日本語源広辞典』には,「ムベ」は,

「朝廷に献上したオオニエ(大贄)が語源です。オオニエ→オオムベ→ウムベ→ムベの変化です。」

とあり,『大言海』の引く「和訓栞」と一致するし,『日本語源大辞典』も,

オニヘ(御贄)の転(晴翁漫筆),
朝廷に献上したので(大贄)・オオムベと言い,ウムベ・ムベと転じた(牧野新日本植物図鑑),

と,「大贄」か「御贄」説を採る。これが妥当だろう。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%99

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

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2018年03月12日

ツバキ


「ツバキ」は,

椿,
海石榴,
山茶,

と当てる。「サザンカ」の項,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/457793476.html?1520625823

で触れたように,中国では,「つばき」を「山茶」と書く。でそれが,「サザンカ」の「山茶花」に当てられたことは,書いた。

やまつばき.jpg



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD

によると,

「ツバキ(椿、海柘榴)またはヤブツバキ(藪椿、学名: Camellia japonica)は、ツバキ科ツバキ属の常緑樹。照葉樹林の代表的な樹木。日本内外で近縁のユキツバキから作り出された数々の園芸品種、ワビスケ、中国・ベトナム産の原種や園芸品種などを総称的に『椿』と呼ぶが、同じツバキ属であってもサザンカを椿と呼ぶことはあまりない。」

とある。「サザンカ」で触れたことと重なるが,「ツバキ」は,「サザンカ」と違い,

花弁が個々に散るのではなく萼と雌しべだけを木に残して丸ごと落ちる,
雄しべの花糸が下半分くらいくっついているが,サザンカは花糸がくっつかない。
花は完全には平開しない(カップ状のことも多い)が,サザンカはほとんど完全に平開する,
子房には毛がないが,サザンカ(カンツバキ・ハルサザンカを含む)の子房には毛がある,
葉柄に毛が生えないが,サザンカは葉柄に毛が生える,

という。さて,「ツバキ」の語源であるが,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/tu/tsubaki.html

は,

「語源には、光沢のあるさまを表す古語『つば』に由来し、『つばの木』で『つばき』になったとする説。『艶葉木(つやはき)』や『光沢木(つやき)』の意味とする説。朝鮮語 の『ツンバク(Ton baik)』からきたとする説など諸説ある。漢字『椿』は、日本原産のユキツバキが早春に花を咲かせ春の訪れを知らせることから、日本で作られた国字と考えられている。一方中国では、『チン(チュン)』と読み、別種であるセンダン科の植物に使われたり、巨大な木や長寿の木に使われる漢字で、『荘子』の『大椿』の影響を受けたもので国字ではないとの見方もある。なお、ツバキの中国名は『山茶(サンチャ)』である。」

とある。『大言海』には,

「艶葉木(ツヤバキ)の義にて,葉に光沢あるを以て云ふか。椿は春木の合字なり,春,華あれば作る。或は云ふ,香椿(タマツバキ)より誤用すと。然れども,香椿は,ヒャンチンと,唐音にても云へば,後の渡来のものならむ。海石榴の如く,花木の海の字を冠するば,皆海外より来れるものなり」

とある。『日本語の語源』は,

「アツバキ(厚葉木)-ツバキ(椿)」

とし,『由来・語源辞典』

は,

http://yain.jp/i/%E6%A4%BF

「葉が厚いことから『厚葉木(あつはき)』、葉に光沢があることから『艶葉木(つやはき)』の意など、語源については諸説ある。『椿』と書くのは、春に花が咲く木の意で作られた国字。」

としている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD

は,

「和名の『つばき』は、厚葉樹(あつばき)、または艶葉樹(つやばき)が訛った物とされている。」

としており,葉の厚さか,艶かのいずれかというところになるが,『日本語源広辞典』は,三説載せる。

説1は,「ツバ(唇)+木」。赤い唇のような花の木の意,
説2は,「ツハル(芽ぐむ)+木」。春の始め内部からツハル木,
説3は,「ツ(艶)+葉+木」。年中艶のある葉をもつ木,

『日本語源大辞典』は,上記以外に,

ツキヨキ葉の木の義か(和句解),
テルハギ(光葉木)の義(言元梯),
冬柏の意の朝鮮語ツンバクからか(語理語源=寺尾五郎),
葉の変らないところから,ツバキ(寿葉木)の義(和語私臆鈔),
ツ(処)ニハ(庭)キ(木),もしくはツニハ(津庭)キ(杵=棒)で,聖なる木,神木の意(語源辞典=植物篇=吉田金彦),
朝鮮語(ton-baik)(冬柏)の転(植物和語語源新考=深津正),

等々がある。ま,しかし,葉の特徴とみて,艶か厚さの何れかというのが妥当なのだろうと思う。

問題は,当てた「椿」の字である。

『広辞苑』は,

「『椿』は国字。中国の椿(ちゆん)は別の高木」

とするし,多く,中国では,別の木とする。「椿」(チン,漢音・呉音チュン)の字は,

「『木+音符春(シュン・チン)(ずっしりとこもる)』で,幹の下方がずっしりと太い木」

を意味し,センダン科の落葉高木。という別の木を指す。我が国では,「ツバキ」に当てたし,「闖入(ちんにゅう)」の「闖」に当てた誤用から,「不意の出来事,変ったこと」の意に用い,「珍事」に「椿事」,「珍説」に「椿説」と当てたりする(『漢字源』『字源』)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD

によると,

「『椿』の字の音読みは『チン』で、椿山荘などの固有名詞に使われたりする。なお『椿』の原義はツバキとは無関係のセンダン科の植物チャンチン(香椿)であり、『つばき』は国訓、もしくは、偶然字形が一致した国字である。歴史的な背景として、日本では733年『出雲風土記』にすでに椿が用いられている。その他、多くの日本の古文献に出てくる。中国では隋の王朝の第2代皇帝煬帝の詩の中で椿が『海榴』もしくは『海石榴』として出てくる。海という言葉からもわかるように、海を越えてきたもの、日本からきたものを意味していると考えられる。榴の字は、ザクロを由来としている。しかしながら、海石榴と呼ばれた植物が本当に椿であったのかは国際的には認められていない。中国において、ツバキは主に『山茶』と書き表されている。『椿』の字は日本が独自にあてたものであり、中国においては椿といえば、『芳椿』という東北地方の春の野菜が該当する。」

とあり,

「『つばき』は国訓、もしくは、偶然字形が一致した国字」

というのが妥当だろう。しかし,これまでいろんな面で見てきた渡来人を含めた古代の人々の知識から見て,既存の「椿」の字があるのに,作字するとは思えない気がする。

http://www.sato-tsubaki.co.jp/name.shtml

には,

「一つの有力な仮説として『朝鮮語が転訛したものである』という説があります。これは、椿が中国の沿海諸島から朝鮮半島南海岸地方を経由して日本に伝播したとするもので、椿に当たる朝鮮語の冬柏(ton baik:トンベイ)が転訛して日本語の『椿(つばき)』になったという説です。また、当時『つばき』を海石榴と書いていたことも、この説を有力なものとしています(なお、海石榴は正しい漢名ではなく日本人の付けた名前だとされます)。
 すなわち、この説によれば、つばきは海外すなわち朝鮮から入った石榴(ざくろ)の意味だというのです。三韓時代にはすでに朝鮮南部において、つばきの利用法や椿油の製法が発達していたものと推定され、わが国の椿油の貢献国(産油地でもある)がいずれも朝鮮半島に近接した地方であることから、これらと同時に『つばき』の名前がわが国に渡来したのだ、という訳です。)」

とある。これによれば,日本からの献上品の「ツバキ」が海石榴とよばれ,それが逆輸入されたことになる。サザンカと似た現象だが,「椿」の字が強く残ったのは,「椿」の字をすでに当てていたからかもしれない。

この「椿」が国字ではなく,

「『荘子』の『大椿』の影響を受けたもの」

とあるのは,

http://www.sato-tsubaki.co.jp/name.shtml

のいう,

「日本では朝鮮から来た石榴に似た木では漢名としては不合理なため、中国の架空の植物名で、迎春の花、長寿の花木である『大椿』の漢字を借りて、『日本の椿』にふさわしい『椿』の字を当てたものと考えられます。」

と,僕も思う。「大椿」は,『荘子』の「逍遥遊」篇の,

小知は大知に及ばず、小年は大年に及ばず
奚(なに)を以て其の然(しか)るを知る
朝菌(チョウキン)は晦朔(カイサク)を知らず
蟪蛄(ケイコ)は春秋を知らず
此れ小年なり
楚の南に、冥霊(メイレイ)なる者あり
五百歳を以て春と為し、五百歳を秋となす
上古、大椿(タイチン)なる者あり、八千歳を以て春と為し、八千歳を秋と為す
而して彭祖(ホウソ)は乃(すなわ)ち今、久(ひさ)しきを以て特(ひと)り聞(きこ)ゆ
衆人これに匹(ひつ)せんとする、亦(ま)た悲しからずや
http://fukushima-net.com/sites/meigen/423より)

の,

上古、大椿(タイチン)なる者あり、八千歳を以て春と為し、八千歳を秋と為す,

から来ている。「大椿」は,だから,

中国古代の伝説上の大木の名。8000年を春とし、8000年を秋として、人間の3万2000年がその1年にあたるという。転じて、人の長寿を祝っていう語(『大辞林』『デジタル大辞泉』)。

という意味になる。ここから,人間の長寿を祝って言う,

大椿の寿,

という諺がある。これを知らなかった,とは思えないのである。

なお,ユキツバキは,

ユキツバキ.JPG



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%82%AD%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD

によると,

「別名、オクツバキ、サルイワツバキ、ハイツバキ。主に日本の太平洋側に分布するヤブツバキが東北地方から北陸地方の日本海側の多雪地帯に適応したものと考えられ、変種、亜種とする見解もある。」

とある。ここから,数々の園芸種が生み出された。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD%E5%B1%9E
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%82%AD%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD
http://fukushima-net.com/sites/meigen/423
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%

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2018年04月17日

瓜二つ


「瓜二つ」は,

縦に二つに割った瓜のように,親子・兄弟などの顔かたちがよく似ていることのたとえ,

という意味だが,『広辞苑』には,

「瓜を二つに割った形がそっくりなところから,兄弟などの容貌が甚だよく似ていることにいう」

とある。この場合,「瓜」とはどの瓜を指すのであろうか。

800px-Makuwauri.JPG


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%AF%E3%82%A6%E3%83%AA

には,

「古くから日本で食用にされ、古くは『うり』と言えばマクワウリを指すものだった。 他、アジウリ(味瓜)、ボンテンウリ(梵天瓜)、ミヤコウリ(都瓜)、アマウリ(甘瓜)、カンロ(甘露)、テンカ(甜瓜)、カラウリ(唐瓜)、ナシウリ(梨瓜)といった様々な名称で呼ばれる。」

とある。さらに,

「種としてのメロン (Cucumis melo) は北アフリカや中近東地方の原産であり、紀元前2000年頃に栽培が始まった。そのうち、特に西方に伝わった品種群をメロンと呼び、東方に伝わった品種群を瓜(ウリ)と呼ぶ。マクワウリもその一つである。」

とある。この「メロン」は,

「インドから北アフリカにかけてを原産地とし、この地方で果実を食用にする果菜類として栽培化され、かなり早くにユーラシア大陸全域に伝播した。日本列島にも貝塚から種子が発掘されていることや、瀬戸内海の島嶼などに人里近くで苦味の強い小さな果実をつける野生化した『雑草メロン』が生育していることから、既に縄文時代に伝わり、栽培されていたと考えられている。日本では古来『ウリ(フリとも)』の名で親しまれてきた。また、中国では『瓜』の漢字があてられた。」

とある。近代以降、ヨーロッパや西アジアの品種群が伝えられると、生物の種としては同じなのだが,

「日本の在来品種より芳香や甘みが強いことが注目されて西欧諸語起源のメロンの名で呼ばれるようになった」

が,日本では,

「生で甘みや清涼感を味わうマクワウリなどの品種群の他に、キュウリ(Cucumis sativus)やシロウリのように熟しても甘みに乏しく、野菜として食べたり、未熟なうちに漬物にする品種群も発達した。」

とか。さて,「瓜二つ」は,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/u/urifutatsu.html

に,

「瓜を二つに割ると、切り口がほとんど同じであることから、よく似ているさまのたとえとなっ た。 瓜以外の果実でも断面は似ており、瓜が選ばれた理由は不明であるが、古くから 美人の一つとされる形容に『瓜実顔』があり、そのような良い意味でたとえられる果実であれば、すんなり受け入れられる。 それが『カボチャ二つ』などと言ってしまえば、不細工な二人を表しているとも受け止められる。 余分な印象を与えず、似ていることを表現するのであれば、悪い意味を含まない『瓜二つ』が適している。『瓜二つ』の形が見られるようになるのは、近世に入ってからで、1645年刊の『毛吹草』には、『売りを二つに割りたる如し』とあり、江戸時代の人形浄瑠璃時代物の『源頼家源実朝鎌倉三代記』には,『見れば見るほど瓜を二つ』という形で見られる。」

とあるので尽きる。「瓜」の字は,「スイカ」の項,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/458821689.html?1523818263

で触れたように, 象形文字で,

「つるの間にまるいうりがなっている姿を描いたもので,まるくてくぼんでいる意を含む」

とある。

300px-瓜-bronze.svg.png

(金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%93%9Cより)


和語「うり」は,『岩波古語辞典』は,

「朝鮮語ori と同源」

としているが,『大言海』は,

「潤(うる)に通ず(あるく,ありく)。實に光澤あり」

とし,『日本語源広辞典』も,

「ウルオウ(潤)の変化」

と,水分の多さから来ているとしている。しかし,『日本語源大辞典』は,その他,

ウルミ(熟実)の意か(東雅),
口の渇きをウルホスより生じた語か(名言通・和訓栞),
ウム(熟)ランの反(名語記),
ウツクシの約転(滑稽雑誌所引和訓義解),
ウカリウカリと幾つもなるので,ウカリと名づけたものの中略か(本朝辞源=宇田甘冥),
ヘウリ(匏)の略(言元梯),
朝鮮語oi-ori(瓜)と同源(世界言語概説=河野六郎・万葉集=日本古典文学大系),

とあるが,そのみずみずしさの体感覚から来た,と見たい。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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2018年08月22日

幽霊


今野円輔『日本怪談集 幽霊篇』を読む。

img101.jpg


まさに,本書は「志怪小説」である。志怪とは,

「怪を志(しる)す」

中国の旧小説の一類,不思議な出来事を短い文に綴ったもの。また創作の意図はなく,小説の原初的段階を示す。六朝東晋の頃より起こった。「捜神記」など,

と『広辞苑』にある。ここで言う,「小説」は,

「市中の出来事や話題を記録したもの。稗史(はいし)」

であり,

「昔、中国で稗官(はいかん)が民間から集めて記録した小説風の歴史書。また、正史に対して、民間の歴史書。転じて、作り物語。転じて,広く,小説。」

その意味で,いま言う小説のはしり,ということになるが,

「志怪小説、志人小説は、面白い話ではあるが作者の主張は含まれないことが多い。志怪小説や伝奇小説は文語で書かれた文言小説であるが、宋から明の時代にかけてはこれらを元にした語り物も発展し、やがて俗語で書かれた『水滸伝』『金瓶梅』などの通俗小説へと続いていく。」

と,一応フィクションではない。本書は,その志怪小説の「幽霊」篇である。

「このような体験を,超心理,深層心理の発現と解するのも,あるいは単なるナンセンスと眺めるのも,それは読者のご自由だが,何はともあれ,なるべく,どんな先入観にもとらわれずに,その実態を見極める作業からはじめることが,もっとも科学的態度ではないかと思う。多くの例話を読み,比較,総合を試みることによって,わが同胞の霊魂現象が果たしていかなるものであるかを考える素材としていただけるならば,この,日本初の“幽霊体験資料集”編纂目的のなかばはたっせられたわけである。」

と,著者は「はじめに」にしるす。

すがたなきマボロシ,
人魂考,
生霊の遊離,
たましいの別れ,
魂の寄集地,
浮かばれざる靈,
死霊の働きかけ,
船幽霊,
タクシーに乗る幽霊,
親しき幽霊,
子育て幽霊,

と言った章別に,体験談が載る。おなじみの『遠野物語』をはじめとする史料からの転載もあるが,

「編者の直接採取以外の資料については,資料的価値のある部分だけの再録にとどめ,できるだけ原文を尊重した。」

など,柴田錬三郎『日本幽霊譚』,小泉八雲『怪談』,田中貢太郎『怪談全集』などからは採ってないと,あくまで,「志怪」に限定している,とみていい。

「幽霊譚」に奥行が見えてくるのは,「お菊虫」や「皿屋敷」を廻って,折口信夫の,

「キクという名の女性について,折口信夫先生は,(慶応大学の御霊信仰についての講義で)…『佐倉宗五郎の話は実感人形(稲の害虫を追う虫送りの)から出た話にすぎない。宗五郎も,死んで稲虫になったと言われている。そのことから出発して,宗五郎の靈が祀られるにいたる史実らしいものが考え出されもしているのだ。だから同じような伝説のある人なら直ぐそんな話がくつついてくる。伝説が事実を変造する』と説いたあと,『播州皿屋敷の話も同じだ。キクという女は,井戸に投げこまれてオキク虫というものになっているが,これは早乙女虐殺の話で,きっと井戸に関係がある。地下水はどこへでも通じているからだ。不思議に日本の虐殺される女の名には,お菊というのが多い。私は正確には三つ知っている。(イ)毛谷村六助妻園の妹,おきく,(ロ)累解脱物語,与右衛門の子,(ハ)播州皿屋敷,ひとつの見当はついている。加賀の白山に関係がある。自由のククリヒメだが,これはヒントに止める。ともかくオキクと水とは関係がある。水の中で虐殺された女の霊魂とオキクとの関係がある。』」

という話を糸口に,民俗の深部に辿り着ける。

著者が,三田村鳶魚の,

「幽霊を,あるとして無い証拠を挙げるのも,無いとしてあるという現実を打破しようとするのもコケの行き止まり」

という詞を引用しつつ,

「鳶魚翁が指定しなかった第三の立場があろうかと思う。簡単にいうならば,いわゆる幽霊なるものは物理的には実在しないことはいうまでもないから問題にはしないが,実在しないモノを,どんな条件のもとで,どんなふうにその姿を見たり,その声を聞いたりするのか,そこには日本人の特質らしい現象が認められるかどうか,歴史的な変遷がありそうか,など調べてみようというたちばである。」

とし,幽霊を相手にせず,

「幽霊を見聞するわれわれ自身の生活史の一部分-隠されていた未解決の精神史,民間信仰史の一面」

を相手にする,と。

そして,最後に,

「ともかく,真実らしい体験記を整理してみると,われわれが幽霊について持っていた常識は大部分間違っていたらしい。…じっさいの幽霊の中には『恨めしや-』といって出たモノはほとんどない。女性も出るが,男性もしきりに出るばかりか子供,老人の靈にも男女の別はなさそう。血みどろとか,吹出物などで醜悪な顔付きといった陰惨な姿もほとんど体験されていない。ちゃんと足があった。ミシミシと歩く音をたてながらという例が多く,足が無かったというのはむしろ少ない。服装では三角の額烏帽子といった死装束も少なく,ふだん着,外出着が多い…。タクシーを利用する幽霊が急増した。恨めしいどころか,肉親がなつかしくて会いに来ただけというのが多く,圧倒的に多いのはウナ電や電話より早く来る死亡通知の幻。明治このかたの新傾向らしいのは,何の目的で出たのかさっぱりわからないというタイプ。」

とまとめる。いまから60年近く前の編纂だが,現代もあまり変わるまい。

参考文献;
今野 円輔『日本怪談集 幽霊篇』(現代教養文庫)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2018年08月23日

ささ(笹)


「ささ」は,

笹,
篠,
小竹,

と当てる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9

によると,広義には,竹とは,

「イネ目イネ科タケ亜科のうち、木本(木)のように茎が木質化する種の総称である。通常の木本と異なり二次肥大成長はせず、これは草本(草)の特徴である。このため、タケが草本か木本かは意見が分かれる(『木#学術的な定義を巡って』も参照)。ただし、タケの近縁種は全て草本で、木本は存在しないので、近縁種に限った話題では、近縁の完全な草本と対比して、タケは木本とされることが多い。」

とし,その生育型から,

狭義のタケ,
ササ(笹),
バンブー (bamboo),

の3つに分けられる,その「笹」である。

800px-Sasa-palmata-winter.JPG



その違いは,

「バンブーは地下茎が横に伸びず、株立ちとなる。大型になり、熱帯域に多い。
タケは地下茎が横に伸び、茎は当初は鞘に包まれるが、成長するとその基部からはずれて茎が裸になる。
ササはタケと同じく地下茎が横に伸びるが、茎を包む鞘が剥がれず、枯れるまで残る。
一般にササはタケより小さいが、一部には逆転する例もあり、オカメザサはごく小さなタケ、メダケは大きくなるササである。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B5)。

『字源』によると,「笹」は,國字とあるが,『漢字源』には,

「『竹+世(何代にもはえる)』の会意文字か」

とあり,さらに,一説に,

「『竹+葉(小さい竹の葉)』の会意文字とも」

とあるので,見解は別れているようだ。「ささ」は,

くまざさ,ちまきざさ,など小形の竹の総称,

とある。「篠」(ショウ)の字は,

「竹+條(細いすじ)」

で,「しのだけ」を指す。幹が細く矢柄に用いる。「ささ」は,

小竹,

と当てるように,「ささ」は「細」,小さい意である。「ささ」(細小・少)のみで,

「小さいもの,細かいものを賞美していう」

とあり,「ささ蟹」「ささ濁り」等々と用いる。その「ささ」の意の可能性はある。

『大言海』は,「ささ」を二項に分ける。ひとつは,

小竹,
細竹,

と当てて,

「細小竹(ささたけ)の下略。或は云ふ,葉の風に吹かれて相觸るる音を名とし,竹の異名としたるなりと」

とし,

ささだけ,又は竹の異名,

とする。いまひとつは,

笹,

と当て,

「(小竹)の語の,一種の竹の名に移りしなり(神榊(さかき)の榊となり,薄(すすき)の芒(すすき)となりし類)。細小(ささ)は,自ら低きをいふこととなる,笹の字は,和字なり(節(よ)を世(よ)に寄せて作れるか))」

とあり,「笹」は,やはり『字源』のいう通り,國字ということのようである。

こうみると,「細小」の「ささ」が「笹」となったか,と思われる。擬音語「ささ」は,『擬音語・擬態語辞典』によれば,「ささっ」は,

「鎌倉時代から『ささ』の形で見える。」

とある。新しい使い方のようなのである。『デジタル大辞泉』に載る「ささ」の用例は,

水が勢いよく流れたり注ぎかかったりするさま。「あがきの水、前板までささとかかりけるを」〈徒然・一一四〉
風が吹くさま。「扇をひろげて、殿上をささとあふぎ散らして」〈盛衰記・三〉
動きの速いさま。「人々のささと走れば」〈大鏡・道長下〉
大勢の人々が口々に物をいってさわがしいさま。また、一時に笑うさま。「聴聞衆ども、ささと笑ひてまかりにき」〈大鏡・道長下〉

と,鎌倉時代である(古くは,「さざ」と濁ったようである。あくまで,「水の擬音」として使われてきた。「ささ」と風音に使うようになったのが,鎌倉時代以降ある)。やはり,たぶん竹と比べて「細小(ささ)」から,「ささ」となったと見るのが妥当に思える。『日本語の語源』も,

いささたけ(細小竹)

から「ささ」となったとしている。『日本語源広辞典』には,

「『ササ(わずかな,ちいさい,細,小)』です。万葉集の『わが宿のイササ群竹吹く風の』のイも,ササも小さい意味です。笹の字は国字です。『竹+世(葉擦れの音)』。竹の葉擦れの音を文字にしたものです。」

とある。その他,『日本語源大辞典』には,

サシノハ(小篠葉)の義(日本語原学=林甕臣),

も載るが,「細小」説の一種とみていい。

なお,酒を「ささ」というのは,女房詞かららしいが,

「さけ」の「さ」を重ねたものとも,
中国で酒を竹葉といったことからとも,

いうらしい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:ささ 小竹
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2018年08月24日

ささ(酒)


「酒」は,

ささ,

とも言う。

Sake_set.jpg

(酒器に酌まれた日本酒。盃(左)、猪口(中央)、枡 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%85%92より)

「酒をいう女房詞」

らしいが,『広辞苑』には,

「『さけ』の『さ』を重ねた語。一説に,中国で酒のことを竹葉というのに基づくとする」

とある。『デジタル大辞泉』にも,

「中国で酒を竹葉といったことからとも、『さけ』の『さ』を重ねたものともいう」

とある。『岩波古語辞典』では,「ささ(笹・小竹)」の項に,載せる。「笹」とどんな関係があるのか。『たべもの語源辞典』は,「さけ」の語源として,

「中国で酒の異名を竹葉というが,竹葉から笹となり酒となったなどのこじつけ」

と一蹴するが,「さけ」の語源かどうかはさておき,「竹葉」の故事自体は,室町時代の古辞書『土蓋嚢抄』(1446)に,

酒ヲ竹葉ト云事ハ如何,

に応えて,

竹ノ葉ノ露タマリ。酒ト成ル故ニ。竹葉ト云ト,

とあり,

昔漢朝ニ劉石〔リウセキ〕ト云者アリキ。繼母ニ合テケルカ。其繼母我ガ實子ニハ能飯〔イヒ〕ヲ食セ。孤子〔マヽコ〕ニハ糟糠〔サウカウ〕ノ飯ヲ與ヘケリ。劉石是ヲ不得食シテ。家近キ所ニ木ノ股ノ有ケルニ。棄置ケリ。自然ニ雨水落積テ,漸ク乱レテ後芳バシカリシカハ,劉石之ヲ試ルニ其味ヒ妙ナリ。仍テ竹ノ葉ヲ折テ指覆フ。其心ヲ以テ酒ヲ作テ國王奉リシカ。味ヒ比无(ナク)シテ褒美ニ預リ。献賞ヲ蒙テ家富ミケル也。是ニ依テ。酒ヲ竹葉ト云云。

と,由来を述べている(https://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/Ko_sake_nomi.htmlより),という。竹の葉を折って覆ったらなぜ美酒になるかはともかく,こんなところから,酒を「竹葉」という謂れはある。ただ,それから,「ささ」につながるというのは,少々牽強に過ぎまいか。むしろ,「笹」は酒と関係が深いらしい。

https://sasa-japon.info/culture/sasa-sake/

には,

「日本の古い詩にも笹と酒の関係性が発見できます。
『岩魚(イワナ)にはまだならずとも笹魚(ササウオ)のササをすすむるひと筋となれ』
このように酒と笹の縁は国をまたいで古くから伝わっています。
酒をつくる時、飲む時、そこにも酒と笹とのつながりがあります。酒をつくる際、防腐剤としてもっとも古くから使われてきたのはクマ笹の葉を粉末にしたものを使う方法です。戦前まで函館の酒造所で行われていたようです。
中国では酒の発酵を止めるのにも使っていたとか……。」

と,笹と酒の関係は深そうである。で,「ささ」と言ったと説く方がまだ,わかる。「竹葉」経由では少し回りくどい。

『大言海』は,

「和訓栞,ササ『小児詞にて,サケを重ねたるにや』。小児語より婦女の語にも移りたるなり(愛(は)し,母(はは)。鶏(とり),とと。浅漬,あさあさ。数子(かずのこ),かずかず)」

と,幼児語説を採る。

『日本語源大辞典』は,

酒の異名「竹葉」を和語化した語か(嘉良喜随筆・漫画随筆・閑窓瑣談・和訓栞),
サケ(酒)ノサを重ねた語か(古事記伝・和訓栞・大言海),
人に酒をすすめる時のことばから(総合日本民俗語意考),

と挙げる。『日本語源広辞典』も,この三説をあげるが,「酒をすすめる」説について,

「イザイザの音韻変化,勧める語」を酒の名詞と思い間違った」

としている。『日本語源大辞典』は,更に,

君にササグルの略語(柴門和語類集),
三々九度の「三々」から(貞丈雑記),
「酢々」が国語化したもの(日本語原学=与謝野寛),

と,三説を紹介している。しかし,前述の,

https://sasa-japon.info/culture/sasa-sake/

が,

「群馬県や和歌山県新宮市では酒をササという文化が僅かに残っています。宮中では酒のことを表す言葉として、ササとオッコンの両方が使われています。また、『日葡辞典』には酒粕のことをササノミと載っています。」

とある。「ささ」は「さけ」の語源とつながっているのではあるまいか。

「酒」の語源については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/451957995.html

で触れたが,『岩波古語辞典』に「き」が酒の古名とあり,この「き」は,「kï」である,とする。「ki」ではない。この「き」について,

「古語時代は食べることまたは食べ物を『ケ』、飲み物はそれが転じて『キ』となった」(東雅)
「奇(く)しをつめて,キと呼び,キと呼んだ」(たべもの語源辞典)

の説が目に留まったが,『日本語源大辞典』は,

カミ(醸)の約(大言海),
キ(気)の義か(和訓栞),
ケ(饌・食)の轉(言元梯・日本古語大辞典=松岡静雄),
蛮語である(和訓八例),
キ(醗)の字音(日本語原学=与謝野寛),

と諸説載せる。どうやら,「さけ」が,『大言海』の言うような,

「サは,発語にて,サ酒(キ)の転(サ衣,サ山。清(キヨラ),ケウラ。木(キ)をケとも云ふ)」

に落ち着くとすると,「ささ」は,本来意味のなかった「さ」を,

重ねた,

とするのが妥当に思える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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ラベル:ささ さけ
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2018年09月20日

まく(巻く)


「まく」と当てる漢字は,

巻く,
捲く,
播く,
蒔く,
撒く,
枕く,
婚く,
纏く,
負く,
設く,
任く,
罷く,

等々ものすごい数になる。ただ,大まかに,

巻く,
捲く,

と,

枕く,
婚く,
纏く,



播く,
撒く,
蒔く,

と, その他由来を異にする,

負く,
設く,
任く,
罷く,

等々に別れる。同じく「まく」とはいいつつ,由来は異にする。

巻く,
捲く,

を取り上げてみる。『岩波古語辞典』には,

「一点,または一つの軸を中心にして,その周囲に渦巻状の現象や現状が生ずる意」

とあり,『大言海』には,

「圓く轉(く)る意か」

とし,

「渦の如く,クルクルと折り畳む」

とする。そして,

纏く,

をつなげ,

纏いつく,
絡み付く,

意とつなげている。そして,

枕く,

は,

「纏く意,マクラと云ふも頭に纏く物なれば云ふならむ」

とする。「枕く」は,

相手に腕をかけてかき抱く,

と,「巻く」とつながるのである。

『日本語源広辞典』は,「巻く」の語源を,

「マク(丸く包み込む)」

とする。しかしこれは,「巻く」と当てた上での後解釈に見える。『日本語源大辞典』は,『大言海』の,

マルククル(円転),

以外に,

マロカスの反モクの転か(名語記),
マロカス(丸)の義(名言通),
前に繰るの義か(和訓栞),
マルメク(円来)の義(日本語原学=林甕臣),
マロ(円)にするの意(国語溯原=大矢徹),
マルクの略か(和句解),
円く畳む意(国語の語根とその分類=大島正健),
マク(曲転)の意(言元梯),
マはムカハ(向)の約。向へあわす意(和訓集説),

等々を挙げる。当然「まる(円・丸)」との関連が気になってくる。「まる」は,『日本語源大辞典』に,

「中世期までは『丸』は一般に『まろ』と読んだが,中世後期以後,『まる』が一般化した。(中略)本来は『球状のさま』という立体としての形状をさすことが多い。平面としての『円形のさま』は,上代は『まと』,中古以降は加えて『まどか(まとか)』が用いられた。『まと』『まどか』の使用が減る中世には『まる』が平面の意をも表すことが多くなる」

とあり,「まる」は,

まろの転,

で,『岩波古語辞典』には,「まろ」の項で,

「球形の意。転じて,ひとかたまりであるさま」

と,更に意味が転じている。「まろ」の語源は,

音を発するときの口の形から(国語溯原=大矢徹・国語の語根とその分類=大島正健),
マアル(真在)の義(日本語原学=林甕臣),
マロ(転)の義(言元梯),
全の義(俚言集覧),

等々と載るが,僕には,「廻る」との関連が気になる。「廻(まは)る」は,『岩波古語辞典』には,

舞ふと同根,

で,

「平面を旋回する意」

とある。「舞う」の語源を見ていくと,『日本語源大辞典』に,

「類義語『踊る』があるが,それは本来,とびはねる意であるのに対して,『まう』は回る意」

とある。こう見ると,「巻く」は「まる」とつながり,「まる」は「廻る」とつながっていく。

「巻く」とつながる「枕く」「纏く」「婚く」は,

枕をしたときの形容から巻くの義(雉岡随筆),
マはタマ(玉),マル(丸)などの語根。腕で首を巻いて寝る意から(日本古語大辞典=松岡静雄),
体を撓めるところからマグ(曲)の意(釈日本紀),
マギヌル(纏寝)の意(亮々草子),
男女が袖を差し交えて相巻く意から(類聚名物考),

と語源は「巻く」「まる」とつながっていく。

播く,
撒く,
蒔く,

と,

負く,
設く,
任く,
罷く,

については,項を改める。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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2018年09月21日

まく(負く)


「巻く」と当てる「まく」は,関連する,

巻く,
捲く,

と,

枕く,
婚く,
纏く,

は,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/461755507.html?1537386881

で触れた,「まく」に当てる,

播く,
撒く,
蒔く,

と, その他由来を異にする,

負く,
任く,
罷く,
設く,

について,続けてみたい。

播く,撒く,蒔く,と当てる「まく」は,『岩波古語辞典』に,

投げて一様に散らばらせる,

意とある。振りまく,種をまく,といった意味になる。『日本語源広辞典』の,

「マク(粉,粒を丸く散らし落す)」

では,なにやら同語反復のきらいがある。『日本語源大辞典』は,

マアク(間明)の義(名言通),
マク(間配)の義(言元梯),
マクバルの義(和句解),
バラバラという音からか。マとバは通音(国語の語根とその分類=大島正健),
マは廻囲の義(国語本義),
マヰクの義か(和句解),
マはモリ(漏)の語幹モの転か(日本古語大辞典=松岡静雄),

と,いずれもいまひとつである。僕は,「巻く」と関連するのではないか,という気がする。種をまく時,円を描くようにに播く。振りまく時も,同様である。こういう振舞の言語表現は,ひとつらなりなのではないか。

「負く」は,敗北の意と,値段を負ける,意とがある。後者は,前者を準えているので,敗北の意が先だろう。『大言海』は,両者を別項にし,敗北の意の「負く」は,

間を譲る意か,

としている。「負けさせる」意の「負く」は,「譲る」という意味のメタファとして使われたとみていい。

「負ける」の語源について,『日本語源広辞典』は,二説挙げる。

説1は,「マク(任)+ク」。相手の意のままになる意,
説2は,「マ(間)+ク」。相手に間を譲る意,

『日本語源大辞典』は,

敵に事をまかせる意で,マカスル(任)義(名言通),
任を活用したもの(国語本義),
マロカル(転軽)の義(言元梯),
アケルの転か,またマロバス(転)の義か(志不可起),
間を開いて歩を譲るの意(国語の語根とその分類=大島正健),
マケル(目消)の義(柴門和語類集),
マはメ(目),クルはクラムの義か(和句解),
真にクグマルの意(本朝辞源=宇田甘冥),
マコトの消える意(日本声母伝),

と挙げる。やはり,「任く」との関連に着目すべきだろう。「任く」は,任せる意である。『岩波古語辞典』は,

マカセ(任)と同根,

とし,「任せ」は,

「マケ(任)と同根。物事の進行を他の自由な意志・力のままにさせる」

とする。ほぼ「負け」と重なっている。

「任す」「任せる」の語源は,『日本語源広辞典』には,

「マケ(意のままにする)+ス」

とし,『日本語源大辞典』は,

マケス(任為)の義(日本語原学=林甕臣),
人を勝たせ自分を負けにして相手次第にする意から(和句解),
モタゲサス(持挙)の義(名言通),
君の目を臣に借す意で,マカス(目借)の義(柴門和語類集),

と,ほぼ,「負かす」と重なっていく。「負く」と「任く」は,同じ意味を,違う言い方で言っているだけに見える。敗北し,意に任かす,と。『大言海』は,「任く」の項で,

罷(まか)らすの約,

とするので,「罷く」ともつながっていく。「罷る」は,『岩波古語辞典』で,

マカセ(任)・マケ(任)と同根。天皇・主人など,自分を支配する者の命ずるままに,行ったりする意。自分の石に依らず相手の意志に従って動くので,相手に敬意を表することになり,後には謙譲表現になった」

とある。こうみると,先ず物理的な敗北の,

負く,

があり,次に心理的な敗北・隷属の,

任く,

があり,遂に下から見上げる隷属の目線から,謙譲の,

罷く,

となる,という変化であろうか。

「設く」は,設ける意だが,この「まく」だけは,独立のようである。「まく」は,「まうく」「もうく」と変化して用いられる。『岩波古語辞典』に,

将来の事態を見込んでそれに応じた用意をする意,

とある。この「設ける」は,「儲ける」に通じる。

マウクル(間受)の義(言元梯・国語の語根とその分類=大島正健),
マチウク(待受)の義(名言通。和訓栞・本朝辞源=宇田甘冥),
マウケ(待請)の義(柴門和語類集),

と,マチウケという含意でいいのだろう。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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2018年09月25日

まる(麿・丸)


麿,
丸,

と当てる「まる」は,

まる(丸・円)

で触れた「まる(丸・円)」と同じく,

まろ,

の転である。「まろ」は,

麻呂,
麿,

と当てる。

「一人称,主として平安時代以降,上下,男女を通じて使われた」(『広辞苑第5版』),

とあり,『大言海』は,「まろ(麿・麻呂)」の項を三つ別に立てている。第一は,

「麿は麻呂の合字,生(うまれ)の約轉かと云ふ。我と云ふも生(あれ)なるべく(稗田阿礼など名とせしもあり),生子(むすこ),生女(むすめ)など,生まれた子の称あり。親より子を生(まろ)と云ひ,子自らも呼ぶやうになり,生(あ)れ継ぐ男子(おのこご)の称となりしなるべし」

とある。そして,意味を,

親より子を親しみて呼ぶ語(後世,子を坊と呼ぶが如し),
男子の名とする語,後,美称となり,高貴の児童の名に加ふ,
父母愛して,吾が見の如く思ふ由にて名づく。転じて,丸とも書く,

とする。二項目の「まろ(麿・麻呂)」は,

自称の代名詞。われ,の意,

で,三項目の「「まる(麿・麻呂)」は,

自称より転じて,人名の下に用いる,

とある。この経緯は,『岩波古語辞典』に,

「奈良時代には,多く男子の名に用いた語。平安時代には広く男女にわたって自称の語として使われ,親愛の情の籠められた表現であった。室町時代転じてマルになり,接尾語となった。」

とある。『日本語源大辞典』にも,

「名称の構成要素として,あるいは自称の代名詞として『まろ』を用いることがあるが,やはり中世期に『まる』に転じている。」

とある。どうやら,

子供への親愛の情のマロ,
から,
男の子の名前,
となり,
男女の自称,
となり,

遂に,接尾語となって,

犬の名,

としても,用いられるに至る。接尾語として,「まる」と転じて以降,「丸」と表記して,「牛若丸」というような人の名以外に,

名刀の名(蜘蛛切丸),
鎧(胴丸・筒丸),
楽器の名(富士丸,獅子丸),
船舶の名,

等々へと転用されていく。この「まろ→まる」は,円・丸の「まろ→まる」と,音は重なるが,別系統なのではないか,という気がする。この流れは,「丸・えん」の意味の流れとはまったく交わることはない。

船の名が愛称の流れからきているというのは,どうかと思うが,

「日本の船名のあとにつけられる語で,使われた上限は 12世紀末期までさかのぼる。一般に普及したのは室町時代以後で,小船を除いてほとんどの船が船名のあとにこの丸号をつけた。その由来には諸説があって,定説はない。しかし目下のところでは,刀や楽器などに丸をつけたのと同様に,船主が自己の所有船に対する愛称として用いたとする説が最も無難のようである。」(『ブリタニカ国際大百科事典』)

とある。ただ,この他に,

「本丸、一の丸などといった城の構造物を呼ぶときの「丸」からとられたという説。つまり船を城に見立てた」

という説がある(今日の船名は,明治期に制定された船舶法取扱手続きに、「船舶ノ名称ニハ成ルベク其ノ末尾ニ丸ノ字ヲ附セシムベシ」という項があり、これが今日の日本商船の船名に「丸」がつく大きな理由になったものらしいhttps://www.jsanet.or.jp/seminar/text/seminar_029.html

城の「本丸」「二の丸」は,曲輪(くるわ)から来ている。郭(くるわ)とも書くが,これは,

「古築城は,くるくると円くめぐらせたり,丸と云ふ,是なり」(『大言海』)

と,その形状から来ている。あるいは,

「螺旋状に築くところから」

とも言われるのは,同じである。つまり,城の「本丸」「二の丸」は丸い曲輪の形状から,「まろ(円・丸)」から来ている。とすると,船は,その系譜ではなく,「まろ(麻呂・麿)」の系譜ということになる。

800px-Scale_model_of_Chihaya_castle.jpg

(多数の曲輪で構成された中世山城(千早城) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B2%E8%BC%AAより)


形状からでないとすると,では,「まろ(麿・麻呂)」の語源はどこから来たか。『大言海』は,

生(うまれ)の約轉,

としたが,『日本語源大辞典』は,

マルは不浄を入れる容器。鬼魔も嫌うものであるところから,それらが近づかないように祈願してつけたもの,また人徳円満の意をも兼ねる(海録所引貞丈漫筆・続無名抄),
ものをよく知っている人を言う角に対する丸の意から,卑下して付けたもの(松屋筆記所引宗固随筆),

を挙げるが,いずれもちょっと首肯しがたい。その謂われで,自称の名に用いるとは思えない。たしかに,「まる(放)」には排泄の意があるが,古形は「まろ」であったことを考えると,『大言海』説,

生(うまれ)の約轉,

以上の説は見当たらない。

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2019年01月12日


「霜」は,いうまでもなく,

「0℃以下に冷えた物体の表面に、空気中の水蒸気が昇華(固体化)し、氷の結晶として堆積したもの」

である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%9C)。

「霜」(漢音ソウ,呉音シュウ)の字は,

「会意兼形声。『雨+音符相(たてにむかいあう,別々に並び立つ)』。霜柱がたてに並び立つことに着目したもの」

とある(『漢字源』)。これだと,「霜」ではなく,「霜柱」の意になる。しかし,意味は,

しも,
空気中の水蒸気が夜間地上で凍ったもの,

とある。「霜」は,

「地中の水分が凍ってできる霜柱(しもばしら)とは異なる。」

とある(仝上)のだが,あるいは,霜柱と霜とは厳密に区別しなかったのかもしれない。『日本語源広辞典』は,

「雨(水蒸気)+相(バラバラにわかれる)」

とし,別に,

「形声文字です(雨+相)。『天の雲から水滴がしたたり落ちる』象形と『大地を覆う木の象形と人の目の象形』(「木の姿を見る」の意味だが、ここでは、『喪(ソウ)』に通じ(同じ読みを持つ『喪』と同じ意味を持つようになって)、『失う』の意味)から、万物を枯らし見失わせる『しも』を意味する『霜』という漢字が成り立ちました。」

とする説(https://okjiten.jp/kanji1974.html)もある。これは,「相」(呉音ソウ,漢音ショウ)の字の解釈の違いらしい。『漢字源』は,

「会意。『木+目』の会意文字で,木を対象にいて目でみること。AとBとが向き合う関係を表す。」

とし,

「爽(ソウ 離れて対する),霜(ソウ 離れて向き合うしも柱),胥(ショ)はその語尾がてんじたことばで,相と同じ意」

とする。霜柱と霜の混同は気になるが,『漢字源』に従っておく。

『岩波古語辞典』には,「しも」の「も」は,

「上代moかmöか不明」

とある。あるいは,「しも」という言葉自体が,「霜」と一緒に入ってきたのかもしれない,と思いたくなる。

『大言海』は,

「万物萎む意なりと云ふ。凍(し)みに通ず」

とする。『日本語源広辞典』も,

「シミ(凍み)の音韻変化,シミ」

とし,異説として,

「『シ(密生)+モ(付着する)』が語源で,水分の結晶が密に付着するものがシモだという説もあります」

とする。

『日本語源大辞典』は,

草木がシボム(萎)ところから(名言通・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子),
シモ(下)にあるところから(日本釈名・滑稽雑誌所引和訓義解・類聚名義抄・柴門和語類集),
シロ(白)の義(言元梯),
シはシロ(白),モはサムイ(寒)の意という(日本釈名),
シミシロ(凍代)の義(日本語原学=林甕臣),
シマウカレ(気渾沌)の約(松屋棟梁集),

等々を載せ, 『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/si/shimo.html)も,

しも(下)にあるところからとする説,
草木がしぼむところから「しぼむ(萎む)」の意,
「しみ(凍み)」に 通じる,
「し」が「白」,「も」が「寒い」もしくは「毛(もう)」の意味,

等々挙げただけで,「語源は不明」とする。

僕には,意味ではなく,現象を表現した「「凍み」(『大言海』)が一番気になる。屁理屈よりは,その現象を端的に言い表わすとすれば,「凍み」だろう。

「しみ」は,『岩波古語辞典』に,

「凍りつくような激しいものが冷え縮む意。『しみこほり』という複合語で使われることが多い」

とある。『大言海』は,

「寒さ染む意か,又締むる意か」

とある。これが,

simi→simo,

と転嫁したと考えるのが,言葉の意味からも,僕には妥当に思える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
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コトバの辞典;
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スキル事典;
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書評
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2019年03月22日

へつらう


「へつらう」は,

諂う,
諛う,

と当てる。

人の気に入るように振舞う,媚びる,おもねる,

意である。

「諂」(テン)の字は,

「会意兼形声。臽(カン・タン)は,くぼむ,穴に落すの意をあらわす。諂はそれを音符とし,言を加えた字。わざとへりくだって足いてを穴に落すこと」

とあり(『漢字源』),へつらう,人の気にいるようなことをいってこびる意である。

「諛」(ユ)の字は,

「改憲形声。臾(ユ)は,両手の間から物がくねくねとぬけることを示す会意文字。諛は『言+音符諛(くねくねとすりぬける)』」

とあり(仝上),意味は,へつらうだが,言葉を曲げて相手のすきにつけこむ,とあるので,「諂」より,多少作為が際立つのかもしれない。

『大言海』には,

「謙(へ)りつらふの略。…ほとりへつくやうの略。とかくに君の方によりそひて,心をとらむとする形容より云ふ」

とあり,

利のために,他の心を喜ばせ敬う,

意とある。さらに,「つらふ」において,

拏,

と当てて,

「万葉集『散釣相(サニツラフ)』同『丹頬合(につらふ)』の釣合(つら)ふにて,牽合(つりあ)ふの約(関合(かかりあ)ふ,かからふ),縺合(もつれあ)ふの意なり。」

と指摘し,

「争(すま)ふ。かにかくとあつかふ。此語,他語と熟語となりて用ゐらる。『引つらふ』(牽)。『挙げつせふ』(論),『関づらふ』『為(し)つらふ』『詫びつらふ』『言ひづらふ』『謙(へ)つらふ,へつらふ』(諂)などの類あり」

とする。「へ(謙)る」は,

減ると同根,

らしく(『岩波古語辞典』『大言海』),

おのれを卑下す,

つまり,

おのれを削る,

意である。こう見ると,

へつらう,

は,

おのれを引き下げて,相手を持ち上げ,あれこれと言葉と振舞いで「つらひ」て,媚びる,

意となり,同義の,

おもねる,

の,

迎合する,

意に比べると,かなり意図的に自分を下げ,相手を持ち上げている作為が目立つ。

諂う,
諛う,

の字を当てた所以である。『日本語源広辞典』は,二説挙げる。

説1は,「へ(謙)+つらふ」,
説2は,「へ(辺)+つらう(連なる),

『日本語源大辞典』は,これを,

「動詞『へる(謙)』の連用形『へり』に接尾語『つらふ』が結合した説」
「動詞『へつかふ』と語構成が類似し,意味にも共通性がかんじられるところから,『あたり』を意味する『へ(辺)』に『つらふ』が連接したとみる説」

と整理する。しかし「へつかふ」は,

そばにつく,
舟が岸につく,

意である。そこにへりくだる意はない。語呂からの類推に過ぎない気がする。

「『阿る』は『上司に阿る』『権力に阿る』といったように人に対しても見えないものに対しても使いますが、『諂う』は『権力に諂う』といったように見えないものに対しては使いません。『上役に諂う』『リーダーに諂う』と人に対して使います。『諂う』は『人に気に入られるように、自分を必要以上に卑下して振る舞う』と、マイナスな意味が含まれます。『阿る』よりも『諂う』の方が、自尊心の低さや偏屈さが感じられます。」

と比較している(https://eigobu.jp/magazine/omoneru)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
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2019年04月12日

皮肉


「皮肉」は,

皮と肉。転じて,からだ,

の意であり,

(骨と髄にまで達していない意)うわべ,表面,理解や解釈の浅い所,

の意まではよく分かる。しかし,

意地のわるい言動。骨身にこたえるような痛烈な非難。また,遠まわしに意地悪を言ったりしたりすること。また,そのさま。あてこすり,

さらに,それをメタファにした,「運命の皮肉」というような,

思いどおりにならず,都合の悪いこと,また,そのさま,
物事が予想や期待に相違した結果になること,

という意味(『広辞苑第5版』『精選版 日本国語大辞典』)に使う語原が分からない。『字源』には,

いぢわるく,あてこすりに云ふ,

は,我が国だけの使用とある。どこから来たのか。『字源』には,

皮肉之見,

という言葉が載る。

あさはかなる悟り,

の意味として,『傳燈録』から,

「達磨欲西返天竺,乃命門人曰時将至矣,汝等蓋各言所得乎,時門人道副對曰,如我所見,不執文字不離文字,而為道用,師曰,汝得吾皮,尼総持曰,我今所解,如慶喜見阿閦佛國。一見更不再見,師曰,得吾肉,道育曰,四大本空,五陰非有,而我見處無一法可得,師曰,汝得吾骨,最後慧可禮拝後依位而立,師曰,汝得吾髄」

を引く。つまり,

「道副は『文字に執せず、文字を離れず、而も道用を為す』(仏法は言葉ではないが、そのことを言葉で徹底的に説明することも必要である)と言った。これに対して達磨は『汝吾が皮を得たり』と言った。
 尼総持は『慶喜(釈尊の弟子「阿難」)の阿シュク仏国(理想世界)を見るに一見して再び見ざるが如し』(阿難が釈尊に阿シュク仏国(理想世界)を見せてもらった故事を踏まえて、私は理想を追い求めない)と言った。これに対し達磨は『汝吾が肉を得たり』と言った。
 道育は『四大(肉体)本空、五陰(「色受想行識」即ち精神作用)有に非ず、而も吾が見處、一法の得可き無し』(肉体も本来一時的な存在であるし、精神作用も実在ではない、従って『これこそ絶対真実』というようなものはない)と言った。これには達磨は「汝吾が骨を得たり」と言った。
 慧可は前に進み出て達磨に礼拝して後、『位に依って立つ』(依位而立)即ち師に侍立した場合に弟子の居るべき定位置即ち師の斜め左後に立った。そこで達磨は『汝吾が髄を得たり』と言い,慧可に伝法付衣(袈裟)した。」

というエピソードである(http://zazen-ozaki-syokaku.c.ooco.jp/zen.html)。

この達磨大師の「皮肉骨髄」を,「皮肉」の語源とする説が,ネット上では大勢である。たとえば,

「その由来について調べていると、中国禅宗の達磨大師の言葉「皮肉骨髄(ひにくこつずい)」からくる仏教用語であることがわかった。…『我が皮を得たり』『我が肉を得たり』『我が骨を得たり』『我が髄を得たり』。弟子たちの修行を評価した達磨大師の言葉である。ただその意味するところはたいへん深く、骨や髄は『要点』や『心の底』のたとえつまり本質を理解しだしたということを意味するというのだ。たいして皮や肉は表面にあることから本質を理解していないという意味の非難の言葉。皮 肉 骨 髄 と四段階評価と行きたいところだが、肉と骨の間は途方もなく広いようである。これこそ皮肉かな悪い批評の言葉である骨と皮だけがセットとして残り、欠点などを非難する意味で使われるようになってしまったというわけ。」(https://www.yuraimemo.com/2686/

あるいは,

「皮肉は、中国禅宗の達磨大師の『皮肉骨髄(ひにくこつずい)』が語源で、仏教用語。『皮肉骨髄』とは、『我が皮を得たり』『我が肉を得たり』『我が骨を得たり』『我が髄を得たり』と大師が弟子たちの修行を評価した言葉である。
骨や髄は『要点』や『心の底』の喩えで『本質の理解』を意味し、皮や肉は表面にあることから「本質を理解していない」といった非難の言葉であった。そこから、皮肉だけが批評の言葉として残り、欠点などを非難する意味で使われるようになった。」(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1418752854

こうした語源説の淵源は,

「皮肉は、中国禅宗の達磨大師の『皮肉骨髄(ひにくこつずい)』が語源で、元仏教語。『皮肉骨髄』とは、『我が皮を得たり』『我が肉を得たり』『我が骨を得たり』『我が髄を得たり』と、大師が弟子たちの修行を評価した言葉である。 骨や髄は『要点』や『心の底』の喩えで『本質の理解』を意味し、皮や肉は表面にあることから『本質を理解していない』といった非難の言葉であった。そこから,皮肉だけが批評の言葉として残り、欠点などを非難する意味で使われるようになった」

である(『語源由来辞典』http://gogen-allguide.com/hi/hiniku.html)。しかし,

「骨や髄は『要点』や『心の底』の喩えで『本質の理解』を意味し、皮や肉は表面にあることから『本質を理解していない』といった非難の言葉であった。」

というのは,『語源由来辞典』の書き手の主観ではあるまいか。この達磨の言葉を見ると,神髄は,

「慧可が、ただ黙って達磨に礼拝して、もとの位置につく。それをみて、『汝はわが髄を得たり』」

にのみ焦点を当てているし,現に,

「達磨大師が慧可を後継者としたのは、釈尊がある日、弟子に説法しているとき、一本の花をひねって見せたが、誰もその真意が分からず沈黙していたときに、摩訶迦葉だけがにっこりと笑った。釈尊は、言葉で言い表せない奥義を理解できる者として、彼に伝法の奥義を授けた。この拈華微笑(ねんげみしょう)の故事から、他の三人が論を立て、悟りの中身を言葉で伝えようとしたのとは対照的に、慧可が黙って達磨に礼拝して元の位置についたことは、以心伝心を尊ぶ禅の不立文字(ふりゅうもんじ)の真髄を表している。」(https://shorinjikempo.or.jp/magazine/vol-46%E3%80%80%E7%9A%AE%E8%82%89%E9%AA%A8%E9%AB%84%E3%81%AE%E8%A8%93%E6%88%92.html)。

とあるように,後継者になったのは,慧可である。しかし,

「達磨は各門人の修行の成果を表す陳述に対し、達磨自身の皮肉骨髄、即ち道副は皮、尼総持は肉、道育は骨、慧可は髄、つまり各々仏法を受け継いだとして各人に印可を授与した。」

のである(http://zazen-ozaki-syokaku.c.ooco.jp/zen.html)。つまり,

「ここで特に注意すべきは、通常一般の解釈は、彼等弟子たちの間に優劣を認め、髄を得た慧可が最高であるから達磨の法を継いだとする。然し道元禅師は『皮肉骨髄』に『浅深』の格差はないとされる。即ち身体において皮肉骨髄は等しく必要なものであり、どれひとつ欠けても身体は成り立たない。これらに格差を認める考え方は、比較分別に終始する自我中心の人間世界の立場であって、尽十方界即ち仏法を学んだことのない者の考えであると言われる。」

のである(仝上)。

では,

皮肉之見,

が,今日の,

あてこすり,

嫌味,

イロニー,

の「皮肉」になったと言っていいのか。「皮肉之見」は,ただ皮相ということをいっている状態表現だが,それが価値表現へ転じた,ということでいいのだろうか。その可能性はあるが,それを言っているのは,『語源由来辞典』のみであるのに,いささかためらう。ここは,よく謬説を流布するから。

実は,

意地のわるい言動。骨身にこたえるような痛烈な非難。また、遠まわしに意地悪を言ったりしたりすること。また、そのさま。あてこすり。
思いどおりにならず、都合の悪いこと。難儀。また、そのさま。「運命の皮肉」

の意で使う(精選版 日本国語大辞典)用例は,ほぼ江戸時代以降なのである。『江戸語大辞典』には,

①芝居者用語。意地の悪い言葉,風刺的(「劇場にては意地わろき皮肉といふ」(文政八年・兎園小説),「誠に皮肉な唄だねへ」天保六年・春色辰巳園),
②難儀(「高くとまって,芸者や幇間に難儀(ひにく)をさせるお客なら」天保十年・梅の春),

とある。これがどこから来たかは定かではないが,仏教用語のみとは思えない。『日本語源広辞典』が,

「中国語で『皮+肉』が語源です。もとは身体の意です。
説1は,『怨恨が多の肉体に乗り移る,の肉体』の意です。
説2は,『文字通り,皮と肉と離れるように,つらく苦しい』意です。
説3は,『骨髄に対してうわべ,表面』の意です。
説4は『皮と肉の間の境めのきわどい,微妙さ』の意で,痛いところ,弱み,急所をいいます。ところが近世にはいって,意地の悪い言動にも使うようになり,明治以後,現在に至るまで,上記3の意の発展形として,『骨身にこたえるような痛烈な避難』とか,4の発展として,『遠まわしに微妙に意地悪を言ったりする』とかの表現に発展したものと思われる」

とする。説3は「皮肉之見」から来ている。説1は,謬説のように見えるが,『江戸語大辞典』に,

皮肉に分け入る,

という言葉があり,

一念が,相手の身体の中に侵入する,他人の肉体に乗り移る,

意で使われている(「法外(人の名)がひにくにわけいり,われわれが道にいざなはん」安永5年・高漫斉行脚日記)。これは,皮と肉の間とも読める。説4は,

皮肉も離るる,

という言葉があり,

辛く苦しい形容,

として使われる(「恩愛切なる歎きのうへに,かかるかなしき調べをきけば,皮肉もはなるるここちして」分化3年・昔話稲妻表紙)。

こうみると,「皮肉之見」も流れとしてあるかもしれないが,

皮肉も離るる,
皮肉に分け入る,

という状態表現の,

辛く苦しい,
一念が相手に入り込む,

意が,価値表現として,

嫌味,
あてこすり,
イロニー,

の意へと,混ざり合ったというのが正確にようである。江戸時代に淵源がある以上,無論,

皮肉之見,

を権威づけに使ったのかもしれない。しかし,少なくとも,

皮相,

の含意は,今日薄い。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2019年05月02日

奥行


古井由吉『この道』を読む。

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好きな作家の近作である。八十路を超えてなお,この旺盛な筆力はただ事ではない。二歳年長の健三郎は新作を書かなくなって久しいのに比べると,その筆力は際立つ。

古井由吉については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/423068214.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/395877879.html

で近作については触れたが,その作品構造については,

http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic1-1.htm#%E8%AA%9E%E3%82%8A%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%AF%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%96

で分析したことがある。その特徴は,文体そのものが,皺のように,いくつもの現代過去未来が重なった言葉の奥行,

と,

作品そのものの語りの構造が,次々と入子のように次元を重ねていく作品世界の奥行,

と,二つの奥行にある,と思っている。

二つがこの作品集も僅かに残っている。処女作『木曜日に』で,

「私」は、宿の人々への礼状を書きあぐねていたある夜更け、「私の眼に何かがありありと見えてきた」ものを現前化する。

 それは木目だった。山の風雨に曝されて灰色になった板戸の木目だった。私はその戸をいましがた、まだ朝日の届かない森の中で閉じたところだった。そして、なぜかそれをまじまじと眺めている。と、木目が動きはじめた。木質の中に固く封じこめられて、もう生命のなごりもない乾からびた節の中から、奇妙なリズムにのって、ふくよかな木目がつぎつぎと生まれてくる。数かぎりない同心円が若々しくひしめきあって輪をひろげ、やがて成長しきると、うっとりと身をくねらせて板戸の表面を流れ、見つめる私の目を眠気の中に誘いこんだ。

厳密に言うと、木目を見ていたのは、手紙を書きあぐねている〃とき〃の「私」ではなく、森の山小屋にいた〃そのとき〃〃そこ〃にいた「私」であり、その「私」が見ていたものを「私」が語っている。つまり、

 ①「私」について語っている〃いま〃
 ②「私」が礼状を書きあぐねていた夜更けの〃とき〃
 ③山小屋の中で木目を見ていた〃とき〃
 ④木目になって感じている〃とき〃

の四層が語られている。しかし、木目を見ていた〃とき〃に立つうちに、それを見ていたはずの「私」が背後に隠れ、「私」は木目そのものの中に入り込み、木目そのもののに〃成って〃、木目が語っているように「うっとり」と語る。見ていたはずの「私」は、木目と浸透しあっている。動き出した木目の感覚に共感して、「私」自身の体感が「うっとり」と誘い出され、その体感でまた木目の体感を感じ取っている。

こういう時間の折り畳まれた文章は,この作品集にはない。もう一つの作品構造の入子も,この作品集には,「たなごころ」にしか見られなくなっている。

僕は文体の,いくつもの次元を折り畳んだような複雑な語りもいいが,この作家の最大の特色は,語りの次元が次々と入れ替わり,入子のように複雑に語りの空間を折り重ねていく,語りの奥行が好きだ。それは,「哀原」で,典型的に見られた。

 語り手の「私」は、死期の近い友人が七日間転がり込んでいた女性から、その間の友人について話を聞く。その女性の語りの中に、語りの〃とき〃が二重に入子となっている。

 一つは、友人(文中では「彼」)と一緒にいた〃とき〃についての女性の語り。

 お前、死んではいなかったんだな、こんなところで暮らしていたのか、俺は十何年間苦しみにくるしんだぞ、と彼は彼女の肩を掴んで泣き出した。実際にもう一人の女がすっと入って来たような、そんな戦慄が部屋中にみなぎった。彼女は十幾つも年上の男の広い背中を夢中でさすりながら、この人は狂っている、と底なしの不安の中へ吸いこまれかけたが、狂って来たからにはあたしのものだ、とはじめて湧き上がってきた独占欲に支えられた。

 これを語る女性の語りの向う側に、彼女が「私」に語っていた〃とき〃ではなく、その語りの中の〃とき〃が現前する。「私」の視線は〃そこ〃まで届いている。「私」がいるのは、彼女の話を聞いている〃そのとき〃でしかないのに、「私」は、その話の語り手となって、友人が彼女のアパートにやってきた〃そのとき〃に滑り込み、彼女の視線になって、彼女のパースペクティブで、〃そのとき〃を現前させている。「私」の語りのパースペクティブは、彼女の視点で見る〃そのとき〃を入子にしている。

 もう一つは、女性の語りの中で、男が女性に語ったもうひとつの語り。

 或る日、兄は妹をいきなり川へ突き落とした。妹はさすがに恨めしげな目で兄を見つめた。しかしやはり声は立てず、すこしもがけば岸に届くのに、立てば胸ぐらいの深さなのに、流れに仰向けに身をゆだねたまま、なにやらぶつぶつ唇を動かす顔がやがて波に浮き沈みしはじめた。兄は仰天して岸を二、三間も走り、足場の良いところへ先回りして、流れてくる身体を引っぱりあげた。

 と、そこは、「私」のいる場所でも、女性が友人に耳を傾けていた場所でもない。まして「私」が女性のパースペクティブの中へ滑り込んで、その眼差しに添って語っているのでもない。彼女に語った友人の追憶話の中の〃そのとき〃を現前させ、友人の視線に沿って眺め、友人に〃成って〃、その感情に即して妹を見ているのである。

 時間の層としてみれば、「私」の語る〃とき〃、彼女の話を聞いている〃とき〃、彼女が友人の話を聞いている〃とき〃、更に友人が妹を川へ突き落とした〃とき〃が、一瞬の中に現前していることになる。

 また、語りの構造から見ると、「私」の語りのパースペクティブの中に、女性の語りがあり、その中に、更に友人の語りがあり、その中にさらに友人の過去が入子になっている、ということになる。しかも「私」は、女性のいた〃そのとき〃に立ち会い、友人の追憶に寄り添って、「友人」のいた〃そのとき〃をも見ている。〃そのとき〃「私」は、女性のいるそこにも、友人の語りのそこにもいない。「私」は、眼差しそのものになって、重層化した入子のパースペクティブ全てを貫いている。

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いってみれば,語り手は,C,B,Aのそれぞれの語りの時間を,自在に行き来言する。この「哀原」を彷彿とさせたのが,「たなごころ」であった。

 あの石を,とうとう拾って来なかったな,と病人は悔やむように言った。

とはじまる文章は,語り手は病人の譫言を聴いていたはずである。しかし,いつの間にか,その病人自身になって(いるかのように),

 さきのほうを行く人の姿が樹間に遠くなったり近くなったりする。

と,山を登る若者の視点に移り,

 ひとりになった。老人の腰をおろしていた石の上をあらためて眺めると,左の脇のほうに,掌の内におさまるほどの小石がある。そこに置かれたように見えた。黒く脂光りするまるい石だった。手に取れば温みが残っている。(中略)
この日のささやかな記念に持って帰ろうかと考えたが,間違いもあることだろうからと思いなおして,石を元のところにそっともどし,腹もまだすいていないので,もうひとつ先の峠を目あてに,尾根づたいの道を取ることにした。

と,冒頭の取ってこなかった「石」の話で締めくくる。かつてのような意識的な視点の移動というよりは,その思いを代弁しているような軽みがある。作品集全体に,語られているのが,死や病でありながら,どこか軽みがあるのも,同じかも知れない。どちらかというと,かつての文体の方が好きなのだが。

参考文献;
古井由吉『この道』(講談社)

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2019年10月06日

なう


「あきなふ(う)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/470686640.html?1570218138で触れたように、「あきなう」の「なう」は、

接尾語、

とみられる(広辞苑)。これは、

おこなう、
あがなう、
になう、
ともなう、
つぐなう、
いざなう、
おぎなう、
そこなう、
うべなう、
うらなう、

等々でも使われる。

「名詞を承けて四段活用の動詞を作る」

とあり、

「綯うと同根か、手先を用いて物事をつくりなす意から、上の体言の行為・動作をする意に転じたものであろう」

ともある(岩波古語辞典)。「綯う」は、

縄と同根、

とある(仝上)。「綯う」は、

数多くの線を交へ合はせゆく、
左右相交ふ、
あざなふ、
撚る、

意である(大言海)つまり、

撚り合わせる、

意である。その意味から見ると、

縄と同根、

がわかりやすいが、

あわせる意のナラフ(効)の義(名言通)、
ナフ(永延)の義(言元梯)、
ナヨラカによる意から(国語の語根とその分類=大島正健)、

等々の他説は、「なう」の同義語から探ろうとしている。やはり、「縄」が妥当に思える。「縄」は、

朝鮮語noと同源、

とする説(岩波古語辞典)もあるが、

綯藁(なひわら)の略ならむ。直(なほ)に通ず、

とある(大言海)。これが自然に思える。

「綯う」は、いずれにしても、限定された、

撚り合わせる、

意であったものが、

手先を用いて物事をつくりなす意から、上の体言の行為・動作をする、

意に転じたとすると、合成語の成り立ちを見て、その意の転化が見えてくるだろうか。たとえば、

おこなう(行う)、

は、大言海は、

「興行(おこな)ふの義にて(贖なふ、罪なふ)、事を起こしゆく意」

としているが、同趣ながら、

「オコはオコタリ(怠)のオコと同根。儀式や勤行など、同じ形式や調子で進行する行為」

の方が、「なう」が生きる。日本語源広辞典は、

「オコ(起動)+ナフ(継続)」

とするが、ちょっと説明不足な気がする。「怠る」の「オコ」については、

「オコナヒ(行)のオコと同根。儀式や勤行など同じ形式や調子で進行する行為。タルは垂る、中途で低下する意。オコタルは、同じ調子で進む、その調子が落ちる意」

とある(岩波古語辞典)。

「あがなう(贖う)」の「あが」は、

贖(あが)ふの語根、

である(大言海)。ただ、奈良・平安時代はアカヒと清音であったらしい(岩波古語辞典)。「あがなう」は、

贖う、

と当てる、「罪の償いをする」意と、

購う、

と当てる、「何かの代償として別のあるものを手に入れる」「買う」意とは、同じである。代償として何を出すかの差のようである。

「になう」(担う)、

は、

「ニは荷。ナヒはむ動作を表す接尾語」

とあり(岩波古語辞典)、大言海の、

荷を活用す、

も同じである。

ともなう(伴う)、

は、

「トモは伴・友」

であり、「主と従とが友のように同行する」、つまり、

同伴、

の意である(岩波古語辞典)が、

「トモ(共)+ナフ(行動する)」

の方(日本語源広辞典)が妥当ではないか。

つぐなう(償う)、

は、「つぐのふ」で、室町時代まで「つくのふ」と清音。「受けた恩恵、与えた損害、犯した罪や咎などに対して、代償に値する事物・行為なとで補い報いる」(岩波古語辞典)意、っまり、

埋め合わせる、

意だが、多少解釈が異なり、

賭(ツク)のものを出す義(大言海)、
ツクはツキ(調)の古形。ノヒは…ナフ母音交代形(岩波古語辞典)、
継ぐ+ナヒ(行動)。「欠けたものを継ぐ行為」(日本語源広辞典)
ツク(給)ノフ(日本語源=賀茂百樹)、

等々あるが、埋め合わせの解釈の差である。

いざなう(誘う)、

は、誘う、勧める、勧めて連れ出すといった意だが、

率(いざ)を活用せしむ(珍(ウヅ)なふ、宜(うべ)なふ)。イザと云ひて引き立つるなり」

とある(大言海)。「いざ」は、

率、
去来、

とあて、

「イは発語、サは誘うの聲の、ササ(さあさあ)ノ、サなり。イザイザと重ねても云ふ(伊弥(イヤ)、イヤ、伊莫(イナ)、否(イナ))発語を冠するに因りて濁る。伊弉諾尊、誘ふのイザ、是なり。率(そつ)の字は、ヒキイルにて、誘引する意。開花天皇の春の日、率川宮も、古事記には伊邪川(イザカハの)宮とあり、去来の字を記す」

のは、「かへんなむいざ(帰去来)」に由来するらしい。「かへんなむいざ」は、

「帰去来と云ふ熟語の訓点なれば、イザが、語の下にあるなり。史記、帰去来辞など夙(はや)くより教科書なれば、此訓語、普遍なりしと見えて、古くより上略して、去来の二字を、イザに充て用ゐられたり」

とある(大言海)。つまり、

イザ(さあ)+ナフ、

であり、

「積極的に相手に働きかけ、自分の目指す方向へと伴う意。類義語サソフは、相手が自然にその気持ちになるように仕向ける意」

とある(岩波古語辞典)。

おぎなう(補う)、

は、「おぎぬふ」の転。「おぎぬふ」は、

「平安時代はオキヌフと清音。アクセントを考えると、オキは置くで布を破れ目の上に置く意。ヌフは縫フ意。室町時代オギヌフと濁音化。またオギノフ、オギナフの形も現れた」

とある(岩波古語辞典)ので、「おぎなう」の「なう」は、

置く+縫う、

と(日本語源大辞典)別系かもしれない。

そこなう(損なう)、

は、

「殺(そ)ぎを行う義」

とあり(大言海)、

ソコ(削)+ナフ」

も(日本語源広辞典)、同趣で、「完全であるものを不完全にする」、つまり、傷つける意となる。

うべなう(宜う)、

は、

「ウベ(宜)を活用させた語」

で、「うべ」は、もっともである、という意である。平安時代、

mbe、

と発音されたので、「むべ」と書く例が多い、とある(岩波古語辞典)が、

「ウは承諾の意のウに同じ。ベはアヘ(合)の転か。承知する意。事情を受け入れ、納得・肯定する意。類義語ゲニは、所説の真実性を現実に照らして認める意」

とある(岩波古語辞典)。

うらなう(占う)、

は、うらなうhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/452962348.htmlで触れたように、「卜する」意であり、

ウラ(心,神の心)+ナウ

となる(日本語源広辞典)。

こうみると、「なふ」は、他の語の行動を示す、というより、ついた言葉の動詞化の役に転じている。ように見える。ある意味で重宝な言葉だといえる。こんにち、

晩御飯なう、

と使われる言葉は、nowの意味から、ingの意味に転じ、

~している、

を言う言葉になっているのと、どこか似ている。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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2019年10月29日

クルミ


「クルミ」は、

胡桃、
山胡桃、

と当てる(広辞苑)。食用の利用としては、縄文時代から種実の出土事例があり、オニグルミを中心に食料として利用されていたと考えられている。オニグルミ、ヒメグルミ、ノグルミなどの名が天平時代から用いられている(たべもの語源辞典)らしい。また、

「もっとも古い記録は、天平宝字六年(七六二)十二月の『東大寺正倉院文書』に、『十八文買胡桃二升直』とあるのがそれで、次に現れるのが、大同二年(八〇七)斎部広成の撰になる『古語拾遺』に(略)『呉桃』の葉を添えて」

とありhttp://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000156162

「『延喜式』に貢納物のひとつとして記されているほか、『年料別貢雑物』では甲斐国や越前国、加賀国においてクルミの貢納が規定されており、平城宮跡出土の木簡にもクルミの貢進が記されている」

というhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%9F

日本に自生している胡桃の大半はオニグルミといい、核はゴツゴツとして非常に硬く、種子(仁)が取り出しにくい、ともある(仝上)。

Juglans_ailantifolia.jpg



「オニグルミという名は、核面のなめらかなヒメグルミに比べて、凹凸がひどいことからであるが、ヒメ(姫)は、やさしいとか柔らかいということからつけられた。ノグルミは野グルミで、まったくちがう種類の木であるが、樹がクルミに似ており野山に生える。他にサワグルミというのもある。これは沢グルミで、渓流のわきに生えるからである。カワグルミとかフジグルミともよぶが、実は食用にならない。…また、テウチグルミとよばれるものは、クルミの中で最も大きくその殻が柔らかく、手で割ることができるのでその名がある。食用として最も多く用いられ」

ている(たべもの語源辞典)、とある。

「クルミの食用となる部分は、果実の中にある仁である。仁は生でも食べるし、干したものも用いる。クルミの核は、一日ほど水につけておいてから、水気をぬぐい去って、火であぶるとすぐ割れ、仁はたやすくとれる。クルミをしぼった油は食用とするほか、種々の皮膚病にも利用され、また木器具の艶だしに使われていた。樹皮や果実の煎汁は茶褐色に、果実を黒焼きにしたものは鼠色の染料になった」(仝上)

クルミの漢名は、

核桃(かくとう)、
羗桃(きょうとう)、
万歳子(ばんざいし)、
播羅師(はんらし)、

等々あるが、「胡桃」は、

「漢の張騫が西域に使いしたとき持ち帰り、中国に伝わったという。胡から持ってきた桃というので胡桃とよぶという。実果が桃に似ていたので胡桃とした」

とある(仝上)。

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「クルミ」の語源は、大言海は、

「呉桃ともあれば、呉果(クレミ)の轉ならむ(呉(クレ)は、韓語にて、クルなり。)」

とする。同趣に説に、

呉国から渡ったものであるとちころから呉実(クレミ)の転(日本釈名・滑稽雑誌所引和訓義解・東雅)、

がある。その他、

クロミ(黒実)の転か(翁草)、
その殻の堅いところから、コルミ(凝実)の転(滑稽雑誌所引和訓義解)、
殻の中に屈曲して実があるところから、クルミ(屈実)の義(和語私臆鈔)、
円実の義(箋注和名抄)、
コモリミ(籠子)の義(言元梯)、
殻が実を包んでいるところから、クルム(包)の義(名言通)、
カラクルミミ(殻包括実)の義(日本語原学=林甕臣)、
ころころとコクル(転)ところからか(和句解)、
カル‐ミ(実)の転(名語記)、

諸説ある。「クルミ」は、古く、

「『古語拾遺』には、呉桃(クルミ)とあり、『延喜式』には呉桃子(クルミ)とある」

と「呉桃」と当ててきた。「呉桃」説をとりたいが、これは和語「くるみ」に漢字を当てて訓ませていただけで、「クルミ」の語原とは言えない。たべもの語源辞典は、

クルミ(屈実)説を採り、

「仁を食べることは実に早く知られていた。クルミの果実を見たとき、その食べられるところが大切なことを感じたであろう。そして、その核を堅くでこぼこしているものとしてよんだ」

と説く。しかし、「クリ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/458882224.htmlで触れたように、日本語の語源は,

「栗の実は焦げ茶色,胡桃の核は褐色であるが,ともにクロミ(黒実)といった。ロミ[r(om)i]の縮約でクリ(栗・万葉)になり,『ロ』が母韻交替[ou]をとげてクルミ(胡桃。源)になった。」

としている。「栗」が、

くろ(黒)み→くり(栗),

なら、「クルミ」は、

くろ(黒)み→クルミ

でいいのかもしれない。

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参考文献;
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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2019年11月16日

しぎ


「しぎ」は、

鴫、
鷸、

と当てる。「鴫」は、国字。「鷸」(漢音イツ、呉音イチ)は、

「会意兼形声。矞(イツ)は、すばやく避けるとの意を含む。鷸はそれを音符とし、鳥を加えた」

とあり、「しぎ」の意だが、「カワセミ」の意も持つ。

鷸蚌(いつぼう)之争、

という諺がある。鷸(しぎ)と蚌(はまぐり)が、くちばしと貝殻を互いに挟みあって争っているうちに、両方共漁師につかまった、という喩えである。戦国策に、

「趙且伐燕、蘇代為燕、謂恵王曰今日臣来過易水、蚌方出暴、而鷸喙其肉、蚌合而箝喙、鷸曰、今日不雨、明日不雨、即有死蚌、蚌亦謂鷸曰、今日不出、明日不出、即有死鷸、両者不肯相捨、漁者得而幷擒之、今趙且伐燕、燕趙久相支以敝大衆、臣恐強秦之為漁父也、恵王曰、善、乃止」

とある。漁夫の利である。

鷸蚌之弊(ついえ)、

ともいう。「しぎ」に関しては、

鴫の看経(かんきん)、
鴫の羽搔(はがき)、

等々という言い回しや、

鴫の羽返(はがえし)、

といった舞の手、さらに剣術・相撲の手の言い回しに使われている。

ヤマシギ.jpg



「しぎ」は、シギはシギ科に属する鳥の総称で我国では50種類以上もみられるそうだが、代表的には、イソシギ・タマシギ・アオアシシギ・アカアシシギ・ヤマシギなど、日本には旅鳥として渡来し、ふつう河原・海岸の干潟(ひがた)や河口に群棲する。古事記で、

「宇陀の 高城に 志藝(シギ)わな張る 我が待つや 志藝(シギ)は障らず いすくはし 鯨障る」

と歌われるほど馴染みの鳥で、食用にした。田にいるシギの飛び立つ羽音を詠むこともあるが、

「しぎの羽根掻き」を踏まえて、女の閨怨の譬えに多く用いる、

とある(精選版 日本国語大辞典)。「鴫の羽掻(はがき)」とは、

「鴫がしばしば嘴で羽をしごくことから、物事の回数の多いことのたとえ」

の意で使われる。大伴家持に、

「春まけて もの悲しきに さ夜ふけて 羽振(はぶ)き鳴く鴫 誰(た)が田にか棲む」

の歌があり、西行に、

「心なき 身にもあはれは しられけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ」

という歌があるが、飛び立つ姿を詠むようになるのは、源兼昌の、

「我門の おくてのひたに おどろきて むろのかり田に 鴫ぞ立つなる」

以降だそうだが、歌では「鴫」の鳴き声を詠むことは稀である(仝上)、という。飛び立つ時には「ジェー」というしわがれた声を出すせいかもしれないhttps://manyuraku.exblog.jp/10705489/

さて、「しぎ」の語源だが、大言海は、

「繁(シゲ)の転、羽音の繁き意と云ふ。字は、和名抄に、一云、田鳥(たどり)とある。合字なり」

とある。田に居るから、田と鳥を付けた作字、ということらしい。しかし、ヤマシギも、イソシギいるのだが。確かに、和名抄は、「しぎ」を、

「之木、一云田鳥、野鳥也」

とあるが。日本語源広辞典も、

シゲ、羽音が繁々し(回数が多い)、

を採っている。他には、

羽をシゴクところから、シゴキの転か(名言通)、
ハシナガキ(嘴長)の義(和句解)、
サビシキの略(滑稽雑誌所引和訓義解)、

がある。

鴫の羽搔(はがき)、

という言い回しは、羽のしごきの多さからきている。それが「しぎ」の特徴とするなら、

しごく→しごき→しぎ、

もあるのではないか。

鴫の看経(かんきん)、

は、

鴫がじっと立っている姿を経を読んでいる様(さま)に見立てたものだが、寂しさの含意がなくもないが、一茶に、

「立鴫とさし向かいたる仏哉」

という句があるらしいhttps://manyuraku.exblog.jp/10705489/ので、ちょっと違うかも。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
https://manyuraku.exblog.jp/10705489/

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2019年12月02日

雉も鳴かずば


「きじ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/459827203.htmlについては、触れたことがあるが、少し補足的に追加しておきたい。

「雉」(漢音チ、呉音ジ)は、

「会意兼形声。『隹+音符矢(シ・チ)』で、真っすぐ矢のように飛ぶ鳥の意。転じて、真っすぐな直線をはかる単位に用いる」

とある(漢字源)。

「矢は直線状に数十mとんで、地に落ちる。つまり雉とは『矢のように飛ぶ鳥』という意味である。特に雄キジの飛び方をよく表している」

とあるhttp://yachohabataki2.sakura.ne.jp/torinokotowaza%20kiji.htm

「繁殖期のオスは赤い肉腫が肥大し、縄張り争いのために赤いものに対して攻撃的になり、『ケーン』と大声で鳴き縄張り宣言をする。その後両翼を広げて胴体に打ちつけてブルブル羽音を立てる動作が、『母衣打ち(ほろうち)』と呼ばれる。メスは『チョッチョッ』と鳴く」

ともあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%B8

「きじ」は、

日本の国鳥、

であるが、国内の多くの自治体で「市町村の鳥」に指定されているにも関わらず、国鳥が狩猟対象となっているのは、世界でも珍しい例、とされる。

「日本のキジは毎年、愛鳥週間や狩猟期間前などの時期に大量に放鳥される。2004年(平成16年)度には全国で約10万羽が放鳥され、約半数が鳥獣保護区・休猟区へ、残る半数が可猟区域に放たれている。(中略)放鳥キジには足環が付いており、狩猟で捕獲された場合は報告する仕組みになっているが、捕獲報告は各都道府県ともに数羽程度で、一般的に養殖キジのほとんどが動物やワシ類などに捕食されていると考えられている。」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%B8

キジ(オス).jpg

(キジ(オス) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%B8より)


「『記紀』において天津神が天若日子(あめのわかひこ)のもとへ雉を遣わしたように、古くから神の死者とみなされていたらしく、『名言わずの鳥』という忌詞があり、特に白雉は吉兆あるものとされた」

とある(日本昔話事典)と同時に、味が美味なために、食用としても重用され、平安時代、

「宮中では、炭火で焼いた雉肉を燗酒に入れた『雉酒』を祝い酒としてふるまう習慣もあった」

とされる。「雉焼」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/471882162.html?1575144670)で触れたように、「雉酒」は、

「雉の肉の鹽焼に、熱燗の酒を注ぎたるもの。元旦の供御に奉る」(大言海)

が、「雉焼」の略である「雉焼豆腐」は、

「豆腐を二寸四方、厚さ五六分に切りて焼き、薄醤油にて味を付け、酒を沸して注けたるもの。酒のみ飲みて、豆腐は食はすものと云ふ」(大言海)

のは、この「雉酒」の名残のようである。「きじ」は歌にも登場し、

春の野にあさる雉(きぎし)の妻恋ひにおのがあたりを人にしれつつ(大伴家持)
武蔵野のをぐきが雉(きぎし)立ち別れ去(い)にし宵より背(せ)ろに逢はなふよ(不明)
春の野のしげき草葉の妻恋にとびたつ雉子のほろほろとなく    (平貞文)

等々と歌われる。

和語「きじ」は、すでに触れたように

古名きぎしの転、

である(岩波古語辞典)。古名には、

キギス、

もあるが、

「古名には『キギス』もあるが、『キジ』よりも新しく、『キギシ』の方が古い」

ようだ(語源由来辞典)。「きぎ」は、おそらく、

鳴き声、

から来た擬音語で(岩波古語辞典・語源由来辞典)、「キギシ」「キギス」の「シ」「ス」は、「カラス」「ウグイス」「ホトトギス」でなじみの、鳥を表す接尾語である。

「キギは鳴く聲。キキン,今はケンケンと云ふ。シはスと通ず。鳥に添ふる一種の音。…キギシのキギスと轉じ(夷(えみじ),エビス),今は約めてキジとなる」(大言海)

「万葉東歌,記紀歌謡の仮名表記には『きぎし』とあり,古くは多く『きぎし』と呼ばれていたが,『古今六条』には『きじ』が六首,『きぎす』が二首見られる。後者は共に万葉の歌だが,『きぎし』から『きぎす』に移行した時期は不明」(日本語源大辞典)

ということのようだ。

「雉」は、馴染みの鳥でもあるが、神の使者でもあり、桃太郎に雉が登場するのも、そんな由来からのようである(日本昔話事典)が、そのせいか、雉にまつわる諺は多い。

朝雉が鳴くは晴れ、夜鳴くは地震の兆(きざし)、
雉が三声つづけて三度叫ぶと地震あり、
雉、鶏が不時に鳴けば地震あり

と地震予知に関するものもあるが、

雉の草隠れ、
焼け野の雉子、夜の鶴、
多勢に無勢、雉と鷹、
雉子(きぎし)の頻使い、

と雉にからむ諺は少なくない(たとえば、http://yachohabataki2.sakura.ne.jp/torinokotowaza%20kiji.htm、故事ことわざの辞典)。しかし、

ものいわじ 父は長柄の人柱 鳴かずば雉も 射たれざらまし、

の歌に由来する、

キジも鳴かずば射たれまい、

の諺ほど有名なものはあるまい。「長柄(ながら)の人柱」という伝説に由来する。

現在の名柄橋.jpg



「むかし長柄橋を架設するとき、工事が難渋して困惑しきった橋奉行らが、雉の鳴声を聞きながら相談していると、一人の男が妻と2、3歳の子供を連れて通りかかり、材木に腰掛けて休息しながら、『袴の綻びを白布でつづった人をこの橋の人柱にしたらうまくいくだろう』とふとつぶやいた。ところがその男自身の袴がそのとおりだったため、たちまち男は橋奉行らに捕らえられて人柱にされてしまった。それを悲しんだ妻は『ものいへば父はながらの橋柱 なかずば雉もとらえざらまし』という歌を残して淀川に身を投じてしまった。」(神道集)

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%9F%84%E6%A9%8Bが、異説も多く、室町時代の『康富記』には、長柄橋に、子を負った女の人柱を立てた伝、男の人柱を立てたと伝える猿楽のある旨が記されている(日本伝奇伝説大辞典)。また、元禄年間の地誌『摂陽群談』に、

「西成郡垂水村の長者岩氏が人柱になったとある。岩氏には光照と呼ばれるほど美貌の娘がいたが、唖のように言葉を発することなく成長した。嫁いでもものをいうことがなく、実家に送り帰されることになった。その道中、夫が雉を射るのを見てはじめて声を発し、『物言じ父は長柄の橋柱鳴かずば雉子も射られざらまし』と吟じた。後に出家、自ら不言尼と称して父の後世を弔った」

とある(仝上)。また、あるいは、

「昔、摂津の長柄川で橋を架ける工事が行われたが、幾度、架けても流されるので、人柱を立てようということになった。そのとき、長柄の里の長者が『袴につづれのある者を人柱に立てよう』いった。ところが、袴につづれのあったのは言い出した長者自身だった。
 里人たちは、有無を言わせず、長者を捕らえて、長者を人柱にし、橋が出来上がった。長者には河内に嫁いだ娘がいたが、その娘は、この話を聞いて一言も口をきかなくなった。愛想をつかした夫は、摂津まで送り返そうと連れだって家を出て、交野まで来たとき、草むらで、『ケン ケン』とキジが鳴いた。夫は弓矢で射ろうとすると、娘は、懸命に止めた。夫は、いぶかしそうにしていると、娘は、口を開き、こんな歌を詠んだ。『ものいはじ 父は長柄の人柱 鳴かずば雉も 射られざらまし』。夫は心をうたれ、娘にわび、二人で河内にもどり、仲良く暮らしたという。」

という話もあるhttp://yachohabataki2.sakura.ne.jp/torinokotowaza%20kiji.htm

長柄橋は、

「嵯峨天皇の御時、弘仁三年夏六月再び長柄橋を造らしむ、人柱は此時なり(1798(寛政10)/秋里籬島/攝津名所圖會)(なお推古天皇の21年架橋との説もある。)」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%9F%84%E6%A9%8B、長柄橋の名は、古代より存在した。現在の橋は、大阪市大淀区と東淀川区との間にかかっているが、往古は、現在の大阪市淀川区東三国付近と吹田市付近とを結んでいたとされている、が、正確な場所についてははっきりしない(仝上)。攝津名所圖會(寛政年間)には、

「此橋の旧跡古来よりさだかならず、何れの世に架初めて、何れの世に朽壊れけん、これ又文明ならず、橋杭と称する朽木所々にあり、今田畑より掘出す事もあり、其所一挙ならず」

とある(日本伝奇伝説大辞典)。にもかかわらず、摂関時代以後の中世に、この存在しない橋が貴族たちの間で「天下第一の名橋」と称され、歌や文学作品に多数取り上げられることとなった(仝上)。

ながら、ふる、朽つなどの意味を引く句として、

わればかり長柄の橋は朽ちにけり なにはの事もふるが悲しき(赤染衛門)
君が代に今もつくらば津の国の ながらの橋や千度わたらん(藤原家隆)

等々(仝上)、多くの歌人に詠まれたが、

時代が下がるにつれて、跡や跡なしに用いられるにいたる(仝上)。

参考文献;
稲田浩二他編『日本昔話事典』(弘文堂)
乾克己他編『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店)

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