2014年03月26日
ニッチ
ニッチ時間,つまり隙間時間のことだ。
隙間時間の使い方の上手い人は,並行処理のうまい人だと思う。
シーケンシャル処理の人は,ひとつコトが終わらないと,次の案件処理に行かない。それだとすごく能率が悪い。ひょっとすると,単なる段取りの力というか,頭の中の設計プランの問題なのかもしれないが,頭の中で,並行処理する案件を想定しながら,案件ごとではなく,案件の中の具体的な作業レベルで,処理を設計しているかどうかの問題のような気がする。
WBS(Work Breakdown Structure)というのがあるが,そこまで厳密ではないが,頭の中で,案件のおおよその仕事のプロセスを作業段階に分解する。そうすると,一緒にできるものがある。
ただ,各案件の,ちょうどPERT (Program Evaluation and Review Technique )で言う,クリティカルパスのようなものは,別扱いをせざるを得ない。段取りながら,それをあぶりだすという方がいい。
よく段取り8分,
という言い方をするが,前もっての作業をプランするとか,作業設計をするというのとは,ちょっと違うのだ,と僕は思っている。クリティカルパスをあぶりだすというのは,そこが,その人が,難所ということでもある。だとすれば,本来のクリティカルパスの意味とはまったく違う使い方かもしれないが,それに先に取りかからなくてはならない。順逆が,ひっくり返っても,そういう作業想定をする,ということが,段取りの意味だと思っている。
問題解決の鍵は,
誰を(どのレベル)を動かさくては解決できない問題か,
ということが見きわめられることだ,と僕は思っているが,それとよく似ている。問題解決案をロジカルと言うか,ロジカル・シンキングで創作しても,現実は動かない。
おれは聞いていない,
の一言で,いっさいが潰えることがある。問題解決がロジカル・シンキングなどと言っているうちは,自分の裁量範囲内の問題しか解決したことのない人か,よほどの僥倖に恵まれた人だ。
ここでの問題の瀬踏みと言うか,目利きも,
段取りに通じる。
「情報化社会とは,重工業を中心とした世界からコンピュータを中心とした情報通信機器によるネットワーク化した社会」と言う言い方をすることがあるが,いまの話が,工業が情報によってあらたな結び付きの中に入るというのに似ていると言うと,大袈裟か。
工業化,つまり機械化は,
□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□
という線形の工程で表現できる。その各工程ABCは,高度化しても,
A□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□
B□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□
C□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□
と,各工程は短縮できても,A+B+C…の総和にしかならない。しかし,情報化では,
┌A□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□
X┼B□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□
└C□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□
1コンピュータシステムXにおいて,ABCの工程を同時処理することができる(もちろんフレキシブルに工程を組み合わせられる)。それは,更に集積すれば,いくつものXをZによって,いくつものZを,Yがというように,同時処理の集積度は高っていく。
大袈裟な例だが,段取りができるというのは,こういうことだ。まあ,要は,メタ化ということだ,とも言える。
だから,細切れの仕事を,案件のシーケンシャルなフローとは別立てて,処理できる。
僕は,よくそういうのを,デスク脇に,ポストイットで貼っていた。
この細かな,とは限らないが,ニッチな案件処理,そういう未決案件示す,ポストイットを片づけて一掃するのが,けっこう楽しみであった。あんまり,思考しなくてもいい(だけとは言えないが)のが,一種の息抜きであった。
そのせいかもしれないが,ニッチ時間の処理のうまい人は,仕事の並行処理が出来る人だ,と思っている。それは,しかし,仕事が効率的かどうか,スピーディかどうかとは,必ずしもイコールではないように思う。
参考文献;
吉本隆明『ハイ・イメージ論Ⅰ』(福武書店)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm