2014年05月09日
舞台
トークライブ【第1回 片岡宗橘が語る「近くて、深い」茶道の世界】に参加してきた。
https://www.facebook.com/events/1483583801859048/1486730851544343/?notif_t=like
茶道家・片岡宗橘は,磐城平藩安藤家に伝わる、御家流の茶道。武家の茶の湯である。
茶の湯については,無知なので,まあ,勝手な妄想かもしれないが,今日お話を伺って感じたのは,茶の湯は,
場,
だ,ということだ。僕の言い方では,
土俵,
だ。そこに,場を設える,
花入・掛け物・香合・風炉・釜・建水・柄杓・火箸・水差…,
等々をそろえる。そこに,お客に合わせて,その日の花を差し,季節や光を勘案し,軸を改める。
その舞台装置全体が,亭主の出迎える心映えである。心映えについては,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163582.html
でも書いたが,
おのずから照りだす,
ものだと思う。心が映る,月光が水に映る,反映する,のように,心の輝きが,外に照り映えていく状態である。舞台装置がそれを示す。
だから,その舞台である茶室なしに,茶の湯の心映えは成り立たない,そんな気がした。
一客一亭
である。それは,同時に客も試されている。そのもてなしにふさわしい,振る舞いと心映えで応えられるかどうか。もちろん反照として,亭主も,また客に試されている。
それは,いわば,立ち会いに似ている。立ち会いは,その場での人と人の,技量ではなく,器量と器量の対峙である。小手先の技ではなく,その人そのものの対峙である。
それに似ている。
そういう向き合いをするべく,場として,その茶室が設えられている。
聞き間違いかもしれないが,
さしたるはわろし
という言い回しをされた。押しつけというか,わざとらしさは,もてなしではない。
もてなしは,
持て+成す
心を籠めて相手に御馳走することである。大事なのは,その心映えなのであって,
一期一会
もそれにつながる。千利休の弟子の山上宗二が,
一期に一度の会
ということを記していたらしいが,それを,井伊直弼が,
一期一会
として言語化した,と聞く。
あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう,
との趣旨だ。これも,心映えを言う。
以前片岡さんのお招きで,香道と,茶道のさわりを体験せていただいたが,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/393251223.html
そこで感じたのは,相手のもてなしに対応するだけのものがなければ,その心遣い,心扱い,心尽くしを,客は受け止めきれない,という歯がゆさだ。
相手のもてなしが,受け止め切れるには,それなりの心得と心構えがいる。
だから思う,
おもてなし,
は,公言するものではない。その心構えで,応対するという心映えのことだ。迎える側が,おもてなしなどというところに,ろくな店がないのと同然である。
意味を取り違えているかもしれないが,世阿弥の
秘すれば花なり,秘せずば花なるべからず,
の心映えに通ずるものである。まして,茶の湯のそれは,
茶室という舞台あってのものだと思う。そこに,趣向をさりげなく示す。おもてなしは,小手先ではない,おのれの心映えを表現した場づくりがどれほどのものか,さもなくば,こちらの不心得を,客に,見透かされるのが落ちだ。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
2014年09月15日
茶事
片岡宗橘さんのお誘いを受けて,「初めてのお茶事」,
https://www.facebook.com/events/299572350223694/?ref_dashboard_filter=upcoming
に参加させていただいた。同じ片岡さんのお誘いで,香道やら,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/393251223.html
についても,また,茶道についても,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/396593854.html
も,それぞれふれたことがある。茶事は,
「『三時の茶』といわれ,三つの時刻に大別される。朝茶事=朝食をかね,夏季の早朝6時頃に案内を出す。正午の茶事=昼食をかね,最も格調高く正式な茶事」
とされるそうだが,今回は,
「正式な茶懐石に,3畳の小間のお茶室のでお茶事」
と,本格的なものの片鱗に触れさせていただいたことになる。感想は,と聞かれると,
自分のお行儀の悪さ,
を思い知らされたが,それ以上に,濃密な空気というか,密室性を感じた。前にも書いたが,『名将言行録』に,あまり真偽は問わぬが花とは思うが,
秀吉に茶室に招待された黒田官兵衛(は茶道に関心がなかった)は,そこで一向に茶を点てず,小田原攻めの話に終始した,そして,秀吉は,
これこそが茶の湯の一徳というものである。もし茶室以外の場所で密談すれば,人から嫌疑を懸けられるが,茶室であれば,その心配がない,
と言った,というのである。ま,しかし,茶室という,(今回食事は別間であったが)狭く閉ざされたところで,濃密な時間が流れる。これは,独特である。つくづく,(今回男の人ばかりであったせいもあるが)男の世界だと感じた。
こういう茶事がいつから始まったかは知らないが,たぶん,当初は,というか,秀吉の時代は,もっと簡単な食事だったのではないか。茶事は,
「茶の湯の食事であり,正式の茶事において,『薄茶』『濃茶』を喫する前に提供される料理のことで,天正年間には堺の町衆を中心としてわび茶が形成されており,その食事の形式として一汁三菜(あるいは一汁二菜)が定着した」
とされる。何を気にしているかというと,こんなに長々やっていたとすると,意図なくしてはやらないのではないか,ということだ。
たとえば,仲間内の関係を深める,関係を深めたい相手を仲間内にする,あるいは,対手を仲間と錯覚させる等々,この時間を共有することで,仲間に入れた,入っている,入りたい,と言った感覚が醸成される。
僕はへそ曲りなので,江戸時代はともかく,室町,織豊期は,この濃密な関係づくりそのものに意味があったはずだと思うのである。つまり,
おもてなし
は単なる心の問題ではなく,もっと生臭い意味があるのではないか。今回は,僕自身が最近不調法になったので,酒の部分は,よく見ていなかったが,
千鳥(の盃)
というのがあり,調べると,「八寸を持ちお詰までお酌と海の物,山の物を向こう付けに取ってもらい一巡したら,千鳥の杯にはいります」
とあり,(長くて申し訳ないがそのまま引用すると)こんな説明を見かけた(流派によって違うかもしれないが)。
「亭主は正客に,『どうぞお流れを』行のお辞儀
正客は,『別杯のお持ち出しを』
亭主は,『お持ち合せがございませんので』
亭主は燗鍋を次客の膳右横に置く。
正客は自分の杯を懐紙で清め,杯台にのせ亭主に手渡す。
次客が,亭主に,お酌
正客は,亭主に,『海,山の物』を懐紙によそい差し出す。
亭主は,杯を清め右手を畳に添えて草のお辞儀をして正客に『暫時拝借いたします。』
正客は「どうぞ!」
亭主はいざって次客にお酌,燗鍋はお詰の膳の右に置く。
亭主は,次客に,『お流れを』行のお辞儀
次客は杯を清めて回して亭主へ渡す。
お詰が,亭主にお酌
お詰は亭主に『お流れを』行のお辞儀
亭主は杯を清め回してお詰に手渡す。
お詰にお酌した後燗鍋はお詰の膳の左に置く。
亭主はお詰に『お流れを』行のお辞儀
亭主に,お酌をした後燗鍋はお詰の膳の右に置く。
亭主は杯を清め盃台にのせ、燗鍋を持って正客の座へ進み、正客に『長々とありがとうございました。』と返しながら、お酌する。
正客いただく。杯を清め回して亭主に渡してお酌をする。
正客『十分にちょうだいいたしましたのでどうぞご納杯を』
このように・・・
亭主が千鳥が舞うように杯を回しつぎをすることから千鳥の杯と申します! いつまでも」(「茶懐石を楽しむ会」のホームページから)
という具合である。
要は,いつまでも呑みつづけていく(特に正客は大変らしい),というわけだ。これって,茶事というより,お茶(け)事,つまり宴会である。しかも真っ昼間の。
江戸時代ならなおさらだが,誰もかれもが招いたり招かれたりされるものでも,そうできるものでもない。こういう場に出ること自体が,一種ステータスなのに違いない。とすると,参加させてもらったことで,あるいはその場に入れてもらったことで,仲間内の濃密な雰囲気に加わった気分になり,一層濃密感は,高まる。
前にも感じたが,茶というのは,
場
そのものをつくる,という感じである。そこにいること,入れてもらうことが,すでにステータスなのである。言ってみれば,社交界デビューみたいなものである。その意味では,もてなす側は,どんなお客様を招き,そういう場(茶会)を設けられること自体が,そもそもステータスのはずである。
記憶で書くが,確か,秀吉が,ある時期に信長から,茶会を開くことを許された。たぶん,信長は限られた家臣にしかそれを許さなかったはずである。秀吉が,信長から,天下の名物・乙御前釜を播磨平定の褒美としてもらったのは,茶会を開くことを既に許している,或いは今後許したという証である。
その後,江戸時代に入っても,なおのこと,茶会を開けること,そこに招かれること自体が,ステータスであったのではないか,という気がする。
つまり,お客,しかも名だたる人を客として招き,茶会を主催するということ自体が,あるいは,そういう席に招かれること自体が,つまり,おもてなしをする側も,それを受ける側も,それ自体が,実に誇らしいことであったに違いないのである。
いま,誰でもが参加できるからといって,ますます作法が,所作が微に入り,細を穿つようになったのは,逆に,それがステータス性を失ったからのような気がする。なぜなら,求められる所作や作法そのものが,そのステータスにいる人にとっては,当たり前の日常的な振る舞いでしかなかったから,そのままの立ち居振る舞いが自然でしかない,そういう雰囲気の場であったのだ。たぶん,そういうことも含めて,自分たちのステータスの確認の場であったのかもしれない。
何はともあれ,お茶事は,お茶(け)事でもあるらしく,そこにも,色濃く,かつての時代の軌跡を,残しているように思う。ただ,宴会のように崩れるのを抑制しているのが,上記のような作法というか所作というか,それ自体がおのれの出自をあらわすという矜持が全体の品位を下げないものになっていたのではあるまいか。そして,それは,今日も,その決まりごとを外さないことで,なし崩しにぐずぐずになるのを押しとどめている仕掛けに見えてくる。それが,品を保つ下支えになっているように見える。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
2014年10月10日
茶
少し前になるが,第3回片岡宗橘が語る「近くて,深い」茶道の世界
https://www.facebook.com/events/489023331234328/?ref_dashboard_filter=upcoming
に参加させていただいた。片岡宗橘さんが亭主の,お招きいただいた茶事については,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/405435166.html
で書いた。
今回は,その茶事のほぼ二刻の全体の流れを,改めて説明していただくことから始まり,改めて,よく仕掛けられた仕組みだと感じ直した。
こう言うのを文化というのだと思うが,しかし,僕は,これは,いまの時間に取り残されつつあるような気がしてならない。
確かに,禅とお茶のつながりが,
掛け軸の問い
と,
花の答
のような,公案そのもののような仕掛けとか,
亭主と客との阿吽の呼吸とか,
培われてきた深い文化の息吹を感じないではない。
しかし,そのお茶や茶事を堪能し,それを味わったり,その立ち居振る舞いを身につけたりすること以外に,その持っている文化性や伝統を今日の社会に生かす方法はないものだろうか。
その楽しさや味わい深さは,経験してみなければわからないし,そういうことを体験する場は,多く与えられているかもしれないが,その懐深い文化性を,いまの社会に発信する方法はないものだろうか。
思うに,現実の社会との断裂が深すぎて,地続きになっていないのである。それを体験することが,一種別世界へ入るような感じというのは,あまりいいことではない気がする。文化は,
過去の遺産
ではない。その文化が,我々の今の中に生きていなくてはならないように思う。茶の世界と,いまの世界とを橋渡しするものが必要なのではないか。それは,茶を体験するということではなく,茶の文化そのもの,茶をはじめとする奥深い世界そのものからの発信があっていい。
毎日の日々の中に,たとえば,あの軽薄な「おもてなし」という言葉ではなく,日々の立ち居振る舞いや仕草の中に,生きるものを,掘り起こし,
意味づけ直す,
あるいは
設え直す
ということが重要なのではないか,という気がしてならない。
文化とは関係ないところから,どこぞのコンサルタントが考え出したとしか思えない,マニュアル化した,
変な挨拶
や
変な言葉遣い
や
妙な仕草・ふるまい
を文化の地層から,ひっくり返していく発信が必要ではないか。一つ一つ正していくといってもいい。
さもなければ,文化の地層とは断層した,その愚かしい(日本由来とは思えない)仕草やふるまいが(いかにも日本式として)固定してしまうのではないか。
隗よりはじめよ
である。日々の振る舞いや礼儀作法は,厚い文化の地層と地続きでなくてはならない。
礼を学ばずば,以て立つなし
と言う。
茶事やお茶を体験し,味わうことで良さは分かるが,それは,時代の流れとは余りにも隔絶している気がしてならない。だからこそ,必要という考えもあるし,その意味が分からないでもないが,それでは,ただ守る文化と一緒なのではないか。
歴史にも茶にも疎い人間なので,ここからは,勝手な妄想を述べるが,いま,日本の文化は,確かに,うすっぺらになったような気がする。しかし,それは,明治維新期,敗戦期という二つの変革期によって,伝統と切れたせいだけとは,僕は思わない。
文化というものは,持続し,育てていくものではあるが,守るものではない。守ろうとするとき,それは,時代からずれ始めている。なんたら保存会というものの意味がないとは言わないが,それは文化ではなく,保存芸能のようなものになっている。
文化は,いまの中に生きていなくてはならない。そこに過去の堆積が反映しつつも,日々新たに作り出され続けなくてはならせない,と思う。
たぶん,茶が茶としての意味とを独自に作り上げていく時代背景は,戦国から織豊期へと,絢爛たる文化の開花期というのか(秀吉という個性にリンクしている気がするが),町人が堺という特殊な自治都市で力を得ていたことと関係するのか,そのあたりは,専門家ではないので,憶測でしかないが,そういう時代背景と深く関係していたのではないか,という気がしてならない。
その茶が,江戸期,形式的に整えられていくのもまた,江戸時代という安定した時代と関係が深い気がしてならない。
文化は,生きていなくてはならないと思う。
文化は,堆積した歴史を掘り出し,史跡として保護するような考古学の対象ではない。いまという時代の何かとして,カタチとして意識的に示すことで,始まるのだと思う。たぶん,利休は,そのことに意識的であったと思う。茶器,茶碗,花,掛け軸,すべてを意識的に構成した世界を創り出した。その世界は,あの時代には,あの時代の人々には,ぴったりくるものだったのだろう。
しかし,それはまだ文化ではなく,一つの流行でしかない。それをひとつの世界として形づくり,意味づけていった醸成期間をへて,文化になる。それが,芭蕉の世界観にもつながっていく。
いま,芭蕉がその精神を引き継いで,新たな文化を切り開いたように,必要なのは,新しい文化へとつなげていくことなのではないか。
思うに,そういう開拓精神が途切れて,一方では,文化を守り,守られている精神は時代とは隔絶し,他方は,はやりすたりの中で,軽薄な文化もどき流れて消えていき,蓄積されるべき文化は遂に創り出し切れていないのではないか。
先ず言葉から始めようではないか。
名正しからざれば,則言順わず,言順わざれば則事成らず,事成らざれば則礼楽興らず,礼楽興らざれば則刑罰中らず,刑罰中らざれば,則民手足措く所なし,故に君子これに名づくれば必ず言うべきなり。これを言えば,必ず行うべきなり。
言葉と実とを糺すこと,真のおもてなしとは,うすっぺらのことではないことを,今示さなければ,あんな程度のものが「おもてなし」というものとされてしまうだろう。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm