2015年02月01日
任怨分謗
この言葉も,先日ブログに書いた,「当局者迷」と並んでメモってあった。これについては,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/412092991.html?1420833963
で書いた。
元総理の大平正芳氏の揮毫にこのフレーズがあるらしい。あるいは,武田豊(元新日鉄副社長)氏の座右の銘らしく,仕事で多少の引っ掛かりがあったので,日経ビジネスの「有訓無訓」辺りに登場されて,それを書き取ったものに違いない。調べると,
「『任怨』とは『何か思い切った新しい仕事をやる時には,きまってだれかの怨みをかう。だが,そうした怨をいちいち気にしていたのでは,とても新規事業はやりとげられない。敢えてその怨を受けよ。中傷の火の粉を恐れるな。(あえて言えば,自省の糧にする)』の意。『分謗』とは,『いったん志をともにした以上は,一心同体となってその怨を分けて受ける気概がなければならない。』」
という意味だとか。まあ,
「人に怨まれるのを恐れず,非難は,敢えてわが身に も引き受ける」
ということだ。覚悟を言っている。大平氏の造語という説と,安岡正篤氏の言葉ともあるが,『任怨』『分謗』は,それぞれ,『三事忠告』にある言葉。『三事忠告』は,
「著者は元代の官僚・儒学者の張養浩。民衆を指導していく立場にある政治家・役人が持つべき信念・道徳が書かれた政治指南書。内容は『廟堂忠告』,『風憲忠告』,『牧民忠告』から成っており,それぞれ,内閣大臣,法務警察関係者,地方行政担当者に宛てる忠告と言う形で説かれている。」
という。『三事忠告』は,
「元代の官僚・張養浩が県令となって著した『牧民忠告』,御史となって著した『風憲忠告』,大臣となって著した『廟堂忠告』の三部を合わせて名付けたもので,明の洪武22年,広西按察司僉事の揚子宏はこれを刊行して『為政忠告』としたが,42年後の宣徳6年に,河南府長官の李驥がこれを重刻して『三事忠告』と改名した。」
とし,『廟堂忠告』は,
第一 修身・・・身を修めること
第二 用賢・・・賢者を用いること
第三 重民・・・民を重んずること
第四 遠慮・・・先々に心すること
第五 調燮・・・調え和らげること
第六 任怨・・・怨を受けて恐れぬこと
第七 分謗・・・同僚の謗りを我も分かつこと
第八 応変・・・変に応ずること
第九 献納・・・忠言を奉ること
第十 退休・・・いつ役を退くか
十カ条となっており,ここから取った。それぞれについては,
http://www.asahi-net.or.jp/~du1t-mrkw/ryousyo/bijines/isei3bu.htm
にあるが,そこには,「任怨」「分謗」
任怨(道に当たっては,甘んじて人の怨も受けること) 自分が正しいと思ったこと,全体のために最善と思われることについては,たとえ一部の人から怨みを受けようとも実行しなければならない。
分謗(同僚の受けるべきそしり,批判を我が身に分担すること) いい組織というのは仲間がミスしたり,そのために非難されているときに知らん顔をせずにかばう組織。
と説明があった。四文字熟語にも,
自ら進んで怨みを引き受け,人の謗りを自分の身に引き受けるの意。リーダーの心構え。
と説明があった。
しかし,思うのだが,そんなことをわざわざ口に出さねばならないようなことなのか。それは,リーダーの基本的覚悟ではないのか。そんな覚悟もなく,リーダーになったということのほうが笑えるのではないか(しかし,いまの為政者を見ていると,それを口に出している大平元首相の方がはるかにましたが)。
それを言うなら。組織メンバーとして,この心構えをもつ奴のほうが,はるかに目を瞠るに値する。
「任」の字の,
「壬」は,「腹の膨れた糸巻の軸」または「妊娠して腹のふくれた女性の姿」を示す
という。「妊」の原字。で,「人+壬」の「任」は,
腹の前に荷物を抱え込むこと,
転じて,抱え込んだ責任や仕事の意となる,とある。だから,「任」は,
抱え込んだ重い荷物(「任重而道遠」)
抱え込んだ仕事(「任務」)
仕事を引き受ける
役目や仕事を与えてまかせる
上辺は柔らかだが腹黒い(「任人」)
まかせる(「放任」)
重みや仕事を引き受けて,我慢する
等々の意味になる。どうも「抱え込んでいる」というイメージになる。担うという意味とは少し違う気がする。
「怨」の「心」の上の字は,
人が二人からだをまげて小さくまるくかがんださま,
を表し,それに「心」を加えた「怨」は,
心が押し曲げられて屈んだ感じ,いじめられて発散できない残念な気持ち,
という意味という。だから,「怨」は,
人に抑えられて気が晴れない,残念でむかむかする(「怨恨」)
無念
うらめしさ
あだ
といった意味になる。どこか,勝手に心で報いられぬ思いを膨らませているという感じである。因みに,
怨は,恩の反対。
恨は,心に深く残った怨み。
憾は,やや軽い。
といった,「うらみ」の違いがある。
「分」は,
「八+刀」で,二つに切り分ける
という意。だから,
わけて別々にする(「分割」)
判別する。見分ける(「分別」)
わかつ(「分配」)
わかれる(「分裂」)
区別,けじめ(「分明」)
ポストに応じた責任と能力(「本分」)
等々の意味になる。明らかに,分担という意味と,別れという意味とがある。
「謗」は,
「言+旁(両脇,脇に広げる)」,
だが,「旁」の「方」は,
左右に柄の張り出たすきを描いた象形文字。両脇に出る
という意を持つ。で,「旁」は,
「二印(ふたつ)+八印(左右にわかれる)+方」
で,中心から左右上下に他れて張り出ることを示す。
「そしる」には,
「謗」 蔭口
「誹」 人の非を指摘する。「非」も同じ。
「譏」 他人の落ち度・欠点を細かく言い立てる
「毀」 誉の反対。
がある。「謗」が,蔭口なら,そんなものは無視してよい,とまでは言わないが,担うというほどのものではない。
こう考えてくると,「任怨分謗」は,トップの覚悟というようなものではなく,まさに「小役人」(この場合の「小」は若いという意味だ)の教育にこそ,柱とすべきことだ,という気がするが,いかがであろうか。
すくなくとも,トップになってから掲げるようなことではない。
リーダーにしろリーダーシップにしろ,若いころから,人の力を借り,あるいは人を巻き込んで,おのれの裁量,器量以上の仕事をしてきた人間でなくては,その器量と技量は身につかない。だから,「任怨分謗」は,そういう若い人こそが肝に銘ずべきことではないか。とても,付け焼刃で身につくものではないと思っているので,そういう経験を身につけてこなかったものが,掲げる格言なのではないか,という気がする。
元代の官僚・張養浩が県令となって著した,御史となって著した『風憲忠告』,大臣となって著した,ということに意味がある。部下に向かって言っている。おのれの自戒の言葉ではないのではないか,とおもえてならない。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm