2013年01月05日

「場」を主役にして考える~Tグループ体験を振り返る


「場」については,一度考えてみたことがあったが,

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11007605.html

もう少し,別の切り口で考えてみたい。いつも「場」を考えるときは,自分側から,どう「場」に入るか,あるいは「場」の中で,どう一体化するか,あるいは,「場」にどう主体的にかかわるか,という視点からのみ考える。しかし,主役は「場」ではないのか。

たとえば,有名なK・レヴィンは,人間の行動(B:Behavior)は,人間(P:Person)と環境(E:Environment)の関数,B=f(P, E)であるとした。それを生活空間(life space)といった。

レヴィンの生活空間は『場の理論(field theory)』(トポロジー理論)とも呼ばれる。主体的な人間の認知・判断だけでは人間の行動が決まらず,目標とする対象や相手が持つ「正・負の誘発性」によって人間の行動は大きな影響を受けるという双方向性を説明している点に意味がある,とされる。つまり,人間の行動が『生理的な欲求・本能的な願望』という動機だけで決まるわけではなく,「環境の変化・他者の反応」といった環境要因との相互作用によって規定されることを説明した。

たとえば,人間が特定の対象や相手に対して欲望(目的)を抱く時には,その欲望(目的)が簡単には達成できず,その実現を妨げる障害があることが少なからずある。そして,そういった状況下では,緊張感や欲求不満を伴う葛藤が高まりやすくなるが,人間は「欲望の充足・目標の達成=接近」か「欲望の断念・目標の引き下げ=回避」によって葛藤を解消して安定した平衡状態を回復しようとする,というのである。

以上,受け売りのレヴィンの考えは,あくまで,主体は人にある。相手や状況は地になっている。この図と地を逆転して考えるべきではないか,というのが,ここでの問題意識である。

僕の中のイメージは,20代の前半,会社の指示で,参加したTグループ(感受性訓練)での体験だ。いまでいうとエンカウンターグループの源流の一つのようだが,僕の参加したそれは,立教大学の早坂泰次郎さんが主宰していたものだと記憶している。その頃いわゆるST(感受性訓練)が大流行であった。

資料はすでに処分しているので,正確な系譜や背景はわからない。記憶のなかにあるイメージだけだが,最終日(連休中に二泊三日か三泊四日の長いワークショップだった)あるいはその前日位には,自分の皮膚が溶けて,その10人前後のグループという「場」に一体になっていた気がしている。その時の感覚は,朧だがよく覚えている。その一体は,(後でいろいろ聞き合わせてみた限りでは)そのグループが特に先鋭だったのかもしれないが,お互いが,何を感じているのかが分かった。

たとえばの話だが,僕はある女性が好きだと思っていて,その女性も僕のことを好きだと思っている,そして周囲の人間にもそれがよくわかっている,言葉はないが,お互いが,皮膚という境界が溶けたように,感情がつながっている感覚であった。もちろん錯覚に違いない。しかしそういう錯覚を共有しあえる「場」が,そこにできていた。

その時,僕であるとか,何某であるとかがそこにいるのではなく,そういう「場」に,僕であり,何某がいる。しかしその「場」をつくっているのは,僕であり,何某だから,何某の代わりに,○○でもいいかというと,そうはいかない。

見も知らぬ何人かが,トレーナーの「でははじめましょう」の一言で始まるが,別に何かを言うわけではない。沈黙が続くと,その時間を無駄と思う人も出てくる。何の指示もしないトレーナーに文句を言う人も出てくる。その中から,互いに,そこにいる自分を受け入れ,そこにいるお互いを受け入れ,そこにいる時間を受け入れ, その「場」を受け入れて,なんとなく和解的,緩和的な雰囲気の中で,何を話すというのでもない日向ぼっこのような瞬間が来る。その時,しゃべりたかったら何をしゃべってもいいし,聞きたくなかったら,聞き流してもいい,話さなくても,黙っていても,お互いを気にせず,その空気の中で浸っていられる時間が,ゆっくりと流れていく。

これが,たぶんロジャースのいう「基本的出会い(encounter)」ではないのかと思う。

その「場」を離れて,その後同じメンバーで何度か同窓会をしたが,やがて日々の中で相互の存在も忘れていった。でもこう思うのだ。その時の「場」が,その時お互いの作り出した「場」が,お互いの関係を深めたのであって,その「場」が崩れてしまえば,その関係は,水をなくした藻のように,枯れていく。そのTグループというワークショップの枠組みの中で,疑似的につくられた共感的空間だという言い方もできるかもしれないが,そうではなく,そういう「場」をつくる仕掛けさえあれば,日常的にも,それは可能なのではないか。主題は,「場」なのではないか。

Tグループとは,「参加者相互の自由な(非指示的な)コミュニケーションによって,人間としての人格形成をもたらそうというグループアプローチ」(『カウンセリング大事典)とある。

ネットで調べると,Tグループといった場合に,狭義にはTグループ(未知のメンバーで構成され,何を話せばいいとか,誰かがどのようにすすめるかなど一切決まっていないグループ)もしくは,そのセッションをさし,“今ここ”での人間関係に気づき,自分のことやグループのことを学ぶセッションであり,一般に,90分前後で1セッションが構成される。広義には,Tグループセッションも含め,実習を使ったセッションや小講義などからなる何日かの一連のプログラムからなるトレーニングをTグループと呼ぶこともある

いずれにしても,これもレヴィンのアイデアによるようだ。権威的な運営グループより,民主的なグループ運営の方が,課題達成成果が上がったというようなことが背景にあるらしい。もうひとつ,ネットで拾ったのは,次の文章。

Tグループは,個人が学習者として参加する,比較的構造化されていない(unstructured)集団である。その学習のための資料は,学習者の外側に存在するのではなく,Tグループ内での学習者の直接経験とかかわりをもっている。つまりその資料とは,成員間の相互作用そのものであり,集団内での自分たちの行為そのものである。すなわち,成員たちが,生産的で,活力のある1つの体制,すなわち1つの小さな社会を創造しようとして奮闘しているとき,その社会内でのお互いの学習を刺激しあい,支持しあうときの相互作用そのものであり,集団内での自分たちの行為そのものである。経験を含むということは,学習のための十分な条件ではないが,必要条件である。成員たちは,Tグループにおいて,自分自身の行動に関する資料を収集し,同時にその行動を生起させるにいたった経験を分析するという探求方式を確立しなければならない。このようにして獲得された学習結果は,引き続きそれを利用することによって,さらに検証され,一般化されていくのである。かくして,各人は,他者に対処する場合の自分の動機,感情,態度などについて学習するであろう。あるいはまた,他者と相互作用の場をもつとき,自分の行為が他者にどのような反応を呼びおこすかについても学習するであろう。人は,自分の意図とその結果が矛盾するとき,他者との人間関係において,自由闊達にふるまうことができなくなるような垣根をつくってしまう。このことによって人は,自分自身の潜在力について[今までと違った]新しいイメージをつくりだし,その潜在力を現実化するために,他者からの助けを求めるのである。(L.P.プラットフォード&J.Rギップ&K.Dベネ『感受性訓練:Tグループの理論と方法』(日本生産性本部))
 
上記の,「成員たちが,生産的で,活力のある1つの体制,すなわち1つの小さな社会を創造しようとして奮闘しているとき,その社会内でのお互いの学習を刺激しあい,支持しあうときの相互作用そのものであり,集団内での自分たちの行為そのものである」というところを,別に読み替えると,「場」という時,次の3つを考えてみる必要があるのではないか。

ひとつは,その場の構成員相互の関係性と言い換えてもいい。別の人とだったらそうはならなかったかもしれない。

ふたつは,その場の構成員相互の行動・反応である。ある行動(非言語も含め)にどうリアクションがあるのか等々。

みっつは,その時の状況(文脈)である。明るい日だったのか,寒い日だったのか,うるさい環境だったのか等々。

その他,その時の全体の醸し出す雰囲気である。前項と関係があるが,フィーリングと言った感じのものでもある。

これが「場」の構成要素だとすると,B=f(P, E)は,場(field)=Fを中心に,

F=f(P, E,B)

となるのではないか。数学的に正しいかどうかはわからないが,ほとんどシミュレーション不能なのではないか。つまり,その時,その場の体験でしか味わえないのではないか。

ただ,稀有だが,それが意識的に作り出せないものでもない。その「場」を最初に,それがどういう「場」なのか,そこで一人一人が何をするのかを,最初に共有化すれば,「場」の中で,おのずと役割を認識し,「場」として動き出し,その「場」に機能するように各自が関わる,そういう体験を,4人でだが,したことがある。

たとえ,見も知らぬ者同士でも,その「場」を共有して何かをしようとすることが共通認識としてあれば,「場」は作り出しやすいのではないか。

それを自律的な「場」としてスタートさせるには,各自が,自分のポジショニングをきちんと決める,最初の第一歩を間違えないことと,そのために,「場」の意味と各自のゴールを共有することと,その「場」に非協力的でなく,その「場」で何かを達成したいと思っている人(後ろ向きでさえなければいい)が構成員で,そのために他のメンバーとも,協力関係をつくろうとすることがあることが,大事な前提のような気がする。

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm




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posted by Toshi at 08:51
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