2013年01月07日

リーダーシップ再考~リーダーシップとリーダーを分ける


リーダーシップについては,

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/10964345.html

で触れたことがある。ただ,いつも思っていることは,リーダーシップをリーダーとは切り分けて考える必要があるということだ。そのあたりを,実感的に(論理的ではないが)整理しておきたい。

まず,Leadershipの意味だが,語源的に正しいかどうかはわからないけれども,辞書を見る限り,
Leadership のshipは,Friendshipのような状態を示す意味
と,
Leadershipのようなスキルを示す意味
をもっているのではないか,と推測している。そこから,少しばかり飛躍するようだが,勝手に,Leadershipとは,リーダーである(状態を保つ)ためのスキル(技量)と考えている。自ら何を(達成)するためにリーダーであるのかに答えを出し,それを実現していく力量である。

もちろんLeadershipは,保有能力ではない。
環境変化,組織の内部変化に対応して,何のために何をなすべきかの旗幟(目的)を明確に立て,そのためにメンバーを組織し実現していく実行能力である。当然,リーダーシップもそれ自体をもったり,発揮することが目的ではない。リーダーだからといって,やたらとリーダーシップを振り回されてはかなわない。メンバーに徹底できない(徹底しきれない)まま目的や方針を振りかざし,報告がない情報が上がってこないと嘆いても,それはおのがリーダーシップのつけでしかない。

しかし,リーダーとリーダーシップは分けて考えるべきではないかと思っている。

あえて区別すれば,リーダーは,役割行動であり,リーダーシップはポジションに関係なく,その問題やタスクを解決するために必要と考えたら,自らが買って出る,あるいは誰かの委託を受けて,その解決に必要な周囲の人々を巻き込み,引っ張っていくこと(つまり,リーダー的役割をしょっていくこと)である。その意味では,トップにはトップの,平には平のリーダーシップが求められるはずなのである。

つまり,リーダーシップはその人の役割遂行に応じて,必要な手段なのではないか。職位が上のほうに行けばいくほど,リーダーシップがないことが目立ち,下へ行くほど,リーダーシップがあることが目立つ。上に行けばいくほど,リーダーシップを発揮しやすい条件と裁量を与えられているから,それがあるのが当たり前だから,ないことが目立つのである。そのことは,またあとで触れる。

では,まず,リーダーであるとはどういうことなのか。

「リーダーである」とは,組織(大は国,小は企業組織やその構成チームまで幅広く組織という形態を取っているものすべてを指す。集団はここでは外しておく)の目的を達成するための指導者(指揮官)であり,目的達成の責任者として存在する。自薦他薦で「リーダーになる」ことは可能だが,メンバーにリーダーと認知されない限りリーダーではありえない。リーダーと認められなければ,仮に旗を掲げても,振りかえると誰もいないという体たらくになりかねない。

またいま現在リーダーであるからといって,いつまでもリーダーでありつづけられるわけでもない。常にメンバーから問われるのは,(あなたは)「何のために(何を実現するために)リーダーとして存在しているのか」である。その答は,リーダーである限り,自分で出さなくてはならない。その答が出せなくなったとき,リーダー失格になるのでである。

 もちろん「リーダーである」ことは目的ではない。あくまで組織やチームの目的を達成することが目的である。それにはたえず「組織(チーム)の目的は何か」を明確にさせなくてはならないだろう。目的にかなわない「何か」を,自分もしくはメンバーがしたとすれば,第一義的にリーダーの責任である。もちろん,時代の変化とスピードの中で,組織(やチーム)の目的は変わる。変わらざるをえない。だから,常にメンバーと共に“目指すに足る目的”を掲げ直さなくてはならない。それが今日「リーダーである」ことの最も重要な使命かもしれない。

 リーダーは,一方では,
自分は「何のために(何を達成するために),リーダーとしているのか」
「(目的を達成するために)リーダーとして,何をしなくてはならないのか」
「(目標を達成するために)リーダーとして,どういうやり方をすべきなのか」
等々と絶えず自問しつづけなくてはならない。しかしそれだけに自己完結させれば組織維持そのものが目的化してしまうだろう。だから他方では,
果してこの組織(やチーム)は存在する理由を,この世の中に,かつて持っていたようにいまもまだ持ちつづけているのかどうか,
組織の使命,組織の存在理由,そのものへの問い直しもまたリーダーにしかできないことである。

 そのとき,リーダーシップとは,リーダーである(状態を保つ)ためのスキルであり,
組織は何のために存在するのか,
その目的からみて目標・手段は適切か,
あるいはその目的はいまも重要か,
もっと別の目的を創れないか,
等々と,問いを続ける姿勢である。その答えがビジョンであり,旗幟である。旗幟を鮮明に掲げ続けられるかどうかは,リーダーが組織の目的とどれだけ格闘したかの結果であり,そこにこそリーダーシップが必要なのである。戦術・戦略を語るのはその後である。

誰がその立場に立っても与えられた役割しか果たさないなら,誰がリーダーになっても同じである。一人一人が,自分に与えられた役割と格闘し,目的達成のために,何をすべきか,何にウエイトを置くべきかを主体的に考えようとしなければ,組織(やチーム)は硬直化する。

リーダーは,リーダーとしての立場と役割とは何かを自問しながら,何を目指すことが組織(やチーム)の未来を決することになるのかと,組織(やチーム)の目的と格闘し,その方向と行く末を描き出していく。
下位者(や構成メンバー)一人一人もまた順次,それを実現するために何をしたらいいか,それぞれの役割の目的と格闘しながら,主体的に考えていく。そういう組織(やチーム)が硬直化するはずはない。

こうした各層,各レベルで自問する組織(やチーム)なっているかどうかの責は,ひとえにリーダーの硬直化そのものにある。ビジョンを掲げぬリーダーには説明責任どころか結果責任も果たせないだろう。リーダーに弁解はない。掲げたビジョンそのものがすべてを語るからだ。そのビジョンは,それを実現するために何をすべきかを,メンバー一人一人に考えさせ値打ちのあるものなのかどうか。リーダーはその是非で,おのれにリーダーシップを問われるだろう。

だが,リーダーシップは組織やチームのリーダーのものと考えるのを前提にしていいものなのか。

たとえば,リーダーシップにこんな常識はないか。
①リーダーシップはトップのものである,
②リーダーシップはパーソナリティである,
③リーダーシップは対人影響力である,
これを点検してみる必要があるのではないか。

僕は,リーダーシップとは,トップに限らず組織成員すべてが,いま自分が何かをしなければならないと思ったとき(これを覚悟という),みずからの旗を掲げ,周囲に働きかけていく。その旗が上位者を含めた組織成員に共有化され,組織全体を動かしたとき,その旗は組織の旗になる。リーダーシップにふさわしいパーソナリティがあるのではない。何とかしなくてはならないという思いがひとり自分だけのものではないと確信し,それが組織成員のものとなりさえすれば,リーダーシップなのである。

そこに必要なのは,自分自身への確信である。それが自分を動かすものだ。それが人を動かす。リーダーシップは他人への影響力である前に,自分への影響力である。「お前がやらなくて誰がやるのか」「自分がやるしかない」と,みずからを当事者として動かせるものが,自分の中になければ,人は動かない。それが旗の意味であり,旗の実現効果であり,そこに共に夢を見られることだ。

だから,リーダーシップには,新たな常識が必要となる。
①周囲を巻き込める夢の旗を掲げられること,
②夢の実現プランニングを設計できること,
③現実と夢とを秤にかけるクリティカルさがあること,
である。

「こうすべきだ」だけでは人は乗らない。それが単なる夢物語でも人は乗らない。夢と現実味をかね合わせて,絶えず点検していける精神こそが,求められるリーダーシップである。それは,パーソナリティでも地位でもパワーでもなく,スキルであることを意味している。

それは,実は仕事の仕方そのもののことであるのではないか。それについては,

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/pages/user/search/?keyword=%BB%C5%BB%F6%A4%CE%BB%C5%CA%FD

で触れた。要は,一人で抱え込まず,いかに人を使うか,人のサポートをつかむかが必要とて言ったが,それは言ってみれば,リーダーシップの端緒を意味している。つまり,こうだ。

その人が自分の役割を責任持って達成しようとするとき,自分の裁量内でやっている限り,その仕事は完結しない。ときに自分の裁量を超えて,人に働きかけ,巻き込んででも,それを達成しなくてはならないときがくる。それがリーダーシップを自分が必要になるときである。

必要なのは,自分は何をするためにそこにいるのか,そのために何をしなくてはならないのかを,自分の頭で考えられるかどうかだ。それを仕事の旗と呼ぶ。それは平のときから自ら考え続けていなくては,リーダーシップがあって当然という立場になったとき,リーダーシップがないことが目立つだけなのである。

で,最後に,リーダーシップが自分に必要となるシチュエーションをまとめてみると,次のようになるだろう。

①自分の仕事を自己完結しないで,その完成を目指すとき,より上位(上司という意味で限定していない)を巻きこんでいかざるを得ない

 必要なのは,その仕事を真に完結するのはどういうことか,その目的達成にはなにをしなければならないか,を考えていることだ。自分の裁量を超えても完結を目指すとき,上位者や周囲を巻き込まざるを得ない。そのとき,明確な旗が不可欠となる。それは上位者の指示を正そうとすることも含まれる。

②かかえている問題が大きく深いとき,より上位者を巻き込まざるを得ない

 その解決すべき問題が,自分を超え,部署をまたぎ,広がるほど,より幅広く巻きこんでいかざるを得ない。

③自分の仕事にリーダーシップを発揮しようとしないものに,リーダーシップは担えない

 組織の中で,自分のしたいことを実現しようとかするなら,上位者を動かさざるを得ないはずである。

④組織やチーム内に,自分以外にチームをまとめていけるものが見当たらないとき,その役を引き受けざるを得ない

別に勝手に「しょっている」のとは違う。自分が経験と知識,キャリアから見て,リーダー役を買わなくてはならないと自覚し,チームをまとめて,チームの目標達成のために何をしたらいいかをチームメンバーと一緒になって考えていこうとするとき,そのとき,役割としてのリーダーを担い,チームをリーダーとなってまとめ,引っ張っていこうとしていることになる。この場合,メンバーがそれを受け入れ,それを支えようとしてくれている限り,独りよがりではなく,チームメンバーは彼(女)にリーダーシップがあるというだろう。

⑤だからといってすべてをひとりでしょいこむことではない
 メンバーをその共通の土俵に乗ってもらえば,協働してやっていくことになる。その時自分は触媒役である。

だから,要するに,リーダーシップとは,リーダーシップは,自分(ひとり)では(裁量を超えていて)解決できないこと,あるいは解決してはいけないことを解決するために,解決できる(権限のある,スキルのある)人を動かして,一緒に,その解決をはかっていこうとすることである。

とくに,リーダーシップの真価が問われるのは,自分のポジションより上や横を動かそうとするときだ。そのとき必要になるのは,

●「何のために」「何を目指して」という,意味づけ(組織全体にとっての,その仕事にとっての,各自にとっての,その問題にとっての等々)が明示でき,
●必要な人々に,その意味をきちんと伝えていく力があり,
●めざすことを一緒にやっていくための土俵(協働関係)をつくれ,
●協力してくれた相手,サポートしてくれた人への感謝と承認を怠らないこと,

ではないか,と考えている。まさにどこまで自分が考えて,考えて,考え詰めているかが問われている。自問自答し,自分で答えを出す力が問われている。

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm



#リーダー
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posted by Toshi at 08:09
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