2013年01月11日

クライアント体験~コーチングを受けて


クライアントになった瞬間,その人がコーチであれカウンセラーであれ,大学者であれただの人であれ,コーチの前でクライアントになった瞬間,クライアントでしかない。でなければ,そこでクライアントになる意味がない。

そこで向きあっているのは,自分自身であり,属性も経歴も関係ない。そこに一人の人として,いる。

にもかかわらず,時にコーチは,おのれの仮説を,あるいは自分の直感をぶつけてくる。

「あなたは過去に蓋をしている」
「あなたは自分を偽っている」
「軸がない」
「自分に気づこうとしていない」
「抱えた問題でバランスを取っている」
「目指すものがはっきりしていない」
「問いをそらす」
「目を合わさない」
「幸福感がない」
「自分に向き合っていない」

わずか30分のコーチングで,これだけ指摘されて,よほどのマゾか,自分自身に悩んでいる人でなければ,コーチングを嫌いになるだろう。これに似た言い方は,ほかにもある。

「本当の自分を知らない」(今ここに居る自分以外に自分はいない。こういう言い方は,ここに居る自分を貶めている)
「箱に入っている」(それはあんたの眼だろう。自分がそうとしか見えない認知の歪みだ)
「自分を偽っている」(だから入信しろといいそうだ!)

等々。まったく,ここまで貶められて喜ぶ自己卑下の持ち合わせは,少なくとも,自分にはない。仮に,直観でそう感じるのは,コーチの自由だ。そう感じさせる何かがあったのだろう。しかし,その直観を捨てずに,強化し,それを合理化するように持っていくコーチングとは,一体何か!こう書いて,自分がはっきり,怒っていることに気づいている。それはなまじいのものではない。憤怒に近い。人をそこまでコケにして,フォローもせず,最後まで,「気の毒に,自分に気づけていないとは」という口吻を続けられたら,ほんと,マジに落ち込まない方がおかしい。まして,相手は,結構著名なコーチなのだ。一瞬,オレッテ,そうなのか?考え込まされてしまう。事実,まだ落ち込んでいる余波が続いている(から,こんなことを書いている)。


コーチングとは何か,について改めて言いたくはないが,たとえば,コーチとは,

クライアントをゴールに運ぶ人

クライアントの鏡

クライアントと一緒にクライアントの真っ白なキャンバスに向かう人

だとしよう。そのためにコーチングがある。そのために,ここまで言われたら,まずは,そのコーチとは一緒に語りたくないのが心情だろう。しかし,だからこそ,冒頭の言葉が効いてくる。コーチングのクライアントになった瞬間,クライアントの立場として,コーチを上に見る傾向はある。そういうポジショニングにある。このことを,最近のブリーフ・セラピー系では,強く意識することを求める。入院したら,患者になり,コーチングの場なると,クライアントになる。

だから,ここまでだめだしされたらどうしたらいいのか,ますますダウンしていくに決まっている。それを意図していたのだとしたら,このコーチは,コーチというよりは,新興宗教の勧誘者に似ている。

あなたには××がついている(悪霊だったり,方位だったり,何でもいい。いまの不幸の原因らしいものを言う)

あなたはしあわせになりたいですか? 

だったらまず引っ越しなさい。

もっとしあわせになりたいですか? 

だったら,この○○(花瓶であったり,仏像であったりする)を買いなさい!

もっとしあわせになりたいですか? 

では,これに入信なさい…

まあ,これと似たり寄ったりだ。もはや,コーチというよりは,悪霊払いに似ている。

コーチの資格がないとは言わないが(そんな資格は僕にはない),明らかに何かに憑りつかれている。偏見なのか,固定観念なのか,知識なのか,直観という悪意なのか,自分を相手に対して,そういうポジションを取らなくては,いいコーチングができないと思い込んでいる。

だから,客観的に見れば,それは,あなたがそう見たのであって,それはあなたの仮説にすぎない。それを自覚せず,その眼鏡が真実という前提でセッションを進めていくと,クライアント像は,ますます歪んでいくだろう。

ミルトン・エリクソンの原則は生きている。

①相手について仮定しない。
②緩やかな変化
③相手の枠組みであること
④みずからの考えを変える力があることを,相手自身が気づけるような状況をつくりだす
⑤そのために使えるリソースとなるものを相手の中に見つけだし利用する

まずは,ダメ出しの連発の前に,自分が気づいていないリソースを見つけさせてくれ,と言いたくなる。そのコーチングが,自分にとっていいかどうかの目安は,僕の私見では,

●コーチングを受ければ受けるほど苦しくなるかどうか
●自分のマイナス,欠点,問題,患部,瑕だけが暴かれていないかどうか
●コーチが自分を遠くから(上から)見ているような感覚にならないかどうか

つまり,コーチが自分の味方なのか,敵なのかだ。それでなくても,まっとうな人なら,ひとつやふたつ,自分を責める材料は持っている。それを誠実な人という。だから,自分を責めている,その自分をけしかけ,煽って,その傷口に塩を塗りたくるようなのは,そもそも金をとってコーチングすべきではない。

その逆でなくてはならない。

●一緒の土俵,あるいは自分の枠組みを尊重してくれているかどうか
●同じ方向を見てくれているかどうか
●どんなことがあっても,自分を承認し,認知してくれているかどうか

同じ土俵で,同じものを見ることについては,

http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod06432.htm

で触れた。もし,土俵ができていて,一緒に同じ方向を見てくれていることが分かったなら,前述のダメだしすべては,コーチからの提案と受け取ったかもしれない。しかし,自分について,自分の存在について一切の承認なしの,ダメ出しを人は聞く耳を持っているのだろうか。これって,セールスの基本中の基本なのではないか?

承認については,

http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod06431.htm

で触れている。

いまは,コーチングを受けていて,コーチングのプロセスを楽しんでいる。今までで一番楽しいコーチングかもしれない。すぐこういう声が聞こえそうだ。クライアントが楽しいということは,大事な問題から目をそらしているからだ,と。そういうやり方をするコーチングもあるかもしれない。コーチングについての解釈はいっぱいあるし,実践家によって,いろんなことを言うだろう。しかし,これも人生の一コマなのだ。楽しい人生であっていけないはずはない。

ただ僕はコーチングで人生が変わる,と思ったことはない。しかし自分を変えていくことはできる。変えることで,また別の人生を味わうことができる。もちろん,一人でも,自分を変えることはできるだろう(し,変えたからこそ生きてこられた)が,それがもっと早く,もっと楽にできるはずだ,とまあ信じられるようにはなった。

この程度で人生が変わるほど,自分はもう若くもないし,ナイーブでもないが,しかし新しい自分を作り出す面白さを一緒に楽しんでくれている,いまのコーチに,感謝している。

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm



#コーチ
#コーチング
#ミルトン・エリクソン
#ブリーフ・セラピー


posted by Toshi at 07:15
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