2013年03月23日

自分の旗を立てる


自分の仕事に旗を立てるということについては,

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/2012-1030.html

でふれた。仕事というのは,自己表現なので,そこに自己が表現される。いやいや仕事をやらされている自己はそういう仕事しかできない。迂闊な自己は迂闊な仕事をする。他責にする自己は他責の仕事しかしない。所詮,全て自己が表出される。自己が対象化される。外在化される。

自分の旗を持たず仕事をしている人は,自分の目的を持たないで働いている人だ。それは,たぶん組織やチームの目的を自分のそれと勘違いしている人だ。自分のいる意味と組織にとっての意味は違う。そういう時,チームや組織のそれを失うと,自分の人生の意味まで一緒に失う。旗こそ,自分の目的だ。

その自己のいる意味づけ,何をするためにそこにいるかの旗印が,どう人に働きかけ,巻き込むかのリーダーシップの質を決める。リーダーシップとは,いわば,自分の実現したい夢や目的のために周りの人を動かすことだ,特に上位のものを動かすことだ(上位を動かせなければ基本的にリーダーシップは機能しない,というかそんなものはリーダーシップごっこだと思っている)。その時,自分の旗が,その大義名分になる。名分もなく,人に助力を求めるものは,単なる甘ったれで,たぶん,その人に助力を求めた時も好き嫌いか,虫の居所で是非を決める人だ。そういう人は避けるに如くはない。

ところで,旗印あるいは,旗指物というのは,永禄から大阪の陣くらいまで大盛況だった。以降下火になる。以前は,源氏が白旗,平家が赤旗と,私の旗幟を許されなかったが,戦国時代に入ると,盛んになり,関ヶ原がピークという。自分を売り出し,自分を際立たせるのに,旗印は,恰好で,紋所から奇想天外な絵柄まで様々個性を競った。

しかし,ひとかどの武将でなくてはおのれの指物を許されず,番指物といって,一隊一隊の相じるしに,その形,色を一様にするものしか使えない。比類なき働きのものにのみ番指物の代わりに,自分の指物を許される。加藤清正が秀吉に指物ご免を願ったところ,「なんじまだ前髪の身分なのに,歴々の将をさしおいて指物を願うとは粗忽の至り」と相手にしない。そこで,勝手に陣幕で作ったらしい。

指物がないのは,これといって武功のない端武者とみられる。

武将にとっては,自分の存在を高らかに敵味方に示す目印であり,敵にとっては標的であり,味方にとってはライバルだ。しかし同時に,その旗印に何を持ってくるかが,自分という侍の出自であり,自分の侍として目指すべきものであり,自分のよって立つところを明示する。まあ,けれんみたっぷりでいいし,見えやはったりもいい。どうせすぐ化けの皮ははがれる。

有名なのは,謙信の「白地に黒の文字で昆の一字」の四半,石田三成の「大吉大一大万」は後世の捏造と言われるがなかなか面白い,信玄は,「其疾如風 其徐如林 侵掠如火 不動如山」が有名,家康の「厭離穢土 欣求浄土」は,若いころ部下も含めた一向門徒と闘った記憶にもとづく,秀吉は瓢箪に金のきりさき,黄金である。法華信者の加藤清正は,南無妙法蓮華経,キリシタンの小西行長は「紙袋に朱の丸」をつけた旗で日の丸の意だったらしい等々。

人生という戦場において,自分がどんな旗を掲げるのか。いやそもそもそんなこと自体を普通の人は考えない。しかし,仕事で自分の旗を掲げる以上に,自分という存在を明確な印として,はためかすことほど重要なことはない,と信じている。

その時の考え方は,自分について,

自分のリソース
自分の夢
自分の使命(天命でもいい)

で考える。やりたいこととできることとやらなくてはならないことのもじりだ。

ここでいう天命とは,別に神に示されたものではない。運命でもない,キリスト教徒の言うミッションでもない。あえて言えば,天運,寿命といっていい。

死生,命あり,富貴,天にあり

の「天」だ。そこに勝手の思い入れを入れるのは自由だが,それは,人の「はからい」に過ぎず,天は関知しない。天とおのれの資源と夢とを考え併せて,

おのれは何をするために,ここに居るのか,

を自分なりに答えを出す。それが人が,この世に生きる意味だ。意味は,人から与えられるのでもなく,天から与えられるのでもない。ましてや神が与えるものではない。あるいは天は,道は示すが,それを歩くかどうか,どう歩くかを決めるのは自分自身だ。

それが,フランクルの言う,自分の人生にどう応えるか,ということのもう一つの答え方だ。

そして,「人のおのれを知らざるを患(うれ)えず,人を知らざるを患(うれ)うる」とき,

敬して失う無く,人と与(まじ)わるに恭しくして礼有らば,四海の内,皆兄弟也

という。つまりは自己完結して,孤をかこつことがなければ,おのれのリソースは必ず開花する場がある。そういう人と出会う。それなら,おのれの旗印をいつも掲げていなくてはならない。

それで思い出したが,自分が髭・鬚をはやしたのは,独立した時で,世話になった先輩がはやしたのをまねたが,汚らしかった(失礼!)ので,きれいにしようとだけは思った。それは,自分なりの矜持を示したつもりだった。以来ずっと目印になっている。

もちろん,旗は見えなくてもいい。心に掲げているだけでいい。

参考文献:
高橋賢一『旗指物』(人物往来社)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm




#フランクル
#高橋賢一
#旗指物
#死生命あり,富貴天にあり
#天命
#リソース
#夢
#四半
#旗
posted by Toshi at 05:09
"自分の旗を立てる"へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: