2013年04月01日

人を助ける


人を助ける,というと,ついおこがましく思える。人を救う?思い上がるな,おのれの人生さえままならないのに,他人を助ける余力があるか? と。しかし違う。

人を助けることは,自分を助けることだ。
人を救うことは,自分が救われることだ。
人を支えることは,自分が支えられることだ。
人をサポートすることは,自分が支持されることだ。
人を支持することは,自分が維持されることだ
人にやさしいことは,自分に優しいことだ。
人を励ますことは,自分を励ますことだ。
人を咎めることは,自分を咎めることだ。
人を教えることは,自分に教えることだ。
人の学びを助けることは,自分の学びを助けることだ。
人を好きになるのは,自分を好きになることだ。
人を愛することは,自分を愛することだ。
人を憎むことは,自分を憎むことだ。
人を承認することは,自分を承認することだ。
人を褒めることは,自分を褒めることだ。
人を貶めることは,自分を貶めることだ。
人を絶賛することは,自分を絶賛することだ。
人を悲しむことは,自分を悲しむことだ。
人を喜ぶことは,自分を喜ぶことだ。
人を楽しませることは,自分を楽しませることだ。
人を敬うことは,自分を敬うことだ。
人を高めることは,自分を高めることだ。
人に声を掛けることは,自分に声を掛けることだ。
人を慰めることは,自分を慰めることだ。
人に伝えることは,自分に伝えることだ。

助けるとは,相手を不自由にすることであってはならない。相手に依存させることであってはならない。相手自身が,自分で立てるようにすることでなくてはならない。

慈悲には二種類ある,という。

往相の慈悲
還相の慈悲

前者は,聖道門。聖道の慈悲は,目の前で困っている人を救おうとする。しかし人には救いきれない。で浄土へいく。
後者は,浄土門。浄土の慈悲は,浄土から還ってきて大慈悲心を発揮する。

しかし二者択一ではなく,課題の二重性としてとらえる。たとえば,これを宗教としてではなく,自分への往還と考える。人を助けることで,そのことで出来上がった場が,その先で,自分を救うために,出現する,と。

人を助けるとき必要なのは,自分の土俵からおり,相手の土俵の上に立つことだ。これは,OJTでも家庭教師でも,学校教師でも,全てに共通する。

教えるというのを,正解をもっている自分の立場から,無知の相手に答えを教えるという姿勢だと考えている人がいる。それは,基本的に教育者ではない。体罰が起きるのも,自分の正解や自分の基準から相手を計っているからにすぎない。土俵の意味は,

http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod064301.htm

でも,触れた。

もし相手の土俵の上に立っているなら,相手ができていないなら,教えたおのれのつけでしかない。できているなら,相手自身の努力の結果だ。それが,相手の目線で見えてくる。承認がないなどということが起きるはずはない。

承認が起きないのは,自分が自分の土俵から相手を見ていることのメルクマールでしかない。

自分の土俵を捨てるのを,往相と呼ぼう。相手の土俵に乗るのを,還相と呼ぼう。それが人に関わるものの基本マインドでなくてはならない。

参考文献;
吉本隆明『親鸞』(東京糸井事務所)

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm




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posted by Toshi at 06:17
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