2013年04月07日

激しい怒り



久しぶりに,吹き出すような怒りを感じた。人との間である程度の齟齬があるのはやむを得ない。多少の行き違いもある。それが積み重なると,相手が,自分の何々が気にいらないせいなのだ,と勝手にその原因を邪推する。その瞬間に,激しい怒りを覚える。勝手な思い込み,そしてこっちが考えてもいない理由で齟齬が起きていると勘ぐるな,といういら立ちが,噴出して,激怒に変わる。

それで一瞬で空気が一変するのを,何度も経験してきた。

もっとも最近怒りやすくなっている気がする。喜怒哀楽が少し尖っている。これは治療のためステロイド剤を飲んでいることに起因しているのかもしれない。どうしても,テンションが通常より上がるため,感覚センサー,感情センサーの感度が尖る。そのせいもあるのではないか,という気がしている。最近ずっと穏やかな人間になってきていると,思い込んでいたのだが。

しかし,思えば,社会人としては,稀有なくらい,激怒することが多い人間であった。余り周囲の権威を慮ったり,損得勘定をしないせいなのかもしれない。いや,怒りが沸騰したら,損得なんて念頭から消えてしまう。その位激しく怒る。ま,人間が小さいせいに過ぎないが。

平生は,自分で言うのもなんだが,穏やかな人間だと思っている。時には,普通なら怒ることにもあまり目くじらを立てないほど,鈍感なこともある。

それが,怒りが爆発するのは,たぶん,いくつかのパターンがある。

ひとつは,くだくだと,自分の落ち度をつかれたり,もうそんなことを忘れているのに,腹を立てているのではないか,と邪推して,そのことをねちねちと繰り返されると,面倒くささと,いい加減にしろ,という思いで,両者の間の隙間を一気に広げるように,怒りを爆発させる。今日のは,それだ。もうそのことをこちらは何とも思っていないのに,まだこちらはそれを根に持っているのではないか,と勘繰られ,そこをつついて広げようとする。こちらとのギャップが,大きすぎて,「そんなことを思っていない」と言えば言うほど,何かかえって言い訳をしているようで,こちらの思いとは齟齬を大きく,その微妙な食い違いが説明しようがない。で,進退両難,主観的にはにっちもさっちもいかない気がして,切れてしまう。

いまひとつは,理不尽な言いがかりだ。これは,会社人生活最大の爆発だ。三十代,その会社の実力者に,進行途上の仕事について,自分の意見として言うのではなく,誰それが言っていたというような形で,理不尽な言いがかりをつけられた。もし,その人が,自分の意見として言ったとしたら,反論はしたかもしれないし,議論にはなったかもしれないが,そこまで激しい怒りを感じなかったのかもしれない。まだ完成していないのだから,それを修正する余地があり,自分の中でも,結論がでず,どうするか迷っている部分についての,言いがかりであった。しかも,その言い方が,「だから,全てだめ」というような言い方であった。しかし,ここには,上位者や責任あるものも取るべき態度についてのこちらの価値観なり期待像があり,その他人事のような言い振りに,カチンときたのが,発火点なのかもしれない。

またもうひとつは,これもよくあることなのだが,怒りというより,切れる,というのに近い。たとえば,何かを提案し,それで通った後に,追加でいくつか要請が来る。で,それに応える。それを何度が繰り返すうちに,あるとき,それはいいんだ,こちらで解決できる。それがお願いしたいことではない,と何というのか,いつの間にか,向こうの要請に応えようとしていたはずなのに,こちらからのお願いのようにすり替わって,主客が転倒してしまうケースがよくある。はっきり言うと,面倒になる,あるいは,邪魔くさくなる,うるさくなる,という感じで,「わかりました。では降ります」と言ってしまうことがある。積み上げた積み木を,こちらで蹴散らしてしまう感じだ。相手はたぶんびっくりしているだろうが,知ったことか,という感じになる。

この頃はあまりなくなったが,もうひとつあるパターンは,世の中の理不尽さや非道への激しい怒りを感ずることがあった。例えば,契約社員が理不尽に首を切られたり,言われない理由で上司が言いがかりをつけている場合,あるいは,不当な人事異動に対して,一種の正義感で,口を出すケースがあった。その役割でも立場でもないのに,のこのこしゃしゃり出て言って,一言口を出す。言ってみると,茶碗に手を突っ込んで引っ掻き回すみたいな感じだから,事態をこじらしてしまう。この場合の怒りは,静かな怒りで,場違いなところに,立っている,ということをわかっていて,あえてそこに立っている。言ってみると,蛮勇に近い。ただ本人は,別にそう思っていないので,冷静に理非曲直を口にしている。
 義憤という言葉が近いのかもしれない。「義を見てせざるは勇無きなり」という類だ。例えば,リクルートスーツを強いている癖に,最近の若い奴は創造力がないとほざく人事担当者がいる。ないのはお前だ!と怒鳴りたくなる。個性をふんだんに振るっていいと言われたら,いまの若い人の多くは,そこらのサラリーマンのオヤジよりはるかに個性的な感性をもっている。ダンスのセンス,音楽のセンス,ファッションのセンス等々。それを発揮させる機会も与えず,非個性化リクルートスーツだからかえって個性が掘り出しやすいなとど理屈を捏ねて,見抜けぬ自分を棚に上げ,創造性がないなどという。こんなファッションを強い,意味ないお辞儀やもてなしを強要する会社に未来はない。もはやそれ自体がガラパゴスなのだと気づいていない。あきれるより何より,そんな会社はダメだとつくづく思う。個性のないところに創造性はない。個性のない会社に未来はない…とまあこんな具合だ。

だいたい自分の怒りのパターンは,こんな感じだ。もちろん,どの怒りも,REBTではないが,自分が起こしていて,相手のせいではない。自分のイラショナルビリーフのせいだと,REBTなら言うだろうが,必ずしもそうではない。ラショナルかイラショナルかという区分自体が,イラショナルなのだ。

ただ,いずれのパターンの場合も,その場を凍りつかせることが多い。その位激しい怒りを爆発させる。しかし自分では,それを望んでいるのではない。主観的には,やむを得ざる仕儀にて,そうなったという感じで,怒りの後,立っている自分の立ち位置に戸惑うことが多い。怒りに任せて,こぶしを振り上げたのだが,別に冷静に思案し,作戦を立てているわけでもないので,一の矢の次がない。二の矢,三の矢の用意がない。

その意味で,怒った後は,間抜け面をして棒立ちになっている。その一瞬で,醒めているということかもしれない。「人間の器量はどの程度のことを怒ったかによって測れる」「何に怒るかで,その人の器量がわかる」ともいう。おのが器量の小ささに,その瞬間気づくというべきか。「怒る時に怒らなければ,人間の甲斐がありません」とも言うが,しかしどんな怒りも,徒労感を伴う。

ならぬ堪忍するが堪忍

とはよく言ったものだ。

一朝に忿(いきどお)りにその身を忘れて以てその親に及ぼすは惑いに非ずや

ま,そこまでの激しい怒りは,まだ一度しかないが,しかし怒らぬ如くはない。

過ちて改めざる,是を過ちと謂う,と。

参考文献;
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)

今日のアイデア;
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posted by Toshi at 04:59
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