2013年06月11日

心理統計って何の役に立つのか?


「心理統計」とは表現として矛盾している。心理は統計で測れるほどデジタルではない。では何の役に立つのか。

これについて,『よくわかる心理統計』(山田剛史・村井潤一郎)では,体重計を計るときに体重計に乗るように,心にも重さがあるとし,こう答えている。

たとえば,付き合っているカップルの片方が,「彼の気持ちが重荷になってきた」という場合,心にある種の重さを想定していることになるでしょう。それでは,「彼氏の恋愛感情の大きさ」はどのように測ったらよいでしょうか。(中略)心理学では,このような場合,たとえば,「心理尺度」というものを使ったりします。(中略)学術的には,ルビンという人が,愛情尺度を開発しているのですが,ここではその一部を紹介してみましょう。

これは明らかに論理的な飛躍がある。つまり立てた設問(「心理統計で数字を使う」こと,つまり心理統計の必要性について)の答えをはぐらかしている。もっとはっきり言うと,これでは論理が通らない。

第一に,心の重荷とは,比喩なのであって,それを実際の重さに置き換えて,答えている。まずここで第一のすり替えをしている。比喩で言っているからと言って,心を重さで測れる根拠にはならない。
第二に,第一での仮定(心の重さをはかる)を前提に,心の重さをはかる例として,恋愛尺度が測れる,としている。しかし,心の重さが測れるという前提が成り立たなければ,この仮定はそもそも成り立たない。
第三に,その心理尺度というものを,ルビン(ルビンの壺のゲシュタルト心理学者のことか?説明がないのでわからない)という人が,「愛情尺度」というものを開発している,という。外国の有名な学者が「尺度化」している,ということで,心理尺度をオーソライズしようとしているのだろうか。外国の学者が開発したからと言って,心理尺度が可能だということの証明にはならない。

推測するに,たぶんこの論理の組み立ては,執筆者の中では,逆立ちしている。まずルビンの「愛情尺度」がある,という認識から出発して,それがあるのだから,心理尺度があって当然で,その例として,心の重さを出した。これは,心理統計があることの説明にもなっていないし,その必要性を説明する論理も展開できていない。こんな非論理的な説明しかしないで,統計が利用できるのか。まずもって疑問である。

更に,では「愛情尺度」というのはどこまで有効なのか。結論から言うと,まず答えありきとしか思えない。「愛情を尺度化できる」という仮説(「仮説を仮の説明概念」としておく)を前提に,それを尺度として振り分けたはずなのに,その振り分けたものから結論を出して,「だから尺度化できる」と,仮説を証明しようとしている。つまりは自己撞着というか,論点先取りというか,話にならない。これを例にして,心理統計が必要という根拠にされたのではたまったものではない。

更に,この尺度設定の疑問は,第一に設問だ。この設問が,本当に「愛情(恋愛感情)尺度」をはかるのに妥当な項目なのかどうかが,説明されていて(証明されていて),その上で,その段階設定が妥当かどうかが検討されなくてはならない。その検討はスルーされている。そもそも説明が必要という問題意識すらない。

そもそもデジタル化に意味があるか,という回答としては,この「恋愛尺度」が例示されるにいたった自分の論理の展開を忘れてしまっているのではないか。こうやって尺度化すれば,心理も数値化できるという例のはずだ。それが心理の説明として有効という説明がなされないまま,「数値化」できたことでよしとしている。それは変だ。数値化するように振り分けたのだから,数値になるのは当たり前,問題はその数値が有効かどうか,妥当かどうかか問われている。それがなされなければ答えになっていない。

しかし,どうやら,「ルビンが開発した」というオーソライズで,証明が終わったつもりになっているらしい。

更におかしいのは,この5段階(9段階でも同じだが)に振り分けていくのは,回答者に振り分けさせているのであって,これが20段階でも100段階でも,本来グラデーションになっているはずの心理を,無理やりどこかに振り分けなくてはならないという無理については,一顧だにしていない。だから,繰り返すが,数値になるように振り分けているから,数値化の可否が問題なのではなく,そうやって振り分けることが,心理を正確に反映しているかどうかが検討されるべきなのだ。論点先取りとは,このことを言っている。

心理は尺度化できるという前提に立たなければ,こういうものをつくらない。だから,「愛情尺度」があることは,心理統計が必要だということの説明にも証明にもなっていない(ことに気づいていない?)。

たとえば,「心理統計」としての愛情尺度が使えるという「帰無仮説」を立て,対立仮説として「愛情尺度」は心理統計として使えない,を立てたとする。この仮説検定をするには,一定の検定統計量が必要になる。その母集団として,日本での婚姻組数はここ30年では平均して,年間70万組程度での推移をしている。そのうち標本として,海外なら旅行先ランキング別に,ハワイ,オーストラリア,イタリア,グアム,国内なら北海道,沖縄,京都,東京,大分,と行き先別に母集団を抽出してもいいし,ランキング1~5位を,抽出してもいい。で,有意水準を,仮に5%としておく。ただこの数値には意味がなく,「根拠がはっきりしているわけではありません。いってみれば,慣習として利用されている」(『ウソを見破る統計学』)のであって,「偶然といえる確率がどれだけ小さいか」を示している。

ここまでやってみて,初めて,「心理尺度」の例としての,「愛情尺度」の有効性が一応言えるのではないか。過去の実績があるというのは,ここでは取らない。なぜなら,この紹介の論法では,「愛情尺度」があるということを前提に(それに疑いを向けることをしない),心理尺度の有効性を説明していたのだから。

必ずしも,統計が無効だと言いたいのではない。そもそも統計そのものが,問題を内包している。

統計はすべて人々の選択と妥協の産物であり,そうしたことによって形づくられ,制約され,ゆがめられている」(『統計という名のウソ』)。その理由として,数字として抜けるものがあるからだ,とジョエル・ベストは,以下のことを挙げている。

①数字に欠けているものがある。有名なコロンバイン乱射事件で,隠れていたのは,アメリカでは過去20年約80,000人の子供が銃の犠牲になっている。
②計算不可能のものがある。全米でいなくなる子どもは年間200万人に上る。しかしそこにいなくなっている期間も理由も隠されている。
③故意に数えられないものがある。アメリカでは憲法との兼ね合いから,宗教の設問がない。
④忘れられたものがある。かつては調べていたが,いまは関心のない,たとえば麻疹の死者。
⑤伝説的な数字で社会的に流布している。都市伝説のようなものだ。夫に先立たれる女性の平均年齢は56歳。

そして,こう付け加えている。

統計を用いるとき人々は,その数字に意味があると考えている―少なくとも,受け手にそう考えてほしいと思っている。つまり,最低限だれかが実際に何かを数えた,しかも,意味をなす仕方で数えたということだ。統計情報は,複雑な世界を理解する術,混乱のただなかにパターンを認識する術として,私たちが手にしているとりわけ優れたものの一つである。

だから,使い方だ,といっているのだ(何だか当たり前だが)。統計も,統計学も,使い方次第で,有効になる,そういう説明が必要で,あたかも万能の如く言うのは論外としても,統計が,一定程度数値を丸めたり,カットしたりしなければ,統計にならないということを自覚したうえで,どう使うかが問われる。

その例として,ここでは,直観と勘でやっている世界に,補助データとして使えるのではないか,という問題提起をして締めくくりとしておく。

人の直観は,ある意味パターン認識なので,将棋の羽生善治の手筋を読むパターンは,いわば直観と言われる。盤面はいざ知らず,人に関わることは,人事面接でも心理面接でも,その勘,専門的直観は,少々危うい。限定された盤面で読み切れる手筋の数とは圧倒的に差があるのだから。

マイヤーズは指摘している。「心と頭脳が格闘する中で,臨床医は時には,自らの経験のささやきに耳を傾け自分の直観のほうに味方する」と。しかし,研究者は,そうしない。「直観と統計的予測が競合した場合(たとえば面接者による生徒の学力予測と成績や適性得点に基づいた客観評価がくいちがう場合),驚くべきことに,たいてい客観的評価によって決定がなされる」という。「統計的予測は必ずしも正確ではない」にもかかわらず(『直観を科学する』)。

さらに,マイヤーズは書く。

いったん臨床医がありもしない問題に関する解釈を憶測でつくると,その解釈が一人歩きをはじめる。スタンフォード大学のリー・ロスと同僚たちは信念のもつ根強さに関する初期の実験において,被験者たちにある実際の患者の病歴を読ませた。それから一部の被験者に,自殺のような特異な出来事が後に起こったと伝え,病歴からその説明をしてほしいと求めた。最後に被験者たちは,その患者のその後のことはわかっていないと本当のことを教えられた。この類の出来事は起こりがちだと評価している,とその説明した出来事は本当にありそうに思えてくるのである。
いったん手にした直観を説明するために,臨床心理的直観は,過った関連付けや後知恵のバイアス,信念の根強さ,自己成就的診断などの弱みが現れている。しばしば補強する情報を探して,自分の勘を試す。ある人が外向的かどうかに疑問をもつと,外向性の質問をする。「パーティを盛り上げたかったらどうするか」等々,自分の見たがっている関連性を見ようとし,それを後知恵で補強する。自分の理論や仮説を見てしまう。自分が正しいと思う質問をする等々。

エリザベス・F・ロフタフが,セラピストによって促された子供の親による性的虐待記憶が,子供の想像によってつくられた偽記憶であることを暴いたように(『抑圧された記憶の神話』),セラピストを反映する。心理療法のクライアントがしばしばセラピストの理論に一致してしまう。

あなたの気持ちがそうならば
あなたの求めるものがそうなる。
自分の望むものをあなたは見つけるだろう。

それを回避するには,過小評価されている統計的予測を利用することだ,とマイヤーは言う。大学入学事務局が,合格者の統計的予測を判断材料にするように。ここに,心理統計の必要性がある。とすれば,まさに,「心理」統計でなくてはならないはずだ。ここで必要なのは,傾向値の閾値が示せれば,少なくとも,誤った勘を是正し,再確認させるきっかけにはなるはずだ。

だから,その限界を知っていれば,心理統計は,有効なのだ,と考える。


参考文献
山田剛史・村井潤一郎『よくわかる心理統計』(ミネルヴァ書房 2004)
ダレル・ハフ『統計でウソをつく法』(高木秀玄訳 講談社ブルーバックス 1968)
ジョエル・ベスト『統計という名のウソ』(林大訳 白楊社 2007)
神永正博『ウソを見破る統計学』(講談社ブルーバックス 2012)
金子郁容『〈不確実性と情報〉入門』(岩波書店 1990)
デヴッド・G・マイヤーズ『直観を科学する』(岡本浩一 麗澤大学出版会 2012)

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posted by Toshi at 04:46
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