2013年06月23日

脳が教えること


V・S・ラマチャンドラン『脳のなかの天使』(山下篤子訳)を読む。

前作の『脳のなかの幽霊』に衝撃を受け,つづいて『脳のなかの幽霊、ふたたび』も読んで,三作目になる。今回の『脳のなかの天使』という訳題はどうも変だ。原題は『The Tell-Tale Brain』とある。まあ,脳が暴露することというか,脳の告げ口というか,脳が教えることという方が,原題のニュアンスに近いのではないか。

ラマチャンドランは,

進歩がいかにめざましくても,私たちは私たち自身に完全に正直でありつづけ,人間の脳について知るべきことのうち,小さな断片しかまだ発見できていないと認める必要がある。

といいつつ,本書の主題を,

まず,人間は心にユニークで特別な存在であり,「単なる」霊長類の種のひとつではない。

もうひとつ共通する主題は,全体にわたる進化的見地である。脳がどのように進化したかの理解なしに,脳が働く仕組みを理解するのは不可能である。

と述べている。ダーウィンのブルドックと称されたハクスリーとその論敵(神の)創造論者オーウェンの説を紹介しながら,ラマチャンドランは,こういう。

人間の脳は…実際にユニークであり,類人猿のそれとは大きなへだたりによって区別されるという主張において,オーウェンは正しかった。しかしこの見解は,人間の脳は,何百万年という年月によって少しずつ,神の介入なしに進化したというハクスリーやダーウィンの主張と完全に両立する。

そして,こう想定する。

そして今から15万年ほど前に,鍵となる脳構造と機能が爆発的に発達し,それらの幸運な組み合わせの結果として,私が論じている意味において人間を特別な存在としている精神的能力が生じた。私たちは誠信書房の相転移をくぐりぬけたのである。脳部位はすべてもとと同じままそこにあったが,それらがいっしょになって開始された新たな働きは,部分の総和をはるかにうわまわるものだった。

その基本姿勢は,上記からわかるように,仮説を立てるところだ。こう言っている。

科学は世界についての素朴な,偏見のない観察からはじまるという考えはよくあるまちがいで,実際はその反対である。未知の領域を探求するときはつねに,真かもしれない暗黙の仮説―あらかじめ考えた見解もしくは偏見―から出発する。イギリスの動物学者で科学哲学者のピーター・メダワーがかつて述べたように,私たちは「知識という牧草を食べる牛」ではない。発見の行為はすべて,決定的に重要に二つのステップをともなう。第一は,何が真であるかについての推量を明確に述べること,第二は,その推量を検証するために不可欠の実験を考案することである。

そして,ダーウィンを引用する。

誤って事実とされたことは,長くそのままになりがちなので,科学の進歩にとって極めて有害である。しかし誤った見解は,たとえなんらかの証拠によって支持されていようと,ほとんど害をなさない。誤りを立証するという有益なだれもが実行したがるからだ。

その意味で,本書は,神経科学者として接してきた様々な患者の症例をベースに大胆な仮説と大胆な実験に満ちている。例の,切断した手足が痛むという幻肢の話は,やはり衝撃的だし,それを鏡で脳を騙して,軽減させるという実践は,何度見ても,そのユニークな「実験の考案」には脱帽する。

さて,本書の肝は,「人間のユニークさ」にある気がする。それを失った症例から,ラマチャンドランは大胆に仮説を立てている。そのいくつかを紹介してみる。

自動車事故で頭部に重傷を負い,前部帯状回が損傷し,無動無言症と呼ばれる半昏睡状態になった患者は,歩くことも話すこともできない寝たきりの状態で,人を認識することもできなかった。驚くべきことに, 父親が隣の部屋から電話してくると,意識がはっきりして父を認識して話せる。しかし部屋へ戻ってくると父を認識できず,元の状態に戻る。ラマチャンドランは,こう推測する。

前部帯状回にいたる視角の経路のある段階だけが選択的に損傷され,聴覚の経路だけが健在だったとしたらどうか。(中略)ジェイソンの視覚運動システムは,それでもまだ,空間内の対象物を追い,自動的にそちらに目を向けることはできるが,彼は見ているものを認識できず,それに意味つげることもできない。ジェイソンは,父親と話しているときをのぞくと,意味のある豊かなメタ表象を形成する能力に欠けている。メタ表象は,わたしたち人間の生物種としてのユニークさのかなめであると同時に,個人としての独自性や自己感にとっても不可欠である。

そこからこう仮説を立てていく。

脳は,進化の歴史のごく早い時期に,外界の対象物の一次感覚表象を形成する能力を発達させた。この一次感覚表象が引き起こす反応の数は非常に限られている。たとえばラットの脳は,ネコの一次表象―具体的には,反射的に避けなくてはならない,やわらかな毛でおおわれた,うごいているものという表象―しかもてない。しかし人間の脳がさらに進化したとき,ある意味で古い脳に寄生する第二の脳(正確にいえば一セットの神経結合)が出現した。この第二の脳は,第一の脳からの情報を処理し,それを,言語野シンボル思考を含む幅広いレパートリーのより洗練された反応に使える,あつかいやすいチャンクにすることによって,メタ表象(表象の表象―高次の抽象)をつくりだす。

さらに,

メタ表象は私たちの価値観,信念,優先順位づけなどに欠くことのできない前提条件である。(中略)そうした高次の表象は,心のなかで,人間に独特のやり方でさまざまに操作することができる。それらは私たちの自己感と結びついて,私たちが外界…で意味を発見しそれに対する自分の立場を決定することを可能にしている。

その意味で上記症例の患者は「断片化された自己」しかもたない。そこから,ラマチャンドランはこう言う。

自己は自己自身が信じているような一枚岩的な存在ではない。(中略)自己は多数の構成要素からなっており,単一の自己という見解は幻想かもしれないと,神経科学は私たちに告げている。

しかし,別の言い方をすると,メタ化の中に自己の本質があり,キルケゴールが,

自己とはひとつの関係,その関係それ自身に関係する関係である。あるいはその関係においてその関係がそれ自身に関係するということ,そのことである。

という言葉につながる。単なるメタだけではなく,メタ関係のメタだから,そのリンクの一部でも切れれば,自己は一部消えて行く。 脳に,脳の構造に,その答えがある。

参考文献;
V・S・ラマチャンドラン『脳のなかの天使』(山下篤子訳 角川書店)

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

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posted by Toshi at 06:10
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