2013年09月10日

嫉妬


嫉妬については,

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11261890.html

で少し触れた。そこではこう書いた。

僕は,嫉妬というのは,その立場に成り代われなかった,そこに自分がいたらよかったというそのポジションに自分がいない,どうあがいてもそこにいられないということに対する悔しさといっていい。

しかしそもそもそこには自分は立てないことは気づいている。気づいているから,なお悔しい。

自分は,その方向を向いていないのに,その方向にいたいと思う,その矛盾が嫉妬を生む。

羨むというのは,穏やかだが,それは,距離があるからだ。遠い向こうを見ているからだ。その距離が感情を生々しくしない。生臭くしない。

嫉妬は,その距離が微妙だ。その位置にいられそうな,一つ間違うとそこにいたかもしれない,そうなれたかもしれないのにそうなりそこなった,そんな間合いが,悔しさというか,身もだえするような生なまましい悔しさを感じさせる。

その距離は必ずしも物理的なものではない。心理的な近しさ,あるいはほとんど同位置にいると感じさせる(錯覚にしても錯覚するくらいの)親しさがある。それは,勝手な思い込みも含めて,主観的なものだ。

ある意味同類意識なのかもしれない。

もし自分がその位置に,同じところにいるのだとしたら,それは感じるのだろうか。あるかもしれないが別の感情だ。

だからといって,その位置,その立場,その状態を,必ずしも,自分が欲しているのではない。欲していたら,嫉妬よりは,別の反発や奮発といった感情なのではないか。

だから,嫉妬は微妙なのだ。同じ方向を向き,そこを目指しているのではない。にもかかわらず,それを妬む。

そこを目指してもいないが,しかし,

その位置に自分がいないことに,
いやそこにはいられないことに,
あるいは,
いようともしなかったことに,

たまらない悔しさを感じる。しかし決してそこにはいないだろうし,いられもしないだろうことも承知している。まあ,矛盾だといっていい。

その矛盾を強引に突破しようとすると,ストーカーになるしかない。それは,現実ではなく,そこにいようと思えばいられたかもしれない,という幻想を現実に無理やり接続してしまうことだ。本人は,距離をそうやって埋めようとする。しかし物理的な距離を埋めても,心理的な距離は夢とうつつのように隔絶している。埋めようはない。

その絶望に,どこで気づくのだろう。

気づかないのだろうか。

僕は気づいていると思う。気づいているからこそ,現実を強行突破するしかなくなるのだ。

どこで引き返すべきだったのだろう。

嫉妬の一瞬の距離と方向の違いを,それに気づいている自分に気づくべきだったのだろう。気づくのは,つらいことだが。現実の隔絶を前にする時ほどの絶望とは違う。

しかしいつの間にか,嫉妬は憎悪に変わっているのかもしれない。それは,距離を一気に飛び越えていくものだ。距離故の矛盾を,自分にも相手にも盲目に,突き破っていく。激しい憎しみは,感情の肌理を焼き尽くしてしまう。

その一瞬,世界には,自分一人しかいなくなる。

その孤立が,憎しみを募らせる。



今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm





#嫉妬
#羨む
#ストーカー
#憎悪
#妬む

posted by Toshi at 04:56
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