2013年10月02日

空白


死ぬ瞬間,自分が身体から剥離して,部屋を俯瞰する位置で,自分を取り巻く人々の様子を見る,という。死んだ人間は語らないので,真偽は知らない。

あるいは,死ぬ一瞬に,一生分を,フィルムのラッシュのように,眼前を流れていくのだという。これも,真偽は知らない。

僕は前にも書いたが,三度ほど死にかけたが,一番鮮明に覚えているのは,小学校の二,三年の時,川で泳いでいて,深みにはまり,泳げないので,川底へ沈み,そこから,川水をレンズのように通して,青空を見ていた。

そのときの心境をよく覚えていないが,なぜかじたばたしていた記憶がない,というか,したばたした後,力尽きて川底へ沈んだのか,そのあたり全く覚えていず,川底から流れる水にきらきらとさざめく青空を眺めている記憶しかない。

だから,誰に助けられたのかも,どうやって救ってもらったのかも,ほぼ記憶から消えている。そのときは,覚えていたのかもしれない。口から水を吐き出しながら,耳の水が気になって,熱い石を探していた記憶がかすかにある。

人はどうして大事なことを覚えていないのだろう。

幼稚園児の時,悪ふざけしながら,後ろ向きで階段を下りていた記憶があり,その後途切れて,ダンプの車体の下に仰向けになっている自分の記憶になっている。それを目撃されていた保母さんが,まだご存命で,母の死後お手紙をいただいたが,タクシーだと記憶しておられる。僕の記憶ではダンプかトラックのような,車高の高い車なのだが,記憶が違っている。

いずれにしろ,自分は,この場合も,轢かれる瞬間は覚えていない。気づくと,車体の下にいた,という記憶しかない。

ここからは想像なので,どうでもいいのだが,その断裂した記憶,というか記憶の隙間というかは死と直通しているような気がする。

気づくと死んでいる,

のと,

気づくと車の下にいる,

のとの違いは,ほんのわずか,紙一重なのではないか。

そのわずかの差,その深い深淵をひと飛びするところを,意識が追い続けていられるのかどうかが,ちょっと疑わしい。

眠りに落ちるのと,

死んで行くのと,

の差は,その一瞬を,どちらに渡るかでしかないが,本人にだってわからないような気がする。

眠るように死んでいった母のことを思い出すと,確かにつむった眼が動いていて,レム睡眠らしいと思うのだが,ほんの一瞬後,気づくと,それが止まっていて,あわてた記憶がある。

本人だって,あるいは,どこまでか夢で,夢を見ているつもりになっているうちに,フェードアウトして,その先は,真っ暗の闇なのかどうか,そのことを気づいているかどうかも,いまは確かめようはない。

意識の空白というのは,よく不注意の問題で起きるが,人は一点をじっと集中してみていられるわけではない。

僕は先だって,カメラでモノを撮っていて,後ずさりしているうちに,何かに引っかかって,転倒したが,その間の何秒かが意識から飛んで,気づくと,カメラのレンズが吹っ飛んでいて,あおむけに転んでいる自分に気づいた。それからしばらくして,脚の痛みに気づき,脛をすりむいていることに意識が向いた。

そう,この意識の飛んでいる一瞬の間隙が,生と死の間隙に思えてならない。

変な言い方だが,

気づくと,転がっている自分がいる,

というのと,

気づくと,死んでいる自分がいる(と気づくことがあるかどうかはわからないが)

とは,紙一重なのではないか,ということなのだ。

その意識の空白部分に,運否天賦がある,といえば言えるのかもしれない。


今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm





#死ぬ瞬間
#紙一重
#記憶
#レム睡眠
#死

posted by Toshi at 04:50
"空白"へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: